黒い闘争と黒い混沌に絡まれた件   作:とりゃあああ

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近いところにいながら、その距離がまるで天の果てに感じるように、なかなか会えないこと。


五十七話 咫尺天涯

 

 

 

 

 

 

夢とは残酷だと思う。

或いは無慈悲だと感じる。

逃れられない罪を幾度も見せ付けてくる。

黒キ聖杯が出現した夜、クレア・リーヴェルトはミリアム・オライオンを見殺しにした。本物の妹のように可愛がっていた少女を、上司である鉄血宰相に命じられたという免罪符を盾にして、彼女の死から目を背けた。

白兎の少女はリィンを庇った。

大地の聖獣による鋭爪は一撃で充分だった。

鮮血が散る。斬られた髪が飛ぶ。

服は破け、小さな体躯は宙を舞った。

それは必要な事だった。巨イナル黄昏を引き起こす為には、呪いを抑えている大地の聖獣を殺さなければならない。

聖獣とは女神の遣わした高次元の存在。この世界の物理兵器では傷一つ付けられない。故に、ミリアム・オライオンはその姿を剣に変えた。女神の創造物を斃すのに必要な概念兵器である『根源たる虚無の剣』に。

リィンは絶叫した。

我を失い、純白の大剣を掴んだ。

呪いに犯された大地の聖獣を斬り伏せた。

クレアは黒キ聖杯の中層にて、その痛ましい光景を見届けた。仕方ないと言い訳して。鉄血宰相の望む事だからと自己正当化して。

だが、心の奥底ではわかっていた。

私は後悔している。

たとえ鉄血宰相の命令だとしても、反旗を翻すべきだったのではないか。ミリアムを死の運命から救い出すべきだったのではないか。

そんな、どうしようもない考えが脳裏を巡っている。過去は変えられない。天真爛漫なミリアムは戻ってこない。

だから夢を見る。

忘れないように悪夢を見続ける。

私の罪を、常に自覚する。

それだけが、クレア・リーヴェルトに許された贖罪の証だから。

 

————なら、もう一つの夢は何だろうか。

 

悪夢と並行する幸せな光景。

壊れた心を癒す妄想じみた何か。

巨イナル黄昏が始まってから頻繁に見るようになった。原因はわからない。意図も不明だ。ただ流れ込んでくる。まるで正しい選択を取っていたならば、今頃はこんな幸せを享受できていたのだと誇示するように。

——誰かと腕を組んで散歩している私。

——誰かとその日の夕飯の相談をする私。

——誰かと同じベッドに入り、睦言を交わす私。

クレアは笑顔だった。

満面の笑みで誰かを見つめていた。

素直に羨ましいと思った。妬ましいと感じた。

幸せな光景に対して、ではない。

隣を歩く『誰か』を認識できている違う自分に対して、どうしようもないほどの羨望を抱いた。

名前もわからず、顔も見えない。

私は、この男性を知っている筈なのに。

ミリアムを見殺しにした代償ならば受け止める。クレアに幸せになる権利などないから。だが、このもどかしさは、胸に痞える違和感は半年も前から覚えるものだ。

ならば関係ないのだろうか。

その誰かを探していいのだろうか。

顔も、名前も、存在すらも認識できない誰かを。

 

——きっと、私は求め続ける。

 

そして、目醒める。

目尻に溜まった涙を拭い、身体を起こした。

地平線から覗く朝日は眩しく、クレアは誰かにプレゼントされた抱き枕に顔を埋めた。

 

——嗚呼、私はこんなにも、弱い。

 

 

 

 

 

 

 

 

七耀暦1205年8月24日。

皇城バルフレイム宮の一角に用意された、選ばれた人間のみに入室が許される帝国宰相室。『鉄血の子供たち』と呼ばれるクレア・リーヴェルトとレクター・アランドールは、その数少ない選ばれた人間に含まれる。

前者は鉄道憲兵隊の少佐。

後者は帝国軍情報局特務少佐。

唯ならぬ肩書きを有する若人たちは各々の軍服に身を包みながら、帝国政府代表として敏腕を振るうギリアス・オズボーンに敬礼した。

 

「クレア・リーヴェルト少佐、只今帰還いたしました」

「クレアとは帰りの列車で偶然会ったんでね。時間も勿体無いし、報告は一緒でいいよな?」

 

対照的な二人の言動。

方や品性方向。方や傲慢無礼。

ギリアス・オズボーンは目くじらを立てない。書類にサインする手を止め、椅子の背凭れに身体を預けながら鷹揚に頷いた。

 

「構わんよ。聞こうか」

 

重厚な威圧感。

波濤の如き闘気。

こうして対峙するだけで屈服しそうな感覚に、レクターはいつまで経っても慣れそうになかった。

こんな化け物に対し、面と向かって宣戦布告した黒緋の騎士はどんな胆力をしてるのか。怖いもの知らずにも程がある。

 

「では、私からご報告致します。帝国正規軍の拡充は、事前に定めていた動員計画の通りに推移しております。今月末にも陸軍機甲師団は、二十三個師団にまで拡張される見込みです。兵力にして110万人超。士気も高く、前線兵士の訓練も順調に進んでおります」

 

エレボニア帝国では先日『国家総動員法』が可決された。国民徴用令を筆頭に、労務統制、物資統制、貿易統制、金融統制、資金統制、言論統制が敷かれ、超大国と化していた帝国の莫大な国力は全て軍事力に注ぎ込まれるようになった。

結果として、僅か一月足らずで三十万人の新規徴兵を行い、あまつさえ彼らに支給する物資も不足なく供給されている。

周辺諸国は恐怖に慄いているだろう。

世界を飲み込むのに充分な軍事力もそうだが、国家総動員法という有り得ざる『悪法』の存在を許容している帝国人に対して戦慄しているに違いない。

クレアの溌剌とした報告に、鉄血宰相は疑義を挟む。

 

「君の目から見て、徴兵された者たちは使い物になるかね?」

「正直に申し上げれば、まだ時間が掛かるかと」

「複数の師団長からは準備万端、いつ開戦しても問題ないという報告が来ているが、君たちはどう思うかな」

 

そいつらは阿呆かとレクターは口内で罵る。

たった一ヶ月の訓練で、戦争に耐えられる兵士が出来上がれば誰も苦労しない。机上の空論にさえ成りはしない。

顔を顰めるレクターと違い、クレアは生真面目に答えた。

 

「現状の練度ですと、前線に特攻して肉壁になるだけだと推察致します。新兵をそのように扱えば、誇りある帝国正規軍の沽券に関わります」

「では、訓練に必要な時間は?」

「最低でも、あと三ヶ月は有するかと」

 

それでも最低限だろう。

軍人としての心構えである精神教育、軍人らしい敬礼と歩行を学ぶ制式訓練。射撃訓練、手榴弾訓練、催涙弾体験訓練、後は一糸乱れぬ行軍ぐらいだろうか。

これだけ訓練しても、戦車や軍用飛行艇には太刀打ちできない。

彼らの末路を想像するだけで、レクターはため息を溢しそうになった。

 

「海軍はどうか?」

 

帝国陸軍に比べ、その規模は小さい。

予算も少ない為に保有しているのは第一艦隊と第二艦隊のみ。だが、テティス海の制海権を奪ってしまえば、いつでもカルバード共和国本土を奇襲できる。

大地の竜作戦に於ける戦略性の高さから、現在急ピッチで小型艦を中心に増やしている。民間船も多数徴用して、海兵師団を運ぶ輸送船へと改造を施していた。

 

「第一艦隊の練度、士気は申し分ないかと。第二艦隊は小型艦の建造に遅れが出ている為、今暫く時間が掛かります」

「造船所の爆破テロか」

「はっ。下手人は既に捕らえてあります。背後関係は洗っている最中です」

「情報局は何か掴んでるかね?」

 

上司の視線を受け、レクターは首を横に振る。

 

「各国の情報機関なんかも調べたけど、これといった証拠は出てこねェ。俺の勘だとカルバード共和国だと思うが、まぁ現状の帝国を妨害したい輩なんてごまんと居るからな」

 

何しろ一国で世界を征服しようとしている。

味方は皆無。敵は自分以外。

このような状況に陥った帝国政府は無能の烙印を押されるべきなのだが、帝国人は相も変わらずに鉄血宰相を信奉しているのだから笑えない話だった。

 

「ふむ。憲兵隊を増員しておこう。造船所だけならまだしも、戦車と機甲兵の工場を爆破されてしまえば動員計画に支障が出かねん」

「承知しました。部下に通達しておきます」

 

クレアは敬礼して、一歩後退した。

彼女の報告は終わったのだと判断したレクターは苦笑混じりに口を開いた。

 

「こっちは特に問題ねェなァ。帝国各地の反戦感情は殆どゼロだ。戦意十分。むしろ早く開戦しろって感じ。自国のことながら気味悪ィぜ」

「戦争とは外交の一種でしかない。本来なら忌避されるべき物だが、闘争の呪いに包まれた帝国ならこうも成ろう」

 

前半の台詞は本音だろう。

戦争なぞ愚か者のやる事だ。

昔ならいざ知らず、機甲化の進んだ現代で戦争を行えば、得られる利益よりも損失の方が遥かに大きくなる。赤字で済めば御の字。最悪、国家の屋台骨がへし折れるほどの損害を被るだろう。

その事実を理解しながらも、鉄血宰相は大地の竜作戦を推し進める。七の相克とやらを完遂する為に。

 

「おっさんの目論見通りか?」

 

レクターは噛み付くように尋ねる。

鉄血宰相は机の上で手を組み、不敵に笑った。

 

「相克を行うのに都合が良いのは事実だな」

「あっそ」

 

適当に返して、視線を逸らす。

何とも表現しづらい空気の中、クレアはそういえばと小首を傾げた。

 

「クロスベルはどうなのですか?」

「帝国領に編入されてから日が浅いからな。情報局特製のプロパガンダを流してるが、どうにも効果が薄くて困ってる。黒月と共和国が邪魔してやがるんだろうよ」

「ロックスミス機関ですか」

「そう、それ」

 

共和国の国家元首ロックスミスが設立した情報機関。大統領直属の機関として帝国軍情報局に勝るとも劣らない予算と人員が与えられており、情報戦を制する為に、クロスベル市の水面下で幾度となく争っていた。

 

「クロスベルはルーファスに任せてある。問題なかろう」

「あの麒麟児さんでもクロスベルが安定するのは年末にもつれ込むかもって話だけど、どうすんだ?」

「ルーファスが手を焼く事態ともなると、特務支援課が元気に動いているか」

「ああ。始末するなら準備するけど?」

「これもルーファスの良い経験となろう。情報局は手を出さなくていい」

 

昨年末、特務支援課が成し遂げた偉業を思い起こす。

クロスベル市解放作戦を成功させ、レクターにもわからなかった一連の黒幕の正体を暴き、最終的には人工的に造られた至宝に打ち勝ったのだ。

 

「アイツらを甘く見ない方がいいぜ」

 

あくまで善意のつもりで忠告する。

心の底では吠え面かけばいいのにと思いながら。

 

「わかっているとも。彼らが数多の壁を乗り越えてきた将来有望な若者だとな。それでも——」

 

確信を持って、鉄血宰相は告げる。

 

「このギリアス・オズボーンを打倒する可能性が有るとすれば、黒緋の騎士ぐらいだろう」

「灰色の騎士様はどうなんだよ」

「未熟に過ぎる。今のままでは期待できんな」

「相変わらず厳しいこった」

 

実の父親と思えない台詞に顔を強ばらせる。

いや、息子相手だからこそ厳しいのだろうか。

辛辣すぎる評価は期待の裏返しと受け取ることもできる。リィンからしてみれば迷惑なことこの上ないだろうが。

 

「——黒緋の、騎士」

 

隣でクレアが低く呟いた。

見慣れた同僚の姿に、レクターは眉を顰める。

半年前からだろうか。クレア・リーヴェルトがフェア・ヴィルングの名前と存在を認識しないようになったのは。

彼女にとって最愛の存在だった筈だ。弟みたいなものですと否定していたが、レクターからしてみればもどかしくて仕方なかった。

お似合いの二人だと思った。言葉巧みに嗾けてしまえば、翌日にでも結婚するんじゃないかと邪推してしまうほどに。

なのに——。

喧嘩ではない。

記憶の改竄にしても稚拙に過ぎる。

残った可能性としては、七至宝のような超常現象に因る認識の阻害だろうか。レクターの優れた勘も、それがほとんど正解だとお墨付きを出している。

しかし、己に宿った特異な能力で答案を導いたとしても無意味だった。本当に七至宝が関与しているなら、レクターに解決方法など無いのだから。

無力感から唇を噛み締めるレクターと裏腹に、鉄血宰相は悠揚迫らぬ態度で言葉少なく述べる。

 

「リーヴェルト少佐、任務帰りに申し訳ないが、ラマール州南西部に向かって欲しい」

「ラマール州南西部、ですか」

「猟兵らしき怪しい人間を見たという報告が相次いでいてな。東部に駐屯している第八と第九師団にも既に伝達してあるが、鉄道憲兵隊の方が迅速に動けるだろう」

「第八と第九師団が動いているなら、妙日中に解決するのではありませんか?」

「かもしれぬな。だが、高位猟兵が動いているとなると厄介だ。造船所の件もある。此処は君に動いてもらえると助かる」

「了解しました」

「アウロス海岸道に出没すると聞く。吉報を待つ」

「はっ。それでは失礼致します!」

 

教本に載りそうな敬礼を後に、クレア・リーヴェルトは部屋から立ち去った。生真面目な彼女のことだ。その足で帝都駅へ向かい、ラマール州行きの列車に乗るのだろう。

足音が遠ざかった事を確認したレクターは沈黙を破った。

 

「どういうつもりなんだよ。ラマール州に高位猟兵なんていねェぞ。それともなにか、情報局にもない情報でも持ってんのか?」

 

赤い星座は結社に協力している上、西風の旅団も七の相克が開始されるまで大人しくする約束だ。それら以外の猟兵団が帝国内で活動しているという報告は一切ない。

もし仮に高位猟兵がラマール州を根城にしていたとしても、一個師団の兵力だけでお釣りが出るだろう。

わざわざクレア・リーヴェルトを動かす理由などない。

レクターは机を叩いた。何が目的なんだと問い質すも、彼の気迫など微塵も届いていないのか、鉄血宰相は涼しげな表情で答える。

 

「私はキッカケを与えたに過ぎんよ。乗り越えるのか、逃げ出すのか。それを決めるのはクレア本人だ」

「アイツが脆い事は知ってるだろ」

「知っているとも。ミリアムの件でより脆くなってしまった事もな」

「だったら!」

「クレアに必要なのは時間でも、ましてや慰めでもあるまい」

 

その通りだ。

ミリアムを見捨てたという罪悪感と、愛する人を認識できないという矛盾によって、遅くとも数ヶ月以内に彼女は壊れてしまうだろう。

 

だから——。

 

 

「後は、黒緋の騎士に任せるとしようか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

七耀暦1205年8月25日。

リベール王国との交渉を無事に終えた翌日、俺はテスタ=ロッサに搭乗して、ラマール州南西部に単身出向いていた。

皇帝陛下から戴いた封筒に、この地に聖獣の墓所である霊窟が築かれていると記載されていたからだ。

緋の騎神に乗っているとはいえ、単独で動くのに反対する人々も当然ながら存在した。アルフィン殿下を筆頭に、ヴィータさんやミルディーヌたちである。

アルフィン殿下は私も連れていけと抱き着いて離れず、ヴィータさんは万が一の為にも魔女が同行するべきだと譲らず、ミルディーヌは危険かもしれない場所に一人で飛ぶ込むなんて馬鹿なんですかと蔑んでいた。

 

「アルフィン殿下たちに悪いことしたかな」

『ソウ嘆クナ、我ガ起動者ヨ。仕方ナイ事ダ。大地ノ聖獣ハ酷ク人見知リスル。他ノ人間ガイテハ姿ヲ顕サナイカモシレナイ』

「聖獣でも人見知りするんだな」

『マァ、大地ノ聖獣ガ特別ナダケダ』

 

いずれにしても。

単身でも特に問題なかった。

飛行艇に到達できない高高度を移動すれば、帝国軍の哨戒網に引っ掛からずに済む。現に飛行艦隊はおろかレーダーにも感知されず、アウロス海岸道にまで辿り着けた。

そして、捜索すること一時間。目的の物を見つけた。

 

「テスタ=ロッサ、あれか?」

『ウム。見覚エノアル霊窟ダ。アレデ間違イアルマイ』

 

大地の聖獣がいるとされる霊窟は、まるで何者かから隠れるようにして聳え立っていた。にも拘らず、緑色に明滅しているのはどういう理由だろうか。

 

「墓所っていうよりは、祭壇だな」

『慧眼ダナ。1200年前ハ祭壇ダッタ』

「何の為の?」

『ソレモ大地ノ聖獣ガ教エテクレル筈ダ』

 

緋の騎神を霊窟の近くに着陸させる。

近くで視認すると、霊窟の入口は大の男が通れる程度の大きさしかなかった。ぱっと見た感じ2アージュほどだろうか。

全長20アージュを誇るテスタ=ロッサが進入するのは物理的に不可能である上、断行したら霊窟そのものが崩壊してしまう。

墓所が破壊され、嘆き悲しむ聖獣の姿が目に浮かんだ。

騎神から降りる。

頬を撫でる夏の潮風が心地良い。

風に靡く髪を片手で押さえながら悩む。

テスタ=ロッサを此処に放置していいものかと。

 

「我ガ起動者ヨ、安心スルガ良イ」

 

緋の騎神は落ち着いた様子で続ける。

 

『地下ニ広イ空間ガアル。大地ノ聖獣モ其処ニイルダロウ。後デ転移ヲ使イ、呼ビ出シテクレレバ良イ』

「わかったよ。後で呼び出す」

 

霊窟の扉に手を掛けて、そして——。

 

 

 

 

「——緋の騎神に、黒緋の騎士。どうして貴方が、此処にいるの?」

 

 

 

 

懐かしい声音に釣られて、反射的に振り返る。

クレアさんが導力銃を片手に、呆然と立ち尽くしていた。

 

 

 

 

 

 

 









大地の聖獣「陰キャです。どうぞよろしく」










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