黒い闘争と黒い混沌に絡まれた件   作:とりゃあああ

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四十三話 生生世世

 

 

 

 

 

七耀暦1205年7月19日。

曇天に覆われた帝都ヘイムダル。

人々の狂乱へ水を掛けるような夕立ちだが、鉄血宰相の演説によって熱狂の渦に叩き込まれた帝都市民は、数時間経過してもヴァンクール通りにてデモ行進を続けている。

皇城バルフレイム宮の一室からその様子を猊下する。冷めやらぬ狂気。膨れ上がる敵意。冤罪を掛けられたカルバード共和国は災難だなと場違いにも苦笑した。

 

 

「ヨコセ、ヨコセ」

 

 

昨日の午後一時。クロワール・ド・カイエンの極刑が滞りなく執行された。予定通りに。鉄血宰相の思惑通りに。

半年以上前に暗黒竜は復活してある。皇族の血も流れた。鉄血宰相と地精の悲願である『巨イナル黄昏』が始まるだろうと身構えた。他の世界線と同様なら、時同じくして帝都ヘイムダルも大混乱に陥る筈だったのに。

何も起きなかった。恐ろしいまでに静寂だった。

まさか必要条件を間違えていたのか。黄昏に必要なのは時間だったのか。来年の夏至祭でなければ発動できないんじゃないかと議論を重ねている最中、ドライケルス広場にて鉄血宰相の演説が始まった。

 

 

「我ノモノダ、スベテ」

 

 

帝都並びに帝国を滅ぼそうとした首謀者を極刑に処した。彼らの背後には、カルバード共和国が存在していた。泥沼の内戦を利用して、エレボニア帝国を滅ぼそうと暗躍していた証拠が見つかったのだと。

帝国臣民は激怒した。無知な大衆の恐怖と激情を煽る鉄血宰相の思惑通りに、誰もが闘争心を剥き出しにして拳を振り上げた。

カルバード共和国の愚か者を懲罰しろ。思い知らせてやれ。奴らを赦すな。意気軒昂な雄叫びをあげて。邪魔する人々を売国奴と口汚く罵った。

 

 

「アァ、心地ヨイ」

 

 

これからどうなるのか。

既に『巨イナル黄昏』は始まっているのか。

ロゼは言った。意志の統率を終えたなら、後は周辺諸国と戦争を起こして闘争で満たすのみ。始まった可能性も視野に入れるべきと。

ミルディーヌは言った。意志の力だけで周辺諸国を敵に回すなど到底不可能。軍事力が足りていない。もう一騒動あるだろうと。

果たして正解はどちらなのか。

判断できなかった。答案を用意できなかった。

だからこそ俺は――。

 

 

「楽しい催しでもあるまい。さっさと席に着きたまえ。互いに忙しい身の上だ。あまり時間的余裕などないぞ」

 

 

こうして鉄血宰相と対峙している。

 

「これは失礼致しました」

 

鉄血宰相の自室ではない。

客人を接待する為に用意された応接室で。互いに協力者や部下を連れず。武器も用意せずに。自らの身体と精神だけで相対していた。

壁に掛けてある美しい絵画。帝国らしい、厳粛とした雰囲気を醸し出す家具と調度品。特別な地位に属さない平民なら、一生掛けても買えないだろう高級そうなソファに腰掛ける。

テーブルの上に置いてある紅茶入りのカップを尻目に、明確に敵対する事になった帝国政府代表へ頭を下げた。

鉄血宰相は僅かに眦を細める。

 

「ほう。これは意外だ。未だに慇懃な態度を続けるとは。君と私は敵対関係に有る。敬語を使う必要などあるまい」

 

確かに。その通りだと思う。

だが、俺は鉄血宰相を嫌いになれなかった。

初対面の印象は今も変わっていない。

怖い。逃げ出したい。関わりたくない。それでも溢れ出るカリスマに屈服しそうになる。まるで古くから付き合いのある友人みたいな視線に親近感を覚える。数多の世界線でエレボニア帝国を超大国の地位にまで押し上げた、平民出身というハンデを押し除けた稀代の宰相として心底から尊敬していた。

 

「例え敵対するとしても、私は貴方を尊敬しています」

「――そうか。君にそう言ってもらえるのは嬉しい限りだな」

 

鉄血宰相は一瞬だけ相好を崩した。

 

「正直な話をすると、君が招待に応じると思わなかった。久方振りに驚くという感情を味わったものだ。敵の罠だと考えなかったのかね?」

 

十時間前。陽が昇り始めた早朝のこと。

近郊都市リーブスの拠点にて、今後の動きをどうするかと協議していた俺達の元へ、カンパネルラ経由で届けられた招待状には日時と場所、そして直訳すると一人で来いという挑発的な文章が記載されていた。

差出人は鉄血宰相ギリアス・オズボーン。仲介人はカンパネルラ。誰がどう考えても罠だと気付く人選であった。

勿論、全員が泡を喰ったように反対した。

ロゼは一笑に付して。ヴィータさんは俺の身体を掴んで。ミルディーヌは危険過ぎると目尻を吊り上げて。トマス・ライサンダーまで、この情勢下で敵城へ赴くのは大馬鹿者だけですと冷笑した。

だけど、わかっているけど。

俺は行くべきだと思ったんだ。

行かなければ後悔すると感じ取ったんだ。

 

「敵の罠だとしても、この状況下に於いて貴方と会話する意味を重視したので」

「意味か。特に無いと言ったらどうする?」

「ご冗談を。我々に残された時間は少ないと仰ったのは貴方ですよ」

 

俺以外の協力者は配置に付いている。

万が一帝都で大混乱が起きた際、誰がどのように動くかも数日前から検討済み。多数の魔女やリィン達も動く手筈を整えてある。

極論すると、俺がいなくても問題なかった。

だからこそ鉄血宰相の誘いに応じた。

反対してくる知恵者に対して、不透明な現状を打開する為に敵情視察してくるだけだと我儘を押し通した。

鉄血宰相は鷹揚に頷いた。

紅茶を口に運び、唇を湿らせてから。

 

「よろしい。それでは本題に入ろうか」

 

鼓膜を震わす低い艶のある声音で先手を取った。

 

「黄昏の件ですか」

「そのような些末事、道端に棄てておけ。本命はまさしく別にある。無論、君たちにとってそうでないかもしれんが」

「待ってください。まさか貴方は――」

「危惧した通りだとも。気付いていなかったとは驚きだ。君の作り出した陣営とその行動を俯瞰すれば、黄昏の先に有る『七の相克』まで辿り着いていると判断するのは実に容易い」

 

心臓が鷲掴みされる感覚を久々に味わった。

怪物め、と内心で罵倒する。

容易いものか。可能なのはアンタだけだろうに。

 

「知っていて、見逃していたのですか?」

 

声を震わせないように。

表情を変えないように。

迫真の演技で冷静に問い質す。

 

「四ヶ月前、君に教えた筈だぞ。フェア・ヴィルングの好きにさせろと皇帝陛下から勅命を受けているとな」

 

ソファを揺らして立ち上がる。

限界まで開かれた双眼に殺意が満ちる。

帯剣していたなら迷いなく抜いていたと確信できた。

 

「馬鹿げてる。貴方は帝国政府代表として、あくまで皇帝陛下に忠誠を捧げたまま、この国を破滅に追い遣ろうとしているのか。あのような怪物を生み出そうとしているのか!」

「ふむ。成る程、そういう結末に至るのか」

 

敵は、俺の非礼を咎めなかった。

敵は、悲しげな眼で窓の外を眺めていた。

 

「君の知る未来だと、イシュメルガは『巨イナル一』と融合を果たすようだな」

 

黒の騎神イシュメルガ。

その分体とやらは俺に混じっていると聞く。

絶対悪の結晶。人の生んだ業。鋼の聖女が滅ぼしたい相手。最近、特に頻繁に話しかけてくる存在Yの事だろう。

融合したから悍しくなるのか。それとも元々似た造形なのか。脳裏を過ぎる醜い怪物の姿。どちらにせよ、アレは人が制御できるような代物じゃない。

ソファに座り直して、無意味と知りながら忠告する。

 

「あの怪物は世界を壊すでしょう。誰の手にも負えない。まさしく神だ。宰相閣下、貴方も後悔するはずです」

「必要な事だ」

「世界を壊す事が?」

「違うな。鋼の至宝を再錬成する事がだ」

「同じでしょう」

「今はわからなくていい。君もいずれ気付く」

 

自嘲しながら断言する鉄血宰相。

彼の双眸に宿るのは同情心だった。

それが何故なのかわからなくて。

それでも無性に腹が立ってしまって――。

 

「平行線ですね」

「そのようだ。私と君は立場はおろか、物事の視点も大きく異なっている。我々の道が交わるとしたら、一体何処になるのだろうな」

「まるで禅問答だ」

「東方より伝わった言葉か。何故知っているのかと訊くのは無粋だな」

 

やはり気付いている。

神算鬼謀の持ち主だからか、それとも誰かから聞いたのか。

驚愕する事実でもないと心を落ち着かせる。情報さえ渡せば、ミルディーヌでも到達した領域なのだから。鉄血宰相ギリアス・オズボーンなら独力で辿り着いても不思議ではなかった。

 

「さて。そろそろ時間も押している。有意義な時間を過ごさせてもらったよ。君にお礼をしなければならんな」

 

鉄血宰相は朗らかに言った。

 

「永劫輪廻の脱却を手伝えと言うつもりなら先に断っておこう。私もこれ以上、そちらに手間を割くわけにいかなくてな」

 

気安い口調で。気高い声音で。

まるでこれから出掛けようと誘うみたいに。

何を要求すべきか。はっきりしている。黄昏の起こる条件。黄昏が起きた際の混乱。そして何故、皇帝陛下が現状を黙認しているのか。

知りたい事は山ほど存在する。

なのに、それらが無意味な問いなのだと心の何処かで認識していた。

 

「これをやろう」

 

テーブルの上に『鍵』を置いた鉄血宰相。

どことなく見覚えある形だった。具体的に云えば内戦終結時からクロスベル戦役に赴くまでの三週間、毎日のように使用していた大事な鍵だった。

 

 

「決断したまえ、フェア・ヴィルング。安易な逃げ道を用意するな。不退転の覚悟を抱け。必ず成し遂げると誓うのだ。そうでなければ、そうしなければ君の目的は永劫に達せられん」

 

 

鉄血宰相は立ち上がった。

後ろ腰で手を組みながら激励する。

それはまるで叱っているみたいに。迷える仔羊を先導するみたいに。自分と違う決断をして欲しいと希求しているみたいに。

余りにも優しい声音に思考が止まった。

鍵を受け取る。傷付けないように仕舞った。

 

「まさか、貴方に発破を掛けられるとは」

 

思わず苦笑すると、鉄血宰相は破顔した。

 

 

 

 

「君が私を尊敬してくれているように、私も君を尊敬しているのだよ。一人の人間としてね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夢を見ていた。

深く深く。長く長く。

楽しかったのか。悲しかったのか。

喜んでいたのか。苦しかったのか。

覚えていないけれど。思い出せないけれど。

幸せだったと思う。

幸福に包まれていたと思う。

きっと人生を反芻していたのだ。だから、何度振り返っても、幻のようにその手に掴めないのではないか。

この十五年、様々な出来事があった。その中にはとんでもないような事も、至極当たり前な事も含まれていて、自分の人生はひどく緩急のついた物なのだと自嘲する。

最近は急すぎて。疲れていて。

誰かを愛する故に感情を捨てたのだ。

果たしてそれは誰だったのか。どんな人物だったのか。月夜の草原に散らばった無数の思い出を集めていく。

一つ一つ大事に胸へ仕舞って、鼻腔を擽る懐かしい匂いに気付いた。

幻想か。錯覚か。夢で構わない。幻視した物でも充分だ。漸く会えたのだから。彼となら地獄の業火で焼かれても笑っていられるのだから。

 

「――フェア」

「ご無沙汰しております、皇女殿下」

 

あれ。おかしいな。

想像を遥かに超える明瞭な返事に小首を傾げる。

朦朧とする視界を酷使して、周囲を見渡した。皇城に与えられた自室。現実と夢想。覚醒と睡眠を繰り返していたアルフィン・ライゼ・アルノールは、部屋の中央に設置してあるキングサイズのベッドで横たわっている。

愛する男は傍にいた。

ベッドの横で椅子に腰掛けている。

無意識の内に手を伸ばそうとした。甘えたくて。触れたくて。温かさを感じたくて。それでも、自らの罪を回顧した瞬間、名残惜しくも手を引っ込めた。

 

「どうして、此処に?」

 

期待を孕んだ疑問の声。

フェア・ヴィルングは静かに言い切る。

 

「皇女殿下にお会いする為です」

「そう。フェアから訪ねてくれるなんて、今日は好い日だわ」

 

嬉しかった。歓喜に酔いしれた。

何を話そう。何を話題にしようか。

悩んだのは数秒だけだ。

最初に彼へ伝える言葉と感情は決まっていた。

 

「ごめんなさい」

 

涙は出なかった。

嗚咽すら漏れなかった。

それでも万感の想いを込めた。

通じているだろうか。伝わっているだろうか。

最低だと罵って。嫌いだと中傷して。罵詈雑言を浴びせた。たとえそれが、アルフィンの受け入れた愛憎反転の結果だとしても。彼を罵倒して拒絶したのは真実その通りなのだから。

それに――。

フェアを愛していると自覚したから。心の拠り所を取り戻してしまったから。彼は永遠に輪廻を繰り返してしまうだろう。未来永劫、終わりなきループに囚われてしまった。謝っても許されない罪。それでも、アルフィンは謝罪以外に赦しを乞う方法など知らなかった。

 

「謝るべきなのは、私です」

 

フェアは瞼を閉じたまま口にした。

オルキスタワーで起きた真相を。初代ローゼリアから教示された内容を。数ヶ月の内に変化した情勢を。淡々と。泰然と。意図して感情を打ち消しながら。

 

「認めたくありませんが、私は何処か輪廻脱却を諦めていました。今回は無理だ。なら次だ。今回も無理だった。なら次だと。いつかは、やがていつかはと。そんな風に先延ばしにしていました」

 

だから貴女を巻き込みたくなったと。

両膝の上で握り拳を作りながら告白した。

アルフィンは瞠目する。蒼穹の瞳に希望の輝きが舞い戻った。膨れ上がった悦びからベッドの中で打ち震えた。

今し方、聞いた言葉を吟味する。

フェア・ヴィルングと一緒にいるだけで、アルフィン・ライゼ・アルノールも終わらない輪廻の渦へ巻き込まれるらしい。悲しくない。恐ろしいなんてとんでもない。つまりそれは、愛する人と永遠に過ごせると云う事に他ならない!

 

「これ以上、私と一緒にいたら地獄に付き合わせてしまうかもしれません。貴女も輪廻に巻き込んでしまうかもしれません」

 

――それでも。

 

 

 

「私と、歩んでくれますか?」

 

 

 

フェアが右手を差し伸べた。

甘美なる毒。麻薬の如き誘い。

愛を知った少女に耐えられる筈もなかった。

 

 

 

「勿論。喜んで付き合うわ」

 

 

 

アルフィンはその手を握り締めた。

強く。固く。二度と離さないように。

永い時間を隔てても傍にいられるように。

 

 

 

 

「だって、私たちは一蓮托生でしょう?」

 

 

 

 

イチレンタクショウなら、それでいいよね?

 

 

 

 

 

 

 

 

 










盟主「よくないんだよなぁ(激おこぷんぷん丸)」







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