双葉杏をメルカルで落札した結果   作:栗ノ原草介@杏P

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 第ナナ話 『ハッピーニューウサミン』

 

 

 

 凡人(ぼんど)がリニューアルプロデュースを提案したその日の夜。

 菜々はさっそく、自分のユーチューブチャンネルを開設した。過去にユーチューバーに挑戦した経験があると言った彼女は、凡人がアドバイスをする必要もなく、スムーズにチャンネルを立ち上げてくれた。

 凡人は893プロのHPとSNSで告知をして、少しでも人を集められるようにできる限りのことをする。

 

「まあ、すぐには伸びないと思うけどね」

 

 眠そうな声で言ったのは杏で、今――凡人は自分の家にいる。

 会社で菜々の放送を見守ろうかと思ったが、準備に時間がかかってしまうと聞いたので、帰宅することにしたのだ。

 

「でも、うまくいけば人気が出るんだよね?」

 

 凡人は杏と同じコタツに足を入れて、コタツの上に置いたタブレットを見つめる。その脇にはレンジで温め直したピザがあり、凡人が帰りがけに駅前で買ってきたコーラがコップの中でしゅわしゅわと泡立っている。

 

「人気が出るかどうかは分かんない。杏は、こうしたら面白いんじゃないかなって、意見を出しただけだから。それをどうこうするのは、ぼんどの仕事でしょ? プロデューサーなんだから」

「……ごもっとも」

 

 座椅子に収まっている杏から責めるような視線を向けられて、凡人は肩をすくめてピザを口にする。タブレットの右上にある小さな時計が、放送開始まであと数分であることを告げていた。気持ちが落ち着かなくなって、ピザを持つ手が震えだす。

 

「ぼんどがそんなに緊張してどうすんの? っていうか、緊張する意味ないじゃん」

「そりゃ、そうだけど……。菜々さんが上手くできるかどうか、心配で」

 

 凡人は手に持っているピザを一気に口に入れ、それをコーラで流し込む。

 

「お、始まった」

 

 杏がのんびりと言った。

 凡人は慌ててコップを置いて、コタツに手をついて身を乗り出した。

 

『ウサミン星から生中継。ウサミンチャンネル、始まりましたー』

 

 ユーチューブの画面にウサミン星(千葉)が映り、菜々がニコニコしながら手を振っている。トレードマークのウサ耳を付けてはいるが、洋服は普段着だ。

 あまり着飾らない感じでやってほしいと、凡人は菜々に頼んである。

 このアイドルの私生活を覗き見れる感じが、ファンとしては嬉しい。少なくとも凡人はそう思う。コメント欄にも、菜々の洋服に対する好意的な感想が書き込まれている。

 

『か、可愛い、ですか? ありがとうございます。これ、結構お気に入りなんですよ。近所のしまむら――――――で買えそうな感じですけど、ここはウサミン星なんで、そういうお店はありません。キャハっ!』

 

 ひたいに汗をかきながら自爆をフォローする菜々に、凡人はほっこりしてしまう。この気取らない庶民的な感じが菜々の魅力で、人気を高める起爆剤になると思う。だからこそユーチューブでの自宅配信をリニューアルプロデュースの要に据えた。

 しかしそれは凡人のアイデアではなくて、

 

「……どうかな、杏ちゃん。菜々さん、いけるかな?」

 

 画面から目を離さずに聞くと、杏は少しだけ間を開けて、

 

「まぁ、悪くないと思うよ。親近感あるし、このまま毎日続けていけば、それなりに新規ファンを開拓できるんじゃないかな?」

 

 その評価に、凡人は強張っていた肩から力を抜いた。

 

「そうだよね。いいよね、菜々さん。何かこう、おうちデートしてるような感じがして、テンション上がるよね! 可愛いよぉ、菜々さぁーん!」

 

 ファンのテンションになって歓声をあげる凡人。

 画面では菜々が晩御飯を紹介している。

 

『今日は、肉じゃがと、ご飯とお味噌汁です。普段はスーパーのお惣菜ですませちゃうこともあるんですけど、今日は初めての配信なので、頑張っちゃいました。きゃはっ』

 

「きゃはっ!」

 

 菜々の笑顔につられて凡人も一緒に笑う。

 

 ――これは、予想以上にいいかもしれない。何かこう、バーチャル同棲気分っていうか、そんな感じ。菜々さんとの距離感が近くて嬉しい!

 

『えー、あーんですか? もー、しょうがないですねぇ。じゃあ、一回だけですよ?』

 

 菜々がコメントに寄せられたリクエストに応えて、肉じゃがのお皿に箸を入れた。ちょっと大きめのジャガイモを箸で掴んで持ち上げて、一瞬だけカメラ目線になって、ふーふーと芋に息を吹きかけて、

 

『はい。あーん』

「あぁぁ――ん!!!!!!」

 

 凡人はバーチャルあーんに興奮し、タブレットに向かって大きく口を開けていた。デレデレと照れながらそれをやっているので、第三者視点でみると、まあ……キモい。

 

「あのさぁ、ぼんど」

 

 その声に凡人は杏の存在を思い出す。

 今の一瞬、すっかり彼女のことを忘れていた。まさか杏のことを忘れるなんて信じられないが、それほどまでに菜々のあーんが魅力的だったということだろう。

 効果的なプロデュースをできていることを喜びたくなるが、しかしこの杏から放たれている冷気の正体はなんだろう?

 

「ぼんどはそんなに、菜々のことが好きなの?」

 

 それは、嫌がる感じの声ではなくて。

 責めるような言い方で、ちょっと怒っているような。

 

「杏、ちゃん……?」

 

 凡人が恐る恐る視線を向けると、そこにいたのは――

 見たことのない杏だった。

 不機嫌そうに眉根を寄せて、同様に口を尖らせて。しかし怒りの感情が全てを支配しているのかといえば、そうじゃない。微かに赤くなっている頬には恥じらいの気持ちがあるし、伏し目がちな眼差しをチラリと向けてくる様子は、何らかの理由で拗ねているように見える。

 そしてまだ耳にハッキリと残っている『そんなに、菜々のことが好きなの?』という言葉。

 これらを総合的に考察し、導き出される彼女の感情は、

 

 ――ジェラシー?

 

 いやいやまさか、あり得ない。

 速攻で己の推理を打ち消す凡人だが、考えれば考えるほどにそうとしか思えない。状況証拠が揃っている。

 菜々の配信に興奮する凡人。不機嫌になる杏。

 そこに昨日やらかしてしまった〝ガチ告白〟という事実を加味すれば、彼女が嫉妬の闇に飲まれてむすっとしてもおかしくないような……。

 

 ――っていうか、ちょっと待てよ。

 

 もしも万が一、その仮説が正しいとすると、

 

 ――杏ちゃんが俺のことを〝意識〟している?

 

 いやいや、待て待て。

 相手はあの(・・)双葉杏だぞ。憧れのアイドルだぞ。

 同居三日目にしてちょっと存在に慣れてきて、普通に同じコタツに足を入れてたりするけど、ちゃんと心の底ではわきまえているはずだ。

 

 あくまでも彼女はアイドル。俺はファン。

 お互いにお互いをそういう対象として意識するのはまずい。

 

 勢い余ってガチ告白しといてアレだけど、アイドルとファンっていうのはそういうものだから、そういうふうになるのはまずいわけで……。

 

「まぁ、別にいいけど」

 

 コタツの上で頬杖をついた杏が、不機嫌そうな吐息をついた。

 彼女の気持ちがよく分からない凡人は、下手なことを言ったらまずいと思い、あえて彼女の言葉を聞き流す。

 

『ウサミン星から生配信。今日の放送は、ここまでです。また明日もライブ配信しますので、よろしければチャンネル登録お願いしますね。それでは、おやすみなさーい』

 

 菜々は初めてのライブ配信をやり遂げて、カメラを切るためにマウスをカチカチ操作する。チャンネル登録者数は100人を超えたぐらいで、まだまだ全然少ないが、視聴者はもっとたくさんいるので、続けていれば伸びてくるかもしれない。

 

「一回目にしては、上出来かな?」

 

 凡人は楽観的な笑みを浮かべていたが、杏の表情は険しい。

 タブレットの画面を見つめて、まるで熟練のプロデューサーであるかのような顔をする。

 

「思っていたよりもリアクションが少ないね。これだと、菜々の従来のファンしか来てないんじゃない? テコ入れを考えたほうがいいかも」

「テコ入れって、流石にそれは早くない? もう少し様子を見てから――」

 

「早くない」

 

 苦笑しようとしていた凡人の口が、強張った。

 杏は思案げにあごをさわって、タブレットの画面から目を離さずに、

 

「346だったら、すぐにでも対策を考えるよ。次の配信は明日でしょ? それまでに反省点を洗い出して、少しでも露出を多くするための宣伝を打つ。それがプロデューサーの仕事だよ。アイドルに道を示してあげないと」

 

 画面の中で菜々が『いやぁー、久々の配信は緊張しましたねぇ』と独り言をつぶやいてにへっと笑う。そんな彼女を見据える杏の眼差しは厳しい。

 

 それは、凡人の知らない杏だった。

 リトルポップス時代の彼女からは想像できない、あまり良くない方向に大人びている横顔。

 

「……あのさ、杏ちゃん」

 

 凡人は、我慢できずに聞いてしまう。

 

「346プロで、何かあった?」

 

 本当は、彼女がここにきたその日にそれを聞くべきだった。

 しかし相手は憧れのアイドルであって、どういう方向に転ぶか分からない質問を投げることに強い抵抗があった。

 

「ぼんどには、関係ない……」

 

 きっぱりと言われてしまって、凡人はそれ以上踏み込むことができない。

 不機嫌な響きをもったその一言に、あっさりと気勢をそがれて何も言えなくなってしまう。

 

『さーて、お風呂に入っちゃいますかね』

 

 気まずくなってしまった二人の間で、菜々が『よいしょ』と言って立ち上がる。フンフンと歌う鼻歌はアタシポンコツアンドロイド。しまむらで買った部屋着をばさっと脱ぎ捨てて、小柄な割に大きな胸を受け止めているピンク色のブラに手をかけて、

 

『はっだっかーになっちゃおかっなー♪』

 

 ようやく、凡人は気がついた。

 杏も画面を見つめてギョッとして、凡人に素早く視線を向けて。

 

 ――そこからは、時間との闘いだった。

 

 菜々がブラのホックを外すのと、凡人がスマホをスーツのポケットから抜き出すのがほぼ同時。スローモーションの世界で凡人は自分の指の遅さをもどかしく思いながら、登録してある菜々の番号に電話をかける。タブレットからメルヘンチェンジの着信音が聞こえて、ブラをまだ胸にひっかけたままの菜々が『はいはーい』と田舎のお母さんみたいな調子でスマホを手にして、

 

「カメラ切れてないよ菜々さん! 配信されてる!」

 

 凡人の声に、画面の向こう側にいる菜々が固まった。

 錆びたボルトみたいにギギギと首を回して、カメラ目線になる。

 コメント欄が、すごいことになっていた。

 

コメント:見えた! っていうか、見えてしかいない! ピンク&ピンク! ポロリ、マダー? 裸に、なっちゃえー♪ 

 

『は、はわわわわ…………』

 

 真っ赤になった菜々が胸を両手で押さえて、画面の外へ出る。

 すぐにごそっとカメラが動いて、畳が映り、カメラの映像が切断された。

 

「あっぶなぁ……」

 

 凡人は思わず口にして、脱力して天井を見上げる。

 危く、菜々のアイドル生命がポロリするところだった。

 

「でも、結果オーライじゃん」

「えぇ、何が?」

 

 かけられた声に振り向くと、杏がチャンネル登録者数のところを指さしてドヤ顔をしている。

 さっきまでは百人ぐらいだったのに、いつの間にか千人を超えていた。

 

「いや、増えすぎでしょ!」

 

 思わずツッコんでしまう凡人だが、菜々の配信はポロリ(未遂)のおかげで、好スタートを切れたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 ― 次回予告 ―
 
 三年前、リトルポップスの一員としてデビューした杏。
 華々しい活動の後に待っていた、空白の二年間。
 346プロで何があったのか。
 そして彼女が、凡人の元へやって来た理由とは?

 第8話 『あんずのきもち』

 次回もお付き合いいただけますと、幸いです。












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