黒い闘争と黒い混沌に絡まれた件   作:とりゃあああ

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五十八話 因小失大

 

 

 

 

 

 

 

「それは此方の台詞です、リーヴェルト少佐。貴女ほどの軍人がこんな寂れた場所に何の用でしょうか?」

 

俺は霊窟の入り口に凭れ掛かる。

無表情を保ちつつ、抑揚の無い声音で尋ねた。

 

「————」

 

クレアさんは微動だにしない。

瞬きはおろか、呼吸さえも止めている。

静止した彼女は俺の名前を呼ぼうとせず、得物である導力銃を突き付けようともせず、まるで地面に縫い付けられたように硬直していた。

当然だ。そうでなければ困る。

焔の聖獣に頼んだのは他ならぬ俺だからだ。

クレア・リーヴェルトは、フェア・ヴィルングという存在を認知できない。互いを視認できる距離にいたとしても、彼女の美しい紫紺の双眸には俺の顔が黒く塗り潰されている筈だ。

 

「皇城でお会いした時も思いましたが、無口な方なんですね」

 

三週間前、皇城で声を掛けられた時は驚愕した。まさか自力で認識操作を解いてしまったのかと動揺したが、特に俺を知っている様子もなく、短い問答を交わすだけで済んだ。

ロゼ曰く、巨イナル黄昏において緋の騎神及びその起動者は極めて重要な因子である。それらがかろうじて認知されているだけに過ぎず、フェア・ヴィルングという存在を認識できないのは変わっていないだろうとの事。

 

「————」

 

クレアさんは一歩後退った。

導力銃を持つ手は小刻みに震えている。

寒さからか。恐怖からか。

単純に疲労からかもしれない。

三週間前と比べても顔色は悪く、頬はこけて、倦怠の影が瞼を覆っている。控えめに表現しても健常者と思えない顔付きだった。

対共和国侵攻作戦である『大地の竜』作戦が刻々と迫っている以上、クレアさんの所属する鉄道憲兵隊の業務内容を考慮すれば、言わずもがな多忙極まる身の上だろう。

満足な休養を取れていないだけならいいのだが。

尤も、たとえ他に要因が有るとしても、既にクレアさんと袂を分かった俺に出来るなどなにもなかった。

 

「——ッ!」

 

クレアさんは踵を返した。

俺が何かを言う前に、脱兎の如く逃げ出した。

走り去る音を耳にしながら、俺は青く彩られた空へ視線を向ける。白い岩で形成された自然の屋根から射し込む陽光に少しだけ目眩を感じた。

 

『我ガ起動者ヨ、追ワナクテ良イノカ?』

 

最早聞き慣れた機械音声、無機質なそれが耳朶をくすぐる。

テスタ=ロッサなりの気遣いなのだろうが、俺は軽く頭を振った。

 

「仕方ないだろ。クレアさんを巻き込む訳にいかない」

『巻キ込ミタクナイ、カ。成ル程、契約者ヨリモ大事ナ女性ナノダナ』

 

いや、単に鈍いだけかもしれない。

 

「優劣を付けてる訳じゃないよ。ただ、クレアさんには今までのループで何度も迷惑を掛けたからな」

 

二人の違いは僅か一つ。

邪神に目を付けられたかどうかだけ。

アルフィン殿下は『外なる神』に関心を持たれてしまった。わざわざ取引を求められるほどに。その取引自体に俺が関与しているとしても、邪神はアルフィン・ライゼ・アルノールを一己の生命体として認知したといえる。

アルフィン殿下は第三者から当事者に変わった。いつ何時『外なる神』の悪意に晒されるかわからない立場になった。

何があろうとも傍で護らなければならない。

それが、大切な主君を終わらない地獄に誘ってしまった俺の責任であった。

 

『我ハ人間ノ全テヲ理解シテイナイガ、迷惑ダト直接言ワレタノカ?』

「言われてないけど、クレアさんは優しい人だから」

『察スル、トイウモノダナ』

「死なせた事がある。俺を助ける為に、拷問されて廃人にさせてしまった事も。クレアさんのあんな姿を見るぐらいなら、俺を忘れてくれていた方がマシだ」

 

俺は拷問されるのに慣れている。

ループで幾度となく体験したからだ。

肉体的な痛みなぞ我慢すればいい。歯を食いしばれば耐えられる。そもそも痛いと感じるのは最初だけ。時間が経つにつれて痛覚は消えていく。いつしか慢性的な眠気に襲われるようになり、気付けば心臓は動きを止めていて、物言わぬ骸に成り果てている。その程度の物だ。

だが、他人が拷問されている光景は直視できなかった。

激痛に絶叫する声。助けを求める声。数多の獣に犯される声。赦しを乞う声。身代わりになった事を後悔する声。死を欲する声。喉が潰れて、それでも嘶き、絶望と失意から廃人となり、昏い目を携えて息を引き取るクレアさんの姿などもう見たくなかった。

今度は、正気を保てる自信がなかった。

 

『廃人カ』

「どうした?」

 

テスタ=ロッサは片膝を付いて、まるで俺と視線を合わせるような前屈みの状態となり、事務的に言葉少なく言った。

 

 

『アノ娘、一月モ経タズニ廃人トナルゾ』

 

 

は?

 

「——まさか、そんな訳ないだろ」

 

騎神の冗談を素気無く一蹴する。

こんな話題じゃなかったら笑ってやるのに。

むしろ反射的に怒鳴らなかった俺を褒めてほしいぐらいである。

 

だが——。

 

『間違イナイ。我ガ起動者ニ対シ嘘ヲ述ベル理由ガナイ』

「確かに体調は悪そうだったし、これからより一層忙しくなるだろうけど。そもそも、巨イナル黄昏が始まってから廃人になる事なんて一度も無かったぞ」

『体調デハナイ。ヨリ根本的ナ話ダ。気付カナイカ?』

 

どういう意味だろうか。

口振りからして拷問や尋問の類ではない。

思考が疑問に追い付かず、答えを出せない俺を見兼ねたのか、テスタ=ロッサは静かな口調で続けた。

 

『アノ娘カラハ人間ニ必要ナ物ガ、生キル為ニ最モ大事ナ物ガ欠ケテイル』

 

即ち。

 

『闘争トイウ概念ソノモノガ、アノ娘カラ喪失シテイル。我ガ起動者ヨ、思イ出シテ欲シイ。クロスベルデ貴方ハ何ヲ決断シタノカヲ』

 

そんなもの、わざわざ思い出すまでもない。

初代ローゼリアの提案を飲んだ。アルフィン殿下とクレアさんを地獄に付き合わせない為に、飲む以外の選択肢はなかった。

結果として、アルフィン殿下は深く傷付いた。もしかしたらあの一件のせいで、邪神に興味を持たれた可能性さえある。許されざる大罪だ。鉄血宰相の後押しがなければ、俺はアルフィン殿下の手を再び握れなかったに違いない。

だが、クレアさんの件は間違っていないと思う。

愚かにも他者の心を独断で組み換えた挙句、身勝手な幸福を望むことが傲慢の極みだとしても、それこそがクレアさんを巻き込まない最善の一手だと焔の聖獣も太鼓判を押していたのだから。

本当にそうだったか?

脳裏を過ぎる疑念の声を振り払うように、俺は初代ローゼリアの言動を思い返した。

 

 

——あの小娘なら大丈夫だと思うがな。良くも悪くも普通すぎる。勿論、油断できぬが。それにあの娘に宿っているのは混沌ではなく闘争じゃ——

 

——イシュメルガに関与したくないが、致し方あるまい。闘争を掻き消そう。お主の存在価値を無にする。そうすれば近寄ってこん——

 

 

聖獣の発言を反芻して、ようやく気付く。

巨イナル黄昏が開始された夜、黒の分体たちに教えられた事が真実なら、クロスベルで遭遇した初代ローゼリアは呪いに蝕まれた状態だった筈だ。

つまりは正気でなく、黒の騎神に加勢する存在だったと考えられる。それらの条件を加味して、初代ローゼリアの言葉を改めて吟味してみると、奇妙な点が複数浮かび上がってきた。

待て。

落ち着け。

冷静になれ。

この世界線で廃人になるとしても、輪廻に囚われなければ大丈夫じゃないか。

咄嗟にそう考えてしまう自分を殴りたくなった。馬鹿野郎が。このループで全てを終わらせると鉄血宰相に誓ったばかりだろうに。

俺の下した選択によって、幸せを掴み取るべき女性が廃人になったままで良いのか。人間らしい生活を送れない状態にしても後悔しないのか。

愚問だ。

悔やむに決まっている。

 

「テスタ=ロッサ、どうしたらいい?」

『生キルノニ必要ナ量ノ闘争ヲ戻ス他ナイナ』

 

間を置かずに解決策が返ってきた。

喪失してしまったなら補充してしまえという単純な解法だが、それが可能か不可能なのか、出来るとしてもどうやって補填するのか、俺には皆目見当も付かない。

 

「戻せるのか?」

 

先ずは実行可能なのか問うと、テスタ=ロッサは首を捻った。

 

『巨イナル黄昏ニヨリ、帝国全土デ闘争ノ渦ガ巻キ起コッテイル。何モ問題ガ無ケレバ、アノ娘ニモ闘争トイウ概念ガ供給サレテイル筈ナノダガ』

 

そうなる事を見越して、テスタ=ロッサは今まで口を噤んでいたと言う。己の起動者、つまり俺を不安にさせないために黙っていたらしい。

呪いの中心地たるエレボニア帝国のみならず、ゼムリア大陸全土に波及した膨大な闘争に身を投じていれば、クレア・リーヴェルトは喪失してしまった『生きる為に闘う力』を早晩取り戻すだろうと踏んでいたから。

その予測が正しいと仮定した場合、有り得ざる事態に発展した原因は自ずと限られていた。

 

「黒の騎神が絡んでいそうだな」

『ウム。十中八九、黒ノ仕業ダロウ。アノ娘ヲ使ッテ何カ企ンデイル可能性モアル』

 

邪神に負けず劣らず、黒の騎神も碌なことをしないな。巨イナル黄昏が発動している現状、エレボニア帝国に限ってしまえば『外なる神』よりも黒の騎神の方が厄介なのかもしれない。

 

「とにかく、黒の騎神をどうにかしないといけないのか」

 

厄介だなと舌打ちした瞬間、突如禍々しい気配を感じた。背中を走る疼痛に自然と身体が強張る。

気配は北西。距離にして3セルジュ強か。

岩石で形成された屋根へと跳躍する。右手に宝剣を携えながら北西へ視線を向けると、其処には天高く聳える漆黒の光が出現していた。

光の柱の周囲では紅い稲妻が絶え間なく閃くものの、天地を切り裂くような雷鳴はついぞ聞こえなかった。

自然現象ではない。

人為的な物だとしたら規模が大きすぎる。

 

『強イ闘争ノ力ヲ感ジル。黒ノ仕業ダナ』

 

テスタ=ロッサの侮蔑を含んだ声が聞こえる。

誰の仕業かさて置き、無視する訳にもいかない。

場所とタイミングから考えて、クレアさんに無関係とも思えなかった。

 

「クレアさんに関係あるかもしれない。確かめてくる」

『待テ、我ガ起動者ヨ。一人デ行クツモリカ?』

「地図が正しければ、黒い光の根元には深い洞窟がある。騎神が入れるような場所じゃない。危なかったら直ぐに呼ぶ」

『承知シタ』

 

緋の騎神をこの場に残し、俺は黒い光へと走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

今すぐ遠くへ逃げなければならない。

そんな強迫観念に背中を押されて、果たしてどれほど走り続けただろうか。

悲鳴をあげる肺と心臓に鞭を打ち、縺れそうになる足を叱咤して、クレアはがむしゃらにアウロス海岸道を駆け抜けた。

導力銃を仕舞うことも忘れて、行く宛もなく疾走を続けた。

 

「ハァ、ハァ、ハァ——ッ!」

 

現役の軍人と思えない体力の無さ。

酔い潰れた人のような覚束無い足取り。

情けなくて、勝手に嗚咽が漏れてしまう。

右手で乱暴に涙を拭うと、通行止めの看板が目に入った。アウロス海岸道の終点。この先は危険な魔獣が多数出没すると聞く。休めばいいのに、身体は勝手に動き出した。

どうして脇目も振らずに逃げているのか、それさえ理解できないままに。

 

「私は、ただ閣下の命令通りに!」

 

クレアは鉄血宰相の命令に従い、ラマール州で暗躍しているという猟兵の痕跡を探していた。

猟兵という立場上、彼らは付近の街や村で寝泊まりしない。治安維持を目的とした警察相手なら絡まれても返り討ちにできるだろうが、正規軍という巨大な武力には太刀打ちできない。故に人気の無い場所、たとえば山岳や森林、もしくは峡谷などで野営するのが猟兵の常識であった。

今回も例外ではない。

クレアは早朝から動き出した。五感全てを研ぎ澄まし、そこに経験と推測を加え、人の痕跡を探し出す。

慣れてしまえばそれほど難しい事ではない。

焚火や足跡、また狩りの跡も重要な手掛かりになる。魔獣や獣と異なり、人間が狩りを行えば必ず何かしらの痕跡を残す。そこから得た情報を元にして、野営している場所、人数、練度を導き出すだけだ。

昼までに複数の痕跡を見つけよう。

そう息巻いていたが、太陽が中天に差し掛かる時間になっても猟兵の残痕は何一つ見つからなかった。

何かがおかしい。途方に暮れたクレアは、アウロス海岸道で頻繁に出没するという鉄血宰相の言葉を思い出した。地元の人間もよく通る道を猟兵が使うわけないと頭から追い出していたが、何も痕跡が発見できない以上、クレアは藁を掴む想いで海岸道へ足を向けた。

——そして、出会った。

緋の騎神と黒緋の騎士に。

 

「なんで、どうして」

 

奇妙な建物の扉を開けようとしていた黒緋の騎士が緩慢な動きで振り返った。

その相貌は黒く染まっていた。まるで黒色のペンキで無造作に塗り固められたように。姿形もはっきりしないのに、低く艶のある男の声だけが鮮明に海岸道へ響いた。

尋ねたいことが山ほどあった。

三週間前、皇城バルフレイム宮で聞けなかった事を問おうとした瞬間、クレアは身を翻して逃げ出していた。

理性は踏み留まれと命じているのに、本能は足を止めるなと警鐘を鳴らしていた。黒緋の騎士と対峙するなど無謀極まりない。一刻も早く、1アージュでも遠く離れろという『誰かの声』に従い、クレアは魔獣の屯する獣道を進み続け、そして辿り着いた。

 

「洞窟?」

 

高さは4アージュ。

幅は導力車が通れる程度。

太陽の光が届かない洞穴は、まるで新月の夜のように薄暗い。声の反響具合から推測するに、2セルジュ以上に渡って空洞が続いているだろう。

わざわざ意味もなく洞窟に入る趣味などない。

クレアは身体を反転させ、元来た道を帰ろうとした。

 

 

『ヨコセ、ヨコセ』

 

『我ノモノダ、スベテ』

 

『アァ、心地ヨイ』

 

 

脈絡もなく、声が聞こえた。

この世全ての悪意を凝縮したような不気味な声に囁かれたクレアは即座に耳を塞いだ。

洞窟の壁に身体を預け、目を強く瞑る。

どうか幻聴であってくれと空の女神に祈った。

 

 

『ヨコセ、ヨコセ』

 

『我ノモノダ、スベテ』

 

『緋モ、アノ者ニ眠ル緋イ死モ』

 

 

だが。

祈りは容易く裏切られた。

黒い煙が全身に纏わり付く。

気付けば足下に紅蓮の華が咲いていた。

 

「どうして、足が勝手に——!」

 

身体が言うことを聞かない。

一歩一歩、ゆっくりと洞窟の奥へ進んでいく。

黒い煙が肉体へ染み込む度に、耐え難い頭痛に襲われる。脳に直接針を刺されたような痛みの時もあれば、金槌で思いっきり殴られるような痛みの時もあった。

何が起きているのか。

この薄気味悪い声は誰なのか。

一体私はどうなってしまうのか。

一つとして理解できないまま、クレアの意識は朧げになっていく。

 

「——嗚呼、どうして私は忘れていたのか」

 

ただ、彼女は笑っていた。

頭が割れそうな痛みに耐えながら破顔した。

これが走馬灯なのだろうか。様々な記憶が蘇ってくる。

小石に躓き、地面に倒れたクレアは愛する男の顔を思い出して微笑んだ。

 

 

「————ごめんね、フェア」

 

 

 

 

 

 

黒の思念体は、人の無様な足掻きを嘲笑った。

 

『我ニ使ワレルコト、光栄ニ思ウガ良イ』

 

 

大地の聖獣は、人の強い抵抗を褒め称えた。

 

【良くやった、小さき者よ。流石はアルスカリの愛した女だ】

 

 

 

 

 











蒼の騎神「黒と緋の強い気配を感じる」


緋の騎神「近クニ灰ト蒼ガイルナ」


黒の騎神「こんなところに大地の聖獣がいるとか、俺を選んでくれた起動者から何も聞いてないんですけどォォォォ!!」








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