銀の巨人と緋の巨人が衝突する。
大地を揺らし、天空を割り、衝撃は空間を伝播していく。
前者の携える騎兵槍は、まるで彗星の如く煌びやかで。後者の構える拳は、まさに武芸の極みを体現した威圧感であった。
「凄まじいですね、これは」
トマス・ライサンダーは眉間に皺を寄せる。
眼前で行われる埒外の戦闘。蒼と灰の両者を容易く捻じ伏せた銀に対して、武器すら持たずに競り合う緋。最早、守護騎士の誇る『聖痕』を使用したとしても届かないであろう戦力を垣間見て、自分達の想像が酷く甘かったのだと痛感する。
騎神と云う超常の存在が齎らす被害は、カレル離宮を廃墟に、周囲を更地へと変貌させた。
轟音が鳴り響く中、トマスは周囲を見渡す。
誰も彼もが息を飲み、騎神同士の戦いを見守っていた。語らず、動かず。戦闘など以ての外。状況が良くも悪くも変わるとするなら、それは銀と緋による騎神の戦いが決着を迎えるか、或いは黒キ聖杯が消失するか、巨イナル黄昏が発動するか。そのいずれかだと思われる。
「長殿、貴女の予想は?」
傍らに立つ魔女の長へ尋ねた。
元来、魔女と教会は敵対関係にある。ここ数年の話ではなく、数百年以上にも及ぶ不変の事実である。
こうして並び立つだけでも、過去の教会関係者からしてみれば驚天動地の光景だろう。腰を抜かして口を半開きにするか、もしくは異端者だと口から泡を飛ばして糾弾するか。
しかし、巨イナル黄昏の発生を食い止める為に、封聖省の上層部は魔女との協力が必要だと判断した。ならば、聖杯騎士団の面々も過去の遺恨を水に流して協力しなければならない。
――――たとえその関係性が、どうしようもなく『一時的なもの』だとしても。
「有利なのはリアンヌ、銀の騎神じゃろうな」
ローゼリアは奥歯を噛み締めながら答えた。
そうだろうなと心中で首肯する。
緋の騎神は得物を持っていないからだ。
槍の聖女を相手にして、本来の得物である剣を持たずに徒手空拳で抗っているからだ。
誰がどう見ても、銀の騎神が優勢だと判断するに違いない。
「それは得物の差に因るものですか?」
「無論それも有ろうが、根本的な差異は他に存在する」
一拍の間を挟み、トマスは口を開いた。
「成る程。鋼の聖女が事実リアンヌ・サンドロットなら、貴女の仰る通りに獅子戦役以前より銀の騎神から認められているなら、起動者となった年季が異なりますね」
「如何にフェアと云えど、その差を埋めるのは難しかろう。更に得物を持っておらぬからな。本来なら緋の騎神など瞬く間に一蹴されておるじゃろう」
トマスは二体の巨人へ視線を向ける。
――刹那、銀の騎神から神速の刺突が放たれた。
空間にさえ孔を開けそうな鋭い一撃だが、フェアの駆る緋の騎神は僅かに屈むことで回避してみせる。頭上を掠める穂先を尻目に、間合いの内側に滑り込んだ。速い。巧い。前傾姿勢を保ったまま流れるように拳打を繰り出す。
しかし、鋼の聖女は慌てない。
零距離で打ち出された数多の拳を、巨大な騎兵槍を手足の如く操って捌いた鋼の聖女は、そのまま得物を振り抜いた。轟音を背景に横薙ぎした。
跳躍して躱す緋の騎神。
適正の間合いを取る銀の騎神。
なんともはや。トマスは目を細めた。
蒼と灰の騎神も全身全霊で戦っていた。
鋼の聖女も褒めていた。
だがそれは、絶対的強者の余裕が生み出した称賛だった。
緋の騎神は違う。
黒緋の覇王に成らずとも、霊力が枯渇している状態でも、武器を持たなくても、結社最強の武人が操る騎神相手に善戦できている。
それは異常だ。
それは有ってはならない事態だ。
異端者であり、特異点でもあるフェア・ヴィルングが此処まで強いなど、まさしく空の女神エイドスに対する冒涜である。唾を吐く事実である。
トマス・ライサンダーは唾を飲み込み、右手を握り締めた。
「私の目が正しければ、徒手空拳でもそこそこやり合えていますが?」
「安心せい。妾の目も同じじゃ。リアンヌが本気を出しておらぬのか。何か心乱される出来事でも有ったのか。わからぬ。わからぬが、それでも有利なのはリアンヌじゃろう」
法王猊下曰く――。
最善の未来は相打ち。
次善の未来はフェアの死亡。
最悪の未来は結社とフェアが手を結ぶこと。
教会上層部はフェア・ヴィルングの死を切望している。
何故か。
答えは簡単。
この世界線から、フェア・ヴィルングという最大級の特異点が消失するからだ。
輪廻を繰り返すのはフェア本人だけ。残された世界線の住民は何一つ失うことなく、フェアという特異点が消失した世界は変わらずに時を進めていくだろう。
七耀教会はそう結論付けた。
異端審問が行えなくても構わない。異なる世界線に問題を押し付けてしまうのも仕方ない。
塩の杭に酷似した特異点など切除するに限る。不要な存在だ。
フェア・ヴィルングが苦痛に苛まれているなど歯牙にも掛けない。空の女神を信じない異端者が苦しむなど当然である。
むしろ煉獄の最奥で永遠に焼かれてしまえ、とさえ封聖省のお偉方は考えているだろう。
「フェアを援護してやりたいが、此処まで超高速で動かれるとな。リアンヌの気を引くことも無理であろう」
「では、このままなら敗北しかないと」
それは困る、と歯噛みしたトマス。
聖杯騎士団総長の命令に反してしまう。
彼女は何かを確信した。
故に、フェアの死を容認していない。
故に、フェアの身柄を頑なに求めている。
エレボニアを建国した初代アルノールが言い残したとされる『約束の刻』関連だと推測するが、確証は無い。全く異なる可能性も有る。
いずれにしても、トマスは聖杯騎士団副長だ。
上司の命令は守らなければならない。
無事に任務を遂行しなければならない。
その為に、数ヶ月前、フェアを匣の中に閉じ込めて確認したのだから。
二隻のメルカバがカレル離宮に到着するまで、是が非でもフェアに生き延びてもらわなければ、トマス・ライサンダーの任務は失敗に終わってしまう。
「いや、そうでもなかろう」
打開策を模索するトマスに、ローゼリアは冷然と告げた。
騎神から小さな魔女へ視線を移す。
焦燥を心の奥に封じ込めながら、トマスは淡々とした口調のまま訊いた。
「何か策でも?」
「起動者と契約者が搭乗しておる。霊力さえ戻れば武器を造れる筈じゃ。槍でも、弓でも、剣でものう」
武器創造。
緋の騎神が誇る唯一無二の特性。
千の武器を持つ魔人という異名の由来である。
契約者であるアルフィン・ライゼ・アルノールの魔力を触媒にしているのか。それとも『アルノールの血』に触発された結果なのか。
「覇王に成らずとも武器を錬成できるとは」
「それでようやっと互角、もしくは劣勢を僅かなり押し返す程度。勝てると断言できぬ。口惜しいがのう」
フェアは勝てなくていい。
時間を稼いでくれるだけで構わない。
アイン・セルナートが到着するまで。
リィンたちが鉄血宰相の思惑を打破するまで。
この場でリアンヌ・サンドロットを押し留める。結社最強の武人を足止めする。それ以上もそれ以下も認めない。
トマスは人知れず胸を撫で下ろす。
ローゼリアの予想が当たっていると仮定する。騎神に詳しい彼女の推測を聞き、トマスの取るべき行動は決定した。
「本当ですか?」
「隙さえ出来れば、妾も援護しようと思うが」
「いえ」
意気揚々と口を挟む。
魔女の意識を騎神から聖杯騎士へ移す為に。
「長殿、失礼ながらお尋ねします。貴女は本当にフェア・ヴィルングに勝ってほしいと思っているのですか?」
わざと神経を逆撫でする言葉を紡ぐ。
数瞬間、静寂が二人の間を包み込んだ。
ローゼリアの持つ紅玉の杖から火花が散った。不気味な破裂音が断続的に木霊する。瞳孔が縦長に細くなっていくのに比例して、人間特有の気配は小さくなっていった。
カン、と甲高い音が響く。
それは杖の石突で地面を叩いた音だった。
「――忘れるでない、若造。妾と貴様らは元々敵同士だった事を。不用意な発言はお主の寿命を縮めるぞ」
引っ掛かった。
これで良いとほくそ笑む。
「勿論ですとも」
トマスは素知らぬ顔で口を動かす。
「しかし、長殿。貴女と聖女は非常に親しい間柄だったとか。現に、銀の騎神へ導いたのも御自分だと仰られていましたよね。協力関係を結んだ魔女の長殿は信用していますが、多少なり疑念を抱いてしまうのも致し方ないことかと」
心にも思っていない言葉の数々。
面の皮の厚さに自分の事ながら辟易する。
ローゼリアは鼻を鳴らして、苦々しく答えた。
「莫迦にするな。昔の話じゃ。今の妾は、二代目ローゼリアとして巨イナル黄昏を止めるために立っておる。リアンヌに加勢するなど有り得ぬ」
「なら、良いのですが」
トマスは僅かに納得していない感じを装う。
本物の役者と比べれば拙い演技だと自覚する。芸術の造詣が深い人物が見れば、容易く看破されるだろうと自嘲する程に。
幸か不幸か、ローゼリアはコロリと騙された。
これ以降は騎神の戦いを注視しながらも、どこかでトマスに意識を傾けていた。
警戒心ではなく、不愉快だから。
猜疑心ではなく、不機嫌だから。
上手くいったと思った。
後はタイミングを図るだけだと安堵した。
フェア・ヴィルングを異端審問にかければ、この混沌とした情勢を打破できると信じて、アイン・セルナートの到着を待ち侘びた。
はてさて。
彼らは一つ勘違いしていた。
致命的とさえ表現できる思い違いだった。
空の女神を奉ずる『教義』に囚われていた故、世界の中心は自分達であるという固定観念を払拭できなかった故、教会関係者は最後まで正解に手が届かなかった。
――つまり、それは。
『フェア・ヴィルングの死亡した世界線は、彼らの信奉する女神によって圧殺されてしまう』というあまりに空虚な事実に、誰一人、辿り着けなかったのである。
銀の騎神が巨大な騎兵槍を振るう。
風を練り上げて、音さえ置き去りにして。
並の武人なら目視できない絶死の一撃。
数百年の研鑽が生んだ刺突に対し、緋の騎神は素手で対応していく。穂先を躱す。肉薄して、騎兵槍の柄を押し除ける。最小限の動作で、最低限の負傷で、緋の騎神は劣勢を跳ね除けようとする。
有り得ざる光景だ。
騎神の中にも『格』が存在する。
『黒』を筆頭に、『金』と『銀』が一歩引いて並び立ち、『緋』が追随して、『蒼』と『灰』、そして『紫』が最弱に列席する。
起動者の技量によって、格の差を覆すことは事実可能である。極論、灰の騎神が黒の騎神に打ち勝つことも不可能ではない。起動者同士の実力に、達人と素人の差が在ればの話だが。
銀の起動者はアリアンロード。
緋の起動者はフェア・ヴィルング。
前者は二百年以上も起動者である。
後者は起動者になって僅か一年にも満たない。
アルグレオンは本来の得物を有している。
テスタ=ロッサは武器を何一つ持っていない。
本来なら瞬殺されて然るべき。
だが、十数分経っても決着は付いてなかった。
悪夢だと断定したい。何かの間違いだと絶叫したい。どうして押し切れないのか。何故この状態で抗えるのか。
沸騰しそうな激情を、アリアンロードは必死に沈静化させる。彼女は歴史上でも稀有な武人だ。神槍の呼び声高い偉人だ。故に思考を止めず、信じ難い現実を直視する。
『流石だ、鋼の聖女』
黒に汚染された化物が口を開いた。
低い声が鼓膜を揺らすだけで嫌悪感に苛まれる。
初めて出会った時から気に食わなかった。イシュメルガに似た雰囲気を感じ取り、ドライケルスの晩年を思い出して、それだけで殺意を覚えるに至った。
『数百年に及ぶ研鑽、尊敬に値する』
馬鹿にしているのか。
まさか本気で称賛しているとでも。
アリアンロードは心底下らないと吐き捨てる。聞くな。返事するな。煽動に乗るな。刮目すべき点は他に有る。信じられない点は別に有る。
覇王状態で空になった霊力が復活していた。未だ僅かに感じ取れる程度。待機状態の騎神なら至極当然の回復だが、聖女と銀の騎神は非現実的な光景に絶句した。
「アルグレオン」
『有り得ません。超高速戦闘を行いながら、霊力を溜めるなど。たとえ黒でも不可能な所業です』
「ならどうやって――」
『まさか黒から力を取り戻したのか。それでも不可解。フェア・ヴィルングに纏わり付く影の仕業だと仮定すれば、まだ』
「いずれにしても武器を創造する筈です。アルグレオン、私たちも出し惜しみしません。第二形態へ」
『承知しております』
巨イナル黄昏の先に起こる『七の相克』にて、黒の騎神を滅ぼす為に用意していた切り札。誰にも明かしていない秘中の秘。銀の騎神が色濃く受け継いでいる大地の聖獣の能力を、爆発的に向上させる攻防一体の第二形態は、まさしく『進化』と呼ぶべき成長である。
本当は使いたくない。
黒の騎神に知られたくなかった。
だが、長年の経験から培われた危機感が警鐘を鳴らした。
第二形態へ移行しなければ敗北すると。
七の相克が始まる前に脱落してしまうと。
許せない。妥協できない。
相克を勝ち上がり、黒を滅ぼすのはリアンヌ・サンドロットの使命なのだから。
「獅子戦役時とは比べ物になりませんね」
緋い巨人の周囲に浮かぶ深紅の剣。数にして数十本。その一つを力強く掴み取る。煌々と輝く紅い直剣は、まさに太陽の如き存在感を放っていた。
『リアンヌ、油断なさらぬよう』
「勿論です」
第二形態へ進化したとしても油断できない。
黒緋の覇王へ昇華する前に、両手足を引き千切るつもりで戦わなければならない。
騎兵槍に力を込めて、眼前を見据える。
――瞬間。
『呪い』がエレボニア帝国全土に満たされていった。
「さぁ、始めましょうか」
オスギリアス盆地の中心。
旅の占い師は両手を広げて、声高に叫ぶ。
「昏き終末の御伽噺を」
天を仰いで、外なる神に宣戦布告する。
「黒き神を撃ち落とす英雄譚を!」
フェア・ヴィルングが死亡する。
↓
天敵の消えた外の神が好き放題する。
(もしくは七耀教会が黒く変質する)
↓
箱庭がグチャグチャに荒らされる。
(全ての人間が同時に玩具にされる)
↓
可哀想だし、先に世界そのものを潰しちゃお。
(フェアの存在しない世界だからニャル様も興味なし)