双葉杏をメルカルで落札した結果   作:栗ノ原草介@杏P

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 第5話 『やる時はやる』

 

 

 

 杏が風呂に入っている間。

 凡人(ぼんど)は部屋の外へ出て、ぼんやりと空を見上げる。澄みきった夜空に浮かぶ月が綺麗で、そういえばそれは文学的な告白の表現であると思い出す。

 

 ――そのぐらい洒落た告白がしたかった。

 

 勢い余って気持ちをぶつけてしまうとか、小さな子供じゃあるまいし……。体ばっかり大人になって、中身が成長できていない。自分が子供の頃に想像していた〝大人〟は、後先考えずに告白したりしない。

 

 ――杏ちゃん。どう思ったんだろ……。

 

 二十五歳のアフロ男から求愛される。それはもう、ちょっとしたホラーなんじゃないかと思う。

 仮に自分が双葉杏で、松平凡人と名乗るアフロ男から告白されたら、どうするか?

 全力で逃げると思う。ツインテールをなびかせて、交番までダーッシュ。

 

 ――でも、嫌そうな感じじゃなかったんだよな……。

 

 心の中でつぶやいて、凡人はすぐにアフロ頭をかきむしる。

 ついうっかり調子にのろうとしていた自分が、瞬間的に死ぬほどムカついた。なんだその、杏ちゃんはまんざらではない――みたいな勘違いは。杏ちゃんは嫌に決まってるだろ。あの照れた表情は彼女の優しさだ。俺を傷付けないように気遣ってくれたんだ。これから少しずつ距離を置かれるから覚悟しろ。もう二度と彼女の半径1メートル以内に――。

 

「ぼんど? 外にいるの?」 

 

 ドアの向こうから声がした。

 凡人はハッとして、すぐにドアノブを掴み、

 

「どうした、杏ちゃん。何かあったの――」

 

 開いたドアの向こう側。

 そこには風呂あがりでほこほこと湯気を出している杏が立っていた。バスタオル一枚を巻きつけているだけの際どさに思わず息をのみ、しかしそれ以上の衝撃に襲われて凡人は思わず指をさす。

 杏の長く美しい金髪が、

 

「ふわっふわぁぁああ――――ッ!」

 

 一本一万円のシャンプーを使った結果だと思う。髪質がまるで違っている。ふわっとふくらみ、キラッと輝く。そしてやって来るいい匂い。

 

「てん……し?」

「天使じゃなくて杏だよ。ぼんどの買ってきたシャンプーのせいで、髪が全然まとまらないんだけど」

 

 ヘアゴムを両手でいじりながら責めるような視線を向けてくる杏。

 凡人はしかし、キラキラと両目を輝かせながら杏の髪を見て、

 

「キューティクルがすごいことになるとは聞いていたけど、ここまでキュートになるなんて!」

 

 それを聞いた杏は、呆れたように「はぁ……」とため息をついて、

 

「言っとくけど、キューティクルとキュートって言葉は関係ないからね? ってか、感心してないでなんとかしてよ。ぼんどのせいでこうなったんだから」

「そんなこと言われても、どうすれば……」

 

 もすもすとアフロ頭をかいた凡人に、杏はヘアゴムを差し出しながらこう言った。

 

「責任、とってよね」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 座布団のうえに座った杏が、凡人(ぼんど)に背を向けている。バスタオル一枚だとさすがにこちらの心臓が持たないので、ちゃんと着替えてもらっている。〝働いたら負け〟という格言がプリントされたTシャツだ。石油ストーブのおかげで部屋は暖かいとはいえ、こんな軽装で寒くないのかなと思う。北海道出身の杏にとって、東京の冬なんてTシャツ一枚で充分というだろうか。

 

「ねー。まだ?」

 

 杏がこちらに背を向けたまま、気だるげな声で急かしてくる。

 

「ち、ちょっと待ってね、杏ちゃん。今、心の準備をしてるから。ちゃんと精神統一をしないと」

「ぼんど、大げさだよ。ヘアゴムで髪をまとめるだけなのに」

 

 凡人は杏の背中を見据え、初めて外科手術に挑戦する医者のように両手を震わせている。

 

「もしかして、女の子の髪、結ったことないの?」

 

 その声の響きに、童貞をからかうお姉さんみたいな声音(こわね)を感じてゾクっとしてします。いや、そんなことを考えている場合じゃない。

 凡人は邪念を振り払い、深呼吸を二回。

 

「大丈夫、やったことあるよ。妹いるから、よくやらされてた」

「じゃあ、なんでそんなに緊張してんの?」

 

 そんなの、杏ちゃんが相手だからに決まってるでしょう! ――と、言ってしまいそうになる凡人だが、ついさっきやらかした告白の余韻がまだこの部屋のどこかにあって、彼女に対するガチの好意を口にすることにためらいがあった。

 下手なことを言うとやぶへびになってしまう。杏から何らかのリアクション――おそらくは拒絶を意味する何か――をされてしまいそうで恐い。せっかくこうして普通に接してくれてるんだから、あの告白は無かったことにしておきたい。

 

「やっぱ素手じゃまずいから、手袋を――」

 

 凡人は立ち上がって押し入れに近づいた。

 杏のグッズとリトルリドルのグッズを漁って、目に付いたそれを手に取った。

 

「こ、これは……二宮飛鳥の指ぬきグローブ! よーし、これをはめれば直接手を触れることなく杏ちゃんの髪を結える――って、指ぬきグローブじゃ意味ないでしょうがっ!」

「……楽しそうだね、ぼんど」

 

 こちらに背を向けたまま、呆れたように言ってくる杏。

 向けられている小さな背中から無言のプレッシャーを感じて、凡人は勢いよく押し入れを閉めて、

 

「ちょ、ちょっと待ってね。たしか、大掃除用に買ったゴム手袋が――」

 

 今度は台所へ行って、流しの下にある引き出しを開けた。そこにあったのは水回りを掃除するための分厚いゴム手袋だ。これなら……。

 

「あのさぁ、ぼんど」

 

 肩越しに振り返った杏が、心底嫌そうに目を細めて、

 

「トイレを掃除する手袋で髪をいじられる杏は、どういう気持ちになると思う?」

「……ごめん」

 

 凡人はゴム手袋を戻し、どうすればいいのか分からなくて途方にくれてしまう。

 

「だから、素手でいいってば」

 

 お馴染みのため息をついた杏が、少しだけ言葉をためらってから、

 

「……別に、嫌じゃないから」

 

 その一言に、凡人は息を止めて杏のことを見る。

 その猫背に曲がった小さな背中からはどんな感情も読み取れないのだが。

 でも、今の言葉は。

 ぶっきらぼうな言い方だけど、だからこそ嘘じゃないような気がした。

 

「じ、じゃあ、手を綺麗にしてから」

 

 凡人は台所へ戻って念入りに手を洗う。

 心臓の音がどんどん大きくなっていく。

 ただ、髪を結うだけなのに。

 生まれて初めて風俗に行った時と同じぐらいに緊張していたのだった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 杏の髪は絹のようにサラサラだった。

 それを慎重に結いあげて、凡人は安堵の息をつく。

 万が一にも引き抜いたり、傷つけたりしないように細心の注意を払った。妹の髪を扱う時の百倍は気を遣った。

 

 ――俺、もう一生両手を洗えない。

 

 凡人が両手に残るふわふわな感触を噛みしめていると、こたつの天板に置いてあるスマホから着信音がした。

 その単調なメロディが、凡人を現実へと引き戻す。

 

「……出なくていいの?」

 

 杏が座布団から座椅子に移動してスマホを掴んだ。

 

「社長だって。出なきゃまずくない?」

 

 画面を確認した杏から言われて、凡人はぎこちなく笑う。

 

「だ、大丈夫。放っておいて」

 

 しばらくすると着信音が鳴りやんだ。

 凡人は杏からスマホを受け取って、電源を切って――ほっとする。

 

「社長の電話を無視するなんて、ぼんどってもしかして悪い社員? 働きたくない人?」

「いや、どちらかと言えば働きたい人かな」

「うへぇ……、そうなの? じゃあ杏とは気が合わないね」

「ハハ、うん。まあ……」

 

 凡人は上の空だった。

 893プロのこと。きらりのこと。

 その二つが頭の中でぐるぐる回転している。

 

「ねえ? 何か、悩み事?」

「い、いや。別に、大したことじゃ――」

 

 咄嗟にごまかそうとして、しかし凡人は口ごもる。

 誰かに話を聞いてもらいたい。相談したい。

 そういう気持ちがすごく強くて、チラッと視線を向けた先で杏は、不愛想ながらどこか温かみのある光を大きな瞳の中に宿しているように思えた。

 

「実は、ちょっとまずいことになってて――」

 

 凡人は話した。893プロが倒産寸前であること。それなのにきらりを新人として迎え入れてしまったこと。社長からは不採用にしろと言われていたのに。

 

「……なるほど。だから社長からの電話をスルーしたわけだ」

「まあ、ただの時間稼ぎなんだけどね。明日までに、何か考えないと……」

 

 口ではそう言いながらも、それが時間稼ぎではなくて現実逃避であると凡人は分かっている。差し迫った問題から目を背けているだけだ。

 

 ――しかし、どうすればいいのか分からない。

 

 893プロはすでに〝詰んでいる〟。こうなる前に対策を講じるべきだった。沈没船を救いたければ、船底(せんてい)に穴が空く前になんとかしなければならない。浸水が始まってから慌てても遅い。

 

「ねえ。杏に任せてみない?」

「え……」

 

 凡人は耳を疑って、どういうつもりなのか杏の顔を見る。

 普段の眠そうな様子はなくて、しっかりと目を見開いている。

 

「事務所、どうにかしないと潰れちゃうんでしょ? それは杏も困るんだよ。だって、ぼんどが無職になったら、養ってもらえないじゃん」

「……あっ、そっか。俺、無職になるのか」

 

 アイドルのことばかり考えていて、凡人は自分のことを失念していた。

 

「そうだよ。事務所が潰れたらぼんどだってやばいんだよ。だから、なんとかしないと」

「それは、俺だって……」

 

 何とかしたいと思うけど、どうすればいいのか。

 凡人はすがるように杏を見つめて、もしかしたらと期待する。

 

「まさか、杏ちゃんがステージに立ってくれるとか!?」

 

 仮にも彼女は一世をふうびしたアイドルだ。リトルリドル時代にはテレビにだって出演している。893プロのアイドルよりは遥かに知名度がある。

 双葉杏がステージに立ってくれれば、あるいは――。

 

「いや、杏は働かないけど?」

 

 即答で否定してきた杏に、凡人はそれでも希望を捨てきれなくて、

 

「……え、違うの? 天使系アイドルとして893プロを救うために降臨してくれるんじゃ?」

 

 彼女はダメ押しとばかりにきっぱり首を振り、得意げなドヤ顔でこう言った。

 

「杏は〝プロデューサー〟として、ぼんどのことを助けてあげるよ」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 翌日。

 凡人はいつもより早い時間の電車で、893プロの事務所へと向かった。

 まだ誰も事務所に来ていない。窓から差し込む朝日が壁に並ぶポスターを照らしている。劇場の出演予定を書き込むホワイトボードがあって、応接スペースのローテーブルにはおいかわ牧場のバタークッキーが置いてある。

 

「さて……」

 

 凡人は応接スペースのソファーに座って、かばんから書類を取り出した。

 昨日はあれから一睡もしていない。通勤途中の電車で寝ようと思っていたが、気持ちが(たかぶ)っているせいで全然眠れなかった。疲れているはずなのにテンションが高い。

 

 ――ギィ。

 

 鉄扉(てつとびら)が開く音がして、スーツ姿の社長が事務所にやってくる。

 

「おう、誰かと思ったらぼんどか。えらく早いな。まぁ、ちょうどええ……。昨日のこと、どういうつもりか話してもらおうか? オレの電話もラインも無視しやがって」

 

 どっかりと向かいのソファーへ腰かけた社長へ、凡人は徹夜で作り上げた書類を差し出した。

 

「……なんやこれ?」

「893プロにしかできない企画です。菜々さん、早苗さん、雫ちゃんとゆっこちゃん。ウチのアイドルを、リニューアルプロデュースします」

「リニューアルプロデュースぅ? そんな言葉、聞いたことないで」

 

 凡人は熱意を込めた視線を社長へ向けて、言い放つ。

 

「うまくいけば、893プロ。立て直せるかもしれません」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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