白銀の討ち手   作:主(ぬし)

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この回に至るまでの話は、ある意味、お膳立てに過ぎないのです。全ては、この戦いを描くために。


3-3 激突

「なんだか、今夜は肌寒いな」

 

 人気のない寂寞とした一本道を歩きながら、僕は思わず肩を擦って呟いた。車一台が通るのもやっとな狭小な生活道路は、高くせり上がった左右のコンクリート壁によって外界から遮断されているようで、不気味さをさらに際立たせている。夏真っ盛りだというのに、大気は季節外れともいえる乾燥した夜気に冷え切っていて、やけに冷たい。いつもなら鬱陶しい蚊の羽音も耳に入らず、生命の気配も消え失せてしまっていた。まるで巨大なトンネルにでも迷い込んでしまったかのように空気は重く澱み、身体に纏わりついてくるようだ。空を見上げると、夜の闇には星一つなかった。頼れるのは、等間隔で設置された心細い街灯だけだ。

 

「―――?」

 

 出し抜けに、頭上からブツンというワイヤーが千切れるような耳障りな音がした。同時に足元を照らしていた街灯の灯りが消え失せる。街灯の電球(フィラメント)が潰える瞬間に立ち会った経験は初めてだった。御崎市は県下ではそれなりに規模の大きな都市で、インフラの整備も悪くないだけに、電球は切れる前に定期的に交換されていた。珍しい体験をしたな、と街灯を感慨深げに眺め上げる。別に帰り道の街灯すべてが消えてしまったわけではないし、怖がる必要もない。もとより、この世の“歩いていけない隣の世界“───『紅世』の存在を知ってしまった僕には、幽霊や妖怪などの類のものは怖いと感じられなくなっていた。この道路も、近くに民家はまばらで、その印象の悪さから「幽霊が出る」とかいう根も葉もない噂が流れていて、人が寄り付かないが、僕には平気だった。むしろ、何かあった時に一般人を巻き込む心配が減るから愛用しているほどだった。この道路を僕が頻繁に使っていることを知っているのはシャナとアラストールと僕だけだ。

 さて、早く帰らなければ母さんに怒られる。母さんは怒鳴って口やかましく怒ることはないが、怒る時は静かに強く怒る。けっこう怖い。早足で帰ろうと、街灯が白々しく照らし出すアスファルトに強く一歩目を踏み込み、

 

 

――――――ブツン、ブツン、ブツン

 

 

「え?」

 

 背後で立て続けに街灯が消える音。振り返ると、自分が歩いてきた路地は暗黒と化していた。押し潰してくるような闇の壁に思わず後ずさり、

 

 

―――――ブツン、ブツン、ブツン、ブツン、ブツン、ブツン―――――

 

 

 一本道の街灯すべてが、次々と灯りを失う。気づけば、視界すべてが濃密な黒一色に塗りつぶされていた。停電でも起きたのかと慌てて周りを見渡す。だけど、それにしては様子がおかしい。周囲をどれだけ見渡そうとも、指先一つほどの光すら見つけることができない。それどころか突然の停電に狼狽して焦る人々の喧騒すら聴こえてはこない。 

 封絶が張られた気配は感じなかった。ならば、この静寂はなんなのか。

 時が止まったかのような硬質な静けさに、僕はごくりと息を飲む。その静謐を、がりがりと硬質な何かを引きずる金属音が破った。ぞっとするほど冷ややかに耳に忍び込んでくるその音は、だんだんとこちらへ近づいてきている。

 

「……誰、ですか?」

 

 言いようのない悪寒に貫かれながら、それでも問う。不穏な想像は的中し、相手の応えは返ってこない。ついに音源がすぐ目の前まで迫る。五歩ほどの距離をおいて、何かが地を這う音はぴたりと止まった。闇の中に、同じ闇色をした輪郭がぼんやりと見え、じっと目を凝らす。だが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それはまさに、昼間に見た異様な風体の影そのものだった。

 

「お前は、誰だ」

 

 意を決し、両足に力を込めると今度は精いっぱいに声を張って問いただす。

 

「―――“白銀の討ち手”」

 

 返ってきた声に、驚く。初めて耳にしたはずのその声は、聴きなれた少女の声――― つい今しがたまで会話していたシャナにそっくりだったからだ。唐突に影が揺らぎ始める。霧が晴れるように、声の主を塗り潰していた闇が薄れてゆく。暗闇に慣れていく視界で、ついに声の主の姿が露わになった。自分の身体より大きな黒い外套を羽織り、顔を俯けてはいるが、悠二にはそれが()()()()()()()()姿()()()()()()だということがすぐにわかった。昼間に佐藤と田中から聞かされた、シャナによく似たフレイムヘイズの話を思い出す。

 

「もしかして……君が、サユさん?」

 

 返事はない。それは肯定を意味すると僕は受け取った。一歩後ずさり、身構える。楽しく会話をしに来たようには到底見えなかった。少女の身体から発せられる研ぎ澄まされた負の波動は、触れると切れる鋭利な刃物を連想させる。フレイムヘイズが僕に何の用があるのかと疑問に思うが、答えは一つしか思いつかない。胸を守るように押さえ、“白銀の討ち手”───サユをきっと睨みつける。フレイムヘイズに『零時迷子』を狙われるのは初めてだった。時間稼ぎの意図も含めてその理由を聞きたかったが、そんな押し問答をする意思があるようには思えなかった。自分がフレイムヘイズ相手にどこまで戦えるか―――はっきり言って絶望的だ。だけど、ここはシャナの家からさほど離れていない。戦闘が始まり、その気配を察知したシャナが駆けつけてくれるまで抵抗し続ければ、勝機は自ずと見えてくる。大丈夫だ、と己に言い聞かせる。気持ちで負けたらダメだ。今までの自分を信じるんだ。“風雲”ヘリべだって倒してみせた。きつい鍛錬だって頑張ってこなしてきたんだから───

 

「シャナが助けに来てくれるまで堪える、か?」

 

 背筋を掻き毟られるような、押し殺した声。思考を簡単に読み取られ、僕は驚愕を露わにして目を見張る。奮い立たせようとしていた闘志に冷水を浴びせられた格好になり、体温すらサアッと低下する。しかも、このフレイムヘイズは『シャナ』という親しい者たちしか口にしない名前まで知っていた。こちらが考えている以上に僕たちのことを知っている、という事実を突きつけられ、足場が崩れたような絶望感に口中が乾いてひりつく。だから、僕がこの道路を使うことも知られていたのだ。僕は、まんまと罠に引っ掛かってしまった。

 くつくつと小さな嘲笑が響き、華奢な肩が波形のように震える。シャナと同じ声のはずなのに、性質は真逆だ。覇気はなく、やつれ果てて、まるで廃館に住まう亡霊の啜り泣きのようだ。ゴクリと喉を鳴らす僕の眼前で、亡霊の嘲りがピタリと止まる。肩の震えが止まる。何かが、来る。

 

「残念だけど、それは叶わない」

 

 吐き捨てるようにそう呟くと、突如、サユは引きずってきた白銀の鉄柱を大きく振りかぶり、勢いそのままに足元のアスファルトに突き下ろした。ドスッと鈍い音を立て、鉄柱はアスファルトの表面を砕いてその3分の1ほどを地中に埋める。

 

 

そして、それは発動(・・)した。

 

 

 避雷針のように突き立つ鉄柱を起点に、葉脈のような光の筋が蜘蛛の巣状に広がった。それは目を剥く悠二の股の間をまたたく間に通過し、街中に拡大していく。地上にいる悠二にはわかるべくもないが、上空からこの様子を俯瞰していた者がいれば愕然となったであろう。光の筋は街のありとあらゆる場所に伝播し、そこを中間点としてさらに稲妻のように拡がり、ついには地表に幾重にも重なった巨大な五芒星を描き出した。光が中間点としたのは、宝具『メケスト』の贋作によって地面に穿たれた自在式である。カムシンの作った自在式の残骸を利用して編まれたこの五芒星は、(あるじ)の目的を達するために必要な舞台を形成する。

 五芒星が、白日の如き銀色の光輝を次々と屹立させる。人造の光を嘲笑うかのように圧倒的に輝く明光が轟きともに天を直撃し、林立する光柱同士が繋がって継ぎ目を埋め、艶めく光の壁となって内部の空間を隔離した。それは封絶に似ていて、しかし封絶ではない。封絶の数段上を行く、地脈を利用した強力で容赦のない隔絶結界(・・・・)だった。

 

「な……!?」

 

 威圧的にそびえる光の壁を見上げ、絶句する。理解したくなくても、せざるを得ない。今、この瞬間、僕はシャナから完全に切り離されたのだ。

 

「坂井、悠二」

 

 耳元で囁くような少女の声。反射的に振り返って、度肝を抜かれる。いつの間に接近したのか、目と鼻の先にサユの(かお)があった。端然たる美貌は死人のように凍りつき、見る影もない。悲しみと嘆きにやつれた無表情の中で、ただ(くら)い光を放つ双眸だけが目的意識(・・・・)を秘めて爛々と燃えている。見下ろすほどに低いはずの矮躯の少女に例えようもないプレッシャーを感じて、動けなかった。焦燥の汗が額から滲み、顎を伝い落ちる。

 

「『零時迷子』―――貰い受けるぞ」

 

地の底から湧いたような声。怯えて一切の動きが取れない僕の胸に、サユの手が迫る。

 

 

 ‡ ‡ ‡

 

 

「あ、(あね)さん、これって!?」

「で、でけぇ」

「なによ、これ……!」

 

 『玻璃壇』に映し出された巨大な五芒星の結界に、マージョリーは呆然と呟いた。封絶など足元にも及ばない、その土地に流れる地脈の力場を応用した強固な隔絶結界。並みのフレイムヘイズはおろか、当代最高の自在師と称される自分ですら破ることは難しい。誰がどうやってこんなものを。よほどの知識と専用の宝具がなければこの結界は成し得ないはずだ。

 思い当たる人物は、一人しかいなかった。記憶にある宝具を贋作し、その宝具の過去の使い手の知識を吸収できるフレイムヘイズ。『玻璃壇』に監視されていることを熟知し、その裏をかく術を知っている未来から来た人間。

 

サユ(・・)……!」

 

 臍を噛み、駆け出す。マルコシアスを勢いよく窓から放り投げると自らも身を投げ出し、マルコシアスに飛び乗って飛翔した。背後から説明を求める佐藤と田中の声が聴こえたが、後回しだ。マージョリーの直感は当たった。サユは、何かとんでもないことを仕出かすつもりだ。手紙の最後の『ごめんなさい』が脳内で反響し、彼女をどうしようもなく焦らせる。間違いなく、サユはこの結界の中にいる。穴を開ける方法を考えるが、()()()()()では数時間はかかるだろう。ならば。

 群青色の光芒が虚空に弧を描き、焦燥を示すように高速で空を駆けて行った。

 

 

 ‡ ‡ ‡

 

 

「そうは、いくかッ!」

 

 サユから伸びた手がシャツの胸元を掠った。間一髪で恐怖に竦む身に鞭を打ち、もんどり打って地面に倒れこんだのだ。柔道の受身の要領で地面を叩き、瞬時に立ち上がって後方にステップを踏む。たった数歩分だが、間合いを開けることができた。急激な動作のために心臓が激しく動悸を刻み、呼吸も必然的に荒くなる。落ち着け、と必死に己を律する僕の視界で、“白銀の討ち手”サユが無言のまま背から刀を抜き放つ。白銀のそれはサユの身の丈ほどもあり、芸術的なまでの優美な反りを見せる。驚くほど『贄殿遮那』に酷似した、白銀の大太刀だった。一切の無駄のない動きで大太刀が大上段に構えられる。このまま振り下ろされれば、自分は間違いなく真っ二つにされる。

 

「くっ!」

 

 背の『ブルートザオガー』を渾身の力を込めて振りぬくのと大太刀が脳天に向かって振り下ろされるタイミングはまったく同じだった。まるで重機による鉄槌の一撃を喰らったかのような凄まじい圧力が剣を圧迫し、全身の骨を軋ませる。分厚い皮袋も、刀身に何重にも巻かれていた布も、たった一度の激突でバラバラに散逸した。袋と布の残骸が雪のように舞い散り、鎬を削る剣と刀が溶接機のような火花を散らせる。歯を食いしばって鍔迫り合いに堪えるが、すでにこの身は至るところから悲鳴をあげている。関節がミシミシと鈍い音を上げ、膝がガクガクと震える。やはり、フレイムヘイズを相手にするには僕ではあまりに未熟すぎる。何もかもが圧倒的に不足している。勝敗を競うことすら愚かしい。それでも―――!!

 

「うぉおおあああッ!!」

 

 裂帛の気合を込めて吼える。存在の力が全身を荒れ狂い、腕を伝い、手を介して『ブルートザオガー』に流れ込む。ゥオン、と大剣の刀身がウーファーのように低く唸り、次の瞬間、火の玉が炸裂したような衝撃が目と耳を劈いた。『ブルートザオガー』の固有能力、存在の力を流し込むと接触している相手にダメージを与える効果が発動し、大太刀とその持ち手を弾き飛ばしたのだ。その反動で僕自身も後方へ弾かれるが、間合いが開けて逆に好都合だ。

 痺れる腕を叱咤して、ブルートザオガーを正眼に構える。剣術はシャナから毎朝毎晩の鍛錬でみっちり教え込まれたが、まだまだシャナに傷ひとつつけられていない。素人に毛が生えたようなものだ。でも、やるしかない!

 弾き飛ばされたサユは、まるで何事もなかったかのように地表に着地を決めていた。だが、羽織っていた外套もその中に着ていた濃紺の給仕服もところどころが無残に裂けている。俯くその顔から、ポトリと一滴、弱い粘性を帯びた赤い液体が滴り落ちた。さらに追随して鮮血が次々に地面を打ち、血の飛沫を散らせる。ほんのわずかでも相手に裂傷(ダメージ)を負わせられて、僕の心にも一陣の希望が吹き込む。この剣と触れた敵は、その接触が直接・間接問わず痛烈なダメージを負うことになる。シャナも、この剣を縦横無尽に振り回して戦う“愛染自”ソラトとの戦いで苦戦していた。接近戦を得意とする者相手に戦うのなら、この剣ほど最適なものはない。

 

(ありがとう、田中、佐藤!)

 

 この剣を今日渡してくれた田中と佐藤に感謝する。これなら、サユもこちらとの剣戟を警戒して攻撃の手を緩めるかもしれない。時間稼ぎの道筋が見えてきた。乱れた呼吸を鎮め、眼前の相手の一挙動一投足まで見逃さないように意識を集中し――――かたかたと乾いた金属音が鼓膜を突きぬけ、脳を冷ややかに貫いた。サユの双肩が、いや全身が、細かく震えている。その音は、大太刀が震動して発する音だった。軋るような、啜り泣くような声が俯く顔から漏れる。サユが総身を痙攣させながら、抑えきれなくなった情念を漏らしている。その情念とは、

 

 

―――なんで、()()()()()()

 

 

 悠二の背筋を悪寒が奔り抜ける。思考ではなく本能の域で、恐怖が湧き上がってくる。身が竦むのを理性でなんとか防ぐが、内心の震えは止まらない。俯いていた顔がゆっくりと持ち上がる。頬に真一文字の傷を走らせおびただしく流血させながら、だというのに、その艶やかな美貌には悪鬼のように獰猛な笑みが張り付いていた。

 

「そうか、()()()()()()()はもう存在の力を使いこなせてきてるのか」

 

 何が嬉しいのか、シャナの声で楽しげに低く呟く。喉をグルルと唸らせ、鋭い八重歯を剥き出しにして、なおもサユは口端を耳に届くほど吊り上げる。

 

「だったら、こちらも遠慮はしない……!」

 

 冷厳な殺意が解き放たれる。歓喜か狂喜か見分けがつかない凄然とした破顔に、本能的に背筋が固くなる。野生の獣じみた眼光に見据えられ身を固くする僕の前で、サユの衣服に変化が生じた。じわじわと内側から染み出てくるように、サユの濃紺の給仕服が白銀に染まってゆく。存在の力を鋭敏に察知することのできる僕には、その変化の正体を見破ることができた。サユの体内で沸々と湧き出る存在の力が衣服を侵食し、支配し、強化を施しているのだ。白銀の光が強化繊維で編まれた給仕服の全てを飲み込んで、メリメリと音を立てて変化させ、ついにその全容を明らかにさせる。

華奢に走らず、無骨に落ちず、それは機能美と豪奢さを紙一重のバランスで両立させた戦装束だった。磨き上げられたかのように銀色に輝く鎧を各部に備え、その下に華美でありながら決して動きを阻害しない純白のドレスを纏っている。猛々しくも流麗なその戦装束はシャナそっくりの可憐な容姿に見事に適っていた。

 しかし、決定的に足りないものがあった。シャナの持つ華やかさと輝きを、目の前の少女は一切持っていなかった。見る見るうちに治癒されてゆく頬の傷の上で、冷然とした愉悦を浮かべた双眸が燃えている。衣服をこれほどまでに変化させてなお余りある存在の力が現実世界にまで干渉し、轟然と唸る竜巻を引き起こし、サユを包む。竜巻の中心で、サユの絹のような長髪が、奈落のような瞳が、純白に染まってゆく。それは清浄な色彩というより、あまりに純粋な闘志の塊に見えた。その肩に(ゴウ)と漆黒の外套が翻り、旋風に激しく靡く。

 これが、フレイムヘイズ“白銀の討ち手”の完全兵装だった。

度外れた圧倒的なプレッシャーに打ちのめされ絶句する悠二に、サユが大太刀の切っ先を真っ直ぐに突きつける。その瞳は、限りなく獰猛で残忍な、全てを跡形もなく塗りつぶす()

 

 

「さあ、坂井悠二―――力の限り、足掻いてみせろ」

 

 

 ‡ ‡ ‡

 

 

「おい、あそこだ!ビルの屋上!」

「ええ、見つけた!」

 

 封絶の気配を探していたマージョリーが地表を見下ろすと、そこには見慣れたフレイムヘイズが二人、封絶の中で常人には見えない銀色の光の壁を前に苦戦していた。紅蓮の炎を纏った少女が大太刀の一閃を結界に叩き込むが、光の壁にはわずかな亀裂が走っただけだ。すでにその行為は何度も繰り返されているらしく、攻撃のたびに亀裂は少しずつ広がっているものの、少女の頭一つ分の隙間すら開いてはいない。しかも、その隙間は攻撃を加えるのをやめると自ら修復している。地脈のエネルギーが常に循環するこの結界は驚異的な自己修復機能を備えているため、力業でこじ開けるのは極めて難しいのだ。だが、それで諦めるような少女ではないことはマージョリーも十分すぎるほどに承知していた。これだけ必死になっているということは、この隔絶結界の中には十中八九、坂井悠二が閉じ込められているに違いない。その健気さに微笑を浮かべ、マージョリーは封絶に穴を開けると少女の元へ急降下し、金の髪を翻して降り立つ。

 

「ちびじゃり、そんなことしてもこの結界は破れないわよ」

「“弔詞の詠み手”!?」

 

 少女―――“炎髪灼眼の討ち手”シャナが驚いて振り返る。頭に血がのぼって、マージョリーの接近すら察知できていなかったようだ。少女の隣では、“万条の仕手”ヴィルヘルミナ・カルメルがじっと佇んでいる。彼女はマージョリーの接近に気づいていたらしく、この事態に多少の戸惑いはあるようだが、視線を交わすと「すべて把握している」と頷きを返してくる。

 

「“弔詞の詠み手”、これがいったい何なのか、知っているようだな」

 

 シャナの神器から投げ放たれる、“天壌の劫火”アラストールの静かながら威厳を滲ませる声。これが隔絶結界であることは彼にも理解できているだろう。彼が聞きたいのは、“この事態が何者によって引き起こされたか”である。もちろんマージョリーは知っている。が、答えるのは憚られた。まさか、この場で『未来の坂井悠二がフレイムヘイズになってやってきた』と説明するわけにもいくまいし、その姿形がシャナに似ていることを伝えても、あまりに突飛過ぎてこの堅物たちにはおいそれと受け入れられないだろう。それに、肝心のサユの行動の真意についてはマージョリーですら想像もつかない。坂井悠二を結界内部に閉じ込め、自分たちフレイムヘイズたちから切り離し、そして何をしようとしているのか。さっぱりわからないが、このまま放置するわけにはいかないという直感だけは頭蓋のなかでしきりに声を荒げている。説明している時間はない、と断じたマージョリーはアラストールにひらりと手を振るだけに済ませた。

 

「ええ、知ってるわ。だけどそれは後回し。今は一秒でも早く、この結界に穴を開けなくちゃね―――ヴィルヘルミナ?」

「ええ。フレイムヘイズ二人なら、この結界にある程度の大きさの亀裂を開けることができるのであります」

 

 マージョリーの意を汲み取ったヴィルヘルミナが正確に引き継ぐ。シャナはそれだけですべてを把握した。

 

「亀裂は小さい。だから、一番身体の小さい私がそこに飛び込めばいいってことね」

 

 相変わらず勘のいいちびじゃりだ、とマージョリーは不適に微笑む。ヴィルヘルミナも一見無表情ながら、長い付き合いの者が見ればわかる満足げな微笑を口端に浮かべた。二人の猛者の視線が交差し、無言の内にタイミングを示し合わせる。次の瞬間、群青色の炎と桜色の炎が二人の総身を包み込んだ。

 

「ちびじゃり!言っとくけど、亀裂はあんた一人が入るのが精一杯だし、それもすぐに閉じるわ!」

「つまり、我々はすぐに加勢にいけないのであります」

 

 世界に名声赫赫たる古強者(ふるつわもの)のフレイムヘイズ二人でさえ、この大掛かりな結界にはシャナ一人が通るだけの隙間しか開くことはできない。だが、シャナにはそれで十分だった。どんな敵も圧倒してみせるという決意に満ちていた。二人に力強く頷きを返し、跳躍一つで数メートル後方へ下がる。そして髪と瞳を紅蓮に染めたかと思いきや炎の翼を爆発的に拡げ、体勢低くグッと身構えた。それを確認したマージョリーとヴィルヘルミナが身に纏う炎の勢いをより一層激しく燃え立たせる。

 

「ヒィーハーッ!派手にかまそうぜ、“夢幻の冠帯”ィ!!」

「委細承知」

 

 マルコシアスとティアマトーの力強い応酬に弾かれるように、二人のフレイムヘイズが渾身の力を込めて、貫通力を極限まで高めた一撃を放つ。桜色のリボンの一撃と群青の爆炎が混ざり合い、巨大な炎の砲弾となって結界の壁に激突する。大破壊力を帯びた二人の攻撃を受けた結界は、無限に近い地脈のエネルギーを吸い上げて微塵も揺るがず立ちはだかっていた。しかし、世界で10の指に入るだろう最強レベルのフレイムヘイズ二人の猛攻は容赦がなかった。

 

「だああああッ!!」

「はああああッ!!」

 

 気合の咆哮が重なり、二度目の砲弾が激突する。雷鳴も及ばぬ轟音が足元のビルを揺らす。十字の光が迸ったかと思いきや、ガラスが割れるような鋭い音を立てて結界は屈した。それまでシャナの剣戟では傷しか入らなかった強固な壁に、一メートル四方の鋸歯状の穴が穿たれ、内外の気圧差によって水蒸気を吸い込み始める。穴の向こうには空恐ろしいほどに虚ろな闇が立ち込めていて、前途に待ち受ける多難さを明示していた。

 ()()()()()()()()()()()

 常以上に激しく燃える紅蓮の双翼がバンと大気を叩き、背後で爆発が起きたかのような速度をシャナに付加した。時速にして優に毎時300キロの初速を獲得した肉体はぐんぐんと加速し、逸る思いを燃焼剤に変えてなおも速さを増す。衝撃波をも置き去りにしたシャナが神速で亀裂を擦り抜ける瞬間、

 

「ちびじゃり、気をつけんのよ!相手はあんたにとって最悪の敵(・・・・)よ!!」

 

 かろうじてマージョリーの忠告が耳に入った。最悪の敵、と聞いてもシャナの胸中に恐怖は生じなかった。『零時迷子』を、悠二を脅かす存在ならば、それが何者であろうとも問答無用で一刀両断に切り捨ててみせる。速度はついに亜音速域に達し、彼女の鼻先に円錐状の雲を生じさせる。

 

「待ってて、悠二―――!!」

 

炎の稲妻と化した少女は大切な少年の元へ駆けつけるべく、暗闇の中へと飛翔した。

 

 

 ‡ ‡ ‡

 

 

 なんという、膂力。なんという、速度。

 受身をとることすらできずに地面に叩きつけられ、身体をバネのように跳ねさせながら、僕は相手の力に底しれぬ畏怖を覚えた。あまりに強烈な衝撃に手足が全て外れ落ちてしまったかのような錯覚に陥る。だが、痛みになら今までの数々の訓練や戦いで慣れている。常人なら気絶しかねない意識を焼けつくす激痛にも、ギリギリのところで懸命に堪えた。足元に転がっている『ブルートザオガー』を自分でも驚くほど機敏な動作で掴み、痛みを押して滑るような動きで立ち上がるとその勢いを殺さぬままに猛然とサユに斬りかかる。力任せの攻撃ながら、『ブルートザオガー』の重さも加わったその渾身の斬撃は分厚いコンクリートですら切り裂く威力を孕んでいた。衝撃が腕に奔る。金属バットで金床を猛打したような鈍い衝撃だった。

 

「ぐぅ……ッ!?」

 

 果たして、僕が力の限りを込めて繰り出した渾身の一撃は、サユの片腕の手甲だけで防がれていた。白い双眸が再び愉快げにほころぶ。

 

「ボクより成長が早いな」

 

 サユが何を言っているのか、理解できなかった。理解する余裕もなかった。存在の力を込めて『ブルートザオガー』の本領を発揮しようと柄を握る力を強めるが、むざむざそれを許してくれる相手ではなかった。サユがまるで羽虫を払うかのように無造作に腕を振る。それだけで、僕の身体は大きくよろめいた。一回りも二回りも体格に差がある矮躯の少女に赤子のように翻弄され、悔しさに歯噛みする。たとえ相手が物事の条理など簡単に覆す超常の存在だったとしても、僕のプライドはズタズタに切り裂かれそうだった。

 

「だあああ───ッ!!」

 

 悔しさや怒りを剣に乗せ、もう何度目かもわからない一閃を放つ。鼓動が胸郭で狂ったように鳴り響いている。筋肉はとうに痛みを叫ぶ段階を超えて感覚が消え失せている。しかし、耗弱する精神と肉体とは反比例するように、その剣の冴えは瞬く間に上がっていく。

 坂井悠二は、その生まれ持った性質として、危機的状況になればなるほど本領を発揮するという稀な特性を有している。それが今、発揮されているのだ。

酸素不足で朦朧とする脳みそを厳しく叱咤して、シャナとの鍛錬で教わった極意を引っ張り出す。地を踏む両脚の力に、腰の回転、肩の捻りを相乗させ、全身の瞬発力を総動員してこの一撃に集積させる―――!!

朗々たる金属の打撃音が鳴り渡った。

 今度はさすがのサユも手甲だけでは防ぎきれないと判断したのか、大太刀を盾にして防御する。瞬時に弾き返そうと大太刀が動くが、それよりも僕が剣に存在の力を装填する方が早かった。バァン、と耳を聾さんばかりの凄まじい炸裂音が『ブルートザオガー』と大太刀の接点から生ずる。次には、なんと銀の大太刀が真ん中から破断し、咄嗟に防御に回されたサユの手甲すらも粉々に砕け散った。それでも衝撃を受け流しきれなかったのか、たまらずサユが後方へ跳び退く。剣を振りながら同時に強い存在の力を流し込むという高度な技に初めて成功し、それによって相手の武器をも破壊して、僕は自分自身の急激な成長に心から驚いた。しかし、それで油断などできるはずもなかった。今までのサユの攻撃に()()()()()()()()()()のは明らかだったからだ。

 

(───なんなんだ、この違和感。まるで)

 

 ふいごのように呼吸しながら、「まるで自分を鍛えているようだ」と心中で呟いた。事実、僕は、サユと一合を交えるごとに自分が成長していると実感していた。何度と無く危機的状況に陥れられるたびにすんでのところでそれを乗り越えた。今や、ストレスや苦痛がなんの意味も持たない、より高次の“戦士の領域”にへと足を踏み込もうとしているほどだ。あたかも()()()()()()かのように。だが、そんなことをしてもサユには何のメリットもないはずだ。

 いったい何を考えているのか、と疑問に満ちた目でサユを睨み―――その姿がノイズのようにザッと掻き消えた。ギアを入れ替えたような本気の急加速に動体視力が追いつかない。思わず思考を止めてしまった僕の視界を白銀が埋め尽くす。脊髄の反射によって持ち上げることができた剣の刃に、いつのまに取り出されたのか()()()()()()の刃が激しく重なり、否応なく拮抗状態に突入した。シャナにとっての『贄殿遮那』がそうであるように、サユの武器も大太刀だけだと思い込んでいた。自らの浅はかな先入観に首を絞められる形となってしまったのだ。

 

「ぐ───うう───!!??」

 

 後悔の暇も与えてはもらえない。メキメキと不快な音を立てて刀身同士の接点から火花が散る。腕の筋肉に血管が浮かび、今にもはち切れそうだ。存在の力を流し込む意識の余裕がない。刀身を挟んだ正面で、シャナそっくりの顔が火花の照り返しを受ける。その顔にもう笑みの色はない。サユは本気だった。僕が本気にさせたのだ。これまでとは段違いの雄牛を相手にしているかの如き圧力に、人間の筋力しか持たない僕が対抗しうるはずもない。

 

「―――がッ!?」

 

 巨大な掃除機に吸い寄せられているような錯覚に戸惑う暇もなく、石垣に背を思い切り叩きつけられる。弾き飛ばされた、と直感が訴える。耐え切れずに漏らした悲鳴も、掠れた呻きにしかならなかった。激痛は喉の奥につかえたまま外に出て行かず、体内を激しく蠢く。

 それでも、諦めるという選択肢は存在しない。

 軋みを上げる身体に鞭を打ち、立つことすらおぼつかない身体を壁にしがみついてかろうじて支えて立ち上がる。全身から血が滲んでいた。怪我をしていない箇所の方が少なかった。酷使しすぎた筋肉は限界をとうに超え、感覚が返ってこない。指先の毛細血管ははち切れ、爪の間から血が滲んでいる。気を抜けばこのまま昏倒してしまいそうな疲労感によろめきながら、それでも僕は意志の力を総動員して立ち上がった。

自分の弱さは嫌というほど痛感させられた。シャナがいなければどうしようもなく自分は無力だ。だけど―――だけど、諦めるわけにはいかない!絶対に!

 

「約束、したんだ!シャナと、“また明日”って、約束したんだ……!」

 

 残されたわずかな力を肉体の底の底から振り絞ると、腰を落としていつでも切り返せるように剣を正眼に構える。その見開かれた双眸には、不屈の精神が、戦士の魂が宿っていた。その視線を真っ向から受けたサユの顔に、一瞬だけ───ほんの一瞬だけ、何かに安堵(・・)したような微笑みが浮かんだことに、僕は気づけなかった。踏みしめる足が路面を叩く衝撃が地面を介して伝わり、今度こそ自らの最期を覚悟したからだ。

それでも、僕は眼を逸らさない。文字通り死にもの狂いの勢いで猛然と剣を振るう。

 

 高速で交わる剣戟。

 一度だけ大太刀の攻撃を受けとめた『ブルートザオガー』が遥か空中に弾き飛ばされる。

 返す刀で翻った銀色の剣閃が首に迫り、

 

 

 

 

 空振った一閃の風圧が何もない空間を吹き荒れた。

 対象を見失った風圧は、間合いの遥か外の家屋の外壁を切り裂く。その家屋の屋根に、紅蓮の火の粉が桜の花のように美しく乱れ散る。

 

 

――― 力強く羽ばたく、激しく紅蓮に燃え盛る炎の翼。

 

――― 地獄から溢れ出したかのような業火に彩られる長髪。

 

――― 灼熱の闘志を宿し、眼前の敵を射殺さんばかりに怒りに燃える双眸。

 

 

 見紛う事なき、最強のフレイムヘイズと謳われる“炎髪灼眼の討ち手”であった。その足元には、力尽き倒れ伏している悠二の姿があった。サユの大太刀が悠二の首を両断するコンマ数秒の間に、超高速で飛来したシャナがすんでのタイミングで悠二を助け出したのだ。あらためて悲惨な姿で苦しそうに喘ぐ悠二を見て、シャナの双眸に猛々しい怒りの炎が宿る。

 

「なぜ、今になって……」

 

 呻くようなアラストールの声。キッと視線を転じれば、白銀のフレイムヘイズはなんの感情も伺えない表情でシャナを見上げていた。アラストールは、眼前のフレイムヘイズに対して何かしらの覚えがあるようだった。“サユ”という名の、外見が自分に酷似したフレイムヘイズ。見れば見るほどにそっくりだ。まるで色を反転させる鏡を見ているような錯覚さえ覚えるほどに両者はよく似ている。だが、シャナにとってはそんなことは関係なかった。たとえ自分そっくりの姿をしていたとしても、悠二をここまで傷つけ、殺そうとしたことは絶対に許せない。かける言葉など、交わす言葉など、寸毫足りとて無い。シャナの背に広がる双翼が、彼女の激情を顕すように大きく羽ばたく。

憤怒に燃える紅蓮の視線と、冷ややかに凍った純白の視線が交錯する。

 

 

ここに、“炎髪灼眼の討ち手”と“白銀の討ち手”の熾烈極まる戦いの火蓋が斬って落とされた。

 




超常の力を持った少女と少女の激突、書いてるだけで楽しい。

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