黒い闘争と黒い混沌に絡まれた件   作:とりゃあああ

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三話   鉄血宰相

 

 

 

 

 

帝国政府直属機関『鉄道憲兵隊』。

帝国正規軍の中でもエリート中のエリート。

士官学校で特別優秀な人材だけが集まる場所。

輪廻が始まる前。士官学校を卒業する時。どんなに頑張っても、フェア・ヴィルングは鉄道憲兵隊に入隊できなかった。能力も資格も足りていなかったからだ。

嗚呼、残念。

クレア・リーヴェルト大尉は一人悲しんだ。

さりとて同じ帝国正規軍。

人生の先達として軍人のイロハを叩き込もう。

それが彼に救われた私の義務だと意気込んでいた所に、『俺、軍人辞めるから』の急報である。まだ2年しか従軍していない。次の就職先はどうするのか。宛はあるのか。そもそも事前に相談ぐらいしてもいいだろうに。

返ってきた言葉は淡々としていた。

『それじゃあ元気で』

クレアは怒り狂った。猛き咆吼で通信器を破壊した。

氷の乙女と称される若き天才。導力演算器並みの頭脳を持つ才女は、フェア・ヴィルングに対する制裁案を次々と提案。その数、数百に及ぶ。

結果、こうなった。

問答無用で知人の首根っこを掴んだクレアは、ヘイムダル中央駅に設置してある鉄道憲兵隊の詰所に引き摺り込んだ。

 

「酷い目に遭った」

「此方の台詞ですね」

 

テーブルを挟んで向かい合う二人。

フェア・ヴィルングは掴まれていた首を摩った。

クレア・リーヴェルトは浮き足立つ心を沈めながら答えた。

 

「部下の方々が目を丸くしてましたよ」

「貴方が逃げようとしたからです」

「だとしても首根っこを掴む必要性はないでしょうに。俺は猫ですか」

 

フェアは脚を組んで壁を見つめる。

不本意。どうにかして逃げようと画策している。

長い付き合いだ。彼の考えている事柄ぐらいわかる。扉までの距離。外にいる鉄道憲兵隊員の数。逃亡時に障害となりそうな駅利用者。全て加味すればフェア・ヴィルングは絶対に逃げられない。

贔屓目に見ても、彼の武力は学生にすら劣る。トールズ士官学院Ⅶ組の面々でも制圧できる程だ。

悲しいが現実である。

フェアには才能が無かったのだから。

 

「いきなり仕事を辞めた挙げ句、放浪者になったんです。連絡の一つもよこさない。猫ですね、完全に」

「心配いらないと通信した筈です」

 

テーブルを指で叩く。

トントン。部屋にリズム良く鳴り響く。

フェアが苛立った時の癖。幼少時からの癖。

変わらない。変わっていないことに安堵した。

 

「理由になりません。ミハイル兄さんも気が気で無い様子でしたよ。ご愁傷様です」

「あー。クレアさんから後で謝っておいてください」

「遠慮します。貴方からどうぞ」

「後生です。お願いします。多分、ミハイルさんに捕まったら1ヶ月は解放されないと思うので」

 

初めて慌てるフェア。

クレアは少しだけ溜飲が下がる。

まるで昔に戻ったようで嬉しかった。

硬い表情を解く。惚けるように口にした。

 

「あら?」

「なんです」

「私が解放するとでも?」

「――俺、一般人ですよ。理由もなく長期間捕らえてしまえば軍規に違反しますが?」

 

確かに一般人である。

法律上、そうなっている。

軍を辞めた根無し草の放浪者。

世間の風当たりが強くなろうとも、既に民間人の仲間入りしたフェアを強制的に捕えてしまえば明確な軍規違反である。

当然ながら理解している。

それでも譲れない。譲れない理由があった。

帝国を二分している派閥。貴族派と革新派の争いは頂点に達した。いつでも内戦が始まりそうな不穏極まる情勢。テロリストすら跋扈する有様。泥沼の内戦は不可避だ、とクレアの頭脳も結論付けた。

故に――。

 

「この情勢下、貴方を放逐する訳にいきません」

「鉄道憲兵隊も大層忙しいでしょう。俺一人に関わっている時間も惜しいほどに。クレアさん、早く仕事に戻られた方がいいですよ」

 

淡々と。抑揚なく。

初対面の相手に告げるが如く。

突き放されたクレアは思わず立ち上がりかけた。

 

「フェア、貴方は――」

 

だが止まった。

言動全てを封じられた。

物理的ではない。そんな単純なものではない。

フェア・ヴィルングの昏い眼に圧倒されたのだ。

 

「貴族派と革新派。内戦の兆し。一応、俺は元帝国軍人。貴族派に捕まる可能性もある。だから外は危ない。分かってます。分かってますよ、クレアさん」

 

絶句した。

正直、咄嗟に言葉が浮かばなかった。

初めて見る瞳。底無し沼のような昏い色。絶望に塗り固められた眼光に貫かれた。

死んだ眼など生温い。

これは、死にながら生かされている。

何者かに強制的に生存させられている。

どうして。いつから。

最後に会ったのは一年前。帝都中央部で偶然すれ違った。お互いに非番。カフェで話した。いつも通りだった。普段通り覇気もなく、自然体で、しかし何処か闇を感じさせる青年だった。

なのに。

僅か一年足らずで。

フェア・ヴィルングは変わり果てた。

 

「でも此処に居たら、俺は間違いなく死ぬ」

 

声音には確信が宿っていた。

予測ではない。まるで予言のように断言する。

どうしてと問い掛けられない。

クレアは救われた。昔。昔の話だ。精神的にも強くなれた。それでも。それでもコレには太刀打ちできない。大切な人が生き地獄に突き落とされているのだと知って、クレアはどうすればいいのだろうか。

 

「だから。無理にでも此処を出ます」

 

莫大な覇気が部屋を包んだ。

思わず身構える。だが、抗えないと悟った。

クレア・リーヴェルトは明晰な頭脳が評価されがちだが、間違いなく強者の部類に属する。指揮能力を加味すれば帝国内でも上位に分類されるほどである。

そんな彼女ですら抗えない。

右手に掴んだ拳銃を下ろさせる威圧感。

クレアは椅子に腰を落とした。項垂れる。脳裏に過ぎるは一年前のフェア。可愛かった。助けてあげたくなった。まるで死んだ弟のようだった。

 

「――冗談です」

 

空気が弛緩する。

全身に降り注いだ重圧は唐突に消えた。

慌てて顔を上げる。ほんの少しだけ期待した。

能面のような表情でクレアを見詰めるフェアがいた。期待は見事に裏切られた。

 

「何が、ありましたか?」

 

彼は変わってしまった。

不変の事実。現実を受け入れるしかない。

だからこそクレアは問い質す。

不都合な真実だとしても。弟分を助ける為に。

 

「変わったことは特にありませんよ」

 

フェアは答える。

表情を一切変えずに。

 

「嘘です!」

 

叫んだ。テーブルを拳で叩く。

部下が見たら眼を丸くするに違いない。

感情的にならず。常に冷静で。心優しく皆を導く氷の乙女に相応しくない言動だからだ。

 

「本当です」

「もしや貴族派の人間に――」

 

最悪の光景が飛来した。

クレアは鉄血の子供達と揶揄される立場にある。

貴族派からしてみれば敵対勢力の幹部扱い。彼女に近しい存在を秘密裏に捕まえ、拷問し、なけなしの情報を吐かせる。有り得る事だ。猟兵を使役している節すら見受けられる貴族派ならやりかねない。

勝つ為だ。革新派を倒す為だ。

そんな免罪符を掲げて笑いながら。

 

「クレアさん、何もありませんよ」

「でもそのような姿をご両親が見かけられたら」

 

きっと嘆き悲しむだろう。

帝都に住むヴィルング夫妻。

優しい人たちだ。誰よりも息子を愛している。

だからこそ嘆く筈だ。

一人息子が変わり果てた姿で放浪しているなら。

 

「?」

 

フェアが首を傾げる。

瞬きせず。時が止まったように動かない。

 

「――フェア?」

 

気味が悪い。

逃げ出したい衝動に襲われる。

グッと堪える。堪えろ。堪えなければならない。

そう思った。此処で逃げ出したら一生後悔すると感じた。だから耐えた。なのに次の言葉は耐えられなかった。

 

 

 

「俺に、両親なんて、いませんよ?」

 

 

 

 

 

 

 

走り去るクレアさん。

青い髪が跳ねる可憐な後ろ姿。

本当なら呼び止めるべきだ。肩に手を置いて引き止めるべきだった。甘い言葉を投げ掛け、弱音を吐露して『本当の弟』のように縋る。

クレアさんは完全に俺の味方になった筈だ。

幾度となく繰り返される経験。輪廻から抜け出す為に姉貴分すら利用した違う世界線。それでも無理だった。彼女は死んで、俺も死んだ。

此処に居たら間違いなく殺される。貴族連合軍の帝都占領時に捕らえられる。拷問され、情報を吐いても抹殺される。三回ほど体験済みだった。

鉄血宰相を狙撃しようとする『クロウ・アームブラスト』を止めようとしたら余計に悲惨だ。俺だけでなく、クレアさんも捕虜となる。最後は精神を壊されてしまう。あんな姿を見るのは一度で充分だった。

クレアさんの居なくなった鉄道憲兵隊の詰所。晩夏の暑さは何処に消えたのか。空気が異様に冷たい。目眩がする。早々に立ち去ろう。

長居しても碌な事がない。メリットも皆無だ。

扉に手をかけようとして、尋常ならざる存在と出会した。

 

 

「おや、君は誰かね?」

 

 

思わず右足で踏ん張った。

倒れそうになる身体を支える為に。

正面から受け止めるには余りに重厚すぎる覇気だった。

 

「――鉄血宰相」

「如何にも。ギリアス・オズボーンである」

 

怪物。化物。帝王。

心臓を撃ち抜かれても生きていた不死身さ。内戦で貴族連合軍を打破した粘り強さ。クロスベルを無血占領した即断即決。ノーザンブリアを併合して、エレボニア帝国を超大国の座に押し上げた智謀。それら全てを成し遂げた一人の男。これから成し遂げる稀代の宰相。鉄血宰相ギリアス・オズボーン。

輪廻の中で初めて言葉を交わした。

怖い。怖い。怖い。

歯がガチガチと鳴りそう。身体が震え出しそう。

気合で平静さを保つ。存在Xの姿を思い出して中和した。

 

「此処は鉄道憲兵隊の詰所だ。私の部下がいると聞き及んで足を運んだのだが、こうして出会えたのは見知らぬ男。はて、君は誰かね?」

「フェア・ヴィルングと申します、宰相閣下」

「ほう。君がフェア・ヴィルングか。名前だけは知っているとも。クレアと懇意にしているとな」

 

艶のある声だ。

思わず耳を傾けたくなる。

身から溢れ出るカリスマに屈服しそうになる。

 

「恐れ入ります」

「なるほど。大体見えてきた。久方振りに再会したクレアと話していたという訳か。彼女が公私混同するとは珍しいが、それほど君を大切に想っているという事かな」

 

逃げ出したい。

この場から立ち去りたい。

だが、ギリアス・オズボーンによって出入り口は封鎖されている。窓もなければ、壁をぶち壊す剣も持っていなかった。

無理だ。不可能だ。どう見ても脱出できない。

俺は内心で頭を振った。

落ち着け。我慢しろ。待ちの一手だ。

ギリアス・オズボーンが飽きるまで話し相手になるだけ。俺は凡人。多忙を極める鉄血宰相が時間を割くような価値などない。

直ぐにクレアさんを追い掛けるはずだ。

 

「クレアから正規軍を辞めたと聞いている。以前は第六機甲師団に勤めていたと。本当かな?」

 

追い掛けてくれない。

鉄血宰相は優雅に言葉を紡ぐ。

もう5分近く会話している。移動もせず、腰も下さず。お互いに直立不動のまま口だけを動かしている状況だった。

 

「その通りです、閣下」

「辞めた理由を聞いても構わないかね」

「私に軍属は向いていないと考えたからです」

「模範的な回答だ。大変結構。言い淀まずに口にするとは練習しているのかね。しかし、私とて暇ではない。嘘はやめたまえ」

 

重圧が増した。

屈服しそうになる。

膝を付いて許しを乞いそうになる。

負けるか。負けてたまるか。

そもそもお前がヨルムンガンド作戦なんて行わなければ。クロスベルを占領しなければ。内戦直前に狙撃なんてされなければ!

俺はこんな状況に陥ってないかもしれないのに!

 

「内戦という、最も愚かで馬鹿げた争いに関与しない為です」

「貴族派と革新派の対立か。内戦に至ると?」

「ご冗談を。閣下ならお気付きでしょうに。貴族派が何を造っているのか。誰を雇っているのか。いつ帝都を占領しようとしているのかすらも」

「貴様は何を知っている」

「機甲兵。猟兵。来月下旬」

 

先に喧嘩を売ってきたのは鉄血宰相だ。

買わねばならないのなら大いに買ってやる。

死んでも巻き戻る。七耀暦1204年8月に。

だから強気に出た。見下ろす眼光に立ち向かう。足腰に力を入れて、天上の彼方に存在する鉄血宰相を睨み付けた。

 

「貴様は――。いや、有り得るのか。イシュメルガめ、余計な存在まで招き寄せたらしいな。自業自得だが」

 

鉄血宰相は自嘲する。

誰かを、何かを嘲笑った。

手を挙げて、そして俺の頭に下ろす。

グシャグシャと撫でられた。

思考が止まった。

どうしてだろう。泣きそうになった。

 

「?」

「苦難の道だな。煉獄に至るぞ、若人」

「煉獄に進めるのなら本望です、閣下。私の恐怖は既に一つしかないのですから」

 

進まない時計をぶち壊す。

その為ならば煉獄に堕ちても構わない。

空の女神を殺すことも辞さない覚悟だった。

 

 

 


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