白銀の討ち手   作:主(ぬし)

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この回で『サユ』が誕生しました。自分でも良いネーミングだと思います。綺麗で可愛い名前ですよね。


2-5 命名

「や、やっと着いた……」

 

 マージョリーさんの待つ離れ家に辿りついた頃には、ボクはすでに精根尽き果てていた。ぐったりと力なく扉にもたれ掛かる。ボクの胸と扉に挟まれたテイレシアスがくぐもった声で呆れる。

 

「水不浄で長いこと手間取るからだ。もう日が暮れてしまったぞ」

「し、仕方ないじゃないか。初めてだったんだから」

 

 慌てて駆け込んだトイレで、ボクは多くのものを失った。尿意とともに男として大事な色々なものを一緒にトイレに流してしまった気がする。

 

(シャナ、ごめん)

 

 心の中でシャナに謝っておく。罪悪感に苛まれるようないかがわしいことをしたわけではないのだが、そうしなければいけない気がしたのだ。疲れた視線を窓の外に向ければ、夕日は半分ほど地平線にその身を隠し、空は深い濃紺に染まりつつある。長かった一日も、もうすぐ終わる。

 この一日で、ボクの状況は天地がひっくり返るほどに変化した。シャナの姿になり、フレイムヘイズとして戦い、『白銀の討ち手』として辛くも勝利した。その後は浴室とトイレで……いや、ここからはやめよう。精神衛生的によくない。ふるふると頭を振って余計なことを意識の外に飛ばし、離れのドアノブに手をかける。年季の入ったそれを回す直前、悲鳴に似た懇願の声がドアを震わせて手を止めさせた。

 

『マージョリーさん!どうか穏便に事が済むようにシャナちゃんを説得してください!』

『俺たちまだ死にたくないッス!』

 

 佐藤と田中の声だ。声と内容からして、かなり焦っているらしい。何事かと思い、ドアを開けて足を踏み入れる。途端に、バーカウンターに座るマージョリーさんに必死に嘆願していた二人が、怯えた犬のような悲鳴を上げてマージョリーさんの背後に回りこんだ。

 

「ごめんシャナちゃん!わざと覗いたんじゃないんだ!!」

「あれは故意じゃない!事故なんだ!」

 

 呆気にとられるボクに、マージョリーさんはくつくつと忍び笑いを浮かべる。どうやら、マージョリーさんはボクがシャナではなく坂井悠二であることを二人に教えていないらしい。ボクもその方が助かる。なるべくなら、ボクが坂井悠二であることは言わないでおきたい。二人はいい奴だから、きっと心からボクの境遇を悲しんでくれるだろう。だからこそ、一生懸命に頑張る二人の心に影を落とすようなことはしたくなかった。

 

「別に怒ってないよ。気にしないで」

 

 二人に笑顔を向ける。これは本心だった。男同士で裸を見られても大して恥ずかしくないし。シャナの裸を他人に見られるのは少し癪な気もするが、そこは自分の不覚だと割りきろう。今度は二人が呆気にとられる。目が飛び出すのではないかと思うくらい目を見開いて顔を見合わせる。その様子があまりに滑稽なので、思わずボクもクスクスと忍び笑いをしてしまった。

 

「お二人さん、その嬢ちゃんは“炎髪灼眼の討ち手”じゃないぜ」

 

 マルコシアスが大笑しながら二人に告げる。目を点にして混乱する二人に、ついに我慢の限界になったマージョリーさんがスラリとした美脚をバタつかせて派手に笑い転げた。もしかして、ボクのために黙っていたのではなく、二人の反応を見て楽しむためだったのかもしれない……。とりあえず二人に近づき、下着を買ってきてくれたお礼をしておく。

 

「ボクのためにいろいろ買ってきてくれて、ありがとう。それと、混乱させちゃってゴメン」

 

 はあどうも、と心ここにあらずといった感じで返事をする二人。ボクの態度と口調から、シャナではないことを理解できてきたみたいだ。まだ少し混乱気味の田中が太い首を傾げていると、佐藤がボクの顔を食い入るように凝視する。切れ長の目が疑問符を浮かべていた。嫌な予感がする。

 

「じゃあ……君は、誰?」

「え゛」

 

 し、しまった!大事なことを考えてなかった!!

なんと言えばいいのだろう。こんな時こそ自慢の頭脳を働かせて妙案を導き出すのだ、坂井悠二!

 

………………

…………

……

 

 だめだ思いつかない!だらだらと汗が流れる。えーと、その、と言い淀みながら何かいいアイデアはないかときょろきょろと視線を彷徨わせると、やれやれと呆れ顔のマージョリーさんと目が合った。「お願いします助けてくださいお願いします」という哀願をこれでもかと込めた視線を向けると、彼女は「仕方ないわね」と言うように小さく息を吐いて二人に振り返り、

 

「紹介が遅れたわね。この娘の名前はサユ(・・)よ。私の知り合いで、なりたてほやほやの新米フレイムヘイズ。ほら、挨拶しなさい。サユ」

 

 と一息にまくし立てた。お膳立てしてやったんだから早くしなさいという視線に背を押され、ボクは田中と佐藤に向かって咄嗟に頭を下げる。気心のしれた友人たちに変なお芝居をするのは果てしなく気まずい。

 

「よ、よろしくお願いします。サユ、です」

 

 深々と頭を下げたところで、自然に両手が下腹の前で重ねられていることに気付いた。これでは、本当にメイド少女のようじゃないか。このメイド服にはそういう呪いじみた自在式でも組み込まれているのだろうか。自分がどんどん元の『坂井悠二』から離れていっているような気がして激しく後悔する。苦い感情を飲み込んで頭を上げると、一応は納得した様子の二人が顔を赤くして気まずそうに頬をかいていた。初対面の女の子に情けない姿を見せてしまった、というわかりやすい表情だった。

 

「えっと、よろしくサユちゃん」

「にしても、シャナちゃんとそっくりだね。姉妹……ってわけじゃないだろうし、何か理由があるの?」

 

 いきなり核心を突いてくるとは、さすが佐藤。親友の池速人ほどではないが、こいつも変に鋭いところがある。こんな時は、すべてが許される切り札を使うしかない。

 

「し、仕様です!」

 

 ぽかんとする二人。当然の反応だろうが、今のところ都合のいい言い訳はこれしか思いつかない。後でもっとマシなものを考えておこう。

 そういえば、なんでマージョリーさんはボクの名前を“サユ”にしたんだろうか。……もしかして……『坂井悠二→さかいゆうじ→さ  ゆ  →サユ』!?実に単純な命名方式が頭に浮かんで、マージョリーさんをじとっとした視線で見つめる。マージョリーさんが手をプラプラと振り、いいじゃないの考えてあげただけありがたいと思いなさいと視線で応えた。もう少しひねってくれてもよかったと思う。

 こうして、ボクの“サユ”としての日々が始まった。

 

 

 ‡ ‡ ‡

 

 

 この手にある丸みを帯びたグラスになみなみと注がれた液体を呆然と眺める。透明感のある薄紫色の液体―――『ワイン』からは、鼻孔を圧倒するほどの芳醇な葡萄の香りが漂ってくる。

 

「あの……これを呑めと?」

 

 ひくひくと頬を引き攣らせる。隣では、マージョリーさんがボクのグラスより一回りは大きなゴブレットに注がれたワインをがぶがぶと飲み干している。そのスタイルのいい身体のどこに入っているのかと不思議に思ってしまうほどの飲みっぷりだ。『宛がないのなら、今日はここに泊まって行きなさい』というマージョリーさんの提案によって、今日は佐藤家に泊まらせてもらうことになったのだが(家主である佐藤も了承してくれた)、夕食の代わりに出てきたのはチーズやピーナッツなどの簡単なおつまみと大量のワインボトルだった。なんでも、マージョリーさんは毎晩のようにこんな生活を繰り返しているらしく、佐藤と田中も時々付き合わされているんだとか。栄養バランスが心配だ。部屋の隅に置かれた空のオーク製のワイン樽はすでに飲み干してしまったものの残骸というから末恐ろしい。肝臓が壊死を超えてついに進化したんじゃないかと思えるくらいかっぱかっぱとワインを胃に流し込み始める三人を横目に、僕はワインに映る自分の引き攣った顔を眺めることしかできなかった。自慢じゃないが、ボクはアルコールにとことん弱い。試しに呑んでみたチューハイ一缶でひっくり返った苦い経験が頭をよぎり、頬を汗が伝った。

 

「そうよ、呑むの。呑む以外の選択肢はない。あんたのせいで今日は散々な目に遭ったんだから、晩酌くらい付き合いなさいよ」

「ひゃーっひゃっひゃっひゃっ!こうなったら覚悟を決めるしかねーぜ、嬢ちゃん!」

 

 すでに酔いが回っているらしいマージョリーさんの据わった目とマルコシアスの追い討ちにたじろぐ。この身体は、以前の坂井悠二(ボク)とはスペックが月とすっぽんのように違うわけだし、ボクの経験は当てはまらないのかもしれないが……そもそも、この華奢な体躯ではアルコールに強い弱い以前の問題だと思う。それは佐藤と田中もわかるのか、グラスのワインを飲み干した佐藤が笑いながら、

 

「マージョリーさん、さすがにサユちゃんは飲めないんじゃないですか?未成年だし」

 

と早々に赤くなった顔でフォローしてくれる。ありがとう佐藤。

 

「そうそう。カクテル用のオレンジジュースならありますし、無理させて飲ませるとフレイムヘイズでも身体壊しちゃいますよ。未成年なんだから」

 

 上に同じく、ワインを呷りながらフォローしてくれる田中。こちらは大柄な体格のせいかまだ顔色は普通だ。感謝するよ田中。だけど、お前らも未成年だろ!しかし、二人の言などマージョリーさんは意に介す様子も見せず首を振る。

 

「フレイムヘイズなんだから、酒くらい飲めるわよ。ほら、ぐいーっといきなさい、ぐいーっと」

 

 などと無茶苦茶なことを言いながら自分のグラスいっぱいに注いだワインを自らぐいーっと呷る。見れば、彼女の前に置かれたワインボトルはすでに空と化していた。その呑みっぷりに絶句して、ボクは再びまだ一口もつけていないワイングラスを覗き見る。シャナそっくりの少女が不安そうな顔を浮かべ、薄紫の水面を介してこちらを見つめていた。シャナそっくりの少女―――“白銀の討ち手”サユとして、あらためて佐藤と田中に自己紹介をしてから納得してもらった後、ボクはひたすらマージョリーさんからの質問攻めにあっていた。二人の手前、ボクがこの姿になったこと、過去に戻ってきたことには触れなかった。代わりに、ボクの討ち手としての能力について多くのことを問い質された。能力の概要、行使の原理・方法、同時に行使した際の最大限界数、贋作された宝具の維持限界時間、などなど。

 “白銀の討ち手”に付与される特殊能力―――目にしたことのある宝具を自身の存在の力を消費して創り出す―――すなわち『贋作』は、長い年月を討ち手として過ごしてきたマージョリーさんの目にも破格の能力に映ったらしい。少なからず紅世と関わっていたボクからしても、やはりチート級の能力に思える。戦いの局面に応じて無限の選択肢を有しているわけだから、使いこなせれば無敵とも言える。ただし、自分がその能力者となってみれば、そう上手い話でもないことを身に沁みて理解できた。まず、大前提として、贋作は大量の存在の力を必要とする。強力な宝具になればなるほど、存在の力もたくさん必要になる。そして、存在の力の供給を一旦カットしてしまうと、贋作した宝具は砂の城のように消えてしまう。空気を入れ続けないと萎んでしまう風船みたいなものだ。お世辞にも使い勝手がいい方ではない。そして、ダメ押しとして、シャナを模倣して創られたこの肉体は本家よりも存在の力の貯蓄限界量がわずかに少ない。というわけで、有り体に言えば『贋作』という能力は燃費が悪い(・・・・・)のだ。

 マージョリーさんの度重なる質問に、まだフレイムヘイズとして開眼して間もないボクはしどろもどろになりながらも、先の戦闘で得た経験を思い出しながら拙い言葉で何とか答えた。ボク自身、未だ『贋作』について完全に理解しているわけではなかったのでいい学習になった。スペックを把握出来れば、戦術も自ずと見えてくる。これも、シャナとの旅の間で学んだことの一つだ。

 もちろん、契約している紅世の王、“贋作師”テイレシアスについても質された。彼の過去、思想信条、これからの行動方針など。これらの質問にはテイレシアス自身が答えた。ボクも初めて知ることなのだが、テイレシアスは紅世に誕生してからまだ2000年足らずしか経っていない、比較的“若い”紅世の王なのだそうだ(それでも人間からしてみたら遥かに年長だが)。さらに、テイレシアス曰く、「周りの連中が生まれた瞬間から生きるために戦いを始める中、自分だけはなぜか贋作にしか興味がなかった」らしく、戦いにも身を投じることはなかったそうだ。そのため、老練の紅世の王にはテイレシアスとの面識どころかその名前を知らない者も珍しくないという。宝具を贋作するうちに、宝具を生み出す人間という存在に興味を持ち、彼らを殺す人喰いを嫌うようになり、一時は同族殺しも厭わないと決意をしたが、テイレシアスの能力を使いこなせる人間がまったく現れなかったのでほぼ諦めかけていた。そこへ、何の因果かボクという“多くの宝具を見てきた人間”が現れたので、消滅寸前だったにも関わらず喜び勇んで契約したらしい。

ちなみに、テイレシアスは今何をしてるのかというと、

 

「おい、もう少しワインをくれ」

「はいはい、わかったよ」

 

 バーカウンターの上に置かれたペンダントの上に、指で掬ったワインを一滴垂らす。ゆっくりゆっくりと目には見えない速度でワインがペンダントの宝石に染み込んでいく。

 

「……その状態でも飲めるんだね」

「飲もうと思えばな。しかし、この酒はなかなかに美味だな。お前も飲んだ方がいいぞ。この芳醇としていてそれでいて爽快な味わいは……」

 

ぺらぺらとえらく饒舌になって語りだすテイレシアスと、それに「おお、わかりますかテイレシアスさん!」と意気投合して共に語りだす佐藤と田中。みんな酔ってきているようだ。なんだかカオスと化してきている気がする。

 

(き、きっと大丈夫さ。お酒くらい、大丈夫)

 

 フレイムヘイズとなった人間は肉体が強化されるのだし、もしかしたらアルコールにも強くなっているかもしれない。ボクだけがシラフのまま取り残されても酔っぱらいから面倒なことを押し付けられそうだし、こうなったら覚悟を決めて飲むしかない!

 

「よし!」

 

 短い掛け声をあげて、一気にワインを呷る。マージョリーさんがにんまりと破顔して頷き、二人も歓声を上げてパチパチと拍手をする。舌の上にまろやかなワインが流れこみ、喉へと向かう。

刹那、強烈な味覚に舌が痺れる。たしかに芳醇でありながら爽快で清浄な味だった。これでもかと言うほど手間をかけられて醸造されたことが容易に想像がつく。不純物の香りも風味も一切感じさせない清純な口当たりは奇跡と呼ぶに相応しい。これは、かなり美味しいワインなのだろう。

 

―――お酒が飲める人にとっては。

 

「ぴッッッ!!??」

 

 頭蓋の中身が倍に膨れあがったかのような錯覚に打ちのめされ、声にならない悲鳴を上げる。喉が焼け付くように熱い。味覚が強烈過ぎて、まるで舌の上で爆弾が爆発したみたいに、嗅覚も視覚も触覚も散り散りに霞んでしまう。ああもうダメだこれ以上はqあwせdrftgyふじこlp……!!

 

「あちゃー。だからやめたほうがいいって言ったのに……」

「あーあ、ぶっ倒れちゃいましたよ」

「なによ、つまんないわねぇ」

「ひゃーひゃっひゃっひゃっ!飲みっぷりだけはなかなかだったぜ!」

「情けないぞ、我がフレイムヘイズ」

 

 きゅう、と机に轟沈したボクの頭の上から落ちてくる呆れ声の数々。反論したかったが、こめかみがガンガンと痛んでそれどころではなかった。フレイムヘイズになったからといってアルコールへの耐性は強くはならないようだ。そういえば、シャナの身体の成長は12歳で止まっていると聞いたような気がする。いくらなんでも、12歳にお酒を飲ませちゃダメでしょ……。




サユという名前、実は二秒くらいで思いついた名前でした

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