アイゼンガルド連峰。
人の寄り付かない辺境の地。
最も近い人里は温泉郷『ユミル』だろうか。それでも相当離れている。帝国軍が配備されていないからなのか魔獣も多い。更に強い。厳しい環境に晒されているからだと思う。
9月下旬に来訪以来、延々と独りで剣を振るっている。確かに良い修業環境だ。心を無にして戦える。魔獣も尽きない。だが飽きてきた。話し相手が存在Xと存在Yだ。頭が痛くなりそうだった。
本来なら工業都市ルーレで何日か寝泊りする筈だった。情報を仕入れる為である。ラインフォルト社にも足を運びたかった。
金ならある。帝都で腐るほど手に入れた。競馬である。勝つ馬を幾らでも知り得る。一攫千金を何度か繰り返し、不審な目で見られる前にそそくさと退散した。既に億万長者。特に使い道は無いけれど。
「ちょっとアンタ、私の話聞いてるの?」
「聞いている。ミルクが欲しいんだろう?」
「違うわよ、バカ!」
足下で黒猫が鳴いた。相変わらず口が悪い。
名前をセリーヌ。雌だ。驚くことなかれ喋る猫である。仕草は猫なのに平然と喋る。声帯はどうなっているのか。仲間はいるのか。疑問は尽きない。
2週間前、長い長い輪廻で初めて遭遇した。驚天動地とはまさにこのこと。遂にこの世界線でも狂ったか。早く自殺しないと。懐に忍ばせていた拳銃をこめかみに突き付ける。慌てたセリーヌが妙な術式で俺を止める。ワイワイぎゃあぎゃあ。そんな笑えない一悶着も存在した。
剣を岩肌に突き刺し、手頃な場所に腰掛ける。
「なら何だ?」
約1ヶ月前、10月20日頃に一度下山。ユミルまで降りた。里の人々に山籠りに必要だからと嘯いて大量の食材を買い溜めした。その際、手に入れていたミルク。セリーヌが2日前にもう無いと嘆いていたから、てっきりミルクをもう一度買ってこいって話かと。
「アンタのことで聞きたいことがあるのよ」
「アイゼンガルド連峰にいた訳か?」
「違うわよ。勿論気になるけど、この3週間ほどでアンタが悪い奴じゃないってわかったからね。気にしないことにするわ」
精々感謝しなさいと女王様気取りの猫。
普通に可愛い。ドヤ顔が微笑ましい。存在Xと存在Yに蝕まれていた心が癒されていく。飼い主が羨ましいな。この世界線だけでもセリーヌを譲ってくれないだろうか。
「光栄です、猫殿」
一礼する。返事は猫パンチだった。
「ふざけないで。――アンタ、相当強いわよね?」
「光の剣匠に負ける程度の男だ」
「比較対象がおかしくない?」
「東方では『青は藍より出でて藍より青し』という言葉がある。弟子として師を超えるのは当然のことだよ」
光の剣匠ヴィクター・S・アルゼイド。
比較対象として最も優れている存在だと思う。
彼と並べば当代最強の剣士。
彼を超えれば火炎魔人と同じ人外へ。
アルゼイド流だけでは並び立つことすら不可能だと悟った。だからこそ何回も輪廻を重ねることでヴァンダール流も極めた。幾つかの世界線では彼の実力を超えたこともある。喜んだ。これで輪廻の先に行けると。結果は散々。ループは打破できなかったけれども、一つの目安として今でも参考にしている。
オーレリア・ルグィンは除外する。あの女傑と出会った世界線は碌な事が無い。無視無視。遭遇しないように注意しなければならない。
「とにかく。アンタは強いんでしょ?」
再確認してくるセリーヌへ頷き返す。
「多少はな。まだまだ誇れる実力ではないけど」
「結社の人間でも無いのよね?」
「『身喰らう蛇』とかいう奴らか?」
「ええ。世界中に散らばる犯罪組織よ」
名前だけ聞き及んでいる。
秘密結社『身喰らう蛇』。火炎魔人の属する組織と聞く。リベールの異変、クロスベルの独立騒ぎも彼らの暗躍に因るものだとか。俄かに信じ難いものの、ヴィクターさんやオーレリアが嘘を吐くとも思えない。
そういえば『カンパネルラ』も結社の一人と聞いた。あの子供がねぇ。人を弄り倒すからぶん殴った事もある。懐かしい話だ。
「生憎とスカウトされていない。それにな。犯罪に手を染めるのは人生の最後だと決めている。頼まれても加入しないよ」
カンパネルラに断言されたのだ。
アレはいつの世界線だったか。
秘密結社でも君の輪廻を覆すことは無理だと。未来永劫、君は同じ時間軸を揺蕩うのだと。諦めろと。外なる神に目を付けられた君は助からないのだと。
屈辱だった。
俺は何も言い返せなかった。
ただ泣いて縋り、次の日には自殺した。
「そう。貴族連合軍との付き合いは?」
「欠片も無い。俺は平民出身だ」
「そ、そう。なら安心したわ」
「リィン・シュバルツァーを貴族連合軍に売り飛ばされるとでも危惧していたのか?」
「少しだけね。騎神さえ目覚めれば逃げられると思うけど、二人とも目覚める気配すらないもの」
心配そうに灰色の騎士人形を見る黒猫。
その傍らで死んだように眠る未来の英雄。
約3週間前、七耀暦1204年10月30日。運命の日。クロウ・アームブラストによって狙撃された鉄血宰相。貴族連合軍によって占領される帝都ヘイムダル。帝都近郊の町トリスタも襲撃に遭い、リィン・シュバルツァーたちトールズ士官学院Ⅶ組も無様に離散した。
その日、俺は変わりなく剣を振るっていた。
アイゼンガルド連峰の奥深くで。湧き続ける魔獣を相手に一騎当千の如く。暇だった。むしゃくしゃしていた。魔獣の血と肉片を尻目に、月夜の下で晩酌していると、突如、轟音が鳴り響いた。
見上げて驚愕。灰の騎神がゆっくり着陸した。
口を半開きにして待機。猫が喋って更に驚嘆。
事情を聞き、一人納得した。
内戦初期、リィン・シュバルツァーは行方不明だったと聞いた。まさか蒼の騎神に敗れ、アイゼンガルド連峰の山奥で傷を癒しているとは想像だにしていなかった。マスコミもリークできないわけだ。想像できる訳もない。理解の外だ。
「安心しろ、セリーヌ。リィン・シュバルツァーが目覚めるまで全力で守護する。契約した通りだ」
「アンタをエリンの里に連れて行くって話ね」
俺とセリーヌはその場で契約を交わした。
リィンと灰の騎神が覚醒するまで近場の魔獣から護り続ける代わりに、幻の秘境とされる魔女の里へ案内するという物だ。
初めてだ。初めての事だらけだ。
今回の世界線は期待できる。鉄血宰相と出会い、セリーヌと契約を交わした。また一つ世界の謎を知る機会を得た。例え輪廻を打破できなくても次に繋がる。存在Xに少しだけ感謝した。
「魔女の長殿と話してみたいからな」
「ロゼとねぇ。見た目はちんちくりんよ」
「それ関係あるのか?」
「あるでしょ。威厳とか皆無よ、皆無」
「威厳は大事だな、うん」
「でしょ?」
「だが強いのだろう?」
「まぁね。魔力量だけでもエマの何倍もあるし、魔法の種類も桁違いだし。生活態度さえ改めれば紛れもなく魔女の長と誇れる存在なのに。何であんなにズボラなのかしら」
セリーヌの愚痴が止まらない。
尻尾がバンバンと岩肌を叩いている。
ストレスが溜まっているようだ。それも大分。
当たり前か。3週間も景色の変わらない連峰で過ごしているのだ。寒い。高い。美味しい食べ物もない。話し相手は俺ことフェア・ヴィルングだけという有様。彼女にとっては地獄だろう。
――――唄え、と誰かが誘った。
くとぅるふ・ふたぐん にゃるらとてっぷ・つがー
しゃめっしゅ しゃめっしゅ
にゃるらとてっぷ・つがー くとぅるふ・ふたぐん
――――謡え、と誰かが踊った。
くとぅるふ・ふたぐん にゃるらとてっぷ・つがー
しゃめっしゅ しゃめっしゅ
にゃるらとてっぷ・つがー くとぅるふ・ふたぐん
悍ましい声音が響いた。
どこから。周囲から。全てを包んでいく。
揺れる。揺れる。小さく大きく。大きく小さく。
楽しそう。辛そう。嬉しそう。悲しそう。
様々な感情が入り込んでくる。
気持ち悪い。胃が反転する。吐きそうだ。全身に力が入らなくなって、意識が飛び掛けて、最悪のタイミングで危険を察知した。
「クソッ!」
セリーヌを抱えて後方に跳躍。
断崖絶壁の上に降り立つ。セリーヌを下ろす。
咄嗟に得物を掴んだ自分を褒めてやりたい。右手に収まる白い大剣。これさえあれば何とかなる。何とかする。再び歌が聞こえてこなければ。全身を揺さぶられなければ。アレは何だったんだ。
頭を振る。対象を切り替えろ。
崖下に視線を向ける。気持ち悪い生物がいた。
首と尾が長く。胴体は太く。全身は青白い鱗に覆われている。四足歩行。見た目は御伽話に出てくる首長竜に近い。気持ち悪さは段違いだけども。
「リンドバウムって奴か」
内戦時に各地を荒らす幻獣だ。
俺も何度か討伐したことがある。
「アンタ、アレを知ってるの?」
「一応な。セリーヌはリィンの傍にいてくれ。アレは猛毒ガスを吐き出す。対抗手段がないと危険だ」
「――勝てるの?」
「勝てるな。問題ない」
今の練度だと自信はない。
負ける可能性は十二分に有る。
それでも強気に言い切った。
セリーヌの頭を撫でる。
不必要に怯えさせるのも可哀想だ。
導力魔法をどうやって防ぐか。問題は其処だ。猛毒ガスを出されれば距離を取る。地団駄してきた時も同じ。剣撃を飛ばせばいいだけ。やはり注意すべきは駆動無しに発動させる導力魔法ぐらいだな。
「――どうした?」
セリーヌは動かない。
眼光鋭く、とある場所を睨んでいる。
リンドバウムが暴れる前にリィンの傍へ走ってくれ。言外にそう願った俺へ、セリーヌは片目だけ此方へ向けた。
「アンタ、見た?」
「何を?」
「楽しそうに笑っている女の姿よ」
「いや、見てないが――」
「見間違いかしら。でも、確かに其処に」
――頭の奥でブチッと鳴った。
「とにかくリィンの近くに行け、セリーヌ」
「あぁもう。わかったわよ!」
セリーヌが崖を降りていく。
リンドバウムは黒猫に見向きもしない。
俺だけを見ている。
俺だけに威嚇している。
リィンへ向かわれるよりも好都合だ。
大剣を構える。柄を握り締める。足腰に力を込める。気を巡らす。意識を戦闘に切り替える。自己暗示終了。狙うは長い首元。一気に命を断つ。
セリーヌはリィンの傍で結界を張る。
簡易的なモノだが、猛毒ガスを防ぐに足る。
此方を一瞥したフェアが動いた。
瞬間、消える。驚くほど速い。
黒い外套に身を包んだ痩躯がぶれている。
瞬きするよりも早く幻獣の懐に入り込んだ。回転するように大剣を振り回す。狙いは首筋。一刀両断を狙っている。風切り音が響いた。当たる。
セリーヌの確信を嘲笑うように幻獣は吼えた。
口から吐き出された猛毒の塊。紫と黒の混合物。粘度の高そうなソレを躱したフェアは、咄嗟に剣撃の狙いを変えたらしい。流れるように足を斬り付ける。
「危ないッ!」
幻獣の足下。白い岩肌から褐色の土が盛り上がる。土で形成された八本の槍。空へ向かって伸びていく。
フェアは危なげなく跳躍した。怪訝そうな表情を浮かべている。舌打ちが聞こえる。不機嫌だ。傍から見てもわかる。吐き出された猛毒の塊を空中で斬り落とし、フェアは崖上で態勢を整えた。
数瞬、静寂が連峰を包んだ。
フェアは大剣を肩に担ぐ。嘆息した。
「セリーヌ、少し時間が掛かりそうだ。コイツを此処から引き離す。危ないから追ってくるなよ」
幻獣の目的はフェアだけらしい。
彼が挑発しながら駆ける。幻獣は怒り狂うように遠吠えして、面白いように追いかけて行く。数分すると地響きすら聞こえなくなった。
一瞬の交錯。時間にして約十秒にも満たない。
フェアは何かを察した。
だからこそ此処を離れたのだろう。
セリーヌとリィンを護るという契約に違反しない為に。
「律儀な奴ね、全く」
結界を解く。
強張っていた身体を解す。
灰の騎神、起動者も起きない。
セリーヌは周囲の警戒を緩めないまま、考える。
「アレは、一体何だったのかしら」
歌が聞こえた。悲しそうな歌声。
女性が慟哭しながら紡いでいる歌だった。
アイゼンガルド連峰の山奥で響くには場違いすぎる。聞き間違いか。そう思った瞬間、空間に振動が走る。幻獣が現れ、フェアとセリーヌを踏み潰そうとした。
フェアが跳躍する事で難を逃れる。彼の目は幻獣だけに向けられていた。喫緊の懸念事項だ。戦士ならば当然の行為だろう。
セリーヌは魔女の眷属。戦士ではない。故に空間の奥へ意識を向けた。アレの奥に何かがいるのではないか。幻獣を支配する者がいるのではないか。理屈ではない。本能だった。魔力を行使して微かに見て取れた。
「泣きながら、笑っていた女」
見覚えなどない。本当に。
それでも懐かしさを覚えた。
どうしてだろう。無性に泣きたくなった。