あの夏の続きへ   作:テービット

11 / 18
後編(2)~家族の覚悟~

 

 帆高は「病院から家まで距離も近いし、もう自力で歩ける」と言っていたけれど、

夏美さんに諭されて、皆の好意に素直に甘えることにした。

 

 そして、私達は、呼んでもらったタクシーに乗り込んで家路についた。

 湿布と包帯の替え方も主治医の先生に余す所無く聞いたつもりだけど、まだ何かや

れること、見落としがある気がして仕方ない。頭の怪我が酷くなくて良かったけど、

脳震盪は容態が急変することもあるって先生は言っていた。

 タクシーの後部座席で、私は隣の帆高にぴったりくっついた。

 彼の背中に手を回して、後ろから頭を撫でる。帆高の方も少しだけ私に寄りかかり、

身を委ねてくれた。

 そうしながらも、私達は無言を貫いている。

 バックミラー越しに、タクシーの運転手が奇異な目を私達に向けているのが分かる。

当然だろうとは思うけれど、手を引っ込めたくなかった。こんなことをしても気休め

にもならないと分かってる。でも、とにかく何かせずにはいられない。

 

 大した距離ではないから、ほどなくして、タクシーはアパートの前に到着した。

 タクシーから降りた後、アパートの階段を上る最中、私は、両親のことと昨日観に

行く予定だった映画のことを考えていた。

 

 

*********

 

 

 お父さんが居なくなった理由を私達は知らなかったけれど、須賀さんが私達の後見

人になってくれた直後に、当時の経緯を調べてくれた。

 

 お父さんは、個人的に連帯保証人になっていた親友が居なくなったことで、その人

の借金返済を迫られるようになった。何とか返済しようと何年も金策に走ったものの

どうにもならず、精神的に追い詰められて、自分名義の財産を処分した上で蒸発した、

という顛末だそうだ。

 

 須賀さんが調べてくれた限りでは、お父さんは未だに消息不明。

 住民票もそのままだから、多分もう……生きてはいない。

 だけど、お父さんの死亡が確認されると私達が借金返済義務を負う恐れがあって、

揉め事になる前に相続放棄するのが妥当らしい。その為には、失踪届の提出が必要だ

という。須賀さんと夏美さんは、手続きの説明をしてくれた上で、私達の今後を最優

先して粛々と準備を進めるべきだと助言をくれた。

 そして、その上で、本当に届を提出するか、私達の意志を確認した。

 後見人はあくまで監督兼代理人。

 失踪届提出――つまり、お父さんを亡き者として扱って欲しいと役所に願い出るか

どうかを決めるのは、私達家族の役目だ。

 

 私は、迷った。

 あの頃既に金策に奔走してたからか、小さかった私が起きてる時にお父さんに会え

ることはほとんど無かった。だから、お父さんとの想い出は数える程しか無い。

 凪に至っては、写真で見た事のある人、という状態だろう。

 お母さんはと言えば、お父さんのことをあまり話さなくなった。でも、悪口も一切

口にしなかった。そして、夜中に目が覚めた時に、お母さんが家族四人で撮った写真

を寂しそうに眺めていたのを見かけたこともある。……何より、お父さんが失踪して

何年も経った後でも、離婚する素振りも一切無かった。

 お母さんはきっと、お父さんの帰りをずっと待っていたんだと思う。

 

 私と凪の今後を考えれば、失踪届を出して相続放棄すべきだ。でも、そうしたら、

お母さんが辛うじて遺した家族四人の絆を、この手で断ち切ってしまう気がした。

 凪に心配をさせたくなくて独りで散々迷った挙句、結局私は独りで決められずに、

凪の意志も確認した。

 そして、その時に、私は初めてお父さんについてのお母さんと凪の想いを知った。

 

『父さんにとって、俺達って何だったんだろう』

 

 凪は、お母さんが入院中にこんな質問をしたことがあったらしい。

 あの子は聡い子だから、それがお母さんにとって酷な質問だと分かってたけれど、

お母さんの体調が日増しに悪化しても戻る気配が無いお父さんに対して、憤りを抑え

切れなかったと言っていた。

 

『そうね、陽菜と凪は、私達にとって生きた証かな。……お父さんはね、家を出る時

までずっと、貴方達のことを本当に心配してた。これだけは信じて欲しい。』

 この時のお母さんの、懐かしむような悲しむような目を忘れられないとも、凪は言

っていた。そして、

『貴方達二人が幸せに暮らしていてくれることが私達にとっての希望よ。私かお父さ

んにもし何かあっても、貴方達が次を紡いでくれるから毎日頑張れる。私とお父さん

が愛し合って同じ時間を過ごしたんだって確かめられる。

お父さんもきっと同じ気持ちだって、お母さんは信じてる』

 凪の頭を撫でながら、お母さんはそう答えたという。

 

 それから、凪は私に言った。

『母さんならきっと、俺達のこの先の人生を優先してくれたと思う。姉ちゃんだって、

何が必要かは、分かってんだろ?……それでも、姉ちゃんがどうしても迷うんなら、

俺に任せてくれないかな』

 

 どういう意味かを問う私に対して、凪は押し潰したみたいな平坦な声で答えた。

 

『俺にとっては正直、親父は他人同然だ。薄情だとは思うけどね。親父との想い出が

残ってる母さんや姉ちゃんとは違う。だからさ、何も分かってない俺が、自分で勝手

に決める。後悔する時があっても、馬鹿なガキがやらかしたって、まあそう思ってく

れよ。

アイツ――帆高はきっとここに戻って来る。姉ちゃんは余計な荷物なんか背負い込

まずにさ、今度こそ、アイツと青春したり、楽しく過ごしてよ。』

 

 一人で泥を被ると暗に告げる凪を目の当たりにして、私が思っているより弟がずっ

と大きく成長していることに今更気が付いた。そんな弟の言葉は、私の背中を力強く、

優しく押した。

 

 翌日、私達は二人で、須賀さんに失踪届提出に向けた手続きをお願いした。

 

 

**********

 

 

 いつも頭の片隅で自問自答する。

 もし帆高が死んでしまったら、私はどうする?

 ……分かり切ってる。彼が居なきゃ、生きてる意味なんて無い。だから、彼の後を

追って――――。

 でも、帆高はそれを望まない。口に出す人が居たら思わず睨んでしまいそうなあり

きたりな謳い文句だけど、間違いないだろう。

 だから、せめて、私が彼と愛しあって生きたという確かな証――結婚という確かな

形や私達の子供――が欲しい。

 けれど、その子を遺して私が帆高より先に死んでしまったら?

 彼なら自分の子供を大切にしてくれると思うけど、片親の大変さはお母さんを見て

きたから知っている。自分勝手に私の願望を彼に押し付けるなんて、してはいけない。

 

 今にして思えば、私が昨日の映画を帆高と観ようと決めたのは、ただ彼と映画を楽

しみたかったからじゃなかった。

 

 お母さんが辛うじて繋いでいたお父さんとの繋がりは、法的にはこの手で断ち切っ

てしまった。それでも、私にはあの映画を家族で観に行った想い出がある。

 お父さんとお母さんが愛しあった――そして、その証として私達を愛してくれた。

都合が良いかも知れないけど、その確かな記憶として、私達四人の団欒はこの胸に刻

まれている。

 そんな映画を帆高と一緒に観て、彼と想い出を共有する。そうやって家族の団欒を

再現すれば、彼と私が婚約者から先――夫婦や子供――へのスタートを切る切掛けに

なるんじゃないか。

 彼と言葉を交わさずとも、自然な流れで。

 心のどこかで、そんなことを期待していた。

 だけど、そんなのは脆くて甘い期待だ。

 私の気持ちをちゃんと伝えずに、帆高が私を求めてくれることを一方的に期待する

なんて、どう考えてもずるい。

 

 家に入ったら、覚悟を決めなきゃ。気持ちを伝えなきゃ。

 階段を一歩一歩上る毎に自分に言い聞かせる。

 

**********

 

 

 私達の家に、遂に戻ってきた。

 

 怪我人の帆高に代わって私が部屋の扉を開けて――思わず、後ずさりしかけた。

 

 まだ夕方なのに、カーテンを閉め切った部屋の中は信じられないくらい真っ暗だ。

 

 胸の内を彼に打ち明けたら、多分、今まで通りの関係にはもう戻れない。

 ここから先は私にとって、命を賭ける価値のある財宝が眠る洞窟か、はたまた怪物

の口の中か。

 多分、帆高も私と同じような心境なのだろう。ちらりと脇の靴棚にある鏡越しに

彼の顔を覗き見ると、私達の表情は良く似ていた。

 

『自分の中の強い願いはちゃんと口に出して伝えなきゃ駄目。無理して隠していると、

多分、お互いが余計に傷つくだろうから』

 

 お母さんのあの言葉。昨日、その意味が今になって痛い程よく分かった。

 彼に言いたい。でもきっと迷惑だ、堪えるべきじゃないか。でもそうやって、結局

彼を余計に傷つけて――逃げ出した挙句、危うく彼を失うところだった。

 でも、気持ちを口に出したら、彼は私をどう思う?

 もう散々考えて、このままじゃ駄目だと分かっているのに、また同じことを考えて

頭はぐるぐる回り続けてまだ悩んでいる。

 

 不意に、正面の暗闇を見つめていた私の手が、温かくなった。

 

「陽菜さん、入ろう」

帆高が、立ち竦んでいた私の手を、そっと握ってくれている。

 

「……うん」

私はようやく玄関へと足を踏み入れた。

 帆高はこういう人だ。自分だって怖いだろうに、打ちひしがれて迷う私の手をとっ

て先に一歩踏み出し、私が前に進む勇気をくれる。

 

 怖くない訳無い。でも、この手をちゃんと握り返して彼と一緒に生きていくために、

私は今日、覚悟を決める。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。