黒い闘争と黒い混沌に絡まれた件   作:とりゃあああ

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五十二話 嚆矢濫觴

 

 

 

 

 

 

時間は少し遡る。

七耀暦1205年6月30日。

超級の特異点と目されるフェア・ヴィルングと無事に取引を交わしたトマス・ライサンダーは、僅か二時間の睡眠を経て、隠れ家全体に鳴り響く通信機器によって無理矢理覚醒させられた。

寝台から身体を起こし、欠伸を一つ。

眼鏡を片手に、寝ぼけ眼を擦りながら受話器を取る。

早朝四時半。鶏も鳴いておらず、太陽さえ顔を覗かせようか足踏みする時間帯に、相手の迷惑も考えずに通信を試みようとする人間など限られている。

トマスは受話器を耳に当てる前から、通信相手が誰なのかを正確に把握していた。

 

「総長、今何時だと思ってるんですか?」

 

開口一番、上司だろうとお構いなく不満を漏らした。

聖杯騎士団の総長に君臨するアイン・セルナートは快活に話し出す。

 

『トマス、今から話すのは秘中の秘。守護騎士の中でも数人しか知らない極秘事項だぞ。時間なんて気にしている場合か。おい、聞く前から顔を顰める奴があるか』

「顔を顰めるだけで済ませているんです。感謝してほしいぐらいですよ。それにわざわざ秘匿回線を使うとは。総長、封聖省のお偉方にまた小言を言われますよ?」

 

教会独自の秘匿回線。

結社の星辰ネットワークへ対抗する為に造られた模索品である。エプスタイン財団と共同で研究及び試作しているらしいが、その辺は何だか酷くあやふやである。

いずれにしても気軽に扱える代物ではない。

 

『構わん。小言ぐらい幾らでも吠えさせておけ』

 

アインがこれでもかと胸を張っている姿を想像したトマスは、思わずため息を溢そうとして、慌てて堪えた。

 

「よくそれで異端認定されませんね」

『傲慢な彼らとて、そう簡単に私を切り捨てる判断などできまい。蛇はおろか特異点も排除していない状況だからな』

「貴女は切り捨てられないでしょうが、私たちのような一介の守護騎士は異端認定されますよ」

『笑わせないでくれ。一介の守護騎士というのは字面からして矛盾しているぞ。お前たちは聖痕に選ばれたんだ。女神の遺した秘蹟に適応した者たちだろう』

「貴女がそれを言いますか。私たちと総長の聖痕など比較にならない。純粋な出力だけで判断しても、貴女単独で守護騎士全員を十秒と掛からずに殺害できるでしょうに」

 

いや、五秒も必要ないだろう。

あの時は模擬戦だったから十秒要しただけで。

守護騎士第一位。聖杯騎士団総長。『紅耀石』の異名を持つアイン・セルナートは間違いなく最強の一角であり、七耀教会が誇る最高の切り札でもある。

彼女は苦笑しながら、部下の発言を否定した。

 

『大袈裟だよ、トマス。お前は昔から物事を大きく捉えるという悪癖が有る。気をつけたまえ。それはお前の命取りになるだろう』

「――承知しましたよ、総長殿」

『おーい、ため息が隠せてないぞー?』

 

おっと。

こいつは失礼。

無意識に嘆息してしまったみたいだ。

アインとトマスは長い付き合いである。

互いに総長、副長という役職を得る前から交友関係を持っていた。十年は軽く超えているだろう。それでもわからない。わかろうと努力して、その決意は呆気なく散った。人間を超越した化物の思考など、凡人であるトマス・ライサンダーには到底理解できなかった。

 

「それで、このご時世に秘匿回線を用いて連絡を寄越すとは、アルテリア法国で政変でも起きましたか?」

『阿呆。それならもっと喜んでいるさ』

 

意図して話を変えると、アインは小気味良く笑いながら乗ってきた。

総長は空気を読める女なのだ。しっかりと読んでいるにも拘らず、それはそれとして、空気をぶち壊す事に快感を覚えるという悪癖を備えているだけで。

 

「でしょうね」

『事態はもっと単純かつ明快だ。法王猊下が遂に決断なされた。最大の特異点を、フェア・ヴィルングを始まりの地で異端審問に掛ける。もしくは塵一つ残らないように抹殺する。私としては、異端審問に掛ける方を優先したいがな』

 

 

問い。此処で通信を切ったとしても赦されるでしょうか。

答え。赦されるはずもありません。異端審問行き確定です。

 

 

「一応尋ねますよ。本気ですか?」

『当然だとも。それとも君は反対かね?』

「ええ、反対です。確かにフェア・ヴィルングは現状だと最も危険な特異点であり、その凄惨さは塩の杭を遥かに凌ぐかもしれません。ですが――」

『彼と敵対した場合、結社の進める巨イナル黄昏をどうするのかと危惧しているのだろう?』

「魔女と手切れになる上、文字通りエレボニア帝国の全てと敵対することになります。先ずは蛇の計画を食い止めてからでも遅くないかと」

 

予想される敵対勢力は二つ。

身喰らう蛇と鉄血宰相の子飼いたちである。

たとえこれから協力者を増やした所で、どんなに甘く計算しても勝ち目は薄いだろう。誰がどう見ても旗色が悪いのは誤魔化せない。

枢機卿連中は何を考えているのか。

フェア・ヴィルングを異端審問に掛けようとした場合、恐らく七耀教会はエレボニア帝国の全てを敵に回す。

協力関係を築いた魔女。

黄金の羅刹率いる貴族連合の残党。

リィン・シュバルツァーを重心とするⅦ組。

共に巨イナル黄昏を止めようとした同志を何食わぬ顔で背中から撃つ教会関係者に対して、敵愾心を燃やすは必然。それぞれ三竦みとなり、誰も幸せに至らない未来へ行き着くだろう。明確なバッドエンドだ。

トマスは翻意を促した。

だが、アインは静かに告げる。

 

『いや、遅い。致命的な遅さだよ、トマス』

 

それでは間に合わないのだと断言した。

 

「そう判断する根拠は?」

『古の教えであり、法王猊下の決断さ』

「世界が滅びるよりも特異点排除に動くと」

『上層部がそういう決断を下すのも仕方ないさ。彼らにとって大事なのは信徒ではなく、信徒を集める為の教義なんだからな。どうだ、彼らからしてみれば実に理に沿った判断だと思わんかね?』

 

今いる信徒を守るのか。

信徒を増やせる教義を守るのか。

どちらが大切かなど、人道上の観点を除けば、教会関係者にとって議論する必要もない二者択一であった。

教義を絶対とする者からしてみたら、僅かに逡巡するだけで空の女神に対する背信だと騒ぎ立てるだろう。

それはもう変えられない価値観だ。

 

「なるほど。法王猊下を始めとした上層部の方々は始まりの地にて、私の匣に収容されることで世界の滅びを回避するつもりなのですね」

『察しがいいな。その通りだ。この世界の法則に適用されない場所、魔女や結社の単語を借りるなら外の理だな。それが渦巻く聖地なら、お前の匣を連動させることで世界崩壊の影響を受けないと判断したわけだよ』

「生き残るのは教会関係者のみと」

『守護騎士の我々も収容人数に含まれているぞ』

 

実に下らない。

反吐が出そうだ。

 

「従順な狗は死んでも離さない。当然ですね」

『まぁ、そう卑屈になるな。お前は世界の滅びを確信しているのだろうが、特異点を排除した後に蛇の計画も阻止すればいいだけだろ?』

「エレボニア帝国全てを敵に回しつつ、蛇と相対するなんて御免です。モノの見事に擦り潰されますよ」

『たとえ私が全力を出しても、最終的に力負けするだろう。物量の差というモノは絶対だ。しかしなぁ、トマス。いずれにしても私たちの取れる選択肢は限られているんだよ』

「と言うと?」

 

アインは数秒間黙り、辿々しく答える。

 

『仮にだね。魔女やフェア・ヴィルングと協力したとする。巨イナル黄昏を乗り越えて、結社の企みを阻止したと仮定しよう』

 

あの紅耀石が。

傍若無人な女傑が。

慎重に言葉を選んでいる。

今日は雪でも降るんだろうなぁ。

徐々に明るくなっていく晴天を眺め、トマスはしみじみと思った。

 

「私としては充分に実現可能な未来だと思いますが」

『否定しないよ。私も実現可能だと考える。だがな、特異点を野放しにしていた場合、確実に世界は滅びる。いや、違うな。そうだね、無かったことにされるのかな』

 

一秒。二秒。三秒。

静寂に包まれた隠れ家にて、トマスは誰に見せる訳でもなく首を傾げた。

 

「申し訳ありません、総長。仰られてる意味が解りかねます」

『理解できないか。無理もない。総長を継いだ者が口伝として遺してきた、まぁ言い伝えみたいなものだからな。私とて飲み込むのに時間が掛かったよ』

「法王猊下は知っているのですか?」

『知らないだろうな』

「おいおいおい、おーい!」

 

眼鏡を握り潰して、声を荒げる。

流石に洒落にならない。嘘だと言ってくれ。

アイン・セルナートなら秘匿回線を無断に使用しても咎められないだろうが、七耀教会を統括する法王猊下にそのような重大情報を隠匿していると発覚した時、十中八九その罪禍は聖杯騎士団全体に浸透するだろう。

 

『言った筈だぞ。これは聖杯騎士団総長に就いた者が口伝として遺してきたと。文字通り門外不出なのさ。ああ、大丈夫だとも。トマスの意見は聞かなくてもわかる。法王猊下に、七耀教会に対する裏切りじゃないかと危惧しているんだろう。まぁな、否定できんよ。一種の謀叛だからなぁ、これ。でも、法王猊下が相手だからこそ伝えられんのだ』

 

トマスは目頭を押さえる。

匙を投げるように嘆息した。

視線を窓の外に遣る。刻々と明るくなっていく。今日は晴れだ。雲一つない快晴だ。聖杯騎士団の誰もが知っている。アイン・セルナートが勝手気儘に動く日は晴天で間違いないのだと。

誰だよ、もうすぐ七月にもなるのに雪が降るとか考えた奴は。

 

「浅学な私には理解できかねます」

『気にしなくていい。君も総長になればわかるだろうさ』

「遠慮しておきます」

『だろうな、うん。私としても総長の地位を手放すつもりなどないよ。親友との約束も有るしな』

「貴女は生涯現役でしょうね」

 

死んでも暴れそうで怖い、と心中で付け加える。

 

『その為にも、お前には特異点の捕獲という極秘任務が与えられた』

「それが秘中の秘ですか」

『決行日時は黄昏の開始時。対象はフェア・ヴィルングのみ。たとえどのような状況だろうが、お前の匣に隔離しろ。全力を尽くして構わん。その為に守護騎士を更に二人派遣する。私も現地に向かう予定だ』

「――そうして頂けると助かりますね。黄金の羅刹と張り合うなど、私には荷が重すぎますから」

 

宝剣を片手に。

鍛え上げた四肢だけで。

守護騎士第一位と張り合える武人、それが黄金の羅刹である。一つの時代に、戦乱渦巻く時代に必ず一人は現れるとされる、人間の限界を超越した存在である。

帝国中興の祖である『ドライケルス・ライゼ・アルノール』もその一人だろうと七耀教会は推察している。

 

『女傑の相手なら任せたまえ。彼女が相手なら、久し振りに全力で聖痕を発動しても咎められんだろうからな』

「やめてください。貴女と羅刹殿だけなら構いませんが、周囲一帯にどれほどの被害を与えてしまうことか」

『吼天の爺さんにも同様に止められたよ。人の事を災害に喩えてな。下手したら守護騎士にも死人が出るとか言われたぞ』

「死人だけで済めばいいですが」

『やれやれ。人を厄災の種みたいに。ケビンといい、お前といい、最近は生意気な部下が増えて困るよ』

「厄災そのものでしょう、貴女は」

 

自己都合で動き回り、暴れれば手が付けられず、誰彼構わず巻き込んでいく姿は、控えめに表現しても厄災だろうに。

アインは一頻り哄笑した後、人が変わったように黙り込んだ。沈黙は十数秒と続いた。吐息一つ聞こえない。

 

「総長?」

 

アレでも女性だ。

とある遊撃士を想う乙女らしい。うぇ。

厄災と揶揄されて傷付いた可能性も、そう、幻獣が蟻一匹に負ける事と同じぐらい有り得るのだとすれば、謝罪するのも吝かではない。

謝った瞬間、無理難題を吹っ掛けられる未来が見えるけど。

 

『なぁ、トマス』

「何でしょう」

 

アインから名前を呼ばれ、内心ビクビクしながら応える。

 

『聖杯騎士団総長に就任する者は、騎士団創立以来一つの例外もなく、同時期に任命された守護騎士全員を一度に抹殺できるほどの強者が選ばれている』

 

無茶振りはやめてくれ。

一発芸も勘弁してくれ。

そんな聖なる祈りが空の女神に届いたらしく、全く違う話題を振ってきた。

 

「存じてますよ」

『今世は私だ』

「自慢ですか?」

 

アイン・セルナートの超人的な強さは誰よりも知っている。

一対一なら鋼の聖女にも、黄金の羅刹にも、火炎魔人にも、フェア・ヴィルングという特異点が相手でも勝てると即答する程度には精通している。

故に自慢された所で、はいはいそうですねと肯定するだけだ。

 

『違う違う。むしろ逆だな。私は、歴代総長は己を卑下している。自分自身を中傷している』

 

言葉を失うトマスに、アインは完全なる善意から忠告した。

 

 

『覚えておくといい、トマス。歴代総長の、私の持つ聖痕は【女神の遺した秘蹟に反応しない紛い物】である事をな』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時間は進み、七耀暦1205年7月19日。

黒キ聖杯に覆われたカレル離宮。

空を仰げば、星の光を通さない漆黒の海が広がっている。周囲を見渡せば、この世の何もかもを焼却する黒焔の大河が流れている。

数分前に巨イナル黄昏は発動した。

大地の聖獣が食い止めていた呪いは、エレボニア帝国全土へ拡散していった。

少しでも直感に優れた人間なら、呪いの風を目視できただろう。人間の闘争本能を刺激して、大衆を一つの目的に誘導させられる黒い風は我が物顔で吹き荒れる。

地獄だ。もしくは煉獄か。

およそ人間が住める環境ではない。

そんな魔境を彩る数多の無機物と有機物。

上空に漂う二隻のメルカバに相対するのは、白銀の巨船『パンタグリュエル』である。

前者には蒼の聖典が、後者には蒼の深淵が守護者として仁王立ちしており、空中で火花を散らしている。

まさしく一触即発の中、アイン・セルナートは煙草に火を付けて、ゆっくりと紫煙を吐いた。

アルテリア法国より急行した聖杯騎士団の総長は眼前に佇む特異点に対して、素直な感想を口にする。

 

 

「いやはや。驚いたよ、フェア・ヴィルング」

 

 

彼女が到着した時、フェアは『匣』に封印されていた。

まさしく想定通りだった。次に魔女の長を牽制して、黒キ聖杯に突入した二名の守護騎士を回収して、異端審問を行う為にアルテリア法国へ帰還するだけだった。

最悪のタイミングで裏切った七耀教会に対し、魔女の長は烈火の如く激怒していた。憤怒に身を任せ、罵詈雑言を連呼しながら、終局魔法を乱射する有り様であった。

緋の騎神は沈黙したままだったが、その契約者であるアルフィン・ライゼ・アルノールは異質な雰囲気を放っていた。

アインは鷹揚と頷いた。

フェア・ヴィルングによる世界の崩壊を防げると確信した次の瞬間、彼を閉じ込めていた匣は内側から完全に破壊された。

時間が停止する。

誰も彼もが目を疑う。

匣から現実へ舞い戻ったフェアは呼吸を整えながら純白の宝剣を握り締める。紅耀石の定めた間合いの内側に遠慮無く踏み込んだ。

それは挑発であり、誘惑であった。

 

「トマスの匣を破壊する手段を、貴様は持っていない筈なんだがな」

 

聖痕を顕現させるか。膨大な魔力を行使するか。騎神のような巨大な力で強引に粉砕するか。

代表的な破壊方法はこの三つだろう。

極大な特異点だとしても、フェア・ヴィルング単体の力は限られている。彼単独で匣を突破する力は持ち合わせていない。

 

「まぁ、考えても仕方ないか」

 

アインは煙草を無造作に放り投げ、法剣の柄に手を掛ける。

計画通りに事が進めば万々歳だったが、それは泡沫の夢に消えた。ここから先は実力行使だ。黄金の羅刹や黒旋風が黒キ聖杯より帰投する前に、フェア・ヴィルングを無力化して捕まえなければならない。

故に出し惜しみしている場合ではなかった。

 

 

「トマス、ワジ、聖痕の解放を許可する。全身全霊を以って特異点奪取に――――」

 

 

 

『待ちたまえ』

 

 

 

低く艶の有る声が響いた。

様々な映像で聞いた特徴的な声だ。

誰もがその声の引力に惹きつけられた。

アインは舌打ちする。

第三者の介入は予期していたが、まさか巨イナル黄昏を発動した直後に干渉してくるとは。油断も隙もない。どうやら帝国宰相を甘く見ていたらしい。

ここまでか、とアインは肩を落とす。

法剣の柄から手を離して、新たな煙草を咥える。

 

「鉄血宰相。何の用かな?」

 

緩やかに、或いは薄皮を剥ぐように崩壊する黒キ聖杯から現れた鉄血宰相はふてぶてしい笑みを浮かべていた。

真横に直立する黒の騎神と同等の存在感を放ちながら、ギリアス・オズボーンはさも当然のように提案した。

 

 

 

「幸か不幸か、各勢力の長が一堂に会しているのだ。このまま別れるのも些か勿体ない。短い時間とはいえ、会合を開くというのはどうかね?」

 

 

 

 

 








凡百の守護騎士が宿す聖痕→女神の秘蹟に対応する代物。

総長に成り得る者が宿す聖痕→女神の秘蹟に対応しない紛い物。




リアンヌ「ド、ドライケルスの横を確保しないと!」→乙女。

オズボーン「リアンヌはフェアの横で良かろう」→唐変木。

リィン「――――――――」→原作通り、贄にされている。






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