白銀の討ち手   作:主(ぬし)

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本作を改訂するにあたって一番気をつけているのは、原作キャラの性格や口調です。これを書いている当時はまだ原作小説を読み始めたばかりだったので、その辺りを曖昧にしか捉えられていませんでした。今は、それをなるべく原作に近付けようと努力しています。成功しているかはわかりませんが、少しでも違和感が生じないようになっていれば幸いです。


3-1 亡者

 肌に粘っこくまとわりつく夏独特の大気が、御崎市全体を満たしていた。熱線のように照りつける日差しはじりじりと影の角度を変え、時刻は午前から午後へと変わろうとしている。

 

「きゃっ!?」

 

 そんななか、公園で日課の飼い犬の散歩をしていた吉田一美は、突如重く響き渡った破砕音に驚いて身を竦めた。慌てて音の根源に視線を転じれば、炎天下だというのに真っ黒な外套を羽織った給仕服姿の少女が、白銀の棒をアスファルトに突き立てていた。不可解な紋様の刻み込まれたそれは、ほんの一週間ほど前にカムシン―――フレイムヘイズ“儀装の駆り手”が、この世の歪みを調整・修復する『調律』の際に使用した宝具『メケスト』に酷似していた。肉付きの薄い少女が、その華奢な腕では到底持ち上げられそうにない長大な棒を片腕だけで軽々と引き抜く。地面に穿たれた深い穴に一瞥を向けた後、周囲の奇異の目も気にせずに緩慢な動作で踵を返す。

 その可憐な横顔に、一美は見覚えがあった。見紛う事なき、尊敬する人間でもあり、恋の仇敵でもあるクラスメイト、シャナだった。かつて校舎裏で「あなたには絶対に負けない」と宣言したことを思い出す。さらについ先日、恋する少年に告白し、完全に対等な関係―――ライバルになったことを思い出す。

 

(ここで逃げたら、ダメ)

 

 意地の炎が燃え上がるのを感じる。燃焼するそれをそのままエネルギーに変えて腹底に気合を込めると、一美は挨拶でも交そうと一歩踏み出し、

 

「シャナちゃ―――」

 

 そして、異変に気づいた。

 

 

 一言で言えば、亡者(・・)であった。

 成長すれば絶世の美女となることを約束された幼くも凛々しい容姿は、紛れもなく一美の記憶どおりの少女だ。しかし、その瞳が、まるで別人のものだった。枯れきり、陰鬱に凍りついた瞳は死人のそれを連想させ、一美の歩を強制的に止めさせた。少女が纏う底冷えするような冷気に、全身の熱が瞬時に吹き消された。一美に忠実な大型犬の飼い犬でさえも、怯えて身を縮こまらせている。

 

(違う。アレはシャナちゃんじゃない)

 

 途端に背筋を走った緊張に息を飲みながらも、喉元までこみ上げた得体の知れない恐怖を押し戻し、正体を探ろうと少女を必死に凝視する。カムシンと出会い、微力ながらも戦いに参加(・・)し、想い人への気持ちを確固たるものにしたことで、一美の精神力は以前の何倍にも強くなっていた。

 視線に気づいたのか、少女の双眸がぐりとこちらへ向けられる。そのたった一瞬の一瞥は、一美には永遠に感じられた。

 

(なんて、悲しい瞳)

 

 奈落のように昏い眼球は何も映してはおらず、光すら飲み込んでしまいそうな闇色に染まりきっていた。その瞳に感情の機微が過ぎったように見えたのは、果たして一美の気のせいであったのか。一対の洞穴にほんの一刹那だけ宿った優しい光は、まるで()()()()()のようで―――

 

「あっ!?ま、待って!」

 

 瞬き一つにも満たない一瞬だけ視線を交わし、少女は一美から逃げるように去っていく。幽鬼のような少女の奇行を咎められる者は誰一人としておらず、一美がはっとして少女を追いかけた時にはその小さな姿は人ごみの中へと消えていた。

 

(今のは、いったい)

 

 あまりに突飛な光景を目の当たりにして、一美は混乱の極みに陥っていた。果たして今の出来事が幻覚だったのか、それすら判別がつかない。どうしようもない胸騒ぎに総身を凍えさせられ、一美はただただ呆然とその場に立ち尽くすしかなかった。だから、彼女の足元に穿たれた穴が小さな紫電を発しても、気付けなかった。

 

 

 ‡ ‡ ‡

 

 

「悠二、これお前にやるよ」

 

 田中がなにやら大きな皮製の袋を渡してくる。長さは一メートルほどで、幅は30センチ程度。厚さはそれほどなく、扁平な形をしている。

 

「なんだよ、これ―――うわっ!?」

 

 長大なそれは持つとかなり重く、思わずひっくり返って尻餅をつきそうになるのを脚に力を入れてなんとか堪えた。厚い布で何重にも包み込んでいるようだが、手触りでそれが大剣であるとわかる。持ち手は片手ほどの短さしかなく、バーベルを持っているかのような錯覚をさせる重量はおよそ人間用(・・・)ではない。

 

「これ、『吸血鬼(ブルートザオガー)』じゃないか」

 

 『ブルートザオガー』とは、かつて御崎市を襲った紅世の王の一人、“愛染自”ソラトが所持していた剣型の宝具だ。存在の力を込めれば、この剣に触れている相手に多大なダメージを与えることができるという接近戦において並外れた特性を持つ。ソラトを倒した後は、田中と佐藤が訓練に使っていたはずだ。昼過ぎに二人に呼び出されて何事かと佐藤の家まで出向くと、豪勢な佐藤家の門前で待っていた田中と佐藤に突然『ブルートザオガー』を渡されたので、僕は戸惑いを隠さずに二人を交互に見る。

 

「やっぱり、俺たちじゃこれを使うのは無理だ。存在の力ってのも全然使えないし、これはお前かシャナちゃんが使うべきだと思ってさ」

「姉さんに頼み込んで訓練に使わせてもらってたけど、さすがの俺も振るうだけで精一杯だしさ。武器として使うのは、諦める」

 

 と、それぞれ後ろ頭と頬をボリボリと掻きながら苦笑する佐藤と田中。一見照れ笑いのように見える表情には、剣を扱うことが出来なかった無念と恥が見え隠れしている。佐藤は、かつて大いに荒れていた時期があり、派手なケンカも何度となく経験し、常に相手を屈服させてきた。一見ヤサ男のような細身ながら、腕っ節の強さは同年代でも上位に位置する。田中もまた、ドッジボールでシャナと渡り合えるほどの筋力と俊敏さを兼ね備えた、誰もが認める天才スポーツマンだ。今まで積み上げてきた体力と経験がまったく通用しない事態は、二人にとっては悔しいことこの上ないのだろう。だからこそ、その事実を潔く認めて、この剣を満足に扱うことができる人物に譲るという合理的な行動を実行できた二人が、僕には眩しく見えた。

 

(とは言え、僕もこれを使えるかと言われればまったく自信はないんだけど)

 

 この剣はそもそも人間が振るうことを想定して造られていないし、特性を発揮するには存在の力を流しこむ必要がある。シャナとの訓練で、存在の力を操る練習もしてはいるが、成果といえばシャナの呆れ顔のバリエーションが増えたくらいだ。持ち上げただけで全身の骨を軋ませるこの重量も克服しなければならない。

条件の不利具合で言えば、僕の置かれているそれも二人と大して変わらない。

 

(まあ、これからじっくり鍛えていこう)

 

 だというのに、僕の心には余裕があった。毎朝、毎晩と行われるキツイ鍛錬の繰り返しは、確実に自分の力を高めている。シャナには遙か遠く及ばないとはいえ、実戦で鍛えられたシャナの指導によって筋力や反射神経や剣術の腕も、緩やかだが上達の一歩を辿っている……と思いたい。これを続けていけば、いつかはブルートザオガーも扱えるようになるだろう。心の何処かで「それは油断ではないのか」と叱咤する声が聞こえたが、杞憂だと切り捨てられた。事実、“愛染他”ティリエルと“愛染自“ソラトを撃破し、ついこの間は“探耽求究“ダンタリオンの野望を看破し、打ち砕き、追い払った。そして昨日も、襲ってきた紅世の王をシャナと協力してものの数十分で見事に撃破してみせた。

 

(シャナといれば、何も恐れることはない。そう、シャナといれば)

 

 数々の勝利の経験に裏打ちされた余裕は、未だ尾を引いて僕の心にこびりつくように滞留していた。大事なことを見落としている、という直感に似た蟠りを残して。

 

「当分は僕も使えないと思うけど……。でも、もらっておくよ。ありがとう、二人とも」

 

 何はともあれ、手元に強力な武器が増えるのはいいことだ。二人の想いも一緒に貰い受けたのだと思うと、剣の重みがさらに増した気がした。不快ではない、力強い重みだ。

 

「……?」

はたと、僕の顔を見る二人が眼を丸くしていることに気づいた。何かついているのだろうか?

「な、なんだよ?」

「あ、いや、なんかサユちゃんに似てるなって思ってさ」

「俺も同じことを思ってた。顔は全然似てないけど、どこか似てるんだよな」

 

初めて聞く名前に、僕ははてと首を傾げる。

 

「サユって、誰のこと?」

「悠二は会ったことないのか?この街に来た新しいフレイムヘイズの女の子だよ。シャナちゃんそっくりなんだ」

「えっ!?」

 

 まるで初耳だった。そういえば、昨日の襲撃の後、アラストールが何かを察知したような様子を見せていたが、それと何か関係があるのだろうか?それにしても、シャナにそっくりというのは驚きだ。フレイムヘイズとして育てられたが故の特殊な人格はともかく、容姿だけならシャナは超をつけても足りないほどの美少女だ。気高い精神そのものが形を持ったかのような整った精悍な顔立ち、流れるように流麗で靭やかな体躯は、並大抵のアイドルなど鎧袖一触してしまう。それほどの美少女が同じ御崎市にもう一人存在するなど、奇跡としか言いようがない。

 

「その、シャナにそっくりなフレイムヘイズの女の子、まだ御崎市にいるの?」

「いや、もう立ち去ったみたいだぜ。控えめで大人しいし、料理も上手いし、姐さんも気に入ってたみたいだし、すっげえ良い娘だったんだけどなぁ」

 

田中が心底残念そうに肩を落とす。その肩に手を乗せながら、

 

「また食べたかったよな、サユちゃんのチーズ肉巻き。くそ、思い出したら腹減ってきた」

 

 と、名残惜しそうに中空に遠い目を向ける佐藤。先ほどまでの取り繕ったような表情はどこへやら、その口端からはだらしなく涎が落ちそうになっている。とりあえず美をつけてもいい美顔が台無しだ。逆を言えば、それくらい美味い料理だったのだろう。チーズ肉巻きというと、カマンベールチーズを肉で巻いて焼いた簡単な料理のことだろうか。まだ父さんが海外へ単身赴任する前に、家族で行ったキャンプでチーズ巻肉と蒸かし芋の夕食を一緒に作ったことがある。作り方はとても簡単なので、「それなら僕も作れるけど」と言おうと思ったが、十中八九、「男の手料理なんざ誰が食うか」と拒否されるので口に出さず飲み込んでおいた。

 

(二人の話を聞く限り、性格はシャナと全然違うみたいだな。一先ず、安心だ。シャナみたいなメチャクチャな女の子が増えたりなんかしたら――――)

「───ふっ!」

「えっ、うぉわぁあっ!?」

 

 心中でそう独りごちていると、出し抜けに背中に密着感と鋭い呼気を感じて反射的に振り返る――――が、時すでに遅し。視界の隅に艶やかな黒髪が舞ったことを視認した次の瞬間には、僕の身体は鮮やかな二撃を浴びて宙で一回転していた。流れる視界に映り込んだのは予想通りの人物だったので、いきなりの攻撃に少し混乱しながらも落ち着いて受身を取る。背中が地面に叩きつけられる寸前で顎を胸に押し付けながら両手を振り下ろし、地面を叩いた反作用で衝撃を殺す。剣山を掌で思い切り叩いたような激痛と鈍い衝撃が神経をびりびりと引き攣らせる。

 

「いっつつ……!い、いきなりぶん殴るなんてひどいじゃないか、シャナ」

 

 噂をすればなんとやら。痛みに顔を顰めながら見上げると、そこには小振りな唇をへの字に曲げたシャナが憮然とした表情で突っ立っていた。その後ろには、昨夜この街に到着した、シャナの古い知り合いというヴィルヘルミナさんの姿もある。フリルのような装飾など見られない濃紺一色の丈長ワンピース、シミ一つない純白のヘッドドレスとエプロン、清楚な編み上げの長靴。それらを『メイド服』と呼ぶには、メイドに関してぶっ飛んだイメージが定着してしまった日本では質素すぎた。しかし、ヴィルヘルミナさんが身に纏えば、まるで由緒正しい貴族の家令のように気品に満ち溢れて見える。つまり、そのくらい美人なのだ。さながら女性の化身といった風貌はどうしたってひと目に立つ。メイド服を着ていればなおさらだ。もちろんのこと、彼女もフレイムヘイズであり、“万条の仕手”という二つ名で紅世の徒や王たちに怖れられている指折りの猛者なのだという。

 

「ど、どうも……」

「………」

 

 黙っていても周囲を圧倒する強者の風格に気圧されるように会釈するが、返ってくるのは刺すような視線のみ。僕のことが気に食わないという意思があからさまに感じられる。

 

(昨日の会議で、何かあったのかな)

 

 昨夜、突如来訪したヴィルヘルミナさんに僕が追い払われた後、シャナとヴィルヘルミナさん、そしてアラストールとティアマト―によるフレイムヘイズ同士の会議が行われた。その中で何が話し合われたのかは見当もつかないが、立ち去る前の雰囲気から、シャナがヴィルヘルミナさんに強く物を言えないということは察することが出来た。また、シャナがヴィルヘルミナさんに向ける表情が家族(・・)に向けるそれに似ていることから、彼女がシャナと強い信頼で結ばれていることもわかった。

 

(親子のようなものなのかもな。だとすると、ヴィルヘルミナさんにとって僕は“娘についた悪い虫”ってことになるのか!?)

 

 このままだと「未熟者はこの娘に近づくな」と言われかねないので、痛みを押して急いで立ち上がり、威儀を正す。

 

「悠二が嫌なことを考えていそうな気がしたから。それに、今のは打撃じゃなくて摔法(しゅっぽう)よ。いい加減、この程度の套路(とうろ)くらい受け流せるようになりなさい」

「うぐっ」

 

 『考えていそうな気がした』という理由で攻撃してくるなんて理不尽だ。……まあ、事実なんだけど。ちなみに『摔法』というのは、八極拳における投げ技の呼び名らしい。柔道のように相手を華麗に投げ飛ばすのではなく、素早く突き倒すような攻撃だ。先ほど背後に感じた密着感と呼気は、相手の身体に肩と上腕を密着させて攻撃を打ち込む八極拳独特の構えだったようだ。一撃目に背中に強烈な掌底を喰らい、浮き上がったところで瞬時に二撃目の摔法で投げられたのだ(こうして二つ以上の技を繋いだ連撃を『套路(とうろ)』という)。シャナは中国拳法にも精通しているので、たまに剣術以外の鍛錬として体術も教えてくれる(ちなみに、シャナに体術を教え込んだのもヴィルヘルミナさんらしい)。しかし、格闘技の経験などほとんどない僕は、攻撃を受けた後にようやく自分が何をされたのか理解できる程度のレベルなのだ。(いわん)や、受け流すなどという高度な芸当など到底出来るはずもない。

 

(まだまだ、精進が必要だなぁ)

 

 シャナの足手纏いにならないように努力は続けているつもりだが、先はまだまだ長いようだ。唐突なタイミングでその事実を突きつけられて肩を落としていると、

 

「ヴィルヘルミナの前なんだから、悠二ももう少し良い格好見せてくれてもいいのに……」

 

 針先のように小さな声で、シャナが何事か呟いた。小さすぎてよく聞き取れなかったが、僕の名前を言ったらしい。

 

「何か言った、シャナ?」

「―――ッ!?な、なんでもない!バカ悠二!!」

「な、なんでそうなるんだよ!?」

「うるさいうるさいうるさい!悠二が弱すぎるのがいけないのよ!」

「うぐぐっ」

 

 怒り心頭なのか、顔を真っ赤にして言下に吠えるシャナの形相に思わずたじろぐ。それを言われては反論どころかぐうの音も出ない。僕はシャナをここまで怒らせてしまうような醜態を晒してしまったのだろうか。いや、考えようによっては僕はシャナの弟子のようなものだし、よりによってシャナの恩師の前で孫弟子の僕がシャナの顔を潰すような情けない姿を晒したことに憤慨しているのかもしれない。ちらりとヴィルヘルミナさんの様子を覗えば、感情のなかった硬質の目に怒りの色がメラメラと浮かんでいるのが見て取れた。

 

(や、やっぱり僕が未熟だから怒ってるのかな)

 

 ちりちりと肌を刺す険を含んだ視線に全身から汗が噴き出す。ふと、その視線の中に面白くないものが二人分混じった。

 

「……なにがおかしいんだよ」

 

 こちらをニヤケ顔で見物していた佐藤と田中をじろっと睨むと、二人は慌てて逃げ出す。

 

「俺たちは玻璃壇のとこに行くから!じゃあな!」

「さよなら、シャナちゃん、ヴィルヘルミナさん!」

 

 そう言い残すと二人は足早に路地角へと消えた。さすが鍛えてるだけあって速い。最近は、マージョリーさんに『玻璃壇』───“狩人”フリアグネが遺した、御崎市全体をリアルタイムで監視できるミニチュアシティのような巨大観測宝具───の詳細な使い方を教わっているらしい。戦闘や異常事態が発生した場合はそれを使い、現場にいるマージョリーさんを間接的にサポートする役割を担うのだそうだ。

 

(直接戦いに参加できなくても、他の方法で役立とうとしてる。僕も負けられないな)

 

「ねえ、悠二。それはなに?」

 

 シャナが、肩に背負ったブルートザオガーの皮袋を顎で指す。見れば、シャナの両手には洗剤などの日用消耗品が詰まった袋がぶら下がっていた。どうやら買い物の帰りだったようだ。

 

(こ、この状態でさっきの套路をやったのか)

 

 逆を言えば、両手が塞がった状態でも簡単に吹っ飛ばせるのが今の僕の実力ということだ。再度突きつけられた決定的な実力差に内心で歯噛みしつつ、これ以上醜態を晒さないように、大剣をさも軽々しく扱っているかのように平然を装って答える。

 

「『ブルートザオガー』だよ。二人から譲って貰ったんだ。僕も、早くこれを使えるようになって、シャナと()()()()()()戦えるくらい強くならないとね」

「―――ふぇぇっ!?」

「……!!」

 

 後半は決意が半分と見栄が半分だったが、言った途端にシャナの頭がボンッ!と爆発した―――ように見えたので思わずビクリと後ずさる。同時に、今までピクリとも動かなかったヴィルヘルミナさんの眉根にビキリと稲妻のように皺が走り、剣呑なオーラが殺気のレベルにまで一気に跳ね上がる。

 

(え、なんだこの反応!?ま、マズイこと言っちゃったか!?)

 

 小さな声で「馬鹿者め」と呆れたように呟かれたアラストールの声が聞こえた気がした。

 

「ゆ、悠二のくせに大口叩きすぎ!私と共闘なんて、百年早い!!」

 

 頬を紅潮させたシャナにぷいっとそっぽを向かれてしまう。たしかに、未だ存在の力すら使いこなせていないのに、シャナと刃を揃えるなんて大言壮語に過ぎる。これは怒られても仕方がない。……殺気を向けられるほどではないと思うけど。

 

「ご、ごめん、シャナ。……ところで、ヴィルヘルミナさんの後ろにあるそれはいったい……?」

 

 ヴィルヘルミナさんの背後に鎮座している小山のような背嚢(バッグ)を指差す。高山登頂用らしき丈夫そうな厚手の背嚢は明らかに許容量をオーバーして膨らんで、今にも音を立ててはち切れそうだ。時折通りすがる通行人も、拷問のように酷使される背嚢とメイド服の西洋美人の不思議なコラボに奇異の目を向けている。しかし、シャナは「ああ、これ?」となんでもないかのように流し目で一瞥するだけで済ませた。その仕草はそれがシャナにとって見慣れた光景なのだということを物語る。

 

「ヴィルヘルミナも私と一緒に住むことになったの。だから、二人分の生活必需品を買い揃えておくことにしたのよ」

「だからっていっぺんに買い込まなくても……」

 

 フレイムヘイズとは言え、この巨大な背嚢はさすがに一人では持てないのではないだろうか。ヴィルヘルミナさんのシルエットを完全に隠すほどに膨らんだ背嚢は彼女の体重の優に3倍はありそうだ。僕が不安げに見るなか、ふんと鼻を鳴らしたヴィルヘルミナさんが慣れた動作で背嚢を背に担ぐと、まるで重さなど感じていないかのようにひょいと立ち上がってスタスタと進み出す。バレリーナのようなしなやかな動きだが、いかにも「こんなの重くなんてありませんよ」と言うような背中がなんだか僕への当て付けのような気もする。いやいや、それは自意識過剰だろう。ヴィルヘルミナさんの歩みに合わせて背嚢からガチャガチャと騒々しい音が耳朶を叩く。彼女の後ろ姿を一般人が見たなら、巨大なリュックサックに足が生えていると錯視するに違いない。

 

「ミステス風情が、フレイムヘイズを舐めるものではないであります」

「心配無用」

 

 呆気にとられる僕に、刺すら感じる硬い声質の女の声が二人分(・・・)投げかけられる。もう一人の声は、純白のヘッドドレスから発せられていた。ヘッドドレス―――神器『ペルソナ』に意思を表出させる紅世の王、『夢幻の冠帯』ティアマトーはいつも短い台詞しか口にしないらしい。二人とも寡黙なのに、これでよく意思疎通が成立するなと感心してしまう。足の生えた背嚢のお化けと並んでメロンパンを齧りながら去っていくシャナが、不意にこちらを振り返り、不機嫌そうな目に睨んでくる。

 

「悠二、なにしてるの」

「へ?」

「悠二も手伝うに決まってるでしょ。ついでに掃除も済ませるんだから」

「まさか、フレイムヘイズ二人に働かせて自分は一人でのんびりと過ごすつもりであったわけではあるまいな?」

 

 咎めるようなアラストールのドスの効いた声に図星を突かれ、思わず息を飲んで押し黙る。言外に、「昨日の襲撃を忘れたのか」という叱責を感じとったからだ。昨日の、燐子の大群を引き連れた紅世の王による襲撃は、明らかに僕とシャナが離れたタイミングを狙ってのものだった。僕の零時迷子のミステスとしての鋭敏な感知能力によって気配をすぐに察知し、連絡用の付箋(マージョリーさんから譲ってもらった、自在式を用いて作られた一種の無線機)によってシャナに伝えることで即座の反撃・討滅に成功した。

 

(今は敵の気配は感じないけど、きっとそういうことじゃないんだろうな)

 

 敵の気配がないことはアラストールもわかっているだろう。カムシンが調律を行ったことで御崎市内のトーチはほぼゼロとなったため、徒や王が人食いを隠蔽するためにトーチを作ればすぐに露呈して、討滅される。そも、シャナとマージョリーさんに加え、ヴィルヘルミナさんという強力なフレイムヘイズたちが待ち受けるこの街にノコノコとやってくる敵がいるとは思えない。要するに、アラストールは「差し迫った脅威はないが、用心を怠るべきではない」と忠告してくれているのだ。

 

(……でも、僕がシャナの家に上がりこんでも大丈夫なのか?)

 

 間違って下着が仕舞ってある棚を開けてしまってシャナに袋叩きにされる、なんて展開が待っていそうで激しく不安だ。それでなくとも、ヴィルヘルミナさんからの風当たりが強くなっていく一方だと言うのに。

 

「悠二、早くして」

「わ、わかったよ。今行く」

 

 このまま迷っていても仕方がない。名誉挽回の機会を貰ったんだとポジティブに考えよう。『ブルートザオガー』の袋を担ぎ直すとシャナの後を追おうと足を踏み出し、

 

 

 

「―――え?」

 

 

 

視界の隅に映る違和感に、歩みを止めた。

両脇を高い堀に挟まれた狭小な暗闇に、その影(・・・)は佇立していた。

 

―――そう、まさに()としか形容できない風体だった。

 

 外套を頭からかぶったような異様な風体は浮浪者のようであったが、それが総身にまとわりつかせる闇はこの世のものとは思えない負の波動を感じさせた。背丈はシャナとちょうど同じくらいだが、凛と強い輝きを放つシャナとはまるで正反対の空気を孕んでいる。何者なのかと眼を細めて凝視するが、見れば見るほどにその影は細部がぼやけ、ますます不鮮明になっていく。いくら眼を凝らしてもその容姿は正確に捉えられない。輪郭はぼやけ、霞み、時には二重にも三重にもぶれて見える。普段なら何キロも離れた敵の気配すら生々しく察知できる『零時迷子』由来の鋭敏な感覚も、今は目の前の異常の塊を捉えられない。見えているのに、そこにいるという実感が得られない。まるで霞を必死に掴もうとしているかのような錯覚に目眩すら覚える。

 

 だが、その眼だけは――――外套の隙間からこちらを見据える暗黒の双眸だけは、爛々と不気味に燃えていた。

 

 人が人を見たとは思えない、禍々しい意思を漲らせる二つの眼球。それに睨まれているだけで、喉元に刃を当てられているような怖気と危機感が去来する。あらためてその異様さを痛感し、悠二は息を飲んだ。

 

(こいつは違う(・・)

 

 経験ではなく直感で悟る。そこにいるのが、人間ではないということを。しかし、影からは紅世の住人の気配も、フレイムヘイズの気配も感じられなかった。もしそうであれば、すぐそこにいるシャナたちが黙っていないはずだ。これは悪い幻覚なのではないか、と目頭をぎゅっとつまんでからもう一度影を見ると、

 

 

「あ、あれ?」

 

 

影は、最初から存在していなかったかのように、忽然と姿を消していた。

 

「そんな、たしかに……」

 

影の正体を確かめようと暗がりを覗こうとして、

 

「悠二ィ!」

「え―――あだァッ!?」

 

 甲高い怒鳴り声と共に飛んできたヤカンが頭にあたって跳ねた。くわんくわんと頭蓋の中で反響音が鳴り響き、三半規管がしっちゃかめっちゃかになって情けなくその場に倒れこむ。再び地面に這い蹲りながら、もう一度暗がりに目をやる。そこは、何の変哲もない薄暗く狭い、ただの路地だった。あれほど感じていた張り詰めた冷たい空気は跡形もなく霧散し、周囲には重く暑い夏の大気が満ちている。いや、そんなものは最初からなかったのか。

 

(気のせい、だよな)

 

 どうやら、本当に幻覚だったようだ。天井の染みを長時間見ていたら顔の形に見えてくるようなものだろうか。だとしたら、そんなものにビクビクしていた自分は物凄く恥ずかしい奴なのでは……。

 

「なにしてるの、置いてくわよ!」

 

 まだ耳鳴りが収まらない頭を抑えて立ち上がると、シャナが今度は鍋を投げようと振りかぶっていた。しかも土鍋だ。そんなものを投げられては、今度はコブどころではすまない。

 

「行くよ、行くってば!」

 

 慌てて転がっていたヤカンとブルートザオガーを拾って走る。異様な影の存在は、すぐに頭から忘れ去られた。

 

 

 ‡ ‡ ‡

 

 

 悠二たちが立ち去ったのを見計らったかのように、突如裏路地の暗闇が揺らぐ。闇が表面を波立たせたかと思うと、しゅるりと布の擦れる音と共に()()()。そこから、じわりと滲み出るように、少女が現れる。給仕(メイド)服を着込んだ年端も行かぬ少女は、しばし悠二たちが立ち去った方向を何の感情も見出せない表情で見つめていたが、すぐに眼を逸らして白銀の棒をアスファルトに突きたてた。長大なそれは、一美が公園で目撃した宝具『メケスト』の忠実な贋作だ。そして、少女が身を隠していた外套は、紅世の徒“吼号呀”ビフロンスの持つ隠密用の宝具『タルンカッペ』であった。その紅世の徒は、やがてシャナと坂井悠二が対決することとなる敵であったが、もちろん()()()()()()()()()はそんなことは知る由もない。知っているのは、少女だけだ。ゴリッと鈍い音と共にメケストが引き抜かれる。アスファルトに穿たれた深い穴に、微かな紫電が走る。機能し始めた証拠だ。

 

まだ(・・)足りない(・・・・)

 

 少女が掠れた暗い声で呟く。目的を確実に達成する算段は、着々と滞りなく実行されていた。仕上げももうすぐ完了するだろう。後は、時間を待つのみだ。ずるずると身体を引きずるように、少女は再び暗闇へと戻っていく。再び布の擦れる音。次の瞬間には、少女の姿は闇に溶け完全にその姿を消していた。

 

 

 ‡ ‡ ‡

 

 

「姐さん、これってなんですかね?」

 

 マージョリーから玻璃壇の使用方法を教わっていた佐藤啓作は、ふと今までそこに存在しなかったはずの光が点滅していることに気づいた。マージョリーが「あん?」とさも面倒くさそうに眉を顰めながらその光点を一瞥する。御崎市の全景をミニチュアのようにして投影する監視用の宝具『玻璃壇』。その玻璃壇に映る中央公園の辺りで、目を凝らさなければ見過ごしてしまいそうな小さな光が点滅していた。

 

「ああ、カムシンの『調律』の跡でしょ。“探耽求究”がいじって台無しにしちゃったやつの残骸がいくつか残ってるのよ。気にしなくても、すぐに消えるわ」

「でも、これついさっきまでなかったんですよ。変ですよね?」

 

 そう言われるとたしかにそうである。歪められた現世の姿を正しく修正するために、カムシンによって地脈に手が加えられて作られた自在式は、ほとんどがすでに自然消滅している。それが再び勝手に活性化するなどありえない。誰かが再び操作したのならありえるだろうが、そんな技術を持ったフレイムヘイズは限りなく少ない。

 

「あんたが見過ごしてたんじゃないのぉ?」

「ひーっはっはっはぁっ!酒の飲みすぎで脳みそまでアルコール漬けになっちまったのかもな!?」

 

 それを言われると啓作は反論できない。事実、まだ二日酔いの痛みは抜けきっておらず、時折こめかみに刺すような痛みが走る。ううむと唸りながら、啓作は自分の不甲斐なさを情けなく思った。

 

「でも、姐さん。その、俺も同じような光を見つけちゃったんすけど……」

 

 気まずそうな栄太の声に、二人がぎょっと振り返る。栄太の指差す場所、ちょうど啓作の家の近くで、弱々しいけれどもたしかに光が点滅していた。これにはさすがの楽観的なマージョリーも不可解に思った。よく見渡せば、そこらじゅうで小さな光がチカチカと同調して点滅している。調律の影響が抜けきってないのかもしれない。カムシンがしくじることなどありえないだろうが、今回は“探耽求究”に調律に使用した自在式を勝手に改造されて悪用されたため、なんらかの影響が残っているのだろう。だが、あまりに弱々しい光は消えかけの蝋燭の炎のようで、この世に与える影響など皆無に等しい微弱なものだ。フレイムヘイズの中でも一際自在式に秀でているマージョリーは、そう判断した。「一応見張っときなさい」と二人に告げて、マージョリーはふと“白銀の討ち手”サユのことを思い出す。サユの気配はもう感じられない。すでにこの街を旅立ったのだろう。本人もそうすると言っていた。

 では、この体の芯から湧き起こる不安感はいったいなんなのか? サユが残した手紙の最後の一文を思い出す。

 

(あれはいったい……?ああ、もう!イライラするわね!)

 

 考えれば考えるほどに頭が痛くなる。三百年近く生きてきたが、未来人と関わるなんて経験は初めても初めてだった。すっきりとしないモヤモヤした感情に、ガリガリと豊かな髪を乱暴にかき乱す。

 マージョリーは気づけなかった。光点は、たしかに一つだけでは限りなく微弱な力しか持たない。だが、明確な意思を持って操作されたそれらは、地脈(・・)を通じて根を張るように互いを繋ぎあい、地下に巨大な紋様を描き始めていたのだ。それは、地上表面しか監視できない『玻璃壇』の特性を熟知している者にしか出来ない策略だった。また一つ、啓作と栄太の死角で光が増える。そして、『玻璃壇』には映されない地下で、ゆっくりゆっくりと根を繋いでいく。

 

その時(・・・)が訪れるのを、じっと待ちながら―――――――




Pixivで「シャナ R-18」で検索する日々

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