白銀の討ち手   作:主(ぬし)

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TSF支援図書館の突然の閉鎖に伴い、辿り着いたのが、Arcadiaさん(通称『理想郷』)でした。日本の小説投稿サイトとしての草分け的存在、と僕は考えています。偉大なこのサイトで、後に有名になる作家さんたちが大勢、育まれていました。ときに厳しい感想も送られてくる環境でしたが、小説を発表し、読んでもらえ、感想がもらえる場を分けていただけて、僕の青春時代はとても素敵で豊かなものになりました。Arcadiaさんには感謝しかありません。


2-6 絶望

フライパンに料理酒をぶちまける。強火で熱したフライパンにボウと青い炎が浮かび、チーズを包んだ豚バラ肉と細かく刻んだニンニクを包む。途端、芳醇な酒と蒸発する肉汁、そして焦げたニンニク特有の芳ばしい香りが桜が咲くようにふわっと匂い立ち、小さな厨房を満たした。焼き過ぎないように気をつけながら、ニンニクの香りを染み込ませるように肉の全面をミートフォークでフライパンの表面に軽く押し付けていく。厚いばら肉に巻かれたカマンベールチーズがとろりと溶け出し、ジュウと食欲をそそる音を立てた。もうそろそろだろう。味見のために、一番小さい肉巻きを菜箸で摘んで口に入れる。予想以上の熱さに思わず小さな悲鳴をあげる。

 

「はひひっ。はふ、うん、いい感じに出来た」

 

 奥歯で噛めば、熱い肉汁が染み出して焼けた肉の味が口腔内に膨れ上がる。しっかり染み込んだニンニクの香ばしさとジューシーな脂が上手く互いを引き立てている。さらに強く噛めば、中のカマンベールチーズが溶け出してチーズのまろやかな味を楽しませてくれる。次々に味覚を刺激された脳が歓喜に打ち震えるのを感じる。うん、上出来だ。表面に適度に焦げ目をつけたところで火を止めて、あらかじめ用意しておいた大皿にひっくり返す。

 

ピピピッ

 

「ん、グッドタイミング」

 

 タイミングよく、背後でレンジの加熱終了を告げる音が呼ぶ。古そうだが性能は良いレンジを開ければ、しっかり加熱された冷凍食品の厚切りブロックポテトの山がホクホクと美味しそうな湯気を立てていた。それらを手早く一口サイズに切り揃えた後にバターをたっぷり塗りつけ、先ほど完成したばかりのチーズ肉巻きの隣に盛り付ければ完成だ。皿を持ち上げる直前、どうせならミントでも添えて見た目綺麗に装うべきかとも考えたが、あの三人はそういうことに拘らないから別にいいかとそのまま持っていくことにした。皿を持って厨房から出ると、カウンターでマージョリーさんと佐藤と田中が目をキラキラと輝かせていた。料理を見た田中がシンバルモンキーみたく拍手しながら大げさに喝采する。

 

「うおっ、うまそう!サユちゃん、それなんて料理!?」

「見たまんま、豚バラ肉のカマンベール焼きとバタージャガイモですよ。どうぞ、召し上がれ」

 

 でん、とカウンターに皿を載せる。酒の肴用として冷蔵庫の中に放り込まれていた食材から作った有り合わせの料理なのだが、おつまみを調理するという習慣がなかった三人にはご馳走に見えるらしい。肉でカマンベールチーズを巻いて焼くだけなんだけどなぁ。

 なぜ、ボクが三人のおつまみを料理する羽目になっているのかというと、「酒が呑めないのなら何か気の利いた食べるものでも作りなさい」というマージョリーさんのお達しで、ほとんど使われた形跡のない厨房に追いやられたからである。予想通り、面倒なことを押し付けられたわけだ。

 

(こっちはまださっきのお酒のダメージが残ってるんだけどなぁ)

「うー! まー! いー! ぞぉぉぉぉっっっ!!」

「もぐもぐ、はふはふ、むしゃむしゃ。うおォン! 俺はまるで人間火力発電所だ!」

 

 まだちょっぴり痛むこめかみに指を当ててこっそり肩を落とすボクの前で次々と料理が消えていく。お酒そっちのけでハムスターも裸足で逃げ出すほど口に頬張っているのを見る限り、けっこう気に入ってもらえたようだ。美味しそうに食べてくれる三人の表情を見ていると、ボクも満ち足りた充足感を胸に感じた。悪酔いのせいで重石を飲み込んだように重かった身体がふっと軽くなる。自分が作った料理で誰かが喜んでくれることがこんなに嬉しいとは知らなかった。新しい発見だ。

 

「なかなか良い腕してるじゃない。きっと良いお嫁さん(・・・・)になれるわよ」

 

 ニヤニヤとこちらをからかう笑みを見せるマージョリーさん。一瞬、シャナそっくりの自分がピンクのエプロンをつけて新妻のように家事に勤しむ姿を想像してゾッと鳥肌がたつ。嬉しくない、ちっとも嬉しくない。

 

「ハハハ、アリガトウゴザイマス」

 

 ここにいてもマージョリーさんにイジられるだけのような気がするので、厨房に戻って使った食器類を洗うことにする。佐藤家の使用人たちによって常に清潔に保たれている設備だが、自分で汚した物はきちんと綺麗にしておくべきだ。今のボクの背丈では足が床に届かないバーチェアーからひょいと飛び降り、軽やかに着地する。お尻に敷いて乱れてしまったスカートの皺を丁寧に伸ばす。借り物なのだし、ヴィルヘルミナさんそっくりのメイド服ということもあるので杜撰な扱いはできない。去り際に、物欲しそうにしている(ように見える)ペンダントにワインを一滴落としてやるのも忘れない。紅世の王にも二日酔いがあったりするんだろうか。テイレシアスは人間臭い奴だし、少し心配だ……って、なんだこの生温かい視線は。

 

「な、なんです?その顔は」

 

 ふと自分に向けられた視線の源に目をやれば、マージョリーさんがいかにも愉快そうなニマニマとした赤ら顔でこちらを見ていた。もう完全に酔っ払いと化している。

 

「その格好が板についてきたみたいね。よく似合ってるわよ?」

「うぐ」

 

 ぐさり。頬を膨らませてモグモグと口を動かしながらマージョリーさんが心を抉ってくる。給仕服を着て料理をしていれば嫌でもそう見えるのだろうが、直に指摘されるとやはりつらいものがある。身体という入れ物が変わったことで、人格という中身まで変質してきているのかも知れない。心当たりは……片手では数えきれない。

 

「その件については、放っておいてください。そういえば、この服はヴィルヘルミナさんの服ですよね。なんでこれをマージョリーさんが?」

 

話を逸らす意図が半分、純粋に興味があったのが半分の質問を投げかける。

 

「ああ、それね。あいつ、ちびじゃりに着てほしかったみたいだけど恥ずかしくて渡せないからってここに置いていったのよ。あの時は迷惑だと思ってたけど、ちょうどよかったわね」

 

 顔を赤くしてマージョリーさんに給仕服を押し付けるヴィルヘルミナさんの姿を想像しようとして、やっぱり失敗する。ヴィルヘルミナさんにもそういう可愛いところがあるのか。意外だ。すこぶる意外だ。

 

「ヴィルヘルミナはちびじゃりの育ての親みたいなものらしいじゃない。あんた、その姿でその服着て、あいつに会ったら、たっぷり可愛がって貰えるかもよ?」

 

 たしかに可愛がってもらえそうだ。主に拳を使って、だが。よりによって、シャナの恋の対象であるボクがシャナそっくりになって現れて、しかもシャナに着て欲しかったお揃いの服を着ているとなれば、いくらヴィルヘルミナさんの鉄面皮と言えど大魔神の如く憤怒の顔に激変するだろう。想像するだけで震えだしそうになる。

 

「お、お断りです。って、聞いてないし」

 

 酔っ払い特有のスルースキルを発揮して再びワイングラスを呷っていたマージョリーさんに「呑み過ぎないようにしてくださいね」と確実に無駄に終わりそうな注意をして、ボクは厨房へと戻った。

 

 

 ‡ ‡ ‡

 

 

 カウンターテーブルの上を一頻り片付けた後、テーブルに突っ伏してイビキをあげながら寝ている三人にタオルケットを被せる。マージョリーさんの肩にタオルケットをかけると、彼女の傍らに鎮座する丈夫な装丁の巨本―――マルコシアスが代わりに礼を言う。

 

「すまねえな、白銀の嬢ちゃん」

「いいよ。これも恩返しだから。でも……よく呑んだね、ホントに」

 

 飲み始めてから2時間は経っただろう。空のワインボトルの山を眺めてぽりぽりと頬を掻く。この三人の胃はどうなっているのだろうか。マルコシアスに一言断って、テーブルにあったペンダントを首にかけて庭に出る。夏の夜独特の蒸し暑さと涼しさが入り混じった風にしばし目を閉じて酔う。懐かしい、御崎市の夏の空気だ。地面を叩いて一息に屋根の上に飛び上がり、段差の部分に腰を下ろす。空を見上げれば、満天の星空と見事な満月が夜空を彩っている。それを膝を抱えてぼうっと眺める。屋根の上は風が少し強かったが、生地が厚い服のおかげで寒くはなかった。視界の隅に、風を受ける旗のように靡く艷やかな黒髪を認める。月明かりを滑らかに反射する長髪に、「蒸しタオルの話は本当だったんだ」とどうでもいいことを考えた。今の髪質だけなら、シャナに勝っているかもしれない。

 

「坂井悠二。俺はこれからお前のことをなんと呼べばいい?」

 

声を発した微かにワインの香りをさせるペンダントを手に取り、掌に広げる。律儀に聞いてくれたテイレシアスにボクは微笑む。

 

「サユ、でいいよ。今日からボクの名前はサユだ」

「わかった。我がフレイムヘイズ、サユ」

 

 短く静かな応答。でも、ぎこちなさはない。この時間には、この時間の『坂井悠二』がいる。後からやってきたのはボクの方なのだから、名前くらい変えるべきだ。だけど、慣れ親しんだ自分の名前を捨てるのはやはり辛いものがある。ボクがボクでなくなってしまうような空虚感に苛まれ、膝の間に顔をうずめる。

 

(どうにかして、元の時間に戻れないだろうか)

 

 ボクが消えて涙を流すシャナを思い出して、どうしようもない切なさが込み上げてくる。シャナともう一度会いたい。今なら胸を張って言える。ボクはシャナのことが好きだ。ずっと一緒にいたい。ずっと一緒に背を預け合って戦いたい。―――だけど、もう遅い。ボクが恋をしたシャナは、ここにはいない。悔恨と慙愧に歯噛みする。どうしてあの時、という後悔ばかりが胸を締め付ける。

 

 

「――――戻れるとしたら、お前はどうする?」

 

 

不意に、契約の際と同じ台詞が手元から聞こえた。その質問の意味がわからずにしばらく呆然とする。

 

「戻れる、って……まさか、元の時間に?」

 

 ああ、という押し殺したような短い返答。停滞していた思考がだんだんと追いついてくる。戻れる。元の時間に戻れる。シャナの元へ、帰ることができる。テイレシアスの言葉の意味を認識した途端、ざわと肌が粟立つ。胸のうちから湧き溢れてくる歓喜に総身がガクガクと震える。顔をあげ、テイレシアスをぎゅっと握り締める。

 

「どうすればいい?教えてくれ、テイレシアス!どんなことだってボクはやってみせる!」

 

 元の時間に戻れるのなら、ボクはなんでもしよう。どんな苦労も試練も厭わない。どんな犠牲も払ってみせる。フレイムヘイズとなったこの身は不老だ。やらなければならないことにどれほど長い時間がかかろうとも、またシャナの隣に立てるのなら幾十年、幾百年かかろうと構わない。

 

「………」

「……テイレシアス?」

 

 期待に目を光らせるボクとは対照的に、テイレシアスはなぜか話すか否かと思案しているようだった。それほどに難しいことなのだろうか。数秒して、テイレシアスが重い口を開く。

 

「今日一日、お前の身体を調べ直していて、わかった。俺たちがこの時間に飛ばされたのは、十中八九『零時迷子』の影響だ。消えかけのお前の中に、極めて小さな『零時迷子』の断片が混ざっていたらしい。時の事象に干渉し、所有者の存在の力を完全回復させる永久機関である『零時迷子』なら、断片だけでも俺たちをタイムスリップさせることが可能だろう。こちらの世界に現界する際に時空をねじ曲げられたと考えれば、辻褄が合う。あれが破壊された時、お前はすぐ傍にいたんじゃないか?」

 

 コクリと頷いて肯定する。たしかに、『零時迷子』はボクの目の前で壊された。あれがシャナの炎弾で破壊された様子を思い出す。スローモーションのような世界のなか、『零時迷子』が激情の炎に包まれ爆発する。そしてそのカケラが幾つか、消えかけのボクの身体に深々と突き刺さった。

 

「そうか、あの時の……!」

 

 ボクの中に偶然混ざってしまった『零時迷子』のカケラの作用でこの時間に来てしまった、ということか。たしかに合点がいく説明だ。そして、原因がわかったなら、対処の仕方も自ずと導き出させる。要は、ボクの中にある『零時迷子』のカケラを利用して、元の時間に戻ればいいわけだ。来れたのだから、帰ることもできるはずだ。突如射してきた一縷の光明に引っ張られるように立ち上がり、自然に空を仰ぎ見る。天から蜘蛛の糸がするすると伸びてきている様子すら幻視できそうだった。

 

「ねえ、テイレシアス!ボクの中の零時迷子を使うにはどうすればいい!?」

 

 できるならば、今すぐにでも取り掛かろう。希望に打ち震える肉体は、目的を達するための手段さえわかればすぐに実行できるほど熱を帯びていた。理性で抑えておかなければ今にも走り出してしまいそうだ。……だが、テイレシアスの様子はおかしかった。まるで余命間もない病人にその事実を伝えなければならない医者のような、陰鬱な雰囲気に満ちている。とてつもなく嫌な予感がした。聞くな、聞いてはならないと直感が叫ぶ。だが、聞かなければ前には進めない。ボクは息を飲んで、テイレシアスに先を続けるように視線で促す。

 それが絶望の幕開けになるとは知らずに。

 

「お前の中に、すでに『零時迷子』はない」

「……え?」

「いかに奇跡の永久機関と言えど、それはあくまでも完全な状態(・・・・・)での話だ。断片と化しての稼動は無理があったのだ。俺たちをこの時間に飛ばした際、『零時迷子』は全ての力を失って消失した。入浴中、お前の身体をくまなく走査したが、カケラ一つとも残っていない。元の時間に戻るには別の(・・)零時迷子(・・・・)』を使用しなければならない。つまり───」

 

 別の(・・)零時迷子(・・・・)』……?次に来るであろう言葉を予感し、跳ね上がった心臓がドクドクと早鐘を打つ。言いようのない悪寒が肺もろとも胸を貫き、呼吸が凍りつく。問うてはならなかったのだ。聞くべきではなかったのだ。

 

「待ってくれ、テイレシアス。そんな、まさか、」

 

 ガクガクと膝が震える。芽生えたばかりの希望を重い絶望が塗りつぶしていく。そこへさらに追い討ちをかけるように、テイレシアスが一切の感情を欠いた声で告げる。

 それはあまりにも残酷で、あまりにも過酷な試練―――

 

 

「この時間の坂井悠二を殺し、『零時迷子』を奪うしかない」

 

 

 美しかった双眸から光が消える。精神(こころ)が砕け散り、四肢から力が抜け、絶望に忘我して屋根に膝をつく。指から滑り落ちたペンダントが屋根に当たって小さな金属音を立てた。自分殺し(・・・・)をしなければ目的が達成されないと告げられたサユの、心が折れた瞬間だった。

 

 

 ‡ ‡ ‡

 

 

 夏だというのに、空気が沈鬱に冷え切っているように感じる。凍えたように震える歯がガチガチと音を立て、内奥から鼓膜を叩く。なんて、皮肉。大切な人のところへ帰るために、その人から大切なものを奪わなければならないなんて。自分(・・)を殺さなければならないなんて―――

 

(そんなこと、冗談じゃない!)

 

 軋みを上げ始めた心を叱咤して、認められない、認めてはいけないことを真っ向から否定する。

 

「坂井悠二を殺したら、未来の坂井悠二であるボクも消える!このまま坂井悠二がボクと同じ末路を辿るまで待てば、結果的に元の時間に戻り、シャナと会えるはずだ!」

「違うな。今日(こんにち)の戦闘も、“白銀の討ち手”の存在も、お前の記憶にはないはずだ。この時間は俺たちが元々存在していた時間とは繋がらない、枝分かれした別の時間―――平たく言えば平行世界(パラレルワールド)における過去(・・)なのだ。だから、この時間の坂井悠二を殺しても、お前に影響は出ない。異なる時間軸に属する坂井悠二がお前と同じ末路を辿るという保証も、ない」

「……ッ」

 

 ボクの言葉は呆気なく否まれた。なんとか反論しようと歯噛みして思考を巡らせるが、導き出される答えはテイレシアスのものとまったく同じだった。とりとめなく渦巻く頭の冷静な部分が、テイレシアスの話を肯定する。反駁しかけた口が無為に閉じられ、形にならず体内に閉じ込められた動揺が汗となって全身から噴き出す。人工音声のような抑揚のないテイレシアスの声が頭の中で繰り返され、冷たい霜のように軋む心に染み通ってくる。

 

『この時間の坂井悠二を殺しても、お前に影響は出ない』

 

 それはできない、やってはならないと理性が訴える。この時間の坂井悠二にも生きる権利がある。何かを護るために戦い、共に歩みたい誰かを選び、その人と生きる権利がある。自分の目的のために他でもない坂井悠二(ボク)がそれを奪っていいはずがない。そんな権利は存在しない。そう必死に心に叫び、言葉の鎖で縛り付けるように自分に言い聞かせる。

 だというのに、胸に沸き起こるのはシャナの笑顔だけだった。数年にわたりシャナと築き上げてきた記憶が、大切な思い出の数々が、胸のうちを瞬く間に埋め尽くしていく。

 

 

―――今のボク(お前)なら、シャナを退けて坂井悠二から零時迷子を奪うことができる。

 

 

(な、)

 

 いつのまにかシャナを倒すための戦術を考え始めようとしていた自分に、他でもない自分自身が怯えた。自分の冷静さが信じられなかった。たしかに迷い、心は涙を流して葛藤しているのに、一切斟酌することなくそれとまったく同時進行で『いかに戦うか、いかに殺すか』を思考し始めている。感情がどんなに拒否しようと、別のドライブが目的を達しようとシステムを稼動させ続ける。誰かが勝手にボクというコンピュータを操作しているように、頭の中で戦闘のシミュレーションが開始され、試行錯誤が繰り返されていく。やめろ、止まれと念じても、シミュレーションは止まらない。大切な人を確実に行動不能にする算段は、着々と、滞りなく、完成度を高められていく。『シャナならどう動く』。『シャナならどう反応する』。彼女を知り尽くしたボクだからこそ算段できる対策が数限りなく列挙され、彼女を苦しめる作戦が幾筋にも枝分かれして洗練されていく。数え切れないほど繰り返されたシミュレーションで、ついにこの手に握る銃が高速で飛翔するシャナを捉える。冷酷に細められた視界のなか、速やかに引き金を引き、放たれた銃弾が彼女の細い四肢を穿ち、鮮血を散らせる―――

 

「はは、は、あはははははは……」

 

 ひどく乾いた、空虚な嘲笑が漏れる。それが何に対しての嘲りなのかは自分でもわからなかった。顔の表皮に罅割れたような笑みを貼りつけ、己の有り様をただ嘲笑う。ボクは、なんなんだ?シャナを想いながら、シャナを傷つけて坂井悠二(過去の自分)を殺そうと考えているボクは、いったいなんなんだ?ボクはいつから、こんな冷酷な人間になったんだ?いや、元からそうだったのか?

 底抜けに虚ろな喪失感に押し潰されそうになる。これは何を失った喪失感なのだろうかとしばらく自問した末、ああ、そうかと理解する。きっと、感情(・・)だ。悲しいとか、そういった人間として大事な感情をボクはなくしてしまったんだ。ぷっつりと、何かが吹っ切れてしまった気がした。汗も、気づかぬうちに溢れ出していた涙も、ピタリと止まっていた。

 

「……これからどうする?我がフレイムヘイズ」

 

 黙然としていたテイレシアスが相変わらずの低い声で問う。その声音には後悔の色が混じっていた。酒を呑んでいたのは、悩み苦しむ契約者に無情な選択肢を与える勇気を得るためだったのだと、今さらになって気付いた。足元に落ちているペンダントを枯れきった眼差しで一瞥する。枯れた笑みはすでに霧散し、後には乾いた涙の筋を見せる無表情が残るのみ。

 

「……ああ、そうだね」

 

 気づけば、夜空の星は黎明の青灰色に掻き消され始めていた。それは美しい景色のはずなのに、ボクの目にはただの自然現象にしか映らなかった。周囲の世界から自分が遠のいていく感覚。視界に映るもの全てが、虚しい。

 心はこんなに重いはずなのに―――しかし、身体は驚くほど軽い。

 

 

さあ、零時迷子を手に入れろ。

 

 

 すぐ耳元で、あの声がした。戦いの最中に―――そして、悪夢の中に出てきた黒い坂井悠二(・・・・・・)の吹き荒ぶ風鳴りのような声が、意識の空白に強く響く。

 

 

己が為したいことを、為せ。その力が、今のお前にはある。

 

 

 その声が持っていた違和感―――広い空洞を渡るような距離を感じる響きはなくなり、耳元にまで迫った気配が蛇のようにじわじわと絡みつき、締め付ける。肩口から息を吹きかけるような至近から、全てを見透かす暗黒の気配が怪しく囁く。

 

 

お前の望みを、叶えろ。()()()()()()()()()()を。それこそ、余の望み―――

 

 

「ボクの、望みは―――」

 

 

 ‡ ‡ ‡

 

 

「ん、ぬぁあ~」

  

 窓から差し込んできた眩い朝日に、田中栄太がだらしない呻き声を上げながら目を醒ました。その気配につられたのか、隣で寝ていた佐藤栄太とマージョリーも苦しげに呻きながらゆっくりと上体を起こし始める。肩に暖かい布を感じる。いつのまにか、全員の背にはタオルケットがかけられていた。靄がかかったようにはっきりしない頭で状況を把握しようとして、途端に万力で締め付けられるような二日酔いの激痛に襲われて顔を顰める。栄太も同じように顔を歪めて額を抑えている。しかし、マージョリーだけは、あふと健やかな欠伸を漏らして背伸びをしていた。

 

「いつも思うんスけど、姐さん、あんなに飲んでよく平気っスね」

 

 ズキズキと刺すような痛みに堪える二人にマージョリーは「鍛え方が違うのよ」と平然と言い放つ。実はマルコシアスに清めの炎で体内のアルコールを消して貰っていたのだが、体面を保つために二人には黙っている。

 

「見栄っ張りな女はモテないぜ―――ひでぶッ!」

「うるさいのよ、バカマルコ。……あら?」

 

 ふと周りを見渡し、この場に一人足りないことに気づいた。

 

「サユは?」

「ったく……。嬢ちゃんなら、夜中に出てったぜ。そこの手紙を残してな」

 

 マルコシアスの即答。紅世の王である彼は人間である契約者と違い、睡眠による休息を必要としない。驚く少年二人をよそに、こうなることをある程度予想していたマージョリーは落ち着いてテーブルに置かれた手紙を手に取った。あの坂井悠二のことだ。これ以上迷惑は掛けられないとこっそりと立ち去ったのだろう。

 

「やけに吹っ切れたような感じだったな。ちっとばかし奇妙なくらいに」

「ふうん。何か思いついたのかしらね」

 

 手紙の内容は、いかにもマージョリーの知る坂井悠二らしい内容だった。戦闘でマージョリーが悠二を何度も助けたこと、倒れた悠二を運んだこと、荒唐無稽とも言える話を信じたこと、世話を焼き、名前を与えたこと。それらに対する感謝の言葉がこれでもかというほど並べられていた。佐藤啓作への一宿一飯の恩や、恥を忍んで下着を買ってきた田中栄太への感謝の言葉も忘れられていない。おまけに、「お酒の呑みすぎはやめた方がいいと思います。未成年に呑ませるのも控えた方がなおいいと思います」という生意気な忠告まで添えられていて、マージョリーは思わず噴き出してしまった。外見はどんなに変わっても中身は変わらないな、と。

 だが、文章の最後に何の脈絡もなく綴られていた短い言葉を目にすると、マージョリーは途端に眉を顰めた。

たった6文字のその言葉に冷淡で虚ろな様子が感じられ、しかしその正体に皆目見当がつかずに無性に不安を煽られる。

 

「姐さん、どうかしたんですか?」

「あの、サユちゃんが何か……?」

 

 二人が不思議そうに問うが、マージョリーの耳には入らなかった。何の推察も根拠もない。だが、長い年月を掛けて練磨された第六感が言い知れぬ不安に怯え、叫んでいた。何かが起きる、と。

 その手紙の最後に記されていた言葉は、

 

 

 

 

『ごめんなさい』




「TS娘をもっと鬱な環境にぶちこみたい」と呟きながらパソコンの照り返しを受けつつにチャアとほくそ笑んでいるような青春が素敵で豊かなものかどうかは人それぞれなんやな。

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