七耀暦1205年6月10日。
エリンの里を出奔してから五日後、フェアとヴィータは満を辞して海上要塞を訪れた。約半年も正規軍相手に篭城を続ける難攻不落の城。本来なら底辺を這うような士気も、黄金の羅刹が総大将として君臨するだけで最高潮を維持していた。
時間は正午過ぎ。
方法は魔女の転移。
目的は絶佳の剣士を味方にする為。
自室へ出現した招かれざる客に対して、オーレリアは表情を一切変えずに歓迎した。右腕であるウォレスだけを残して、フェアとヴィータに相対する。帝国はおろか世界でも有数の強者が集った応接間は一種の異界と化していた。
基本的に羅刹と魔女が主となって言葉を交わしていく。
「ふむ、ある程度は理解した」
「聡明な将軍ならご理解頂けると信じてたわ」
ソファの肘掛けに身体を預けながら、オーレリアは口を開く。
「フェア殿は同じ時を繰り返している事。宰相殿と結社が手を組んで世界大戦を引き起こそうとしている事。大戦の裏で行われるであろう七の相克とやらもな」
「俄かに信じ難いですな。特に後者の二つは」
ウォレス・バルディアスが怪訝そうに細目を作る。
褐色肌の武人をチラリと見た後、白銀の佳人は視線を黒緋の騎士へ移動させた。
「確かに。フェア殿の謎は、その説明で大概納得できよう。二大流派の修得、実力の割に名前を知られていない奇妙さ、私の遥か上を行く操縦技術。全てに於いて辻褄が合うからな」
「しかし魔女殿、貴女の仰る未来予測は荒唐無稽に過ぎる」
「ウォレスの言う通りだ。妄想、或いは狂言と履き違えられても仕方あるまい」
「理解したのではなくて?」
「理解したとも。だが、納得しておらぬ」
肩を竦めるオーレリア。
ウォレスも鷹揚に頷いて同意した。
至極当然の反応だろう。理解できるだけ柔軟な思考の持ち主と云える。納得できなくても致し方なかった。
ヴィータは劣勢の立場でありながら、煽るようにクスクスと微笑んだ。
「あら、納得して頂けないなんて不思議ね。貴女の主君も同じ結末を見通している筈よ」
「ほう。面白い罵倒だな、それは。極刑に処されるカイエン公と私が通じているとでも?」
「薄青の髪色が似合う少女の事なのだけど」
「心当たりないな。ウォレスはどうだ?」
「生憎と」
動揺を見せず。
口調も普段と同じく。
能面のような顔付きで答える。
「そう。それでも構わないわ」
ヴィータは口角を吊り上げる。
微笑みから嘲笑へ変化していった。
想定の範囲内だと。
主導権を握るのは我々なのだと。
「私たちにとって必要なのは貴女たちだけ。あの娘、近い内に死ぬもの」
「なっ――」
「何を根拠に?」
鷲色の双眸を見開くウォレス。
オーレリアは腕組みしたまま小首を傾げた。
胆力の違いからか、多少なりとも有り得る事だと予想していたからか。下手な内容を口走れば叩き斬ると云わんばかりの殺意にも、ヴィータは素知らぬ顔で対応する。
「そうよね、フェア?」
「大罪人であるカイエンの血を継ぐ者として秘密裏に消されるでしょう。早ければ数日以内に」
貴族連合軍の総主宰。
偽帝に並ぶ最悪の売国奴。
カレル離宮に皇族を押し込めただけでなく、暗黒竜を蘇らせて、帝都ヘイムダルを滅ぼそうとした悪役。クロワール・ド・カイエンは帝都の夏至祭に合わせて極刑に処される予定である。
誰もが認める大罪人。特に絶滅の憂き目に遭った帝都市民の怒りは凄まじく、風の噂によれば一族郎党にも罪が及ぶかもしれないという。
淡々と告げられた言葉に、オーレリア・ルグィンは瞑目した。
「フェア殿の見てきた世界線か。魔女め、小賢しい真似を」
フェアの発言が真実かどうか。
オーレリアは確認する術を持たない。
本当に起こり得る事かもしれない。その可能性を視野に入れてしまう時点で、ヴィータの勝ちは確定していた。
「貴女が我々に協力してくれるなら、彼女を保護しましょう」
「交換条件という訳か。だが、此方も判断材料に欠けている」
「何を知りたいの?」
「あの方を保護できるほど強いのかどうか。特にフェア殿だ。貴殿の力量を確かめさせて欲しい。直ぐに、この場で」
黄金の羅刹と生身で対峙する。
宝剣ヴァニタスの柄を握り締める。お互いに自己流の構え。二大流派を己の物に昇華した証。何が原因なのか、他の世界線と比べても明らかに強くなっている。緊張から唇が乾燥していた。舌舐めずりする。
それを余裕と見て取ったのか、オーレリア・ルグィンは力強く間合いを詰めた。一歩だけ。されど達人の空間に踏み込むならば命取りにも繋がりかねない。
オーレリアでなければ斬り込んでいるのに。下手に攻め込んでも、反撃されて斬殺される未来しか思い浮かばない。理不尽の権化め。だから俺はコイツが嫌いなんだよ。常識外れにも程がある。
「ふむ」
オーレリアは黄金の闘気を纏ったまま、何かに納得するように首肯した。煌々と輝く紅い宝剣アーケディアで大気を灼き切りながら、野獣を彷彿させる獰猛な笑みを浮かべている。
問うべきか。無視するべきか。一瞬だけ悩んだものの、力を貸してほしいと懇願する立場である事を思い出した。不承不承ながら簡潔に尋ねる。
「何だ?」
「そなた、強いな」
「皮肉にしか聞こえないぞ」
「何を言うか。先程の話が真実だとして、僅か一年足らずでこの黄金の羅刹に並ぶなど。私が認めてやる。誇れ。そなたは強い」
実力と自負に彩られた力強い声。
それも当然か。鉄壁の海上要塞と云えど、約半年にも渡り、機甲兵と戦車を布陣とした正規軍相手に立て籠もっているのだ。
世間一般的に見れば敗軍の将だが、戦前から培われた名声は些かも落ちていない。
「こうして剣気を読み合うだけでも興奮する!」
いや、戦闘狂の度合いは強まっているかも。
「その割に隙を見せないな」
「一撃で決着を付けようとしているだろう。諦めよ」
周囲に張られた魔女による結界。
決闘の立会人は黒旋風と深淵の魔女。
そこそこ常識人であるウォレスさんは真面目な顔付きなんだが、この状況を作り上げたヴィータさんは不機嫌そうに腕を組んでいる。
うーん、怒ってるなぁ。
時間を掛けたくない。だから一撃で決めたい。
にも拘らず、隙が見当たらないんだ。剣気による読み合いは正しく互角。どうしたものか。決定的とまで欲張らないから。一瞬でいいから隙を見せて欲しい。本当に頼むよ。
「此処まで昂っているのだ。簡単に終わらせるなど許さぬ。私の欲求不満が解消できるまで付き合って貰うぞ!」
戯言、宣言、一喝。
オーレリアは停滞した状況を破壊した。紅い宝剣を担ぐ。踏み込む。躊躇いなく。兇猛な笑みを貼り付けて。瞬きする内に眼前へ近付いた。
振り下ろされる凶器。風と衝撃を撒き散らしながら迫る。当たれば即死。掠っても絶死。ならば受け止める。もしくは弾き返すだけ。
血流を加速させる。意識を切り替える。右脚に力を込めて。宝剣を振り上げる。衝突。拮抗したのは僅か二秒。やはりか。今回のループが始まってから一年、身体が出来上がっていないなど自明の理。足りないのは剣技で補う。
剣先で紅い宝剣を滑らせる。力の分散。成功。押し返す。
「さぁ、此処からだ!」
狂ったように哄笑するオーレリア。
上下左右、様々な場所から斬撃を繰り出す。
互いに動き回る。一箇所に留まらない。隙を突いて。対処して。戦技の恐ろしさに冷や汗を浮かべながらオーレリアの癖を頭に叩き込んでいく。
「――くッ!」
「剣技だけだと思うな」
空中に浮いた。見逃さない。
剣術を出せない位置だ。関係ない。宝剣を地面に突き刺す。柄を基点にして身体を回転。右足の爪先をオーレリアの腹部に抉り込ませる。
表情が歪んだ。ざまぁみろ。
結界の端まで蹴り飛ばす。漸く間合いを離す事に成功した。武神功を掛け直す。身体能力を向上させた。
オーレリアは口内に溜まった血を吐き捨てる。俺が二重武神功の荒波を制御している間、腹部に回復魔法を掛け、黄金の闘気を紅い宝剣に乗せて振り被る。
あの構えは覇王斬だ。知っている。何度も見た。数多の世界線でも、今回の戦闘でも。一言で表現すると飛ぶ斬撃である。有象無象を相手にするなら一撃必殺の戦技だが、強者相手なら牽制に用いるぐらいだろう。
「――は?」
目を疑う。驚嘆が漏れる。
斬撃ではない。黄金の光線。
長大で極太、威力も桁外れ。直撃したら死ぬと確信した。判断が遅れた。躱せない。防ぐしかないな。
宝剣の切っ先を地面へ向ける。一呼吸。集中。戦技に闘気を乗せる。同じ事だ。黒い靄を纏いながら裂帛の気合いと共に振り上げる。
戦技、冥王斬。
漆黒と黄金の光線が激突した。計らずも威力は拮抗している。込められた闘気の量も同一。ならば霧散する時機も同時だろう。想像通りに、黒と金の光線は轟音と衝撃を拡散させながら消失した。
眩い閃光。視界が明滅する。著しく落ちた視力に目を細めていると、オーレリアは戦闘狂特有の笑顔を貼り付けながら突っ込んできた。
「やはり、そなたは私の婿に相応しい!」
豪剣で唸らす剣士と思えない速度。時間にして一秒未満。化け物か。化け物だったわ。何を当たり前の事で驚いているんだ、俺は。
「勘弁してくれ」
正面から受け止める。
馬鹿力め。身体が折れ曲がりそう。地面がひび割れた。後手に回っている。どうしたものか。本当に勝ち負けが付くまでやり合わないといけないのだろうか。
「不満か?」
「当たり前だ」
「安心しろ。私は尽くす女だ」
「知らん。戦闘狂の嫁など御免だ」
「似た者同士だろうに。か弱い女が好みか?」
「知的な女性が好みだな」
「私はトールズ士官学院を主席で卒業してるぞ」
「そういう意味じゃない」
「眼鏡でも掛ければ良いのか?」
「はっきり言おうか。貴女が嫌いなんだ」
「問題ない。今は嫌われていても、いつか私を好きにさせてみせる」
男前過ぎるだろ。
性別間違えて生まれてきたな。
「さぁ、続きだ!」
犬歯を剥き出しにして吼えるオーレリア。
立会人へ視線を向ける。ウォレスさんは呆れていた。ヴィータさんは喜んでいた。どうやら戦闘続行の流れらしい。
羅刹の猛攻を回避しながら嘆息する。
「これだから戦闘狂は嫌いなんだ」
同日、深夜。
紅蓮に彩られた皇城バルフレイム宮。
目的地へ進む足音。少年の影が月夜に映える。
金色の髪を靡かせ、蒼玉の双眸を輝かせ、次代の皇帝であるセドリック・ライゼ・アルノールは皇族のみ立入可能な地下伽藍へ足を踏み入れた。
其処に佇むのは起動者を失った緋の騎神。契約者のアルフィンから二度と乗らないと宣言された超兵器は誰一人として扱えなくなり、こうして封印される事と相成った。
「――――」
慣れた手付きで明かりを付ける。
闇に隠れていた紅の巨人が光源に照らされた。
セドリックは声にならない感嘆を漏らす。古代の造形物と思えない美麗さ。皇族の血だけに反応するのも素晴らしい限り。神々しさすら感じる。視姦するように眺める。
セドリックは恍惚とした表情のまま破顔する。警戒心を抱かず、まるで自分の所有物であるかのように緋の騎神を撫で回した。
「いい加減、返事をくれないかな」
三月下旬から毎日の如く通っているというのに。
次代の皇帝が親しく声を掛けているというのに。
どうして緋の騎神は応えてくれないのか。何が不満なのか。生意気だ。帝国に於いて、二番目に貴い存在である皇太子がこうして逢いに来ているというのに。
「いつも言ってるよね。起動者である黒緋の騎士は行方知れず。アルフィンは搭乗しないって公言してる。このまま封印されていてもいいの?」
救国の皇女。馬鹿げた異名だと吐き捨てる。
彼女は運が良かっただけだ。何も凄くない。偉業なんて何一つ達成していない。未来の皇帝なんて言語道断である。
偶然にも遊撃士に助けられた。
偶然にも黒緋の騎士と出会った。
偶然にも第三機甲師団に担がれた。
偶然にも緋の騎神の契約者に選ばれた。
そうだ。アルフィンは幸運に恵まれただけだ。もしも自分だったら、双子の姉よりも活躍しただろう。御伽話に描かれる英雄みたいに。エレボニアの皇帝に相応しいと、誰もが認めるような英雄に成れていた筈なのに。
『エレボニア帝国も安泰だな』
『えぇ。皇女殿下のご活躍はまさしく救国の聖女と呼んで差し支えないかと』
『カレイジャスとパンタグリュエルを停戦させる剛腕さ。己の騎士と共に暗黒竜を討伐する勇ましさ。どちらも次代の皇帝に相応しい』
『逆に、皇太子殿下は震えていただけとは』
『お言葉ながら仕方ないのでは?』
『わかっている。だが、双子の姉君が内戦を終わらせようと奔走していたのだぞ。年齢を理由に庇うのは不適切だ』
『オリヴァルト殿下は如何ですか?』
『皇太子殿下より優れているのは間違いない。だが、あの方は自ら皇太子の地位を棄てた。余程の事でもない限り、皇位継承権を取り戻そうと思わんだろうな』
『やはり皇女殿下ですか』
『うむ。あの方こそ至尊の座へ腰掛けるべきだ』
盗み聞きした台詞が脳裏を過ぎる。
違う。違うッ。違うッ!
緋の騎神を何度も殴る。拳の皮が剥けても、少なくない血が流れても。苛立ちを解消する為に。好き勝手に批評する文官を想像で殴り倒す為に。
ふざけるな。揃いも揃って節穴共が。皇太子は僕だぞ。次の皇帝は僕なんだ。誰よりも尊敬されるべき存在なのに。どうして。どうしてだよ。どうして馬鹿にされないといけないんだよ!
「――アルフィンが、いるからか?」
アルフィンさえいなければ皇太子の地位は安泰。
アルフィンさえいなければ緋の騎神も手に入る。
アルフィンさえいなければ、全てが上手く行くというのに。
「アルフィンさえ、いなければ――――」
セドリックの右眼は黒く澱んでいた。
黒の騎神「俺も負けてられねぇ!」
緋の騎神「辛いです(号泣)」