白銀の討ち手   作:主(ぬし)

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TSF支援図書館が突然閉鎖したときはとても恐怖しました。今までの自分の小説が全部消えて、読み返しては力をもらっていた感想がすべて見られなくなり、絶望しました。でも、まだデータが残っていると教えてくださった人のおかげで、なんとか小説だけは復活させることができました。そうして、今ここに『白銀の討ち手』があるのです。名も知らぬ親切なあの人に感謝です。


2-4 昵懇

「どうしてこんなことに……」

 

 友人の家の廊下をメイド服を着て歩きながら、釈然としない面持ちで呟く。ボクに非はないはずなのに、一歩進むたびに得も言われぬ罪悪感ばかりがズシズシと背中にのしかかってくる。よりによって友人の家をメイドのコスプレして歩くなんて、どういう羞恥プレイなのか。

 

(なんで、こんな後ろめたい気持ちにならなけきゃいけないんだ……。でも、ヴィルヘルミナさんの服がこんなに重かったなんて知らなかったな)

 

 歩く度に大事なものを失っていくような喪失感から意識を逸らし、着ている給仕服を見下ろす。見た目はシンプルだが、触れてみれば特殊な素材を複合させて厚く作られていることがわかる。この手触りからして、おそらくアラミド繊維を幾重にも編みこんでいるようだ(シャナとの旅の間に、こうした戦いに必要な知識や経験を散々叩き込まれた)。そのため、この服は見た目以上に重みを帯びている。脛まで伸びるロングスカートも一見すると足の動きを邪魔してしまいそうで、実は形状記憶素材で出来ているので生地が過剰に足に絡まることはない。とは言えスカート自体にまだ慣れていないので、一歩一歩を慎重に踏み出さないと足がもつれて転んでしまいそうだ。唯一の救いは、寸法がシャナの身体に完全にフィットしていることだ。サイズが合っていなければ満足に歩けもしなかっただろう。

 

(ヴィルヘルミナさんはよくこれであんなに動けるな。それにしても、どうしてここにこの服が?)

 

 偶然、そっくり同じメイド服が佐藤家にあったということはないだろう。佐藤家の維持管理を行っている世話係の人たちはこんな仰々しい服は着ていない。仮にそうだとしても、サイズが小さすぎる。少女メイドを侍らせるような趣味は佐藤にはなかったはずだ。たぶん。とすると、やはりヴィルヘルミナさん当人が持ち込んだ物だと考えるほうが自然だ。記憶を掘り返してみれば、ヴィルヘルミナさんがこの地に来た当初の理由は、『探耽求究』ダンタリオンによって破壊された御崎市の事後処理のためだった。時期的には、すでにこの地に彼女が訪れていてもおかしくはない。

 

(シャナと合流する前に、ここにも寄ったんだろうか?マージョリーさんとは昔から仲が良かったらしいし、ダンタリオンに襲撃された御崎市の事後処理をヴィルヘルミナさんに要請したのもマージョリーさんだったはずだから、そう考えても不思議はない)

 

 では、なんのためにシャナにぴったりの給仕服をここに置いていったのか?もしかしたら、お揃いの服をシャナに着てもらいたくて持ってきたはいいが、恥ずかしくなってマージョリーさんに預けたのかもしれない。特注仕様のシャナ専用メイド服がその証左だ。

 

(あの“万条の仕手”が、ねえ)

 

 そこまで考えて、彼女の鉄面皮という表現がぴったりの無表情な顔が思い浮かぶ。『とむらいの鐘(トーテム・グラッケ)』とフレイムヘイズ兵団による史上最大の戦争―――『大戦(おおいくさ)』において、初代“炎髪灼眼の討ち手”マティルダ・サントメールの背中を護り、兵団を勝利へ導いた勲功を誇る、紅世においては知らない者のいない古強者。それが“夢幻の冠帯”ティアマトーのフレイムヘイズ、ヴィルヘルミナ・カルメルという女性だ。口数の少ないティアマトーがそうであるように、契約者である彼女も、必要と不必要を極めて冷静に取捨選択できる。時には坂井悠二(ボク)という『零時迷子』を宿したミステスを「今後に支障を来す危険性がある」と一方的に断じて容赦もせず簡単に破壊しようとしたこともある。そんな彼女が、まるで子煩悩の母親のような可愛げのあることをするだろうか?顔を赤くしてマージョリーさんに給仕服を押し付けるヴィルヘルミナさんの姿を想像しようとして失敗する。

 

「あはは、まさかね」

「どうした、何の話だ?」

 

 よろよろとして危なっかしいボクの歩調に合わせて振り子のように揺れるテイレシアスが不思議そうな声を上げる。スカートに足を取られそうになるたびに左右に激しく振れるテイレシアスが少し気の毒に思えた。ティアマトーが頭頂部のヘッドドレスの神器にいるのはヴィルヘルミナさんなりの心遣いなのかも知れない。二人とも寡黙だが、互いに信頼しあっているのはよくわかるし。

 

「ちょっと、ある人のことを思い出して―――」

 

 言いかけて、はたと思う。共に戦ったことで信頼関係は構築したものの、ボクはこの紅世の王のことを実はほとんど何も知らないのだ(契約してまだ一日も経っていないのだから当たり前と言えばそうだが)。趣味が贋作だということ以外、彼の過去も信条もまだ掴めてはいない。それに、

 

『俺には大儀も使命もない。己の欲が満たされるのなら、人喰いにもなる。俺がお前と契約したのは、そうすることで俺の欲が満たされると踏んだからだ』

 

 かつて放たれた冷酷な台詞が脳裏に響き、腹底をじわりと冷やす。探りを入れるというわけではないが、一度テイレシアスの『在り方』を確かめておくべきかもしれない。彼が本当に、目的のためなら人間の存在の力を奪うことも是とする紅世の王なら……ボクはこれから何度もこの王と衝突することになる。これでは、連携どころの話ではない。契約する紅世の王の力を引き出せないフレイムヘイズが敵と渡り合えるかどうかは、すでに己の身で体験済みだ。キュレネーに負わせられたダメージの記憶が蘇り、身体中にズキズキとした疼痛が走る。

 

(もし、ボクの説得を聞いてくれなかったら……どうすればいいんだ)

 

 忘れていた懸念が風を受けた炭火のように盛り返し、全身をさざ波のようにざわりと震わせる。

 

「どうした。まだ、疲れが抜けないのか」

「―――えっ」

 

 不意にかけられた訝う声にハッとして顔を上げる。上げて、先ほどから周りの景色が変化していないことに気付く。思考が深まるうちに、その場に縫い付けられたように俯いて歩みを止めてしまっていた。だが、無意識のうちに立ち止まっていたことよりも驚くことがある。

 

(今の言葉……すごく温かかった)

 

 こちらの状態を心配する、不安げに曇った声音。その根底に、背を優しく摩する掌のような柔らかな体温が宿っているのをはっきりと感じる。遠かった存在がぐぐっと手の届く位置まで近寄ったような印象を胸に感じつつ、緊張を押し隠して口を開く。遠まわしに問うても仕方がない。真っ直ぐに、思いをぶつける。

 

「テイレシアス、お前は―――人を食べたこと、あるのか?」

 

 その問いだけでボクが抱いている疑念を察したのだろう。「ああ、そのことか」と軽く応えるテイレシアスの口調は、不思議とこちらを気遣うような苦笑を孕んでいた。まるで幼子の無邪気な質問に応える親のような、とてもたおやかな微笑み。人外とは思えない予想外の人間っぽさに胸を打たれ、みぞおちの奥で心臓がとくんと震える。

 

「心配するな。人間の存在の力を食ったことは、ない」

「――――だ、だったら、『目的のためなら人喰いも厭わない』って言ったのは?」

 

 意外な、そして望んでいた答えに驚いて、思わずさらに確かめる。胸中に滞留していた不安が霧散し、代わりに安堵感が満ちてゆく。

 

「あれはお前を炊きつけるための方便だ。宝具は、人間と紅世の者が共同制作することで初めて誕生する。俺はモノ造りに長けた人間という種族には一目置いているつもりだ。世話になってたガヴィダのオヤジも人喰いにはうるさかったし、俺の高尚な趣味を理解できるのは人間の方が多かった。そもそも、肝心の宝具を創る人間がいなくなっては俺の生甲斐に支障をきたす。……それに、紅世の連中よりも人間といた方が……その、楽しいんだ。だから俺は、人喰いはしない」

 

 一息に言った後、「損な役回りだ」と鼻を鳴らして嘆息する。それがテイレシアスなりの照れ隠しなのだと気付いて、ボクは自然に相好を崩していた。この王は要するに、偏屈で自由で、どうしようもなく人間が好きなのだ。

 

「うん、わかった。答えてくれて、ありがとう。テイレシアス」

 

 もう、テイレシアスへの恐れは跡形もなく払拭されていた。人食いを止めるように釘を差したらしい『ガヴィダ』という人物(?)に感謝しながら、ボクはこの必要以上に人間じみた気性をした紅世の王に大きな親しみを感じてクスリと微笑んだ。胸に下がる美しいペンダントの輪郭を指先でそっとなぞる。

 

「ボクは、お前のフレイムヘイズになれて、よかったよ」

「……ふん、当たり前のことを言うな」

 

それきり黙ってしまったペンダントは、夕日を反射して紅潮しているかのように見えた。

 

 

 

 

 

ここで終わっておけば、いい話だったのだが。

 

 

―――ゾクゾクッ

 

「ふひひゃっ?」

 

暖かな夕日の下で互いに昵懇の仲を確信している中、やにわに奇妙な痺れが背筋を走ったのだ。

 

「今のは悲鳴なのか?」

「う、うるさいな。ていうか、なんか、身体が変なんだけど……」

 

 お尻の辺りから腰部まで何かが急に這い登ったような、ざわざわとしたむず痒さを覚える。下腹の内側が膨張しているかのようにざわざわと疼く。下腹部の筋肉が恥骨を圧迫するようにぎゅうっと強く収縮し、意識してもいないのに太ももの内側がくっついて内股になってしまう。こんな情けない格好はしたくないのに、引き剥がそうとしても内ももの肉がふるふると波打つばかりで離せない。離してしまえば取り返しがつかないことになるぞ、と訴えているかのようだ。

 

(な、なんなんだこれ?力が抜けていくみたいだ)

 

 足に力が入らない。奇妙な疼きは止まる気配を見せるどころかさらに強くなり、膝が震えてまともに立つことすら危うくなってくる。心臓が早鐘を打つ。全身が上気し、吐く呼気は荒くなり、額には玉のような汗が浮かんでくる。ヘソの裏に爆発寸前の熱溜りが生まれたようだ。太ももを擦り付けるように内股にして抑制していなければなにか(・・・)が漏れ出てしまいそうな危機感に背筋を怖気が走る。マグマのように膨張するそれを身体全体で抑制するように腰をくの字に折り、下腹を両手でぎゅっと押さえ付ける。

 

「テ、イレシアス?こ、これは、いった、い……?」

 

 こんな感覚は生まれて初めてだ。まさか、テイレシアスの創ってくれたこの贋作の身体に問題があるのか?

ずくずくと下腹部で暴れ回る熱流に翻弄されるボクに対し、テイレシアスはなぜか合点がいった様子で至って冷静だった。

 

「たしか、さっき水不浄の前を通り過ぎたな」

「水不浄って、と、トイレのこと?あったけど、なんで?」

 

 テイレシアスが何を言おうとしているのかを理解するのに数秒の時間を有した。そしてその時間は、事態を深刻化させるのには十分な時間だった。さらに増した圧迫感に全身がぶるぶると痙攣する。

 

「まさか、これって、」

「悪いことは言わん。ここで粗相をしたくなければ、さっさと戻って駆け込め」

 

 顔の筋肉がひくひくと引き攣る。道理で、この感覚の検討がつかないはずだ。ボクはまだ、この身体でした(・・)ことがないのだから。そういえば、保健体育の授業だったかで、女の子は男に比べてその臓器(・・・・)が小さいから溜められる量も少ないとかなんとか教えられたような。もはや重心すら整えられずにフラフラと身体を揺らめかせながら、踵を返して来た道を再び戻る。普段は羨望の眼差しで見ていた佐藤家の無駄に長い廊下が、今は憎らしくて仕方がなかった。下半身の筋肉を堪えること(・・・・・)に費やしながら意志の力を振り絞って一歩を踏み出し、

 

「ああ、それから、馴れないメイド服に気を付け  「ふぎゃっ!」  ……るべきだったと思うぞ」

 

裾を踏みつけたせいで、思いっ切りずっこけてしまった。毛皮の絨毯にされたトラのように四肢を放り出して床に口づけをする。

 

(い、痛い……。でも、なんとか大丈夫だった)

 

セーフ。よくやった、ボクの下腹神経。痛む額を左手で、下腹部を右手で抑えて廊下の奥を見れば、トイレはまだ見えない。

解放までの距離は、果てしなく遠い。




パソコンが壊れるとか、間違って文章ファイルを消すとか、一話を書き終わる寸前までいったところで一旦ファイルを閉じた後に保存をしていなかったことを思い出して涙したとか、いろんなことがあった……。いろんなことが……。

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