黒い闘争と黒い混沌に絡まれた件   作:とりゃあああ

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四十二話 聖杯取引

 

 

 

 

例年より早い梅雨明け。

時間にして夕刻。初夏の陽射しに顔を歪める。

約三ヶ月振りに訪れた帝都近郊の都市トリスタ。都会過ぎず、それでいて田舎臭さを感じさせない雰囲気の良い街並み。駅構内はおろか、士官学院の生徒で賑わっている商店街も何一つ変化していなかった。

学生時代の思い出に浸りながら。額から頬に伝う汗を拭いながら。前生徒会長は母校へ続く道を踏み出して、目を見開いて固まっている男子生徒を発見した。

 

「お久しぶりです、トワ会長!」

「もう会長じゃないんだけどな、わたし」

 

トワ・ハーシェルは頬を掻きながら苦笑する。

自慢の後輩。十月戦役の戦友。クロウ・アームブラストを取り戻してくれた恩人。様々な関係性を持つ男子生徒、リィン・シュバルツァーへ片手を挙げた。

 

「久しぶりだね、リィン君」

「卒業式以来ですか。驚きましたよ。てっきり見間違いかと」

「え、そう?」

「はい」

「わたし、大人びたかな。身長伸びたかな?」

「い、いや。身長は伸びてないんじゃないかなぁと」

 

気の利かない後輩に対し、頬を膨らませるトワ。間合いを詰める。距離にして10リジュ。平坦な胸の前で握り拳を作り、如何にも怒っていますと表現した。

夕焼けに彩られた年若い男女。恋人に間違えられても不思議ではない状況と環境。周囲の人々が微笑ましそうに見守る中、トワはリィンの胸を叩きながら抗議する。

 

「もうっ。これでも1リジュ伸びたんだよ!」

「本当ですか!?」

「――ごめん、少し盛ったかも」

「えぇー」

「でも伸びてるから。まだ成長期だから!」

 

地雷を踏んだかもと後悔する灰色の騎士。

後輩の呆れた表情を見て、トワは冷静さを取り戻した。顔を赤くしながら咳払い。我を忘れてしまった。反省しよう。反省こそ大事。大人の女性こそ反省すると聞く。

 

「リィン君、ちょっと時間ある?」

 

笑顔で首肯したリィンと共に、近くの喫茶店へと足を踏み入れる。

初夏の不快感を忘れさせてくれる清涼さ。見覚えのあるテーブルや椅子の配置。珈琲の匂いに懐かしさを覚えた。

トリスタの街を眺められる窓際の席に腰掛ける。学生時代に通い詰めた店だ。メニュー表も見ずに注文を終える。

一瞬の静寂を経て、リィンは口火を切った。

 

「大陸を巡る旅は終わったんですか?」

「ううん。実はまだ半分も巡ってないんだ」

「北回りでしたよね」

「ジュライからノーザンブリア経由で回ろうとしたから北回りだね。レミフェリア公国まで足を伸ばそうとしたんだけど、予想外の物を見つけちゃって」

 

喉が乾いた。注文した珈琲で口を潤す。

当時を思い出して、背凭れに掛けてある鞄を優しく撫でた。もしもコレをあの人に見せたら、どういう反応をするだろうか。想像しただけで胸が熱くなる。

偶然だと一笑するか。それとも外の世界に想いを馳せるだろうか。トワは後者だった。だから旅を中断して帰ってきた。

 

「そうだ。Ⅶ組の皆は元気にしてる?」

 

話題を変える。

リィンは嬉しそうに頷いた。

それぞれの道を歩み始めた仲間たち。得意分野を伸ばして。元々抱いていた夢を追い掛けて。心機一転と云わんばかりに職を変えて。胸を張って再会できるように。

旧友の現状を語るリィンは眩しいぐらい格好良かった。心の底から仲間を信じている。成長を確信している。嫌味は無く。嫉妬もなく。誰もが好い男だと褒め称えるような青年に成長していた。

 

「クロウも元気にしてますよ」

「本当?」

「今は海上要塞に詰めています。オーレリア将軍が率いる貴族連合軍の残党を討伐したら、帝国政府から恩赦を貰う手筈になっているかと」

「そっか。安心したよ」

「でも、アンゼリカ先輩は――」

 

アンゼリカ・ログナーは実家に監禁されている。

帝国正規軍と貴族連合軍の戦闘に無断で割り込んだ挙句、黒の騎士を危うく戦死させるかもしれないという大失態を犯したのだ。四大貴族の息女だとしても許される範囲を超えていた。

本人は覚えていないと頑なに否定したが、確固たる証拠を突き付けられて意気消沈。罪を認めるしかなかった。判決は禁固刑。だが、最終的に中立へ鞍替えしたログナー侯爵と、初めから貴族連合に深入りしていなかったハイアームズ侯爵の嘆願によって、実家の地下牢に幽閉される事と相成った。

限りなく軽い罰なのは、カイエン公爵の犯した罪と比較した結果である。煌魔城の顕現と暗黒竜の復活、帝都に大災害を齎らした近年稀に見る大罪人のお陰といっても過言ではない。

四大貴族の息女と云う肩書を重じて、トールズ士官学院を無事に卒業したとされているが、十月戦役終結時に事実上の退学処分を受けていた。

 

「勿論、アンゼリカ先輩の仕出かした事が事実なら仕方ないと思います。ヴィルングさんも概ねその通りだと仰ってましたから」

 

リィンの台詞から、トワは三ヶ月前を想起する。

鋼都ルーレに立ち寄った際、折角だからと面会した。ジョルジュ・ノームやクロウ・アームブラストからも励ましてやれと、肩を押されたのも理由の一つだった。

無惨にやつれたアンゼリカ。時おり聴こえる不気味な幻聴に心を蝕まれ、満足に眠れていないのだと自嘲していた。面会終了間際、情緒不安定に陥ったのか唐突に号泣した。犯した罪を覚えていないと。どうか信じて欲しいと。縋ってくる友人の痛ましい姿に、心優しい少女は眉間に皺を寄せてしまった。

 

「アンちゃんなら大丈夫だよ、リィン君」

「トワ会長は面会したと聞きました。どうでしたか?」

 

満面の笑顔で力強く断言する。

 

「うん、元気そうだったよ!」

 

灰色の騎士はホッと胸を撫で下ろす。

仲の良かった先輩の朗報に一安心したようだ。

トワも内心で安堵した。嘘を吐いた甲斐が有ったと。真実を教えなくて良かったと。時間を無駄にしなくて済んだと。

 

「それよりも」

 

無邪気に問い掛ける。

 

「フェア君が何処にいるのか知ってる?」

「トワ会長って、ヴィルングさんと知り合いなんですか?」

「あれ、リィン君に話してなかったかな。フェア君とわたしは幼馴染みだよ。フェア君が帝都からパルムに引っ越すまでだけど」

「知りませんでした。ヴィルングさんも教えてくれませんでしたから」

「意外と鈍いからね、フェア君。わたしがトールズ士官学院に在籍していたことも知らなかったと思うんだ」

「有り得そうですね、それ」

「いつの間にか皇女殿下の騎士になって、帝国史に載るような英雄になっちゃうから驚いたよ。帝都で遊んでいる頃は、武器とかも握らないような人だったのになぁ」

「そういえば、ヴィルングさんも趣味は天体観測だと話してましたけど」

「うん、わたしも影響されちゃってね。小さい頃は毎日二人で夜空を見上げてたっけ。楽しかったなぁ」

 

彼は常々口にしていた。

大海原の先に何が有るのだろうかと。ゼムリア大陸の外には何が待ち受けているのだろうかと。知りたいと。行ってみたいと。絶対に叶えたい夢なのだと。

最初は理解できなかった。この人はおかしいと考えていた。怖い。寒い。気味が悪い。信仰心を汚泥で覆われるような感覚。恐怖した。狂気に包まれていると思った。

結果、時間が経つに連れて。

創造主の存在を疑うようになって。

トワ・ハーシェルは女神の枷を脱した。

 

「実は――」

 

リィン曰く、フェア・ヴィルングは春頃から魔女の里に滞在していたらしいが、三週間前にヴィータ・クロチルダと出奔してしまったとのこと。

 

「エマちゃんも居場所はわからないんだね?」

「エマのお婆さんなら知ってるらしいですが」

 

はてさて。どうしたものか。

珈琲で眠気を飛ばしながら思案に耽る。

広大な帝国領内から人一人見付けるなんて、砂漠で一粒の砂金を発見するのと同義。まさしく無理難題。そして至極無茶。想像するだけで頭が痛くなる。

 

「そうだ、俺からエマに伝えましょうか?」

 

リィンからエマへ。

エマから魔女の長へ。

魔女の長からフェアへ。

多少不安だが、好意は素直に受け取るべきか。

 

「ありがとう。お願いできるかな?」

「はい。今夜にでもエマに連絡しますよ」

 

責任感に長けたリィンだ。

他者の願いを蔑ろにするなど有り得ない。

トワは鞄から古い石を取り出した。表面に白い粉が付着している。化石だ。猿型の魔獣にも、下手したら人骨かもしれないと邪推してしまいそうな形の遺骸だった。

 

「これは?」

「ノーザンブリアで見つけたの」

「化石、ですか」

「そうだね。博物学者に見せてもよくわからない代物って言われたんだけど。フェア君なら多分わかるかなぁと思って」

「ヴィルングさん、化石に詳しいんですか?」

「ううん」

「ならどうして?」

「ほら。ここ見てよ、リィン君」

 

化石の裏側。

白い粉を拭った表面。

其処に書かれてある見知らぬ文字。

 

「――初めて見る文字ですね」

「だよね。でも、わたしは知ってるんだ」

 

言語学者すら匙を投げた不思議な文字。

トワ・ハーシェルは知っていた。当たり前だ。

何しろこれは――。

 

 

 

 

「これは、わたしとフェア君で作った文字なんだから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ガラ湖の畔で一人佇む。

沈んでいく夕陽。刻々と黒くなる空。

閑麗で、艶美で、都雅な三日月が顔を覗かせる。

紅いペンダントを掌で転がしながら、ミルディーヌの台詞を反芻する。

アルフィン殿下は大丈夫だろうか。

両陛下のお膝元だから問題ないと思うけど。

歯痒かった。落ち着かなかった。傍にいられないなら、アルフィン殿下の与えてくれたペンダントだけでも返すべきか。ロゼの魔力と加護も封入されているから、最低限の御守りとして活用できるだろうしなぁ。

魔女の転移に頼るのも申し訳ないけど、ヴィータさんに頼もう。ミルディーヌ曰く、黄昏まで時間が無いのだから。

――刹那。

吐き気を催すような薄気味悪い空間に引きずり込まれる。嘔吐感を意地で堪えた。明確な敵意は感じられないが、本能は一瞬一秒でも早く抜け出したいと絶叫している。

深呼吸を挟む。強制的に自らを落ち着かせた。周囲を見渡す。夕陽も、星空も、ガラ湖すら消失している。深海の如き闇。まさに暗黒の世界だ。

 

「やっと見つけましたよ」

 

聞き覚えのない声。

背後を取られている。油断したな。

万が一を考慮して得物へ手を伸ばす。柄を握り締める。これで安全を確保した。後は相手の出方を伺うだけだ。

 

「誰だ?」

 

端的に質問する。

 

「聖杯騎士団に属する者です」

 

声音だけでも胡散臭い。

苦手とする類の人間である。

口八丁手八丁で騙そうとしてくる輩に、会話の主導権を渡すなんて愚の骨頂に過ぎる。取り敢えず煽ってみよう。少しでも怒れば儲け物だと期待しながら。

 

「意外だな。七耀教会の狗が何の用だ?」

「これは手厳しい。我々に何か恨みでも?」

「無いな。だが、特別仲良くする義務も見当たらないんだよ。アンタたちと違って、空の女神を信じてないんでね」

「噂に違わない人ですねぇ」

「それはどうも」

「振り返っても大丈夫ですよ。敵対する意思はありませんから」

「こんな吐き気のする空間に、問答無用で引きずり込んだ奴の口走っていい台詞じゃないな」

「なるほど。聖痕の齎す力に拒絶してしまう体質ですか」

 

煽動は無意味か。

欠片も動揺していない。七耀教会に属する人間なら激怒しそうな単語にも、涼しい声音のまま返答してくる。この胆力、冷静さ。従騎士や正騎士と思えない。

警戒しながら振り返る。

 

「アンタ、守護騎士か」

「えぇ。聖杯騎士団副長、守護騎士第二位『匣使い』トマス・ライサンダーと申します。以後お見知り置きを」

 

初めて相対する男だった。

淡い煉瓦色の髪を後ろ首で纏め、高級そうな丸眼鏡を掛けている。仕事に忠実そうな堅い服装とは裏腹に、軽薄な印象を相手に与える微笑みという不審さの塊。どうしたもんか。一言で表現できない。嘆息したくなる程に不思議な男だった。

 

「フェア・ヴィルングだ」

「黒緋の騎士と名乗らないんですか?」

「その異名は捨てている」

「おやおや。そうなんですねぇ。つまり、緋の騎神も放棄したと考えてよろしいのですか?」

「好きにしろ。元々アレは皇女殿下の物だ」

「これは驚きましたね」

「あ?」

「皇女殿下を見捨てるのですか。七の相克とやらに巻き込まれて、皇女殿下が命を落としても構わないと?」

「――それは」

「緋の騎神は、契約者と起動者に分かれていると聞きました。七の相克に於いて、それがどのような結果を齎すかわかりません。それでも、最悪を想定して動いた方がよろしいのでは?」

 

確かにその通りだ。

否が応でも戦闘に巻き込まれるだろう。

それでも無理なんだ。アルノールの騎士と云う称号を剥奪された俺では、アルフィン殿下を守護する権利さえ持ち得ないのだから。

――いや、ちょっと待て。

トマス・ライサンダーへ強い眼差しを向ける。

 

「一応訊くぞ。どうして、緋の騎神が契約者と起動者に分かれていると知っている?」

「調べましたから」

「残念だな。知っているのは数人だけだ。俺はその全員を把握している。無闇に言い触らすような人たちじゃない」

「ほう?」

「加えて、緋の騎神、その特異性は古代の文献にも殆ど記されていない。黒の史書とやらにもな。幾ら聖杯騎士団でも調べられるはずがない」

「――――」

「誰から聞いた?」

 

該当するのは八人。

誰が情報を漏らしたのか。

鉄血宰相の陣営は考えにくい。七耀教会と不仲らしい魔女も除外して問題ない。なら残るは皇帝陛下と皇太子殿下、そしてミルディーヌだけだ。

クロスベル戦役時、リィンから聞いている。黒の史書と云う古代遺物にも、緋の騎神に関する記述は異様に少なかったと。

 

「やれやれ。降参です」

 

トマスは両手を上げた。

 

「意外と頭も切れるようですねぇ」

「どうも。口を割る気はなさそうだな?」

「情報提供者の素性は勘弁してくれませんか」

「別に構わないぞ。おおよその見当は付いてる」

 

もしも俺とヴィータさんが訪れる事さえ予期していたなら、事前に聖杯騎士団と取引していてもおかしくない。入手した情報を流す代わりに、身の安全を保証してくれと求めるのは至極当然の準備だろう。

アレほど必死だった理由も察した。

アルフィン殿下と俺を仲直りさせたくて、必要な情報を得ようとしたのだろう。やはり甘いな。別の世界線に於けるリィンから聞いた通りだ。

 

「アンタは、どこまで知ってるんだ?」

「情報提供者から聞いたのは四つだけです。エレボニア帝国に存在したとされる二つの至宝とその結末、結社と鉄血宰相が行おうとしている計画、黄昏を起こすのに必要とされる条件、七の相克と緋の騎神の特異性。あの方はフェア・ヴィルングの秘密について、何も口を割りませんでした」

 

一拍。

 

「だから、取引しませんか?」

 

トマス・ライサンダーは告げる。

約一年前、ゼムリア大陸全土の霊脈が短時間だけ極大に活性化したらしい。教会関係者全員が恐れ慄く中、膨大な霊子情報はエレボニア帝国のとある箇所に一瞬で流れ込んだ。即ち『第六機甲師団の詰所』へ。それは以前、俺の所属していた機甲師団だった。

 

「その後、貴方は直ぐに正規軍を除隊。アルゼイド流の門を叩き、僅か一ヶ月ほどでレグラムからも姿を消した。内戦の最中に頭角を見せ、復活した暗黒竜を緋の騎神で討伐するに至る。果たしてこれは偶然でしょうか?」

 

私はそう思えません、と自己完結するトマス。

 

 

 

「フェア・ヴィルングの秘密を教えてもらえるなら、聖杯騎士団は貴方に味方しましょう。取引に応じてくれますか?」

 

 

 

 

 









アンゼリカ「あははは、ゼムリア大陸以外の場所なんてある訳ないだろう。信じてしまうなんて可愛いなぁ。そんな戯言を、私のトワに吹き込んだのは一体誰なんだい?」


トワ「は?」(迫真)





トマス「いやー、想像以上に見つからないもんですねぇ。人手が足りないかもしれないんで、守護騎士をもう一人呼んでも構いませんか?」


アイン「は?」(迫真)






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