ふと、スマホの時計を見ると、深夜の二時だった。
「ふぅ……」
杏は布団の中で吐息をついて、スマホの画面から目を離した。
昼間寝ていたのであまり眠くない。それどころか頭が冴えている。少しだけ興奮しているのかもしれない。
「リニューアルプロデュース、か……」
窓から射し込む月明かりに照らされたスマホの画面。メモのアプリが起動していて、そこに893プロのアイドルの名前が連なっている。
杏は今、893プロのアイドルのプロデュースについて考えていた。
菜々に関しては、このままイタ可愛い系のアイドルでいくべきだ。元々の土台を崩さず、その上にさらなる魅力を乗せていく。人気の落ちたアイドルに〝テコ入れ〟をする時の基本だ。
問題は、早苗と雫と祐子。
この三人に関しては、元のプロデュースがあまり良いとは言えない。テコ入れをしたところで、その効果はたかが知れている。
893プロの現状を考えると、一から新規プロデュースをしたほうがいい。ハイリスク・ハイリターンになるが、三カ月以内に成果を出そうというのであれば、博打といえるような勝負に出るべきだ。
そして、最後の一人。
諸星きらり。
新人の彼女は、リニューアルではなくて完全な新規プロデュースだ。過去に芸能活動をしていた経験もないとのことで、使いどころが難しい。186センチの身長と、原宿系ファッション。キャラクターは強いのだけど、どうすればそれを〝売る〟ことができるのか?
――アイツなら、どうするんだろ……。
考えに詰まった杏は、とある人物のことを思い出す。
天才プロデューサー、
それは杏の担当プロデューサーであり、大嫌いな女の名前だった。
* * *
そもそも杏は、アイドルになりたかったわけじゃない。
346プロのスカウトキャラバンが北海道にやって来た時に、親戚が勝手に応募した。
それを聞いた杏は、受からないだろうと思った。
いつも周りの人たちが「可愛い」とか、「妖精みたいだ」とか言ってくれるけど、それは贔屓目に裏打ちされた身内評価だ。プロの目で見れば、どこにでもいるちょっと可愛い女の子にすぎないんじゃないかと思う。オーディションに応募したところで、書類審査で落選するのが関の山。
事実、346プロからの返事はなくて、何の音沙汰もないままに北海道でのオーディションは終了した。
――まあ、こんなもんでしょ。
杏はそんなふうに思いながら、コタツに入って干し芋をかじる。
少しだけ、ほんの少しだけ期待もあったが、さしてガッカリはしていない。だって別に、アイドルになりたいとか思ってないし。その道を閉ざされたところで「ふーん」としか思わない。
でも――
「こーんにーちわー」
ソイツは、ノリの軽い挨拶をしながらやってきた。
いかにも地主の家――といった感じの古くさい大きな引き戸を開けて、家の人たちが「あらあらまぁまぁ、遠路はるばる」みたいなことを言って出迎えていた。
杏は耳だけをそちらへ向けて、コタツから出ようともしない。
古くからこの地域を牛耳っている双葉の家には、〝挨拶〟をするために色んな人がやってくる。
あるときは政治家だったり、あるときは農協の偉い人だったり。とっかえひっかえやってきて、杏を見るなり「これはお可愛いお嬢さんだ!」とお決まりのおべんちゃらを言う。
すると杏もニコッと笑って、一握りの愛嬌を振りまいた。
その手の連中を好きではないが、別段嫌う理由もない。決まって高級なお土産を持ってきてくれるので、笑いかけてあげるぐらいはしてもいい。
だからふすまが
さっきまでかじっていた干し芋をコタツの脇に押しやって、子供の頃に無理やり習わされた日舞の稽古を思い出して、背筋をピンと張る。
「初めまして、杏ちゃん」
ふすまの向こうにいたのは、黒いスーツを着ている女性だった。
見たことのない人だ。ぱっと見の年齢はかなり若い。20台前半ぐらいだろうか。
髪の毛は金色で、若干のくせがある。その瞳は青く、宝石のように輝いていた。
たとえるなら櫻井桃華を大人にしたような女性で、テレビでしか見たことのないような美人だった。
「どうも」
杏は営業モードで、形だけの笑みを向けている。
すごい美人だなと思うが、だからと言って仲良くなりたいとは思わない。早くお土産を置いて、どこかへ消えてもらいたい。
しかしソイツは、図々しくも座敷に上がり込んできた。
「な、なに……?」
杏は居心地の悪さに笑顔を消して、怪訝な顔になる。
しかしソイツは気にせず、こちらのことをじろじろ見ながら、こう言った。
「やっぱりあたしの思ったとおり。うん、可愛い! 君は逸材だよ、杏ちゃん!」
そして女性が、スーツのふところから名刺を取り出した。
杏は彼女から目を離して、戸口に立って様子を見ている家政婦へ視線を送って無言で訴える。
――仕事の話なら、お父さんの部屋へ案内してよね。
しかし家政婦は首を左右に振って、何故か嬉しそうに微笑みかけてくる。
どういうつもりか戸惑いながら、杏は差し出されている名刺へ目を向けた。
「……てんしプロデューサー?」
名刺の文面をそのまま読み上げた杏に、その女性は慣れた様子で苦笑する。
「よく間違えられるけど、それで〝あまつか〟って読むの。あたしの名前は、
名刺をコタツの上に置いた女性が、その白い手を杏へ向けて、
「今日から杏ちゃんの、担当プロデューサーだ」
そう言って微笑んだ女性――天使Pの手が握手を求めていたが、杏は応じない。
すると彼女は、さらに距離を詰めてきて、
「君は間違いなく売れる。このあたし、天使こはねが保証する。だから、ね?」
じぃーっと暑苦しい眼差しを向けられて、杏は「はぁ……」と聞こえるようにため息をついた。
「杏、アイドルとか興味ないんだよね。オーディションも、家族が勝手に応募しただけだし」
杏は天使Pを押し退けるように手を伸ばして、干し芋を掴む。
「興味がないってことは――」
芋をつかんだ杏の手首を、天使Pが捕まえる。
「アイドル、見たことないんじゃない? アイドルのライブとか、行ったことないでしょ?」
「そりゃ、ないよ。だって、興味ないんだから」
それを聞いた天使Pが、ふふんと笑う。
杏の手首をつかんでいる指に、少しだけ力を込めて、
「じゃあ、お姉さんと一緒に見に行こう。実際に本物を見れば、考えが変わるかもしれない」
「そんなことないと思うけど――」
杏は天使Pの手を振りほどき、干し芋を口に運びつつ、
「見に行くって、どこに?」
「それはもちろん――」
コタツの上に置かれている天使の名刺。
その隣にパサッと、二枚の航空券が差し出され、
「東京へ」
* * *
杏は東京へ行ったことがなかった。
一度ぐらいは、行ってみたいと思ってた。
だから
それなのに――。
「――どうだった、杏ちゃん?」
ライブが終わって、観客が去ったアリーナで。
杏は天使Pと向き合っていた。
スタッフたちがあれこれと指示を出し合いながら撤収作業をしてる中、杏は呆然と立ち尽くしている。頭がうまく回らない。冷静になれない。ライブの曲と、ファンの歓声と、そしてアイドルの――。
アイドルの――なんだろう?
何だか分からないけど、ステージでアイドルたちが見せていた何かに、どうしようもなく惹き付けられてしまっていた。そんな感情を
「
「……眩しい?」
天使Pの言葉に、杏は首を傾げた。
すぐにはピンと来なかったけど、もしかするとそういうことなのかもしれない。
ステージで輝くアイドルを見て、その煌めきに心を奪われてしまった。
だからこんなに、何も考えることができない。
「彼女たちは、磨き抜かれた宝石だ。あたしが鍛えて、光らせた」
杏の中で、天使こはねという女性に対する評価が変わりつつあった。
今までずっと、自分をよく分からないものに勧誘してくる胡散臭い女だと思っていたが。
ひょっとすると、すごい人なのかもしれない。
そんな人にスカウトされている自分は、もしかすると――。
「アイドル、やってみない?」
天使Pの問いかけに、杏は答えない。
微かに唇を開き、解体されていくステージを見つめる。
天使Pはそれ以上言葉を続けることはなく、杏の視界の外で微笑んでいた。
* * *
そして杏は、アイドル――双葉杏としてデビューすることになる。
それを聞いた家族は大いに驚いた。娘がアイドルになるということ以上に、怠け者で有名だった杏がそういうことをするのが信じられないようだった。
それはしかし、杏も同様だ。
まさか自分がアイドルをやることになるなんて、想像だにしていなかった。夢でも見ているようなふわふわとした気持ちのままで、都内の高校を受験して、上京して、346プロの寮に入った。
すぐにレッスンが始まって、同じユニットを組むアイドルを紹介された。寮でもたくさんのアイドルたちと顔を合わせた。その中には、あの日のライブでステージに上がっていたアイドルもいた。
杏の世界が、変化していく。
リトルポップスの一員として、自らもアイドルとして舞台に立った。歓声を浴びた。ファンがついた。ラジオをやった。握手会をした。CDが出た。オリコンで一位をとった。テレビに出た。ファンが増えた。全国公演をやった。海外公演をやった。
その一年で、杏は別世界の住人になった。
もはやアイドルじゃない自分がどうだったのか、思い出せなくなっていた。
しかし――。
東京で二度めの春を迎えた頃。
リトルポップスの解散が告げられた。
「まぁー、そろそろみんな〝リトル〟じゃなくなっちゃうからね。ここらへんが潮時ってやつかな」
杏もユニットの解散に反対だった。
まだまだ充分人気があったし、どうして無理に解散させる必要があるのか。
表立って文句は言わないが、腹の底に据えかねる思いを持っていた。
「まぁまぁ。もっとすごいプロデュースを考えてるから、期待しててよ」
天使Pにそう言われて、メンバーたちは渋々ながらユニットの解散を受け入れた。
天使Pは346プロのトップ・プロデューサーであり、プロデュースの天才と褒め称えられている。そんな彼女の言葉には、実績に裏打ちされた威厳があったのだ。
そして実際に、天使Pは敏腕を振るう。
城ヶ崎莉嘉は姉の美嘉とファミリアツインを組んだ。二宮飛鳥は神崎蘭子とダークイルミネイト、白坂小梅はカワイイボクと142´S、早坂美玲は星輝子・森久保乃々とインディヴィジュアルズを組んで、どのユニットも大好評だった。リトルポップスのそれを上回る〝結果〟を出した。
しかし、杏は――。
「杏ちゃん、どうする? アイドル、続ける?」
ある日、女子寮にやってきた天使Pから、思いもよらない言葉をかけられる。
「いやほら、杏ちゃんって、あたしが無理やり誘っちゃったじゃん? だから、無理に続けさせるのもアレかなーって」
最初は、タチの悪い冗談かと思った。
だけど何だか、様子がおかしい。
天使Pはいつものようにヘラヘラ笑っているのだが――。
その青い瞳の奥に、何かを期待しているような光があったのだ。
「……アイドル、わりと楽しかったし、もう少しやってもいいかなって」
杏は
「…………ふぅーん」
その時、少しだけ仮面が剥がれたのだと思う。
天使Pが何を期待していたのか?
その吐息が物語っていた。
「オッケー。じゃっ、何か思い付いたらラインするから」
天使のように微笑んで、さっと立ち上がり踵を返す。
杏から顔を背けるその瞬間。
天使Pは冷淡な真顔になっていた。
* * *
最初のうちは、一週間置きに連絡がきた。
大体は単文のラインメッセージだけど、それでもこちらを気にかけているような雰囲気があった。
天使こはね:うーん、苦戦中。もうちょっと待っててね。
天使こはね:いいアイデアが、降りてきそうなんだけどなー。
その連絡はやがて一カ月置きになり、三カ月置きになり、高校二年の冬に送られてきた新年の挨拶を最後に連絡が途絶える。
一体、天使Pがどういうつもりなのか……。
杏は寮のアイドルたちに、天使Pがどういう人なのか、その印象を聞いてみた。
「結構シビアな人みたいやねー。自分で売れないって判断したアイドルには、絶対に活動させないって聞いたことがある。ほら、プロデュースに失敗すると、社内で評価が落ちちゃうじゃん?」
そう言った塩見周子は、「あくまでも噂だけどね」と付け加え、励ますように杏の肩をポンポンと叩いた。
「単に忙しいだけじゃないかな。あの人、一人で何人も担当してるから」
それは同じく天使Pにプロデュースされている五十嵐響子の意見で、彼女は「ところで、杏ちゃんのお部屋、お掃除したいんだけど」と言ってきた。
他のアイドルにも話を聞いて回って、見えてきた天使Pの正体は、およそ天使とはかけ離れているものだった。
――このまま天使Pのプロデュースを待っていたら、もう二度とアイドルができないかもしれない。
そんな危機感を覚えた杏は、柄じゃないと思いながらも、自分からソロ活動を提案してみる。
それは高校三年の夏で、杏は半袖の制服を着ていた。
天使Pは学校近くの喫茶店に杏を呼んで、こう言った。
「杏ちゃんがソロは、売れないと思うなー。リトルポップス解散して結構たってるし」
へらへらと笑いながらオレンジジュースを飲んでいる天使Pに、杏は我慢できずに言ってしまう。
「――っていうか、売る気ないでしょ?」
天使Pはオレンジジュースに繋がるストローをくわえたまま、少しだけ目を見開いた。そのまましばらく杏のことを見つめて、ちゅっと音を出してストローから口を離す。
「まぁ、ぶっちゃけ、売る気ない」
さすがに、耳を疑った。
杏は思わず、眉間に力を込めていた。
しかし天使Pは、ニコニコしたまま、テーブルに頬杖をついて、
「リトルポップスに、アクセントが欲しかった。小さくて、可愛くて、生意気な感じの女の子。オーディションで採用しなかったのは、一発屋になってもらうため。ほら、オーディションで採用したアイドルがすぐに消えると、その後のオーディションに人が来なくなっちゃうでしょ? あそこで採用されても、どうせすぐに消えるって。だから、あえてオーディションでは落ちてもらって、直接声をかけたの。東京でライブがある日にスカウトしたのも、計算づく。ドラマチックだったっしょ? 北海道の田舎にいたら、数時間後には東京にいて、特等席でライブを観る。劇的な環境の変化って、感受性を高めるからね。きっとアイドルをやりたくなるって思ってた」
ニコニコと語っていた天使Pが、杏へ哀れむような眼差しを向けて、
「まぁ、計算外だったのは――」
立ち上がってテーブルの脇に置いてある伝票を手に取り、去り際に呟く。
「まさか君が、本当に
遠ざかっていく天使Pの背中を睨み、きっとコイツは本当に天使なんだろうと杏は思う。
天使のように美しく、天使のように有能で。
そして残酷な天使のように、
* * *
高校三年の冬休み。
寮のアイドルたちが帰省の準備に追われてバタバタしてる時。
杏のもとに千川ちひろがやってきて、申し訳なさそうに告げた。
「社内規則で、一年以上活動実績のないアイドルには、退寮してもらうことになっているんです。それで双葉さんは、高校を卒業する来年の3月に、退寮していただきたいんです。これは
遅かれ早かれ、そういうことになるだろうとは思ってた。
杏は夏のあの日を境に、天使Pとは一切接触していない。
――まぁ、こんなもんでしょ……。
そもそも杏は、アイドルになりたかったわけじゃない。
家族が勝手にオーディションに応募して、それがきっかけでアイドルになった。
だからそれが終わったところで、何とも思わない。
「…………あれ」
ちひろが去って、寮の部屋に一人きりで。
第一線で活躍しているアイドルたちが、故郷に帰るために寮の廊下を歩き去り。
そして物音の消えた寮に、一人残されて。
「お、おかしいな……」
一人きりの部屋を見つめる視界が、ぼやけてしまう。
頬を触って、そこに涙の感触があって、杏は思い出す。
舞台袖で待機しているときの緊張感。
ファンの歓声を浴びた瞬間の高ぶる気持ち。
何物にも代えがたい、眩しい世界。
「はぁ……」
すっかり口癖になってしまった吐息をついて、杏は虚ろな眼差しをスマホへと向ける。
双葉杏と打ち込んで、検索をかけてみた。
引退。自然消滅。一発屋。
並ぶサジェストを目にして、杏は自嘲するかのように笑う。
なるほど。天使Pの狙いどおりになったというわけだ。
が、とあるウェブページを目にして、その表情が固まった。
《アイドル 双葉杏の活動再開を願うスレ》
それは、ネットの匿名掲示板の中にある、スレッドの一つ。
杏は震える人差し指で、スマホの画面をタップする。
来年こそは杏ちゃんが復帰する。俺には分かる。 松平凡人
いやいや、ないでしょ。杏はオワコン。 名無し
充電してるだけだから。杏ちゃんはそういうキャラなんだよ! 松平凡人
何年充電してんだよ? 過充電www 名無し
っていうかお前、必死すぎ。本人?w 名無し
お前ら、杏ちゃんに復帰してほしくないのかよ? 俺は復帰してほしい! 松平凡人
二年も何もしてないやつが復帰できる世界じゃない。マジレス。 名無し
リトルポップスの落ちこぼれw 名無し
杏は北海道に帰りました。 名無し
俺は待ってる。いつまでも待ってる。俺は杏ちゃんを諦めない。 松平凡人
しかし杏は諦めたw 名無し
いつまでも待ってろwww 名無し
その男は、インターネットの片隅で。
たった一人で闘っていた。
その松平凡人という変な名前に、覚えがあった。リトルポップス時代に、毎回顔を見せていたファンの一人だ。CDにサインをするときに、松平凡人くんへと書いた。あまりにも変な名前で印象的だった。
でも、本人は印象が薄かった。七三わけで、眼鏡をかけて、主張の弱いチェック模様のシャツを着ていることが多かった。
「まつだいら、ぼんど……」
杏は呟き、部屋の天井を見上げる。
もう一度、会ってみたいと思った。
本当に今でも、双葉杏のファンでいてくれる人がいるなら、最後に会って、伝えたい。
――今までありがとう。でも……。
そして杏は、松平凡人と会うにはどうすればいいかと考えた。
メルカルの出品の酷さをネタにしているまとめサイトの記事を目にして、ひらめいた。
メルカルに自分を出品すればいい。
もし、彼が本当にファンであれば食いつくだろう。そうすれば住所が分かる。
そして、大晦日。
ほとんどのアイドルが帰省してしまって物音のしない女子寮で、杏はメルカルのサイトにアクセスして――。
* * *
「はっ! ……寝てた」
窓から差し込む朝日に、杏は目を覚ます。
ここは田舎であるせいか、朝になるとすごい勢いで鳥が鳴き始める。そのせいで早朝に起こされる。
――ぼんどは……。
布団に入っている杏が目を向けた先で、
本当は、こんなに長居するつもりはなかった。
最後までファンでいてくれた彼に引退を告げて、アイドルの世界から去ろうと考えていた。
「…………」
杏はぼんやりとした眼差しを、枕元に転がっていたスマホへと向ける。
ラインメッセージの通知があった。
五十嵐響子:杏ちゃん、いつ帰ってくるの? 北海道から。
杏は少し考えて、スマホの画面へ指を走らせる。
杏:もう少し、こっちにいると思う。
その時、寝袋で寝ている凡人が寝言を言った。
「ダメですよぉ、菜々さん。エッチすぎますってぇ」
「…………」
杏はむっとして、枕元に転がっていた飴を投げつけた。
それは凡人のアフロ頭にボフッと吸い込まれて消える。そのシュールな光景に、杏は思わず噴き出してしまう。
「まったく、ぼんどは……」
杏はいつものようにため息をついて、それでもどこか楽しそうに微笑んでいたのだった。
― 次回予告 ―
本格的にリニューアルプロデュースを始動する893プロ。
その
果たして893プロは窮地を抜け出すことができるのか、それとも……!?
第9話 『セクシーギルティ』
次回もお付き合いいただけますと、幸いです。