白銀の討ち手   作:主(ぬし)

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 新規で書くにあたって、原作キャラクターたちの特徴を掴むために原作『灼眼のシャナ』を読み直したり、コミカライズ版全巻をKindleで購入して読破したりしました。コミカライズ版がわずか10巻で終わっているのが惜しいですね。素晴らしい出来栄えです。シャナって一般には典型的なツンデレキャラだと思われていますが、実際はとても真っ直ぐに好意をぶつけるんですよね。あらためてシャナの魅力を再確認できました。


【外伝】白銀の討ち手S その③

<今日、2時間目、体育>

 

 夏休みも終わり、季節はもう8月も中盤に差し掛かっている。だというのに、太陽から降り注ぐ激しい輻射熱は一向に減衰の気配を見せない。大気中には手を伸ばせば触れられそうな蒸し暑さが満ちている。全身の毛穴から絶え間なく吹き出す汗も、肌を炙る熱射によって瞬間的に蒸発させられるほどだ。足元のコンクリートも溶融させそうな気温は「容赦がない」の一言だ。これが世間を賑わせる地球温暖化の脅威の一端なのかと、僕は手で作った日差越しにギラつく太陽を仰ぎ見た。

 僕という小さな存在は地球レベルで言えば本当にちっぽけなものであり、大いなる地球のうねりの前にただただ汗を流して暑さに耐え忍ぶことしかできないのだ。そう考えると、何もかも全てが極めて些細で矮小な雑事に過ぎないのではないかと思えてきて───

 

「坂井、現実逃避してないでサユさんを助けたらどうだ?」

「……もうしばらく放っておいて欲しかったよ、池」

 

 親友、池速人の冷静な声に足首を捕まれ現実に引きずり戻される。目の前では、現実───女子更衣室に連行される寸前のサユが必死に頭を振って抵抗する光景が繰り広げられていた。

 

「わ、私はいいです!遠慮します!運動は苦手なんです!スク水は、せめてスク水はご勘弁を!」

「シャナちゃんがあんなに運動神経いいのに、双子のサユちゃんが苦手なんてありえないでしょ!てか、メイド服着てて今さら水着を恥ずかしがらなくてもいいじゃない!」

 

 緒形さん、仰る通り。至極当然の意見に反論できなくなったサユは「うぐぐ」と喉を鳴らすと、ただばたばたと手足をバタつかせて逃げようとする。が、終始笑顔の緒形さんたち女子勢に後ろから羽交い締めにされ、為す術もなくずるずると更衣室に引きずり込まれて行くしかなかった。僕らは、そんな一幕を遠巻きから眺めていた。

 今日の時間割は、1時間目は英語、そして2時間目が体育───つまり水泳の授業だった。地方大会の際には大会会場にもなるように建造された大型プールはオリンピックサイズの50メートル(ロングサイズ)。そんな巨大なプールを有する御崎高校では、水泳は2時間連続、そして2クラス合同となることも珍しくない。いつもなら「朝っぱらから水泳なんて」と面倒くさがる生徒たちも、ゲスト(おもちゃ)を迎えた今日ばかりは色めきだって上へ下へのお祭り騒ぎである。校舎の裏手にある更衣室備え付けの屋外プールは、物珍しい一日転校生のおかげでとても騒々しかった。

 当初は、“()()()()()”の双子の妹ということもあって、他のクラスの生徒たちなどはサユのことを一歩引いて戦々恐々と観察していた。学年において、シャナは“教師を返り討ちにするとんでもない女の子”という認識が知れ渡っていて、上級生からも一目置かれているほどだ。そんな女の子の双子というのだから、警戒から入るのはなんら不思議じゃない。だけど、いざ面と向かってみると、サユが姉と違って一般人の常識に根付いた極めて普通の人間で、しかもなぜか初対面とは思えない親しみやすさを感じたこともあり、すぐにマスコットのような扱われ方をするようになったのだ。

 

(まさか誰も中身が僕だとは思わないだろうなぁ)

 

 マージョリーさんの調教によって言葉遣いや所作が淑女らしく矯正されていることも手伝って、坂井悠二の面影は表面上はほとんど認められない。マージョリーさんには感謝すべきなのか。複雑である。

 ちなみに、サユの分のスクール水着は誰かがどこからともなく仕入れてきた。サユの体型もシャナと同じく平均を遥かに下回るはずだが、いったいどこからそんな特殊なサイズを取り寄せてきたのだろうか。

 

「俺たちが持ってきたんだよ」

 

 背後で佐藤啓作と田中栄太がさらりと述べた。すかさずスマホを取り出すと親指で110番をタップする。

 

「もしもしポリスメン?」

「違う違う違う!やめろ、坂井!マージョリーさんから“持っていけ”って言われたんだ!」

「“絶対面白くなるわよ”って言われたから仕方なく持ってきたんだよ!俺たちだって恥ずかしかったさ!誤解すんな!」

「ああ、なんだ、そうだったのか。初めからそう言ってくれよ。あ、すみません、早とちりだったみたいで……ええ、ええ、すみません、気をつけます」

「こ、こいつ、マジで警察に通報してやがった……!」

 

 容赦のなさに恐れおののく二人をよそに、実はどこにも繋がっていなかったスマホをポケットに仕舞う。

 ふと、更衣室のドアにしがみつきながら何とか内側に入るのを踏みとどまるサユと目が合った。その顔は真っ赤に紅潮し、眉は歪み、瞳はうるうると濡れている。そこには切羽待った意思がありありと滲んでいた。

 自分が同じ立場だったら果たしてどんな心情になるのだろうか。女子更衣室に興味などない、と言えば完全に嘘になる。正真正銘の男子として、女子更衣室は禁断の楽園だ。理性と倫理さえ邪魔しなければ一度は踏み込んでみたいと思うのは健全な男子なら当然のことだ。

 しかし、女の姿で入室する(・・・・・・・・)ということになると話は一変する。無防備な異性たちのなかで、そうすることが当然だというように自らも裸体を晒さねばならない。そして極めつけにスクール水着である。これは死ぬほど恥ずかしいだろう。露出癖でもなければ顔からメラゾーマを吹き出しながら絶命する。

 

「ゆ、悠二さん、助けてください!」

 

 助けを求めるその声はほとんど悲鳴に近かった。途端、その場にいる者たちの視線が一斉に僕に集中する。先ほどまでサユを中心に繰り広げられていた歓声がすっと嘘のように静まり返り、肌を刺す緊張感と殺気が僕の周囲を支配する。

 警告(・・)───幾多の戦いをくぐり抜けてきた第六感がそう告げていた。「邪魔をするな」とギラつく眼光を全身に浴びて、僕は握った手の親指を天に向かって突き立てる。

 

「サユ、因果の交差路でまた会おう!」

「裏切り者ぉぉぉ!後で覚えてろぉおおお!!」

 

 僕だってクラスでリンチにされたくはないし、それなりに空気は読める。

 再び爆発した歓声の中、震える声をフェードアウトさせながらサユが地上の楽園の奥へと吸い込まれていく。その姿が完全に闇に溶けた直後、更衣室の扉がピシャリと閉められる。楽園が牢獄となった瞬間だった。女子たちのキャアキャアと甲高い嬌声に混じって聴こえてくる「脱がせないでください」という悲鳴にそっと合掌して、僕は隣で呆れ顔を浮かべるシャナに顔を向ける。

 

「一緒に行かなくていいの?」

「騒動が落ち着いたら行くわ。巻き込まれたら面倒そうだもの」

 

 クラスメイトたちと打ち解けてきたとはいえ、少年少女特有の向こう見ずなハイテンションが肌に馴染まないシャナは腕組みをして事態の静観をしていた。でも、いいのだろうか?

 

「シャナの裸をサユ(ぼく)が見ることになると思うんだけど」

「早く言いなさいよ!」

 

 一喝の後、ドドドドドと土埃を立ててシャナが更衣室に突進する。

 ごめん、サユ。これも全てを円満に解決させるためには仕方のないことなんだ。さっきの1時間目のメスガキムーヴでちょっとイラッとしたとか、2週間前に襲撃されて死ぬほどボコボコにされたことへの意趣返しなんて、少しも思っていません。ざまぁ。

 

「いいのか?サユさん、かなり嫌がってたみたいだが」

「何とかなるよ。たぶん。きっと。おそらく。メイビー。それより、早く僕たちも着替えを済ませよう。お前もメガネマンアクアに換装しないといけないんだし」

「おっと、そうだったな」

 

 メガネマンアクアは否定しないんだな。

 

「本当に……“やれやれ”って感じだわ……」

 

 狂乱めいて騒ぐ生徒たちに、左肩に星のアザがある女性体育教師が額に手を当てて深くため息をつく。なんだろう。学校より刑務所が似合うような気がするのは気のせいだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

「はひ、はひ、はひぃ」

 

 スクール水着を着たサユは、耳たぶまで顔を真っ赤にして、変な息遣いで肩を上下させていた。足取りもフラフラとして覚束ない。大きな目も明らかに動揺してくるくると回っている。その後ろからは、サユと同じように頭の後ろで髪をお団子にしたシャナが「見なかったでしょうね」「変なとこ触らなかったでしょうね」とチクチク口を尖らせている。

 シャナもサユも、服装が同じになるともうまったく見分けがつかない。シミひとつ無い真っ白な肌、完璧に整った精悍な容貌、無駄を一切廃した四肢ときゅっと引き締まった腰のくびれ。なだらかな胸の双丘は、ふくよかではないけれど、そのささやかな肉付きがむしろ愛らしい。特に目を引くのがそのプロポーションだ。スクール水着を着ているせいで脚の付け根が顕らになり、その驚異的な股下比率の高さに周囲の男も女も絶句する。ほぼ50パーセントといっていいかもしれない。およそ日本人離れしたそのハイレベルなプロポーションのおかげで実際より背が高く見える錯覚が起きるほどだ。

 

「シャナちゃんもサユちゃんもスタイル最高じゃん!」

「羨ましい〜!」

「あ、あはは、どうも」

 

 そんな黄金比の肉体を神から授かった美少女がなんと双子としてこの世に存在しているというのは、客観的に捉えれば奇跡に近いだろう。芸能界に目をつけられたらすぐにお茶の間を騒がせるタレントになるのは間違いなしだ。もしそうなったとしても、お茶の間の人々は、一方がオリジナルで一方がその精巧な贋作(コピー)だとは想像もつかないだろう。アラストールが“贋作師”テイレシアスについて「素行は悪いが腕前は確か」と実力を認めていたのも頷ける。今だって表情さえ揃えれば、上から下までまるで鏡写しのように同じ───おな、じ───?

 

(いや、一部(・・)だけサユの方が少し…………いや、よそう。僕は何も見ていないぞ)

 

 スクール水着の生地による光の屈折具合とか、なんかそういう理由に違いない。わずかな膨らみ(・・・)の誤差なんてどうでもいいじゃないか。触らぬ神に祟りなし!

 気を取り直して視線をさらに上にずらし、サユの顔に目をやる。よくよく見ると、その目元には布で覆われていた痕があった。目隠しをされたまま女の子たちによって無理やり裸に剥かれてスクール水着を着せられる。そしてスクール水着姿のまま同世代の少年少女たちの前に見を晒す。とんでもなく高レベルなプレイだ。物好きにはたまらないシチュエーションなのだろうけど、そういう嗜好のない僕には死ぬほど羞恥極まるし、僕の枝分かれした延長線上であるサユにとっても同じだろう。

 

「南無南無。サユ、新しい性癖を開拓したと思って成仏してくれ……イテッ!?」

 

 再び合掌して冥福を祈った僕の額に、ヒュンヒュンとブーメランのように風を切るビート板が当たってポーンと空中高く跳ねた。目の前でチカチカ光る小さな星の向こうで、こちらを涙目で恨めしそうに睨むサユの顔があった。この距離で僕の呟きを聞き取って、そしてビート板を命中させるなんて、驚異的な聴力と命中精度だ。さすがシャナの贋作ボディ───なんて考えてる場合じゃなかった。

 

「あわ、あわわわわわっ!?」

 

 僕はプールの水際に立っていたことを思い出した。バランスを崩すまいとわたわたと手足をバタつかせたのも束の間、僕の身体は太陽を見上げながら背中からプールの水面へと傾いていく。「ナイスショット!」という田中と佐藤の歓声を聴いたと同時に、そのままドボーンと水の柱を突き立てて頭から水中にダイブした。ガボガボと目を白黒させながらなんとか水面から顔を出すと、ヒューヒューと口笛を吹いて色めき立つクラスメイトたちの声が蒼天を突き上げている。

 2時間目はまだ始まったばかりだというのにこんな調子とは、僕は今日一日の山を乗り越えられるのだろうか。

 

 

 

 

 

 

「きゃっ、緒形さん!?」

「一美、また大きくなったでしょ〜!」

 

 濃紺に艶めくポリエステル生地に包まれた2つの山が指を呑み込んでフニャフニャと変形する。見るからに張りのある弾力性を備えた双子の大山だ。ふわりと柔らかそうなのに、しっかりとした重みがあることが見て取れる。これは乗り越えられそうにない。そんな大山を背後から揉みしだく緒形さんが驚愕に目を見張り、山の持ち主である吉田さんが悲鳴をあげる。吉田さんは、その引っ込み思案な性格とは相違えるグラビアアイドルもかくやな肢体を輝かせている。緒形さんを振り放そうと抵抗する腰がクネクネとうごめく様はとても艶かしく、男子生徒の目線は磁石のように吸い寄せられた。メガネマンアクアの鼻の下は伸びる一方だ。ところで、なんだか吉田さんが喘ぎながらチラッチラッとこちらを横目で窺っているように見えるのは錯覚だろうか。

 

「悠二、どこ見てるの」

「んなっ、んななななななななにが!!??」

「吉田さんの胸を見てましたよね、絶対。“この山は乗り越えられそうにないなぁでへへへへ”とか考えてる顔ですよ」

「悠二、いやらしい」

「ううっ!」

 

 シャナとサユが切れ長の目を細めて僕を見る。軽蔑がこれでもかと込められていて視線がすこぶる痛い。「でへへへへ」とまでは思っていないにしても内容は合ってるから否定できない。なぜ男はこういう状況になると一方的に責められる立場に追い込まれなければならないのか。不公平だ。

 

「“なんで一方的に責められる立場になるんだ、不公平だ”って考えてる顔ですね」

「サユ、僕の考えを読まないでくれ!」

「悠二、情けない」

「うううっ!?」

 

 さすが中身が同じということもあって、思考を忠実にトレースされてしまう。シャナの姿をしていて中身が自分というのは、もしかして僕にとって天敵みたいなものじゃないのか。

 筒抜けにされる頭のなかをこれ以上覗かれないようにサユから顔を背けるも、背けた方にもシャナがいる。左にはシャナ、右にはサユ。まるで山深い寺の山門を守護する阿吽の金剛力士像のような迫力を伴って、じとーっと重く鋭い視線が左右から突き刺さる。

 シャナはともかく、サユは元々男だったんだから、どうしようもない純粋な男心(リビドー)を理解してくれてもいいじゃないか……とは口に出さないでおく。

 

「いや、理解は出来るんですよ?でも、肉体が女の子に(こう)なったせいか、男子高校生のお猿さんみたいな思考がやけに幼く思えるんですよねぇ」

「“男はオオカミなのよ気をつけなさい”って千草もリズミカルに言ってた」

「母さんは歳がバレるような歌をシャナに教えるなよ!ていうかサユ!だからといってあえて口に出さない考えを読んで反応するのはやめてくれるかな!いかに中身が同じとはいえプライバシーの侵害───あ、」

 

 順調に女心に染まりゆく自分(サユ)に指を突きつけて憤慨していたところ、唐突に、健康的な小麦色のシルエットがシャナとサユの背後にゆらりと揺らめいた。彼女(・・)は僕に向かって唇の前に人差し指を立てる。その意図を察して、僕は目線をそちらに向けないように集中することにした。唐突に言葉を切った僕にシャナとサユが同時に首を傾げる。そんな二人の背後、一流のフレイムヘイズにすら察知されない忍び足で彼女はするすると近付いていく。そして二人のちょうど中間点に立ってガバっと両腕を翼のように広げる。ニヤニヤとした邪な気配にハッと二人が同時に背筋を逆立てるも、時既に遅し。

 

「二人の成長も私が調べてしんぜよぉ〜!」

「ひゃうっ!?」

「んぎゃっ!?」

 

 緒形さんのセクハラ宣言と同時に、その両の手がクレーンゲームのアームのように閉じて、シャナとサユそれぞれの左胸と右胸をグワシッと鷲掴みにした。ちなみに女の子らしい悲鳴がシャナで、尻尾を踏まれた猫のような悲鳴がサユである。顔を真っ赤にして肩を跳ね上げる二人の胸が、ムギュムギュとしつこいほど揉まれる。濃紺の生地の一枚下で、生硬い弾力を秘めた丘が指の動きに合わせてたわむ。ささやかだが完璧な左右非対称の美しさを誇る双丘。やんわりと膨らむ丘の頂上には小さな突起物がチラリと確認できた。そんな扇情的な光景を目と鼻の先で見せつけられて、僕にはロリコン(そっち)の気はないはずなのに、腰から背筋を這い上がるようなゾワゾワとした欲情を覚えた。思わず頬がヒクヒクとニヤけてしまいそうになるのを必死で堪える。

 だ……駄目だ……まだ笑うな……こらえるんだ……し、しかし……「イィデデデデデッッ!!??」

 

 左尻ッ!!再び左尻に走る激痛ッッ!!肉食獣のような爪を立てて僕の尻に何かが襲いかかっているッ!気をつけろ坂井悠二ッ、スタンド攻撃を受けているぞッッ───!!

 

「だから誰なんだよ執拗に左尻ばっかり狙うのは!せめて右も狙わないと不平等だろ───あ、吉田さん。ごめん、ゴリラみたいな握力をした怪しい奴を見なかった?」

 

 さっと振り返るも、後ろには吉田さんしかいなかった。相手を間違えて激昂してしまった僕の質問に、親切な吉田さんは首をふるふると左右に振る。犯人はいったいどこの誰なんだよ。しかし、吉田さんはなんていじらしくお淑やかな女の子なんだろう。シャナとサユに爪の垢を煎じて飲ませたい。

 

「お、緒形さん、もうやめてくださ、あっ」

「ちょっと、お、緒形ぁ!」

 

 振り返ると、緒形さんはシャナとサユをぬいぐるみのように懐に抱き寄せてまだ感触を楽しんでいた。二人とも体重は30キロ半ばほどしかないだろうから、スポーツ女子の緒形さんにとっては逃れられないように抱き寄せるのは朝飯前だ。当然、フレイムヘイズである二人が本気を出せばあっという間に抜け出せるのだろうけど、そうすると緒方さんを傷つけてしまうと弁えているのだ。

 そんなことなど露とも知らない緒方さんは、眉根を寄せてイヤイヤと首を振る二人の拒絶などお構いなしに胸を揉み続ける。女性同士の無礼講というのは実に羨ましい───むっ、左尻に殺気を感じる!?どうやら恐ろしい(シリ)アルキラーは僕がシャナとサユに意識を釘付けにしたタイミングを狙っているらしい。何が目的なのかは定かではないけど、気をつけないと。

 

「んふふ、よいではないかよいではないか〜。二人ともやっぱり双子なだけあって、バストもまったく同じ───ん?(・・)

 

 不意に、緒形さんの片方の眉がピクリと訝しげに跳ね上がった。揉む手付きが、感触を楽しむものから何かを確かめるそれに変化する。なんということだ。僕は口に手を当てて騒然とした。彼女は気付いてはいけないものに気付いてしまった。

 同時に、シャナとサユも電気が流れたようにビシリと身体を硬直させた。しかし表情は正反対。一方は怒りに。一方は怯えに。二人の間に明確な亀裂が走ったのだと第六感が察した。さっきまで仲の良かった金剛力士像が唐突に仲違いを起こしたような錯覚が重ねて見える。阿形像(シャナ)の首がギリギリと音を立てるようにしてゆっくりと右を向き、刺さる視線を突きつけられた吽形像(サユ)がたまらず目を逸らしてブワッと額から汗を流す。

 さすがの爛漫な緒方さんも、シャナの両肩から滲み立つ怒気を察して、触れてはいけないデリケートな琴線に素足でダイレクトアタックをかましたことを理解したらしい。顔面筋が笑顔のままひくつき、シャナとサユの胸を揉みしだく格好のまま硬直した。ああ、どうして人間は自らの好奇心を制御できないのか。

 

「……緒方、どうしたの?続きをどうぞ?」

「え、あ、ええっと、その、ふ、双子でも成長具合が異なるのは当然っていうか、仕方ないっていうか、気にすることはないんじゃないかな~って」

「私は“続きをどうぞ“と言ったんだけど」

 

 贄殿遮那を一閃したかの如き鋭い眼力だった。ハイライトの消えた目をじとりと据わらせたシャナの迫力に気圧されて、緒方さんどころか周囲の空気すら凍りついた。夏真っ盛りだというのに身体の芯まで凍りついてしまいそうな怖気が背筋を貫く。

 

「お、緒形さん……!」

 

 サユが緒方さんの手を握ってうるうると哀願する視線を投げる。「言わないで」という魂からの懇願だ。頬を引くつかせて途方に暮れる緒方さんが一縷の助けを求めて僕の方に顔を向けるも、僕もまたさっとあらぬ方向に顔を向けて雲の数を数え始める。「薄情者」という呟きが聴こえた気がした。ごめん、緒方さん。竜のヒゲをなでて虎の尾を踏んだのは君なんだよ。胸中にそっと呟き、三度目の合掌を緒形さんに厳かに送る。南無。

 プールが重油を流したような重い静寂に包まれるなか、ゴクリと意を決した緒方さんが喉を鳴らし、口を開ける。

 

「さ、サユちゃんの方が、ちょっとおっぱいが大きいんだなぁ~って───ごめん、サユちゃん」

 

 薄氷が割れた、という直感が稲妻のように全員に走った。言って、緒形さんがスルスルと二人から後ずさる。サーッと青ざめていくサユの顔を、恐竜のように首をゆっくりと回しながらシャナが間近から覗きこむ。近くにいる僕にしか聴こえないような小さな、でもアラストールばりに低い声で、詰問する。

 

「サユ、アンタは私の忠実なコピーなのよね。テイレシアスに贋作してもらう時に私の姿を思い浮かべたって言ってたわよね。だから私と瓜二つのはずなのよね」

「ソ、ソウデスネ」

「なのに、どうして、アンタの方が、大きい(・・・)の?」

「ソ、ソレハデスネ」

 

 サユが汗をダラダラと流して片言の返事をする。その隙にそっとシャナに近づき、ボソリと意趣返し。

 

「サユのこの顔はね、“シャナはもっとあると思ってた”って考えてる顔だよ」

「ば、バカ……!」

 

 図星を突かれたサユの顔色が変わる。フレイムヘイズは『過去』『現在』『未来』の『可能性』をすべて紅世の“王”に明け渡すことで自身を“器”とする。そうして己の存在の全てを捧げることで、紅世の“王”をその身に宿した不老の戦士となるのだ。彼彼女たちは決して老いないし、成長もしない。これはサユにしても同じで、贋作してもらった肉体には『未来』の可能性はないため成長はしない。だから、サユがシャナを抜いて成長することはない。だというのにサイズに違いが生じる理由は何か。答えは簡単。発注ミス(・・・・)だ。

 サユから聞いたところによると、シャナそっくりの肉体を得ることになったのは、テイレシアスに“最強の肉体を思い浮かべろ”と言われて即座にシャナを連想したからだという。その際に思い浮かべたシャナの姿かたちがそのままサユの肉体となっている。つまり、サユはシャナのサイズをもっと上だと思いこんでいたわけだ。慌てふためくサユの反応からして、サユもどこかのタイミングでそのことに気付いていたらしい。

 

「サ〜ユ〜!」

 

 頭の回転が速いシャナはすぐさま僕と同じ結論に至った。ズモモモモとシャナの背後に稲妻轟く暗雲が立ち籠めるのを確認すると僕は4度目の合掌とともにさっと踵を返して立ち去る。さらばだ、サユ!別に、サユを誘うためにシャナが買うはずだったメロンパンを横取りしたせいで彼女から烈火のごとく怒られに怒られたことの八つ当たりではない。ホントウダヨ。サカイユウジ、ウソつかない。

 ……が、腰にガッシリと回された細い両腕に動きを封じられてその場に固定された。空中に縫い留められた胴体の下で足だけがバタバタと回転する。人間離れした万力のような腕に締め付けられ、目が飛び出そうだ。

 

「悠二さん、せめて貴方も道連れです!」

「さ、サユ!?」

 

 ギョッとして頭だけで振り返ると、涙目のサユが決死の様子で僕の背中に張り付いていた。バックドロップをされそうな力強さだ。でも、僕は痛みとか恐怖とかよりもっと切実な感情に支配されていた。そんなに背中に密着されると───

 

「さ、さ、サユさん!む、む、胸が!」

 

 まるで温水をこめた水風船のような不思議な感触だ。腰裏にムニュッと押し付けられる温かく柔らかな双丘に、健全な男子高校生の精神はジェットコースターのように激しく動揺する。異性の女性らしい部分とこんなに濃密に触れるのは初めての経験だった。熱い体温を包み込むスクール水着のギュチギュチとしたゴムっぽい肌触りが扇情的だ。「この一枚下には一糸まとわぬ神聖な部位が」と脳みそが勝手に想像し始める。暴走するな、大脳新皮質!外見は女の子だけど、中身は自分なんだぞ!初めての経験が自分ってどうなんだ!

 

「胸が当たってますって!ガッシリ当たってますって!」

「当ててんのよ!」

「なにそれ懐かしい!じゃなくて───はっ!?」

 

 瞬間、殺気を察知して身体が硬直する。そちらに目をやれば、燃えるような灼熱の眼光。ズドンと右足がプールサイドの舗装を派手に()んで穴を穿つ。ひくひくと恐怖に顔を引きつらせる僕らの瞳に映るのは、(たい)を横向きにして腰だめに掌底を放つ寸前の予備動作。見事極まる八極拳の奥義『冲捶(ちゅうすい)』が『川掌(せんしょう)』の構えだった。

 

「サユと悠二の───バカァ───!!!」

「ごめんシャナ〜〜!」

「なんで僕まで〜〜!?」

 

 激情に顔を真っ赤にしたシャナが光を放った、ように見えた。一般人の動体視力では彼女の奥義は速すぎたのだ。およそ人間業とは思えない、トラックに跳ねられたような鈍重な衝撃が僕とサユを突き抜ける。気付いたときには、僕とサユは空中にビブラートの尾を引きながらプールの水面に向かって放物線を描いていた。「おおっ!」という称賛のどよめきを聞きながら、僕らは心躍る異世界に転生することもなくそのまま水中へと叩き込まれる羽目になった。

 

「決着ゥゥ───ッ!!」

 

 両サイドで髪をお団子にまとめた女性体育教師の決め台詞じみた咆哮が蒼天を突き抜ける。なんだろう、やっぱり刑務所が似合う気がするんだよなぁ。




『乙女怪獣キャラメリゼ』、最高に面白いからみんな読んで。

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