双葉杏をメルカルで落札した結果   作:栗ノ原草介@杏P

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 第4話 『あんず色の青春』

 

 

 

 原宿できらりと別れた凡人(ぼんど)は、そのまま自宅へと向かった。

 スマホの電源は落としたままだ。

 今は社長と話せない。きらりの件をどうするべきなのか整理がついていない。

 

 ――明日、事務所で直接話をしよう。

 

 そう思って、電車に揺られること一時間。

 車窓から見えている景色が山っぽくなってきたところで、凡人は電車からおりた。

 彼が住んでいるのは893プロの社宅で、家賃は月に一万円。すごく安くて助かるのだが、都内からだいぶ距離がある。

 駅のホームを見渡せば、登山の格好をしている人がいる。

 

 ――そうだ。杏ちゃんに何か買っていこう。

 

 心の中でつぶやいて、凡人は無意識に微笑んでしまう。登山リュックを背負うおじさんが怪訝な顔で見ていたが、それには気付かず、跳ねるような足取りで駅前のスーパーへと向かったのだった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「ただいまっ!」

 

 自宅のアパートへ帰りついた凡人(ぼんど)が元気な声を出す。その両手にスーパーの買い物袋を持っている。

 

「……ん、おかえりぃ」

 

 眠そうな声で応えた杏は、座椅子に座ってこたつに足を入れている。

 

「くはぁっ!」

 

 凡人はビニール袋を手放し、崩れ落ちるように両膝をついた。

 

「えっ、ちょっ、どうしたの!?」

「いや、その……。〝おかえり〟って言ってくれる杏ちゃんが、尊くてっ!」

 

「…………」

 

 嫌そうなジト目を向けられてしまう凡人だが、それもまた彼の琴線を刺激する。嫌がっている顔も可愛いという奇跡を目の当りにして、涙腺がほどけそうだった。

 

「ところで、ぼんどって、あんまりスマホとか使わない人?」

「……え?」

「ライン、見てないでしょ?」

「ライン……?」

「そー。送ったのに既読つかないんだもん」

 

 ――杏ちゃんからのライン!? 俺のスマホにッ!?

 

 凡人は慌ててスマホを取り出して電源を入れた。

 社長からの着信が十件あって、ラインメッセージもたくさん。

 見ているだけで胃が痛くなる通知の中に、杏からのラインメッセージがあった。

 

杏ちゃん:今日はお寿司が食べたいな。

 

「ごめんっ、杏ちゃんッ!!!!!!!!!!!」

 

 凡人はその場で土下座する。

 

「今日、理由(わけ)あってスマホの電源を切ってて――。そのせいでラインに気付くことができなかったんだ。杏ちゃんのメッセージに即レスできないなんて……俺はファン失格だ!」

「いや、そんなに謝らないでよ。ラインの内容、ただの杏のわがままだし」

「杏ちゃんのわがままに振り回されるとか、最高のご褒美イベントが発生していたのに、俺ってやつは……」

「わがままならいくらでも――って。ちょっ……、泣いて……!?」

 

 凡人は込み上げる悔し涙をぬぐって、スマホを操作する。

 

「お寿司だよね、杏ちゃん。いま、特上のやつを頼むから!」

「――でも、その袋。何か買ってきたんじゃないの?」

 

 そう言って凡人の持ってきたビニール袋へ目を向ける杏。

 

「あぁ。これは……シャンプーとか、歯ブラシとか。杏ちゃんに必要な日用品を買ってきた。あと、なんかキャンペーン中みたいで、飴が」

 

 シャンプーは店で一番高いやつを買った。キューティクルがすごいことになるらしい。

 歯ブラシと一緒に歯磨き粉も買った。芸能人は歯が命――という宣伝で有名なやつ。

 それにくわえて、勇気を出して買ったものが、あと二つ。

 

「じゃー、とりあえず飴をもらおうかな。お腹すいちゃった」

「お昼、食べなかったの?」

 

 お腹がすいたら昨日のピザを食べるように言ってある。レンジの使い方もちゃんと教えた。

 

「いやー、なんかめんどくて。ずっとこたつでだらだらしてた」

 

 座椅子から立ち上がった杏が、だるそうな足取りで近づいてきて、袋から飴を取り出した。それはピンポン玉ぐらいの大きな飴で、彼女の頬がぽこっと膨らんだ。

 

「……杏ちゃん。飴がすっごい似合うねぇっ!」

「ほれ、ほめこほばじゃないよね?」(それ、褒め言葉じゃないよね?)

「はぁ……、尊えなぁ……」

「ねへ。ひほのはなひきひてる?」(ねえ、人の話聞いてる?)

 

 飴で頬を膨らませている杏を眺めて(えつ)()り、凡人はスマホで寿司を注文しようとする。

 

「あっ、まっへ!」(あっ、待って!)

「ん? 寿司、だよね?」

「ほうらへど、わらひをぬいてほひいんら」

「たどたどしい言葉で何かを訴えかけてくる杏ちゃん。可愛すぎかよぉ……!」

「むぅー……」

 

 杏はもどかしげに眉根を寄せて、自分のスマホを取り出した。その画面に指を走らせた。

 シュポっと、凡人のスマホからラインの着信音がする。

 

杏ちゃん:わさび抜き

 

「くはぁ!」

 

 凡人は衝撃を受けてその場に倒れこむ。

 

「子供舌な杏ちゃん、可愛いよぉ……。お寿司はワサビ抜きとか、お子さま可愛い! はぁ……、尊てぇ……。尊てぇなぁ!」

「…………」

 

 飴で頬を膨らませている杏にぽこっと叩かれて、それでも凡人は満面の笑みを絶やさなかったのだった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 出前のお寿司がやって来た。

 杏は偏食をするようで、あなごと大トロとたまごだけを食べて満腹になった。

 今日は食べかけを残すようなことはしなかったので、聖遺物(せいいぶつ)は発生しなかった。

 

 ――そしてやってくるお風呂タイム。

 

「杏ちゃん。さっそく買ってきたシャンプーを使ってほしい。キューティクルがすごいことになるんだって。さらにキュートになっちゃうね、杏ちゃんっ!」

「ん……」

 

 食べて眠いのか、杏の反応は鈍い。

 

「それから、これも――」

 

 凡人(ぼんど)はおずおずと、床に置いてあるスーパーの袋に手を入れた。

 

「サイズわかんなかったから、とりあえず全種類買ってみたんだけど……」

 

 それは、パンツ。

 もっと上品にパンティーというべきか?

 呼び方はともかく、凡人は杏用の下着を買ってきた。駅前のスーパーで、意を決して下着売り場へ行って、全部のサイズを一つづつくださいと言った。

 店員のおばさんが疑うような眼差しを向けてきたので、『ふぃ、フィルターとして使うんです』と口にした。〝何のフィルターだよ!〟とツッコまれるかと思ったが、おばさんは『そ、そう……』と露骨に引いた口調で言って、それ以上関わろうとはしなかった。

 

「じゃあこれ、もらうね」

 

 杏は一番小さなサイズの下着を手に取って、風呂場へ向かおうとする。

 

「待って杏ちゃん。これも――」

 

 続いて凡人が取り出したのはブラジャーだ。

 杏が隠れ巨乳である可能性を考慮して、Aカップ~Dカップに相当するサイズのものを一つずつ買った。

 やはり店員が怪訝な顔で見てきたが、『新年会で女装することになっちゃって……』と言い訳をすると、パンティーをフィルター扱いした時よりは、普通の顔で対応してくれた。

 

「――あのさぁ、ぼんど」

 

 床に並んだブラを見おろし、杏が「はぁ……」とため息をついた。

 

「必要だと思う? 杏に」

「そりゃあ、いるでしょ。女の子だし」

「そういうことじゃなくてさ……。見て分かんない?」

「え……? 何が」

 

 じっと見つめる視線の先で、杏は自嘲するかのように胸を張り、

 

「つけてないよ。っていうか、つける意味ないし」

「なっ……!」

 

 つけてない。

 それはつまり、ノー、ブラ……?

 

「じゃあ、杏はお風呂に入るから」

「ちょ、ちょっと待って!」

 

 凡人は咄嗟に杏の手を掴んでその場に引きとめる。

 

「……痛いよ」

「あっ、ごめん」

 

 凡人は慌てて手を離し、杏の前に回り込む。

 

「杏ちゃん、その……、ノーブラはまずいでしょ? ち、乳首? ――が、黒くなるって噂もあるし」

「それ、たぶんデマだよ。なってないもん」

「でも、アイドルがノーブラとか、それはさすがに……」

「別に、これからステージに立つわけじゃないし」

「それはそうだけど、でも、その――」

 

 凡人は強く目をつぶり、恥ずかしさをこらえながら――

 

「俺が、ドキドキしちゃうからぁっ!」

 

 事実、ノーブラの話を聞いてから、凡人は杏を直視することができない。

 

「……え。ちょっと待って。それって――」

 

 杏は猜疑心(さいぎしん)を持った探偵のように、アゴに手を添えて凡人のことをじっと見る。

 

「ぼんどは杏のことを、〝女〟として見てるって、こと?」

「……? そりゃあ、そうでしょ。だって杏ちゃん。女の子だし」

「いや、そういう意味じゃなくて、その……。恋愛対象としてみてるのかって、ことなんだけど」

「…………?」

 

 杏はもどかしげな眼差しを凡人へ向けながら、

 

「ほら、杏はマスコット的存在だから、そういう対象にはならないでしょ? 実際、可愛いって言われることはあるけど、ガチ恋? ――とかされたことないし。だから、ぼんどもそうでしょ? 好きなのはアイドルの私で、そうじゃない私は――」

 

 凡人は大きくかぶりを振って、真正面から杏のことを見て、

 

「俺はぁ……、アイドルの杏ちゃんも、そうじゃない杏ちゃんも、大好きだ!」

 

 それはもう、ほとんど無意識に。

 自分で自分を抑えることができなくなって――。

 積み上げてきた杏に対する気持ちを口にしてしまう。

 

「リトルリドルでデビューした杏ちゃんを見た時に、衝撃を受けた。ずっとアイドルは好きだったけど、その気持ちとは違う。もっと純粋に、好きなんだ……。双葉杏という女の子が、どうしようもなく、好きなんだよっ!」

 

 はぁ、はぁ……。

 たかぶる気持ちを口にして、少しだけ冷静になって。

 そして凡人は、壮絶な気まずさを感じて青ざめる。

 

「あ――」

 

 俺、もしかして、〝やっちゃった〟んじゃ……。

 

 勢い余って告白をした。

 冗談っぽい感じじゃなくて、ガチのやつ。

 アイドルにそういうことをするのはファンとしてやっちゃいけないことだし、十八歳の女の子にガチ告白をする二十五歳の男ってのもやばい。

 

 ――嫌われた……。今度こそ絶対に、嫌われた!

 

 きっと杏は気味悪がって、スマホを取り出し110番。

 未成年誘拐で前科がついて、親に泣かれて、早苗さんにシメられる。

 

「え、えっと……。と、とりあえず、杏はお風呂、入るからっ」

 

 しかし聞こえた杏の声は、覚悟していたものと違う。

 戸惑っているような甲高い声だった。

 そんな場合じゃないのに尊みを感じて悶えそうになる。

 

「杏、ちゃん……?」

 

 ゆっくりと顔をあげた凡人の目に映るのは――。

 

「……っ!」

 

 そそくさと風呂場へ入ってドアを閉める杏。

 その頬は真っ赤で、強く眉根を寄せていた。

 

 ――あの、双葉杏が。

 

 マスコットのような存在だと自称していた彼女が。

 まるで普通の少女のように、照れて恥ずかしがっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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