周囲から刺さる好奇の視線。耐え切れないほどの居心地の悪さを感じて、俺は身体が萎むような深いため息を漏らして頭を抱えた。クラスで孤立することはとうの昔に受け入れていた。だが、こういう肌をざわつかせる空気には慣れていない。この浮ついた空気の原因は、俺が何かやらかしたからじゃない。俺の隣の席にちょこんと座っている、マスコットみたいに可愛い美少女のせいだ。俺は頭を抱えたまま、目線だけでチラとサユの方を見やる。
「ん?フリッツ君、どうかした?」
さすが異能の戦士というべきか、自分に向けられた視線に間髪入れず気づいたサユが俺を見返してきょとんと小首を傾げる。動きに合わせて艶やかな長髪がふわりと舞い、窓から差し込む光に煌めく。たったそれだけの仕草なのに、まるで日溜まりに咲くヒマワリをパシャリと切り取ったスナップ写真のように時間が止まった錯覚を覚える。心臓を握り潰されそうな愛おしさをひしひしと感じ、それを顔に出さないように全身全霊の精神力で抑えつける。声を潜めると、周りにわからないように日本語で問う。
「なんで君がここにいるんだ?」
「もちろん、フリッツ君を護るためだよ」
こちらの意図を察して、サユも同じく日本語で即答する。
「できれば、少し離れたところから守ってくれていてほしかった」
眉をひそめる俺の反論に、サユは「たしかにそうだね」と苦笑して一度頷く。頷いて、「だけど」と否定した。
「君がより良い未来を選択するための手伝いが出来るかもしれないと思ったんだ」
「それは、つまり……?」
俺の心に希望の光が差す。じゃあ、義足を渡さなくてもいい……?
俺の淡い期待を見抜いたサユが申し訳なさそうに苦笑いを浮かべてゆっくりと首を振る。
「それは君次第だよ。ボクはただ、君の選択肢を増やしたいだけ」
がっくりと落胆に肩を落として「わかった」と口先を窄める。そんな都合のいい展開になるはずはないか。
これはサユなりに俺のことを考えた上での行動なんだろう。突然降り掛かってきた不幸に一方的に振り回されるのは気の毒だから、少しでも俺の意思を尊重させてやろうということだ。ずいぶんお人よしな娘だ。フレイムヘイズって奴らはみんなこうなんだろうか?それとも、サユが特殊なだけなのか。きっと後者に違いない。
「それで、気になってることがあるんだけどさ。その席は、俺の記憶によれば別の人間のものだったはずなんだが、そいつはどこへ行っちまったんだ?」
サユの座る席を指差し、少しおどけた感じで質す。その席には、昨日まで印象の薄い幽霊みたいな女がいたはずだった。日系か、日本とのハーフだった。名前は……たしかユカコとかいったか?
あいつの代わりにサユが居座っていても、他の奴らはまるで“最初からそんな奴いなかった”とでも言うように平然としている。元々存在感も希薄だったし、フレイムヘイズの使う“自在法”とやらを使えば立ち位置を少しの期間だけ入れ替わるくらい朝飯前なんだろう。なんたって街一つ簡単にぶっ飛ばすような力を持っているんだから。
顔を真っ赤にして大砲を振り回していたサユの姿が脳裏に浮かんで苦笑しかけ、
「……サユ?」
サユから返事が返ってこなかった。怪訝に思って窺い見れば、サユは苦しげに眉根を寄せて俯いていた。その表情で、俺が何かひどい思い違いをしていたこと、先の質問がサユをひどく傷つけたことを悟った。深い悲しみに沈む横顔に心臓が震える。理由はわからない。だが、俺がこんな顔にさせたのだということは直感でわかった。サユが悲しそうな顔をすると、何故か俺の心もヒリヒリと痛んだ。
「……ごめん」
「な、なんで君が謝るんだよ?別に誰かが犠牲になったってわけでも───」
『
昨晩にサユが説明してくれた一節が脳裏にフラッシュバックして、ユカコの身になにが起きたか理解した俺は息を呑んで絶句した。存在感が日に日に薄れて、周りからいない者のように扱われていたのは……彼女がすでに殺されていたからだったのだ。昨日まで俺の隣にいた彼女は、実はもう
知らなかったとは言え、自分のすぐ隣の人間がすでに人間ではなくなっていたという事実に背筋がゾッと冷えた。
「……あ、あいつもサルマキスにやられたのか?」
サユが「間違いなく」と小さく頷く。俺が気がついていないだけで、実は振り下ろされた鉈が鼻先を掠めていたのだ。目の鼻の先であの化け物が暗躍していたことに愕然とする。
「ま、まさか、クラスの他の奴らも……!?」
「それは、大丈夫。ここにいた人だけが、あいつに喰われたんだ。ただ腹が減っていたという理由だけで。ただそこにいたという理由だけで。ボクは、彼女の残像を利用させて貰って、ここにいるんだ」
慌ててクラスを見渡そうとした俺に、サユが相変わらず悲しみに沈んだ声で応える。か細い声だった。握りしめた拳から血の気がひいている。子どものように華奢な肩が、怒りと悲しみに震えている。その感情の源は、きっとサルマキスへの怒りだけじゃないだろう。間に合わなかった、護れなかった自分を責めているのだと思った。顔も知らない、会ったこともない人間のためにそこまで感情を乱すだろうか。もしかしたら、過去に俺と同じように自分に近しい人間を喰われたことがあったのかもしれない。
「き、君のせいじゃない。悪いのはサルマキスだ」
人を慰めることは得意ではなかったからうまく慰めることができたか不安だった。それでも、慰めなくちゃいけないと思った。それができるのは、唯一事情を知っている俺だけだと思うから。
サユが弱々しく顔を上げる。
「……ありがとう。君は優しいね」
小さくもたくましい夏の花が風にそよいだような、柔らかく強い微笑みだった。
こんな女の子が、そのか細い双肩に大勢の命を背負い込み、自身を削って人知れず戦っている。助けた人々に感謝されることもなく、英雄として褒め讃えられることもないのに───。
そのいじらしい生き様に、急に胸が切なさで締め付けられた。同時に、自分が世界一の不幸者であるとボヤきながら安寧を貪り、あまつさえ都合のいい“新しい世界”を夢見ていた青臭い自分のことが、無性に恥ずかしくなった。命を懸けて戦っている本物の戦士を前に、自分はなんて幼稚だったのだろう。
胸中を埋め尽くす切なさと申し訳なさに突き動かされ、サユを元気づける言葉をかけようと口を開く。が、肝心の言葉が出てくれない。上っ面だけの慰めの言葉が喉の奥で凝固して出ていかない。こんなものは彼女に差し出すに値しない。いったい何と言えばいいのだろうか?護ってもらうしかない非力な俺に何が言えるのだろう?彼女を元気づけられる材料の根拠の一つも持たないくせに。そもそも、彼女に負担を強いているのは俺自身なのに。
「お、俺は───」
中途半端に口を開けたまま悩んでいると、唐突に教室の扉が開いた。このクラスの生徒を管理する教師だ。ドイツの
いかつい顔をした妙齢の白人男性教師の登場に、今まで俺たちを遠巻きに眺めて声を交わしていた生徒たちが弾かれたように一斉に自分の席を目指す。この担任は、感情的に声を荒げることはないが苦言をネチネチと話し出すと止まらなくなるから、生徒から苦手に思われているのだ。
「なあ、この話は今はやめにしないか?たぶん、サユにとって学校って久しぶりだろ?せっかくなんだし、楽しめよ。それに……授業に付いていくことに集中しないと、さすがに周りから怪しまれるだろうし」
なんとか話題をすり替えようとする。これ以上、サユの悲しむ顔は見たくなかったから。自分の情けなさを直視したくなかったから。それに後半の台詞は本気の心配だった。本人に言ったら怒るだろうが、サユの見た目の年齢は中学生すら怪しい。フレイムヘイズは不老だと昨晩教わったが、その初々しい言動を見るにサユの年齢は見た目とそれほど変わらないように思えた。俺と同じくらいだろう。
自慢じゃないが、この学校のレベルはドイツ全域で見てもそれなりに高い。
そんな俺の心配をよそに、サユが困ったような複雑な表情をして頬をぽりぽりと掻く。
「えっと、心配してくれるのは嬉しいんだけど……」
言いながら、手元の数学のノートをパラパラと開いて見せてくる。そこにはびっしりと計算式と解答が書き込まれていた。高次関数の作図と分析……見たところ、今日勉強するはずの範囲の予習のようだった。
「あー……まさかこれ、君が全部解いたの?」
困ったように苦笑してこくりと頷くサユ。少しだけだが、元気が戻ったようだ。中学生の才女が飛び級で高校に入学するとかいう話は聞いたことがあるけど、サユもそういう天才少女なのか。呆然としている俺に、サユからとどめの一言が放たれる。
「ボク、これでももうすぐ
俺の中の何かが、音を立てて派手に砕け散った。
‡ ‡ ‡
「ユカコさん、その服はどうしたの?なぜ給仕服を……?」
「仕様なんです!気になさらないで下さい!」
「そうそう、ユカコちゃんのファッションなんですよ!制服なんてギムナジウムにはないんだし、いいじゃないですか!」
「教室に花は必要ですよ!」
「カワイイは正義!」
昼過ぎ、最後の授業を担当する歴史宗教学の女性教師───ドイツの
堂々と言い切られた上にクラスメイトからの支援もあれば、それ以上追求する気にもならないのか、教師はしばし口元をモゴモゴさせたあと、無理やり自分を納得させて授業に戻る。一時限目からこのやり取りが続いたので、最初は必死に笑いを堪えていた周りの生徒たちもすっかり慣れて、今ではどいつもこいつも積極的にフォローまでするようになった。
フォローをした後にこっそりと振り返ってウインクをしてくる奴らに、サユはぺこぺこと忙しく頭を下げて礼をする。その子犬のような微笑ましい仕草に頬が緩みそうになるのを顔面の筋肉を引きつらせて堪える。クラスメイトが保護欲を掻き立てられるのも無理はない。そんな子犬が、実は誰よりも年上の成人なのだと知ったら、みんなどんな反応をするだろう。驚く一同を想像して微かに笑みを浮かべ、その真実を知っているのが自分だけということに優越感を感じてさらに唇の端がピクピクと震える。
(……ん?)
ふと、ついさっきサユにウインクを飛ばした男と目が合った。今までほとんど接したことがない奴だ(クラスメイト全員が同じようなものだが)。どうせすぐに目を逸らすだろうと思っていると、不意にそいつの片目がパチリと
(……おい、まさか、“うまくやれよ”とかいう変なお節介じゃないだろうな)
「ねえ、フリッツ君。ここなんだけど……」
「え? ああ、それはな」
サユがテキストのドイツ語の一文を指して質問してくる。先ほど聞いた話によると、サユは過去に誰かと一緒にドイツに滞在していた経験があるらしい。道理で会話が出来るはずだ。しかし、読み書きに関しては苦手だということで、難解な言い回しなどのサユが独学でわからない箇所については滞在歴の長い俺が教えてやっている。サユは頭の回転も飲み込みも早いので教える側としては楽でいい。楽でいいのだが……。
(どうして、どいつもこいつもニヤニヤしながらこっちを見てくるんだ)
うんざりしながら視線の送り主たちにじろりと一瞥を向けると、数人の男女が慌てた様子で顔を正面に戻す。俺がサユの手伝いをする度に周囲からからかうようなくすぐったい視線が爪のように背中をカリカリと擦るのだ。このやり取りもすでに何度となく繰り返されていたから、最初は目を白黒させて戸惑うばかりだった俺もだいぶ慣れてきた。クラスメイトたちも、単なる物珍しい物への様子見から冷やかしへと目的をシフトさせているように見える。周囲からはいたいけな妹分の女の子を甲斐甲斐しく世話してやっている兄貴分のようにでも見えるのだろうか。
(実際は、俺のほうが世話になってるんだけどな)
この可憐な少女が、実は悪の化け物から俺の身を護っている戦士だと思い至る奴は絶対にいないだろう。少なくとも俺なら、現在進行形でノートの片隅にメロンパンの落書をつらつらと描いている女の子がボディガードだと言われても絶対に信じない。
自分の落書きをトロンとした目で見つめて口端に涎まで浮かべるサユに、俺は小声で問う。
「……もしかして、メロンパンが好きなのか?」
落書きを描き始めた辺りから無意識だったらしいサユがビクリと肩を震わせて慌てて口元を拭う。一瞬、本当に昨日サルマキスと死闘を繰り広げたフレイムヘイズと同一人物なのか疑ってしまったのは内緒だ。
「う、うん。元々はそこまで好きじゃなかったんだけど、でも無性に食べたくなるというか、もはや身体が勝手に求めるというか……。とにかく、不本意ながらもボクにとっては欠かせないエネルギー源なんだよ」
何やら怪しい麻薬のようにも聞こえる支離滅裂な説明だが、要するに大好物ということなんだろう。もしや、フレイムヘイズは全員、メロンパンを食べないと戦えないのだろうか。戦うためにメロンパンをエネルギー源とする戦士たち……いや、それはさすがにないな。そんなメルヘンな戦士はサユだけに違いない。見た目もメルヘンだし。
さて、困った。俺は顎を撫でながら目線を左下に向ける。ドイツに渡って初めて知ったのだが、メロンパンは日本発祥かつ日本限定のもので、ドイツはもちろん海外でもまったく一般的ではなかった。ヨーロッパでは、パンというよりスイーツ的な扱いを受けている。元々、ドイツは日本で一般的な白パンを作るために必要な小麦が育ちにくい気候ということもあり、ライ麦や大麦を使う黒パン───ドイツパンが一般的だ。カロリーと糖質が低い代わりに食物繊維が豊富で、総じて健康志向なドイツ人向きのパンなわけだが、これがまあとにかく硬いのだ。『噛めば噛むほど奥深い味が染み出してくる。噛みごたえがあって実に味わい深い』とはドイツパンが好物だったドイツ人の父さんの言である。俺自身は辛党ということもあって、日本に住んでいる時も菓子パンに大して興味がなかったので気にしていなかった。でも、母さんは日本の甘くて白くて柔らかいパンを懐かしがっていた。
「……サユ、ハンカチ貸そうか」
「んぁっ、ら、らぃじょうぶらいじょうぶ」
とはいえ、隣のサユのように、絵に描いた餅ならぬ絵に描いたメロンパンに目を釘付けにされて意識を奪われるまでは無かった。“身体が引っ張られる”という説明そのままに、強制的にメロンパンに惹きつけられているようだ。呪いでも受けているのか。そう考えると、メロンパンの摂取というのは、俺が考える以上にサユにとって非常に
(あ、そういえば)
ボディガードが深刻なエネルギー切れを起こしているのは被保護対象の俺にとって非常に不安なので、薄い記憶を探って目的のパン屋の場所を思い出す。たしか、隣町だったはずだ。
「なあ、メロンパンを置いてる店が隣町にあるんだけど───ぉおっ!?」
ガタン、とけたたましい音を立てて吹き飛んだ椅子に教室中の視線が集まる。ガッシリと鷲の爪の如き諸手に両肩を掴まれ、俺は一切の身動きが封じられた。突然のことに目を白黒させる俺に、肉食獣のように表情を豹変させたサユがにっこりと圧力を伴う満面の笑みを浮かべて告げる。
「フリッツ君、ちょっとデートをしない?」
最近は、のか先生の『ニンジャと司教の再出発』とNAJI柳田先生の『ボーズ・ミーツ・ガール』とセシル・スコット・フォレスターの『駆逐艦キーリング』を読んでます。どれもこれも面白いです。特に好きなのは『ボーズ・ミーツ・ガール』です。文章力の高い人が本気で悪ふざけをするとこんなに面白くなるんだと感心します。オススメです。