黒い闘争と黒い混沌に絡まれた件   作:とりゃあああ

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四十四話 狂言綺語

 

 

 

鉄血宰相から教えられた。

約一ヶ月前の出来事。皇帝陛下の説得とロゼの託した秘術によって、アルフィン殿下の愛憎反転は解呪されていたらしい。

クロスベル戦役から帰還した直後、どうしてロゼが罪悪感に押し潰されてしまいそうな面貌だったのか、遅まきながらもようやく理解した。

お人好しな彼女のことだ。恐らく我慢できなかったのだろう。当人の思惑を無視してでも。押し付けた善意と罵られても。余計なお世話だったとしても。俺とアルフィン殿下の齟齬を修正したかったのだと思う。

 

「半年も経っていないのに。酷く懐かしいわ」

 

にぎにぎと掌の感触を楽しみながら。

ニコニコと天女のように微笑みながら。

繋がれた右手を愛おしげに見詰める主君。

症状不明な昏睡状態で全身の筋力が落ちているにも拘らず、アルフィン殿下は身体を起こそうとしている。

畏れ多くも背中に手を回して、倒れ込まないように優しく支える。

 

「ご無理をなさらないで下さい」

「貴方の負担になりたくないの。早く動けるようにならないと」

 

笑顔の裏に隠された辛さ。

隠匿できていない全身の脂汗。

アルフィン殿下の気持ちは重々理解できる。

自らの身体と認めたくない非力さ。思い通りに動けない歯痒さ。俺も幾度となく味わった。理想の動作へ近付く為、隔靴掻痒な状態を乗り越えてきた。

それでも以前の俺なら、アルフィン殿下を止めていたと思う。正論を盾に。建前を前面に。俺のような存在が尊き御方を苦しめたくなかったから。

 

「――苦しいですよ?」

「大丈夫よ。他ならぬ私たちの為だもの」

「承知しました。ですが、今日だけは私を頼ってください。リハビリは明日からにしましょう」

「でも」

「私は此処にいますから」

 

アルフィン殿下は数秒だけ悩んで。

一理あると認めたのか、コクンと小さく頷いた。

 

「でも、このままで居させて。お願い」

「かしこまりました」

 

破顔一笑。可愛らしい。

約50リジュの隔たり。顔を僅かにでも動かせば口付けすら容易い距離だ。不躾ながらも御顔を間近で眺めてしまう。春頃にすれ違った時よりも痩せ細っている。

ズキンと。ナイフで抉られるような鋭い痛みが胸に走った。

オルキスタワーで覚悟を決めていれば。

初代ローゼリアの提案を断っていれば。

このような失態を犯さなかったかもしれないのに。

後悔先に立たずと言うが、まさしくその通りだと痛感した。

 

「あ、いや」

「どうしました?」

 

唐突に身体を捩るアルフィン殿下。

顔を真紅に染める。俺から隠れるように背後を向いた。口元を手で覆っている。チラチラと何度も此方を伺う仕草は、年頃の少女そのもので大変微笑ましかった。

 

「ね、ねぇ。一つ訊きたいのだけど」

 

声を震わせながら尋ねる。

 

「――私、匂わないかしら?」

 

なるほど。当然の疑問だ。

特に女性なら尚のことである。

アルフィン殿下の意を汲み取り、俺は即座に肯定する。

 

「少しだけ」

 

空気が凍った。

 

 

「嘘でも全然匂わないよって言うべきじゃないかしら!?」

 

 

アルフィン殿下は羞恥心を掻き消すように叫喚した。

不満気に肩で息をする。恨めしそうに涙目で睨み付ける。

年頃の少女らしい反応だった。

俺は心密かに安堵した。何故か。ほんの小さな違和感を覚えたからだ。邪神による干渉か。それとも目覚めたばかりだったからか。

 

「気にしなくても良いかと」

「うぅぅ。今更慰められても」

「アルフィン殿下の匂い、私は好きですから」

 

ピタリと。

動きが止まった。

 

「――ずるいわ」

 

絞り出すように恨み言を呟く。

 

「フェアって、女誑しでしょ」

 

風評被害である。訴訟も辞さない。

少なくとも女性を誑したつもりなどなかった。

今回の世界線が狂っているだけだ。明らかにおかしい。そもそも出会いが多すぎる。

オーレリアとクレアさんに関しては、恋人関係へ発展する必要条件を知っているけども。

 

「――――」

 

アルフィン殿下は唇を尖らしたままだ。

まるで小動物のように唸っている。威嚇のつもりだろうか。

下手な言い訳を口ずさんでしまえば、容赦無い叱責が飛んできそうである。

はてさて。どう答えたものか。

思考を加速させた瞬間、予想外の音に思わず身構えた。

鼓膜へ届いた扉の開閉音。大きさ、振動から判断してこの部屋だ。先ず間違いない。皇族の私室へ許可も取らずに無断で足を踏み入れるなど、御家族以外に決して赦されない愚行と言える。

アルフィン殿下を強く抱き締める。護るべき存在を胸に収めた。

誰が襲撃してきたとしても対応できるように、一瞬で身体を戦闘用へと変化させた。

 

 

「あれ?」

 

 

意外な人物が小首を傾げる。

姿を現したのは皇太子殿下だった。

帝国の至宝と称される未来の皇帝。双子の姉に負けず劣らない端整な顔立ち。お花畑で舞い踊る少女の如き可憐さは、エレボニア帝国だけでなく、周辺諸国にまで数多くのファンを生み出した。

皇族の一人。皇位継承権第一位の皇子。エレボニア帝国にて二番目に尊ばれるべき存在である。

なのに――。

俺は直感を信じた。

ベッドからアルフィン殿下を抱き上げる。後方へ跳躍。躊躇いなく抜剣する。

たとえ不敬罪と糾弾されても構わない。皇太子殿下を敵に回しても後悔しない。あの場でベッドから離れていなければ、アルフィン殿下を殺されていたと確信しているから。

 

「フェア?」

「まさか貴方が此処にいるなんて。これは予想外でしたね」

 

不安げに呼び掛けるアルフィン殿下。

対して、皇太子殿下は不服そうに呟いた。嘆息を挟む。明白な舌打ち。嫌悪感を含んだ双眸で鋭く睨んだ。

 

「この部屋へどうやって入ったのですか?」

「宰相閣下から鍵を渡されまして」

「僕たち皇族から許可を得ようともせず、アルフィンの部屋へ足を踏み入れた理由が苦々しくもそれですか」

 

これ見よがしに肩を竦める皇太子殿下。

肩口にまで伸びた金髪を左手で掻き上げ、困った人だと口角を吊り上げた。

蒼玉の瞳に宿る侮蔑の感情。余裕の笑みを浮かべながら距離を詰めてくる。

隙の見当たらない歩き方だった。体幹も揺れ動いていない。明らかに武術を嗜んでいる。

だが、この短期間で可能だろうか。多く見積もっても半年程度の鍛錬だ。オーレリアに比肩する鬼才の持ち主でもなければ不可能だと思うのだが。

皇太子殿下は褐色に変質した左手を突き出した

 

「さぁ、アルフィンを返してください。皇太子である僕に剣を向けたことさえ、今なら特別に赦してあげましょう」

 

寛大な僕に感謝してくださいね。

断れば不敬罪。邪魔をすれば極刑に処す。

まさしく選ばれた人間だからこそ。

皇太子殿下だからこそ許される傲慢な物言いだった。

まるで暴君のように提案する『敵』へ向けて、俺は断固とした決意を以って拒絶した。

 

「お断りします。貴方に、アルフィン殿下は渡せない」

「騎士に選ばれたからと傲慢に成りましたね。この僕が、皇太子である僕が、下手に出て要求しているんだぞ。さっさと四の五の言わずに返せばいいんだよ」

「なら、隠している右手を前に出してください」

 

語気を荒げる皇太子殿下へ、冷静に告げる。

腰の後ろに隠してある右手を衆目に晒してみせろと。

俺の直感が正しければ。

感じた殺意が本物ならば。

瞳に過った憐憫と憤怒が真実ならば。

 

「この僕に指図するのか、君如きがッ!」

 

次代の皇帝は激怒した。

腹立ち任せに椅子を蹴り飛ばす。般若のように表情を歪めた。隠し持っていた短剣を構え、鋭利な切っ先を容赦なく突き付けた。

アルフィン殿下の息を飲む音。

皇太子殿下の奥歯を噛み締める音。

対立する双子の姉弟。片方は困惑していても、片方は狂気に満ちている。仄暗い部屋に不審と殺気が蔓延する。

息苦しさすら覚える異様な雰囲気を掻き消すように、俺は改めて力強く宣言した。

 

「私はアルフィン殿下の騎士です。主君の御命を脅かすなら、たとえ皇太子殿下でも敵として判断します」

 

皇太子殿下は短剣を翻す。

激憤に駆られたまま、近くの壁を真一文字に斬り付けた。

 

「アルフィンなんか護っても意味ないだろッ。只の皇女だぞ。僕は皇太子だ。君は、この僕の騎士になるべきだ!」

「アルフィン殿下より、私の主君に相応しい方などおりません」

 

腰に手を回すアルフィン殿下。

俺の胸に美貌を押し付けながら震えている。

怖いだろう。苦しいだろう。

だからこそ護らなければならない。

再び手を握ってくれた信頼に応える為にも。

 

「分からず屋が。君もアルフィンに惑わされた口か」

 

騒ぐ。

 

「そうだ、そうだよ。やっぱりだ。アルフィンがいるから駄目なんだッ。アルフィンさえいなくなれば、全て上手く行くんだ!」

 

喚く。

 

「折角さ、一ヶ月間も毒を盛ってやったのに。勝手に衰弱死してくれると思ったのに。いつまで経っても死んでくれないから、この短剣で殺してやろうと思ったのにッ!」

 

叫ぶ。

 

「理由なんて決まってるだろ。君なんて要らないからだよ。不必要なんだよ。いいや、違うな。存在するだけで害悪なんだ。帝国が混乱してしまうんだ。死んでくれないと困るよ。困るんだよ!」

 

嘯く。

 

「あぁぁぁあ、もう!!」

 

癇癪を起こした幼児。

責任転嫁する犯罪者。

頭を掻き毟りながら地団駄する。

皇太子殿下は狂人のように身体を痙攣させた。

 

「――セドリック、どうして」

 

無責任に焚き付けた人々のせいだろうか。

もしくは、邪神や黒の思念体による影響なのか。

確かなのは以前の面影など欠片も残っていない事。別人だと嘘を吐かれても、信じてしまいそうな程に変貌してしまった事である。

 

「――――」

 

我慢の限界だった。

いい加減にしろと思った。

皇太子殿下だろうと関係ない。

頭を殴って昏倒させる。斬られないだけ感謝してほしい。

アルフィン殿下へ掛かる負担、狭い室内で出せる限界の速度。二つの事項を考慮しても、皇太子殿下の間合いに入り込んで卒倒させるなど造作もない。一秒で事足りる。

 

 

「止まれ、フェア・ヴィルング」

 

 

――その筈だった。

 

「アレは」

「黒い球体?」

 

皇太子殿下の頭上に突如出現した漆黒の球体。

初めて見た物質に惑わされて、踏み込んだ右足を止めてしまう。

アレは流暢に喋った。正体不明な動力で浮遊していた。視力でもあるのか、紫紺の単眼が頻繁に明滅する。

 

「殿下、此処は諦めるべきかと」

「何でッ。アルフィンを殺さないと!」

「機会は幾らでもあります。引くことも肝要ですよ」

 

アレに操られているのだろうか。

手綱を握れているとお世辞にも思えないけど。

皇太子殿下の双眸は灼眼と錯覚してしまうぐらい血走っている。飼い主へ獰猛に噛み付く様子は、まるで檻から解き放たれた野獣のようでいて、調教師を無視して突き進む猛獣のようだと憐んでしまった。

俺は皇太子殿下の動向に注意しながら、新たな敵に詰問する。

 

「何者だ」

 

最大限の警戒心で。

何をされようとも対処できる構えで。

言葉少ない問い掛けに、漆黒の球体は笑い声をあげた。

 

「答えると思うかね」

 

傲慢な声音。軽蔑する視線。

浮遊する漆黒の球体は燦々と輝き始めた。

膨大な光量を全方向へ照射しながら高速回転していく。

 

 

「さようなら」

 

 

皇太子殿下を護るように展開された障壁。

全身の肌へ突き刺さる殺意と敵意、そして危機感。

後先考えずに戦技を繰り出せば、薄皮一枚の障壁なんぞ容易く破壊できる。突破できる。だが、八割の可能性で皇太子殿下も斬殺してしまう。

血生臭い結末となるだろうが、今更な話でもあった。アルフィン殿下に毒を盛り続け、挙げ句の果てに殺害しようとした存在が相手ならば、何一つ躊躇わず宝剣を振るえる。実の姉君であるアルフィン殿下さえいなければ、この場で今すぐ煉獄へ叩き落としてやると云うのに。

逡巡。故に、間に合わない。

歪な人形が虚空から出現した。パッと視認した限りで十体以上。漆黒の球体と同じく、人形の殻を割るような勢いで中から光が溢れ出している。

漆黒の球体や歪な人形を全て一撃で破壊しても無意味な結果に終わるかもしれない。現状の打破に繋がらないかもしれない。俺が助かっても、アルフィン殿下の安全を確信できないなら――。

 

「アルフィン殿下、失礼します」

「え!?」

 

宝剣を鞘に戻す。

了承を待たずに抱き上げた。

所謂『お姫様抱っこ』な状態である。

顔を紅潮させて狼狽するアルフィン殿下を尻目に、俺は窓ガラスを右足で蹴り破る。硝子が粉微塵になって乱舞する中、背後の脅威から逃れる為に跳躍した。外へ飛び出す。

瞬間――。

皇城全体を揺らす衝撃と、鼓膜を破りそうな爆発音が豪雨の中に轟いた。

爆炎と熱風は火傷するだけで済んだものの、爆風に乗った硝子の破片が背中に突き刺さる。数にして約二十数個。少しだけ痛い。だが安心する。これなら無視できる範囲だ。

アルフィン殿下が俺の首に手を回した。視線が交錯する。大丈夫だと頷いた。お互いに何を言うべきかわかっているから。

 

 

「来い、テスタ=ロッサ!」

「来て、テスタ=ロッサ!」

 

 

空中で声高に叫ぶ。

 

 

『応!!』

 

 

歓天喜地の雄叫びと共に、緋の騎神が転移した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

爆炎の晴れたアルフィンの自室。

家具は粉々に吹き飛び、カーテンは燃え落ちている。障壁から姿を現したセドリックは、煤に塗れた壁を何度も殴打した。

闇夜から現れた緋の騎神。霊子変換された契約者と起動者は、重力と常識を無視して、騎神の中へと吸い込まれていく。

 

「――どうして、なんだ?」

 

緋の騎神に相応しいのは僕だ。

次代の皇帝に相応しいのは僕だ。

誰もが同意する事実だろうに。世界が認めるであろう本来の姿だろうに。不思議だ。おかしいな。旧い世界を壊して、新しい世界を作る。誰も成し遂げた事のない偉業を達成する僕は、誰よりも優れた英雄なのに。

 

「どうして、僕に跪かないんだろう」

 

カレル離宮を覆う『黒キ聖杯』。

帝都ヘイムダル全域に現出した数千匹の幻獣。

絶え間無く飛び交う凶報に右往左往していた衛士隊の人間が、今更ながらにアルフィンの自室へとやって来た。

黒緋の騎士が本性を見せたと。

僕を傷付けて、アルフィンを攫っていったと。

顔色一つ変えずに虚言を吐くセドリックは、右腕を撫でた。

 

 

「あれ?」

 

 

何度も撫でる。

袖を捲って確認する。

綺麗な肌。在るべきモノがない。

 

「僕は、フェア・ヴィルングに斬られた筈なのに」

 

確かに怪我を負った筈なのに。

黒緋の騎士と互角に斬り結び、好敵手と認められた筈なのに。

 

「まぁ、いいか」

 

切り替えよう。目的は達成した。

 

「フェア・ヴィルングも大した事なかったかな」

 

黒緋の騎士だなんて。

帝国最強の剣士だなんて。

まさしく過大評価だと嘲笑った。

 

 

「まさかこの僕と互角なんてね」

 

 

 

 

 








ニャル「ほーん、やるやん」


黒の騎神「ヤベェ、やり過ぎた」



緋の騎神「おっしゃああああああ!!」









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