僕こと坂井悠二は、もしかしたら生まれて初めて幻覚というものを見たのかもしれない。
御崎市の中心にそびえる廃ビル、旧依田デパートの上階。そこの、さっきまで木板で封印されていた四角い窓辺から遥か白い雲を眺め上げながら、僕は先ほどのにわかには信じられない出来事を思い出していた。
数ヶ月前に倒した紅世の王――――“狩人”フリアグネが根城にしていたここには、あいつの遺した収集物が文字通り山のように残されていた。フリアグネは世に知れた珍品の収集家で、とにかく珍しいものを集めまくっていた。当然、その中には宝具も多く混じっている。それらはこれからの戦いを優位に進める切り札になるかもしれない。そんな情報を“弔詩の詠み手”マージョリーさんから聞かされた僕らは、数日かけて使えそうな宝具を探し出すことにした。しかし、フリアグネは整理整頓がうまい方ではなかったのか、手元に置けばそれで満足する性格だったのか、何もかもがぐちゃぐちゃに積み上げられていた。もしもフリアグネがゲーマーだったなら確実に積みゲーの山に囲まれていたに違いない。膨大な量の珍品を一つ一つ手にとっては存在の力を流し込み、宝具かそうでないか、役に立つのか立たないのかを見分ける作業は非常に難航し、現在まで収穫はない。そして今日も、あるかないかわからない宝具の捜索を進める予定だった。今日は現地集合とのことだったので、早めにここを訪れ、シャナよりも早く宝具を発見して今日こそ鼻を明かしてやろうと張り切っていたのだが―――
張り切ってドアを開け放ったそこには、裸のシャナがいたわけで。
「……なんで裸だったんだろう……?」
服だけを消す宝具とか?そんな漫画みたいな宝具なんかあるのだろうか。いやいや、まさか。お互いの人格を入れ替える、なんて宝具くらいにありえない。もしかしたらこの足元に転がっている万華鏡みたいなガラクタこそ、もしかしたら、
「悠二、なにをぼーっとしているの?」
「わあっ、シャナ!?な、なんで背後から!?」
呆然と窓の外を見ていた僕の背後から、つい10分ほど前にこの窓から飛び立ったばかりはずのシャナが声をかけてきた。もちろん、ちゃんと服を着ている。その服装はレモン色の半そでブラウスと同じ色の薄手のミニスカートだ。その頼りないブラウスは、陽光の差し込み具合によってはボディラインを透かしてしまいそうなほどに生地が薄い。その姿に思わずさっき目撃したシャナの裸体を重ねてしまい、鼻血が出そうになるのを汗ばんだ手の平で顔面をバチリと押し潰すことで防いだ。
「……どうかしたの?」
「この暑さで溶けるほどもない脳みそが溶けたのか、坂井悠二」
綺麗な形をした眉毛を片方だけ吊り上げて訝しげな表情を浮かべるシャナと、彼女の胸元から聴こえる地鳴りのような重く低い声。いつものシャナたちそのものだった。さっきまではいったい何がどうしたのだろうか?もしかしたら、僕より早めに来たシャナはここで何かおかしな宝具を見つけてしまい、その作用で少しおかしくなっていたのかもしれない。それが恥ずかしくて飛び出していったのか。ならば、今のシャナたちの態度は「なかったことにしろ」という暗黙の訴えなんだろう。
自分をそう納得させると、僕は苦笑いを浮かべながら「なんでもないよ」と言っておく。シャナが首を傾げて不思議そうな顔をするが、それも演技に違いない。誰にだって失敗はある。例えそれがシャナやアラストールでも。僕にできるのは、シャナの名誉を護るために何もなかったかのように接するだけだ。
「さ、さーて!じゃあ、使えるものを探そうか!?」
「むりやりテンションを高くしているように見えるのだけど……まあ、やる気になっているのは悪いことじゃない。それじゃあ、悠二はそっちのガラクタを探して。私はこっちを探すから」
「イエス、マム!」
「……?」
今日のことは、シャナのためにも胸のうちに仕舞い込んでおこう。そうしよう。でも……
「ねえ、アラストール。悠二がニヤニヤしてて気持ち悪い」
「もしや、本当に脳みそが溶けたのではあるまいな?」
「千草は、『壊れたものは斜め45度の角度から思いっ切り叩けばいい』って言ってた」
「うむ。あれの母親の千草殿が言っているのなら、間違いは無いだろう」
旧依田デパートの上階から、鈍い音と、カエルが潰れたような少年の悲鳴が聞こえた。
アルトがね、可愛いんだよ。ぐふふ。可愛いんだよ。中身が士郎なんだけど、可愛いんだよ。ぐふふふ。