(何故だ、“白銀”)
アラストールの苦悶するような声が彼の心中を埋めていた。今、己のフレイムヘイズ、シャナが総力を尽くして戦う
『──ねえ、この娘』
『おおかた、流れ弾に当たったのだろう。単なる不運なフレイムヘイズだ。捨て置け。それよりも“棺の織手”の討滅が優先だ』
(何故、お前が)
『………いいえ、アラストール』
『
(何故!)
『この娘は、
彼女が見つけた運命の娘が、彼が見つけた運命の娘と敵対する。それはまるで彼女と敵対してしまっているようで、アラストールの胸は言いようもない煩悶に引き裂かれそうだった。だが、もはや少女たちの戦いを止めることは出来ない。アラストールの悲痛な思念とは裏腹に、“炎髪灼眼の討ち手”と“白銀の討ち手”の熾烈極める戦闘はさらに激化の一途を辿っていく。
その異形極まる剣のオリジナルは、紅世の王“壊刃”サブラクが有していた『ヒュストリクス』という西洋大剣型の宝具である。華美な装飾を一切好まない幅広の刀身をした剛剣は、この時間軸ではない未来において“探耽求究”ダンタリオンによってサブラクの預かり知らぬところで勝手に改造が施された。その結果、無骨で実用的だった造形は見る影もないほどに変貌を遂げ、サブラクは怒り狂ったとされている。しかし、その出来事を経たことで『ヒュストリクス』の誇る攻撃力が低下したわけではない。むしろ、曲がりなりにも
轟然と風を逆巻かせながら、刺突というにはあまりに巨大な一撃が放たれる。それを紙一重の差で回避したシャナの脇腹を
「ぐッ!?」
身体が空間ごと吸い寄せられ、シャナの姿勢が
(あ、あんなもの、一撃でも喰らったら……!)
想像しただけでも恐ろしい。シャナの小さな身体では、ただ掠っただけでも致命傷は免れない。触れればそこは肉片と化すだろう。直撃すれば結果など言うまでもなく、そこには死しか待ってはいない。
“白銀の討ち手”が純白の翼を大きく広げて大気を叩く。傲然と唸りを上げて迫り来る『ヒュストリクス』に、シャナは一歩も引かずに『贄殿遮那』を構える。あれほど巨大な剣なら、連撃の合間には必ず大きな隙を見せる。その虚を衝いて懐に飛び込み斬り伏せれば、勝機はある。過度に恐れる必要はない。いかに強大な攻撃も、見切ってしまえば怖れることはない。瞬間、シャナの体内に炎が宿る。燃え盛る業火ではない。極限にまで高められた炎は青白く、波紋一つない湖面の如き静けさを持つ。体感時間が何倍にも引き伸ばされたような超感覚が覚醒する。
「―――ふッ!」
眼前まで迫ったドリルの切っ先を、首だけの最小限の動作で回避する。頬を掠るように激しい閃光が過ぎり、烈風の音が鼓膜を叩く。小さな耳たぶに深い傷が刻まれるも、ダメージはそれだけに抑えられた。真正面には無防備な“白銀の討ち手”の胴体が晒されている。これで
この時点でもまだ、シャナは改造を施された『ヒュストリクス』の埒外の威力を見誤っていた。
シャナの傍らを通り過ぎる刹那、『ヒュストリクス』がけたたましく絶叫した。限界点をとうに超えて刀身の至るところに亀裂が走り、断裂し、その身を砕く激痛に苛まれながら、今までの回転など序の口だと言わんばかりに『ヒュストリクス』が破滅の猛威を撒き散らす。爆発的な空気の渦に横殴りにされ、容赦のない衝撃が総身を蹂躙する。撹拌機に放り込まれたように、肉が捻れ、骨がメキメキと音を立てて軋む。当惑する暇すら与えられず、轟風に今度こそ体勢を大きく崩される。甘かった。敵はこちらの思考を一歩先どころか二歩先も読んでいる。紙一重で避けてカウンターで斬りかかることも予測されていた。
間断なく、刀身のほとんどを砕き散らした『ヒュストリクス』が襲い掛かってくる。その姿はもはや残骸と言うべき様相だったが、絶大な破壊力を孕む刀身は依然として唸りを上げて駆動している。咄嗟に『贄殿遮那』を防御に繰り出す。凄烈な火花を散らして大破壊力を受け止めるが、不安定な体勢のまま出された防御で封殺できるような攻撃ではなかった。肩が砕けそうなほどの衝撃。音を立てて『ヒュストリクス』が跡形もなく砕け、反動で『贄殿遮那』が弾け飛ぶ。遥か後方の地面に音高く突き立った『贄殿遮那』に、しかし、シャナは見向きもせずに即座に反撃に移行する。
手刀を形作り、『紅蓮の大太刀』を出現させるべく存在の力を前腕部に集中させる。過去に“愛染自”ソラトを一刀の元に切り伏せてみせた、超光熱の炎刃を顕現させる炎熱攻撃型自在法だ。死刑宣告の如く振り上げた手刀から刃状になった紅蓮の炎が噴出し――――そして、音もなく霧散した。
「――――――な」
何が起こったのかを理解して受け止めるのに、2秒かかった。戦士にとっては致命的な隙だが、“白銀の討ち手”は敢えて待った。彼女が見せつけるように突き出した左手の人差し指で光を反射する、銀の指輪。その
「『アズュール』……!」
その戦慄の呟きに応えるように、サユの顔に不敵な笑みが浮かぶ。
三歩先まで読まれた。こうもたやすく先手をとられ続けるなど、どう考えても異常な事態だ。思考を巡らせながらも肉体は流れる水のように次の攻撃に移る。『贄殿遮那』を失い、炎刃を封じられても、シャナにはまだ武器がある。鍛え上げた己の肉体という武器が。
地を這うように疾走し、電光石火の如き早業でサユの内懐に滑り込む。それは八極拳にて極意とされる走法、活歩だった。この超至近距離こそ、八極拳が最大効果を発揮する間合いだ。シャナは物心がついた時から武術を会得し、その身に積み上げていた。その技の冴えは、すでに達人の域すら超えている。踏み込んだ脚が轟音を立てて地面を抉り、全身の瞬発力を集積させた掌底がサユの胸板を穿つ。肋骨を残らず叩き割り、内臓を粗挽き肉に変えるほどの威力を誇る一撃。削岩機に匹敵するそれは、しかし、
シャナが舌打ちをして、手首を掴まれ胸の寸前で止められた掌底を蛇のようなしなやかな動きで引き戻した。何食わぬ顔で必殺の掌底を防御してみせたサユに、シャナの意気はさらに引き締まる。敵もまた己と同レベルの武術の覚えがあることを悟ったからだ。
すかさず繰り出されてきた反撃の拳打を
ならばと足を敵の軸足に内側から絡ませ刈り払い、体勢を崩す。―――即座に足が踏み換えられ、逆にこちらの足に絡み付いてくる。脚を柱のように地に押し付け重心がぶれるのを防ぐ。
がら空きになった敵の腹部に掌を押し付け寸勁を放つ。―――すんでのところで罠だと気づき、身を捻るようにして間合いをとる。
勢いを腰の捻りに変えて槍のような肘撃を放つ。―――ボクサー顔負けの膝が地に着くほどの
しかと大地を踏みしめ、高々と脚を振り上げ会心の連環腿を放つ。―――ほとんど同時に放たれた天空を打ち抜く鋭い膝蹴りに迎撃される。鋭くかつ鈍重な衝撃が脚に走り、骨を砕かれそうな痛打に顔を顰める。噛み締めた歯の間から呻きが漏れる。
「ぐ、ぅ……ッ!!」
さながら、同じ師の元で修行した門徒と戦っているような心地だった。まるで鏡を見ているようだ。瓜二つだから、という理由では説明しきれない。間違いなく、自分と行動を共にしたことのある人間だ。―――では、
二歩分の間合いを置いて、再び活歩を駆使して肉薄する。腕の力だけではなく全身の筋肉の伸縮を最大限に生かして重心を掌面に移動させ、一気にサユの首に叩き込む。稲妻じみた残像を残して叩き込まれた掌底は、交差させた腕の手甲に阻まれる。手甲が砕け、その奥にある猛禽類の如く鋭い双眸が覗く。自分と驚くほど似ているのに、その押し隠した分厚い
「答えろ、“白銀の討ち手”! お前は―――誰なの!?」
‡ ‡ ‡
『行こう、悠二。―――私と、一緒に』
はっきりと思い出せる。そう言って手を差し伸べてくれたシャナの笑顔も、その背景の雲から草一本に至るまで、明確に思い浮かべることができる。葛藤の末、ボクはシャナとともに生きる道を選んだ。大切な仲間たちと涙を流して別れ、二人で御崎市を後にした。『零時迷子』を狙う紅世の王や徒から人々を守るために奮闘を重ねたけど、キリがなかった。皆を護るためには、ボクがとにかく移動し続けるしかなかったのだ。ほんの数年間の短い旅だったけど、ボクにとっては人生で一番充溢した時間だった。笑って、怒って、泣いて、苦しんで、また笑って。愛する少女と二人で、すべてを分かち合った。ボクは、そんな日々が限りなく永遠に近い時間、続くのだと思い込んでいた。
ボクがシャナの前から消える、あの日まで。
「答えろ、“白銀の討ち手”! お前は―――誰なの!?」
シャナが叫んでいる。お前は誰だと問うてくる。
ダメだ、シャナ。それは言えない。言えば、きっと君は悲嘆して膝を屈してしまう。それではダメなんだ。ボクと共に歩んだシャナは、君じゃない。だけど、それでも、君はシャナだ。かつてボクが恋した少女だ。君を悲しませたくはない。ボクたちの辿った結末を繰り返させたくはない。だから―――戦ってくれ、シャナ。
そして、ボクを―――
‡ ‡ ‡
「…………」
痛みに地に伏している悠二は、一刻も早くその場を離れなければならないというのに動けずにいた。否、たとえ痛みがなかったとしても動けなかっただろう。果たして
張り詰めた死線の気配はこちらまで押し寄せてきて、全身が強張り、呼吸することすら忘れそうになる。シャナがここまで苦戦したことなど果たしてあっただろうか?常に戦いの中で勝機を導き出し敵を一刀の元に斬り捨ててきたシャナをここまで圧倒するとは……。
「ッ!」
唐突な自身の変質の気配に、悠二は目を見開き手首の腕時計を凝視する。戦火に晒された遺品のように傷だらけになった腕時計が、それでも懸命に針を動かしている。その長針と短針が、同時に頂点を指そうとしていた。もう、
「シャナッ!!」
激しい格闘戦の最中、一度だけこちらを振り返った紅蓮の視線に腕時計を掲げて見せる。それだけでシャナには十分だ。シャナが突然低く身を屈め、サユが突き出した神速の右腕を鋭い動作でくぐる。次の瞬間、まるで怪我人に肩を貸すかのような姿勢でシャナが右腕を肩の後ろに背負い込んでいた。左肘と左脚が同時に動き、鳩尾と軸足を狙う。悠二は知る由もないことだが、これは八極拳の極意の一つ『六大開・頂肘』と呼ばれる套路であった。
それは成功すれば確実に相手に致命傷を与えられるはずの攻防一体の絶技だったが、それすら流れるような体捌きで間合いを開けられ受け流される。だが、それは予想されていた。シャナは牽制のためにその攻撃を使ったまでだ。間合いが開くや否や、鮮やかな動きで高く背転して敵の攻撃範囲から一気に離脱する。着地の瞬間、傍らの地に突き立っていた『贄殿遮那』を抜き放ち、足の裏から這い上がってくる衝撃を強靭なバネで殺してさらに流れるようにバックステップを踏んで悠二の元へ駆ける。追い討ちをかけんと夜走獣のように低く疾駆してくるサユに向かい、残されたありったけの存在の力を使って炎弾を連射する。立て続けに撃ち出されたそれは弾幕と化し、サユの追撃を阻めてたたらを踏ませる。もうすぐシャナの存在の力は底をつくだろう。だが、
ついに、時刻が
『零時迷子』が時の事象に干渉し、時間を歪め、
紅蓮の長髪が輝きを増し、溢れ出る火の粉が渦を巻いて轟々と舞い上がる。
「離れてて、悠二!」
力強い頷きを返して安全圏まで退避する。直後、背後で紅蓮の爆炎が顕現し、辛うじて原形を保っていたビルを蹂躙する。振り返らなくてもわかる。存在の力を完全回復させたシャナの背から巨大な炎の翼が生まれ、大きく羽ばたいたのだ。振り返れば、サユは中央に立つシャナを挟んで悠二と反対側に悠然と佇んでいた。目を眇め、轟々と燃えるシャナを無表情で見つめている。
ふと、サユと目が合った。刹那にも満たない交錯の中、その表情が緩み、安堵と諦観に似た微笑が浮かぶのを見た。
何を
悠二が疑問を思い浮かべるのとシャナが踏み込むのは、果たしてどちらが先だったのだろう。巨大な翼は常時の数十倍もの初速をシャナに与え、音速の壁を轟音と共に楽々と突破する。衝撃波によって瀑布のカーテンを左右に巻き上げながら地上すれすれを猛滑走するシャナが『贄殿遮那』を突き出す。だというのに、サユは動かず、迫り来るシャナをじっと見つめている。
時間にして、その滑走は数秒にすら満たないものだった。20メートルを超える距離を一瞬で0にして、シャナとサユが交差する。そして、
贄殿遮那の切っ先が、白銀の少女に突き立った。
これにて、シャナVSサユ、終わり!