「「いらっしゃいませ」」
店の扉を開くと、元気さと温柔さを兼ね備えた男女の声で迎えられた。
「いらっしゃいませ。二名様でよろしいでしょうか」
まず俺達を席に案内したのは、温厚篤実を絵に描いたような雰囲気の青年だ。三十
代かも知れないが、童顔だからか二十代後半にも見える。
美男子って程でもないがそこそこ整った顔をよく見ると、頬にはうっすら傷がある。
物腰は柔らかいが、線は細くないし、昔はやんちゃした系か?
このウェイターに誘導されて、俺達は席に向かった。
ゆったりとしたBGMが控えめに流れる店内に足を踏み入れた途端、時間の流れが
緩やかになった気がした。
カウンター席を除くと三十席に満たない小規模の店だ。白基調の内装に木目のイン
テリアが小洒落た感じと落ち着いた雰囲気を醸し出している。
「二名様、一番テーブルにご案内して」
「了解。では、お客様、こちらへどうぞ」
カウンターの方を見ると、妙齢の女性がカウンターの向こうで調理している。
このウェイターより更に若い、かなりの美人だ。目力は強いがキツくはない目元と、
ポニーテールを団子状にまとめた髪型が、凛とした清潔感と柔和さを両立させる。
ウェイターとやり取りするこの女性の声は、鈴の音のように軽やかで優しい。
カウンター席は、一席だけ空いている。
「叔父さん、何やってんの。話くらい聞きなよ。こっちのテーブルだってば」
誘蛾灯に釣られるようにふらふらカウンターに向かいかけた俺を、虫取り網のよう
に隙の無い甥の声が捕縛する。
こういう時につくづく思う。コブ付は不便だ。もっとも、連れて着たのは俺だが。
……しかしこのウェイターと調理担当、やけに目配せしている。従業員同士の交際
は別におかしくないが、こうも露骨に出来てるのは如何なものか。羨まし――――
いや、けしからん。
それにだ。一見するとそこそこ客が入っているのに、この若いスタッフ二人しか店
内に居ないのか?従業員の教育面やシフトは大丈夫なんだろうか。
店員については少々気懸りだが、この程度は気にしたところで始まらない。俺達は
カウンターに近いテーブルに、向き合う形で腰かけた。
「へぇ、悪くないじゃん」
「……確かにな」
こうして席に腰を落ち着けると、確かに全体的な雰囲気は悪くない。というより、
結構良い。俺は、店員が置いていった水を飲みながら、店内をゆっくり観察する。
あの天井窓にあるのは、ガラスビーズだろうか。確か、サンキャッチャーとかいう
代物だ。他にも、壁際には極小のクリスマスツリーらしき小物とか花輪とか、ごった
煮みたいに色んな雑貨がある割に、何故だか統一感がある。
もしかしたら、同じ作者によるハンドメイドだからかも知れない。ツリーの小物も、
よく見ると着色した松ぼっくりを利用している。売り物ではない気がする。
ここは、洋風のレストランなのに……何と言うのだろう。
――あれだ。今は死んだ婆ちゃんの家遊びに行った、遠い昔を思い出す。日差しの
差し込む畳の上で、寝転がってのびのび過ごす。あんな懐かしい感覚だ。
客は俺達を除くとカウンターに数人とテーブル三組。全員ゆったりとくつろいだ様
子で、各々食事や茶を楽しんでいる。この半端な時間にしては埋まっているのを見る
限りでは、評判通りと判断出来るだろうか。
「叔父さん、あの絵。あれ何だろう。真ん中のやけにでかいのとかさ、……カバ?」
「カエル……じゃないか?多分な」
「いや、カバでしょ。幼稚園児でもカエル描くのにピンクにしないって」
俺達のテーブル傍の壁に、子供の落書きっぽい絵が飾ってある。
何だろう、これは。
巨大なピンクの謎の生物――カバガエルとでも呼ぼう――と青い猫の間に、小型の
ピンクのカバガエル二体と、子猫が組み体操みたく手を繋いで並んでいる。その五匹
を取り囲むようにして、黒猫やら犬やらウサギやらが、何かの儀式のように配置され
ている。ひょっとすると踊っているのだろうか。
何故に、あの目付の悪い黒猫だけ四足歩行が居る?しかも、ガリとデブの二種類が
居るし、そこはかとなく見覚えのある面だ。
そんな珍妙な絵だが、何だか見続けてしまう。
俺は店内をしげしげと眺め続け、甥はスマホを弄り始めて数分かそこらが経過した。
「ふーん、あの人達がここの店主さんと奥さんか。若くね?」
「えっ!?あの二人が店主夫婦?マジでか」
周囲を見回していた俺は、年甲斐もなく俊敏に甥の方へ振り向いてしまった。甥が
弄っているスマホを覗き込むと、確かに夫婦経営だとホームページに記載されている。
それにこの店、従業員がさっきの二人から増える気配が無い。今時の店で胸にネーム
プレートが無いのも、基本二人しか居ないからか。
……成程、夫婦か。道理で仲睦まじい訳だ。相続した土地で店を出したクチか?
「失礼します。ご注文はお決まりでしょうか」
先程の女性店員――店主夫人か――が、何時の間にかカウンターから出て着ていた
らしく、注文を確認に着た。
恐らく旦那であり店主なのだろう男の方はと言えば、別の客の応対をしている。
二人してメニューを碌に確認して無かったので、断りを入れて待ってもらい、代わ
りに先程の女性に話を聞いてみた。根掘り葉掘り聞くのもどうかと思うが、興味本位
で――とりとめも無い雑談にどういった応対をするかも審査の対象だし、仕方ない。
この店主夫人の話を聞くと、確かに夫婦で経営している店とのことだ。
良く見れば、薬指に指輪を外した跡がある。この職で指輪の跡がつくってことは、
多分、閉店したら即填め直しているのだろう。
興味――もとい、接客審査を兼ねて年齢を尋ねたところ、ほぼ見立ての通りで彼女
は三十一歳、店主の旦那は三十二歳だという。それにしても、白い目で俺を見る甥と
違って、年齢を聞いても嫌な顔一つせず返答する辺り、かなり人当たりが良い。
若いこの二人が自家栽培の飲食店なんぞをやれているのは、農地を含む土地を知人
から格安で借りているからだそうだ。週に数日設けた定休日に農地の手入れに注力し
て、周囲の店にも幾らか卸してもいるらしい。
「ありがと。ここはもう大丈夫だから」
「うん、じゃ私、戻るね。では、お客様、失礼しますね」
彼女は旦那と会話を交わしてカウンターに戻って行った。
カウンターに入る直前にエプロンを交換して、腕を肘から洗ってる。随分念入りだ。
「叔父さん、そろそろ注文決めようよ。飲み物くらい頼まないと迷惑でしょ」
「ああ分かってるよ。どれどれ……おっ」
メニューをめくるうちに、思わず声が上がってしまった。
酒も置いてあるのか。カクテルも応相談とある。カウンターの方を改めて見ると、
ワインは少ないが、棚数段分のウイスキーが控えていなさる。
「またお酒?メニュー、良く見なよ。ご愁傷様」
声が笑っている甥に忠告されてメニューを改めて確認すると、夜には酒を提供して
バーを兼ねて経営するようだが、夕方までは食堂としてのみ経営する、という注釈を
発見した。酒解禁までまだ二時間もある。
失敗した。これが子供をダシに使って連れ出した罰だとでも言うのか。
仕方ないと気を取り直してドリンクをまた探そうとした矢先、扉が開く音がした。
チャイムが鳴ってないから、勝手口があるのだろう。
新たな声が俺達の耳をくすぐってきた。
「ねぇ、私、手伝うよ」
「嬉しいけど、宿題はまだ終わってないだろ?」
「ううん、余裕余裕。もうやった」
「そう……なら、よろしくね、ヒナタ」
「よし、それなら一番テーブルのお客様の注文を伺って。任せたよ」
「はーい」
女の子だ。店主の家族か。
まだ注文を決めるのは待って貰おうか。そう思って横を向いたが、彼女が声をかけ
る方が一足早かった。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか?」
年の頃は、恐らく十二歳前後。女子の方が早熟というのもあってか、正面に座って
いる甥よりは年上に見える。母親と瓜二つで、彼女をそのまま若返らせた印象だが、
髪型が所謂サイドアップなのと、目元が父親似な点が違うか。垂れ目まで行かないが
母親に比べると少し大人しめだ。
将来美人になる、というか、既に美少女だ。
向かいの席から掠れた鶏の断末魔のような異音が聞こえた気がして、目をやった。
甥が、冷凍マグロのように目と口を開いて硬直している。視線の先には件の少女、
ヒナタが居る。透視でも狙っているのか。
「どうしましょうか。もう少し、選ばれますか?」
この少女の声は母親と比べると少しトーンが高い。母親を水琴鈴とするなら、この
子は風鈴だ。澄んだ音が耳に心地良い。
「あー、そうだね。まず飲み物を貰おうと思ってるんだけど――」
また少し待って貰おうと頼みかけたところで、
「あのっ!ヒナタ……さん。その、歳は幾つで、学校は……この辺?えっと、俺は
十歳で学校は――」
唐突に甥が、誰も知りたくもない情報をくっちゃべり始めた。
人に物を尋ねる時は自分から、という礼儀を実践し始めたのだろうが、そこまでし
て知りたいのか。
少女は軽く口をヘの字に曲げて子リスのように首をかしげるが、直ぐに何か閃いた
微笑へと変わった。甥が何で自分の名前を知ってるのか、得心がいったのだろう。
「女性に年齢を尋ねるのは失礼だと思いますけど?」
「えっと、その……すみません」
少女の指摘に対して、俺が初めて見る恐縮した表情で甥は縮こまった。こいつがサ
イズ可変だったら、そのまま豆粒と化して家具の隙間にでも逃げ込んでいただろう。
「ふふっ、冗談です。歳は、えっと……ですね、十二。学校は――」
ヒナタ――陽向――ちゃんは、先月近所の中学校に進学したばかり。西側の人口増
加に応じて、最近中学にまで拡大した進学指導重点校制度の新たな候補となっている
学校だとかニュースでやっていた学校だった気がする。甥が受験する予定の私立より
は落ちるが、評判は悪くない。
この子は、酒を出さない昼の時間帯だけ、短時間なら店の手伝いを許可されている
という。
大人しくなった目の前の甥にふと目をやる。
コイツとは二歳弱の差ってところか。まだ小五のこの坊主は、スタート時点で足が
攣った遠泳選手のようになっている。この子の沈痛な面持ちを見ていると、俺のガキ
の頃を思い出す。昔は、一歳差でも相当にでかい壁に思えたものだ。
それにしても――
「陽向ちゃん……で良いんだよね。何でコイツにまで敬語なんだい?」
少し気になっていたことを聞いてみた。この子は敬語を使う度に時々詰まっている
感がある。慣れないのを無理して使っている感じだ。
「それはですね、年齢関係なくお客様には敬語で話しなさい、ってお父さんとお母さ
んの言いつけなので」
「いらないっ!」
急に、険しい顔つきでぶっきらぼうに甥が言い放った。
突然の尖った態度に、陽向ちゃんは少し気圧されたのか半歩後ずさり、顔に僅かな
がらも怯えが見える。
流石に見かねて口を開きかけると、それより遥かに早く、酷く狼狽した甥が身を乗
り出した。
「いや、その違――――敬語は、いらない。その、タメ口で、お願い……します」
驚かせて、ごめんなさい。最後に消え入りそうな声でそうもごもご言った後、テー
ブルクロスを握り締めながら甥は俯いた。
陽向ちゃんは日光の下に移した後の萎れかけの花ようにシャキっと復活して、
「はーい、了解っ。それじゃ、飲み物何か飲む?あっ、それと……年上には敬語ね!」
元気に言い放った。
「えっ!?あ、はい。分かりました」
陽向ちゃんの気を取り直した様子のおかげで、甥もようやく落ち着いた。
俺が今のコイツくらいに慌てふためいた経験を最後にしたのは何時だっただろうか。
思いつくのは、物産展の散策中、俺の肘が商品に引っ掛かり、厳かに鎮座まします巨
大陶器を転倒させかけた時くらいだろう。あの時は、俺の年収を優に超える額の貯金
が危うく露と消えかけた。今思い出しても戦慄が走る。
しかし、この少女の表情はくるくる変わる。それでいて、それぞれの表情に不快さ
は無い。今も、沈む年下の子供を気遣っておどけた調子で接している。
それに、控え目な仕草に反して、全身から抑えがたい快活さを発散している。
あのノースリーブから覗く腋なんてどうだ。ゆで卵のように艶とハリがありながら、
腕を振る度に見せる動きは、マシュマロみたいに柔らかそうだ。
可憐とはまさにこの少女のことを指すのだろう。
何か、触ってみたくなってきた。
……だが、俺もそこまで変態ではない。
それに、真正面の甥が俺の気配を察知したのか、今度は俺に対して早撃ち勝負に臨
む西部劇のガンマンさながらの睨みを利かせている。俺が下手な動きをするより早く、
コイツの小学生常備武器たる防犯ブザーのけたたましい警報が火を噴くだろう。
さて、座興はここまで、と俺は気を取り直して、グランドメニューの脇にあるカク
テルの一例の中から、改めてドリンクを選び直すことにした。
「じゃあ、シンデレラを頼むよ」
俺はノンアルコールカクテルを頼んだ。陽向ちゃんは目をぱちくりさせたが、すぐ
「かしこまりました!」と元気よく応じた。
名称が名称なもんで、甥が子供のスマホからアダルトサイトの履歴を発見した父親
の如き、生暖かい訳知り顔で俺を見ている。いや、俺に少女趣味は無いぞ。
我ながら酒への未練が抜けきって無いという情けない理由も正直なところあるが、
もう一つは、次も来るか参考にする為に、この店の程度を確認したいからだ。
こういうカクテルを出す店では、グラスすら不適当だったり、氷の扱いが雑だった
り、ステアか棒遊びかも見分けがつかない、ファミレスのドリンクバーの罰ゲーム用
ちゃんぽんドリンクと見紛う代物に遭遇することもある。
もし、普段頼む奴が少なそうな品でもまともなものを出す店なら、他のドリンクも
期待出来る。
一方の甥は、
「アイスコーヒーを、ブラック、氷無しでお願いします!ミルクとかは要りません!」
宣誓するように注文をした。
意気込んだ様子からして、どうせコーヒーで大人の男アピールでもしたいのだろう。
まさか、そんなアホな行為に及ぶ奴が実在するとは想定外だ。
「あー、こっちのカフェインレスでお願いね」
俺はこのお子様の注文を訂正した。即座に甥が非難がましく口を尖らせるが、
「ウチのコーヒーは水出しでも美味しいって評判なんだよ」
宥めるような彼女の笑顔の前に、あっさりと引き下がった。
流石に散々梃子摺らされた幼児期よりは分別がついてるだろうが、ゴネられなくて
助かった。
コイツが普通のブラックコーヒーなんて飲み切れる訳無いが、さっき陽向ちゃんを
怯えさせた失点を取り戻そうと躍起になっている以上、説得するのは面倒だ。それに、
これ陽向ちゃんを待たせるのも可哀想だろう。カフェインレスが妥協点だ。
何より、姉貴の手前、普通のコーヒーを飲ませるなぞ、恐ろしくて出来ない。
まだ十歳のコイツが緑茶を飲む時ですら、カフェインを気にして飲む量をチェック
する子煩悩な女だ。宅配ピザを食わせてることもバレると正直拙い。
俺の監督下で普通のブラックコーヒーを飲ませたと知られたら、猛禽が毒液に浸け
たみたいな青々とした磨き上げたあの付け爪で、首根っこの肉を抉り取られる。
陽向ちゃんも、その辺の健康面に配慮していた様子だった。本当に気の利く子だ。
注文を受けた陽向ちゃんは店主である父親に注文を伝えた。すると、彼がそのまま
カウンターに向かい――これまた丁寧に肘まで洗っている――彼の妻が料理をする傍
らで、シェーカーやら道具を用意し始めた。
彼がカクテルを作るようだ。こうして見ている限りでは手際も良い。
その時だった。
「あっ、あの子ぐずってるな」
「これはお姉ちゃん任せじゃキツいかな。私、ちょっと行って来るね。ホダカ、ここ
お願い出来る?」
「うん、任せて、ヒナ。行ってらっしゃい」
カウンターの裏に小さいモニターでも設置してあるんだろうか。夫人――ヒナとい
う名前か――が、店主――ホダカという名前らしい――に告げる小さな声がこちらに
微かに届いて、ヒナさんは勝手口の向こうへと去って行った。
そうしている間にも、どうやらカクテルは出来上がったようだ。
陽向ちゃんが二人分のドリンクをお盆に載せている。もう直、こっちまで運んでく
れるだろう。
急にテーブルが揺れ出した。地震か!?
だが、天井の装飾品は揺れていない。不審に思って足元の方を見やった俺は、原因
をあっさり看破した。
……正面のチビの貧乏揺すりだ。
「お待たせしました。どーぞ」
トコトコと歩いてきた陽向ちゃんが、俺達の前にそれぞれのグラスとカップを置い
てくれた。早速、一口飲んでみる。
……思った以上に、ちゃんとしてる。まともなバーテンダーのそれと遜色しない。
酸味が出過ぎないよう泡立つ直前でシェイクを留めているし、氷で過度に薄まっても
いない。すっきりとした口当たりに仕上がっている。
この店は当たりだ。それだけに、他の酒を頼めないのがやはり悔やまれる。絶対、
今度は夜に来よう。
一方甥は、黒々とした液体を凝視していたかと思ったら、
「あれ、ご家族の写真ですか?」
不意に、ビシッとカウンター奥の壁際の写真立てを指差した。
「うん!見たい?」
「……是非、お願いします」
コイツは普段からコーヒーを泥水呼ばわりして、一口啜れば梅干しみたいな顔を
するお子様舌だ。泥を啜る勇気を育む時間が欲しいのだろう。
陽向ちゃんは、待ってましたと言わんばかりに笑みを浮かべて、トコトコと歩いて
壁の写真を取ってきた。
なんで店内にこんな写真を飾ってるかといえば、開店当日の記念撮影とのことだ。
家族だけでなく、開店に漕ぎ付けるまでに援助してくれた友人達と撮ったものらしい。
「これがお父さんとお母さん、それと私……って分かるよね。で、妹と弟ね。こっち
は私のナギ叔父さん。偶にお店手伝ってくれるの。こっちはお父さんの友達で――」
俺の知人である件の社長のおっさんだけでなく、この店の農地の貸主一家――これ
もまた、若い上に美男美女だ――も映っている。この一人だけ老けてる爺さん、確か
テレビでも見る名誉教授じゃなかったか?交友の幅が広いもんだ。
……しかし、これだけ美男美女が揃ってると何だか息が詰まる。社長のおっさんと
爺さんの顔に癒されるとは思わなかった。
さて、店主夫婦と子供達の方を見ると、三年前というだけあって陽向ちゃんは甥と
同い年くらいに見える。夫婦はそれぞれ幼児と赤ん坊を抱えてるが、写真から推測す
るに、今現在は妹が八歳、弟は四歳くらいか。ヒナさんはこの子達の世話に行ったの
だろうと見当がついた。
「妹はね、もうお姉さんだからお人形遊びは卒業したって言うんだけど、本当はやり
たいのかな、私が誘ってあげると喜ぶんだ。それでね、弟はね、部屋で独りになると
泣き出す甘えん坊だけど、私に一生懸命プレゼント作ってくれるの。二人共ね、偶に
手がかかるけど、それが可愛いんだよね」
家族写真の説明をする陽向ちゃんの様子は、本当に楽しげだ。甥が打つ異様に熱の
こもった相槌で気を良くしているのも一因だろう。
弟と妹の話題の時は特に、まだ中学一年とは思えない大人びた慈愛に満ちた表情で
喋っている。
カクテルを啜りながら写真から視線を外して――思わず吹き出しそうになった。
陽向ちゃんの横顔に見惚れているのを一切隠せていない、口も態度も開けっ広げの
アホ面を晒す甥が居た。これで相槌だけは真剣そのものなのだから傑作だ。
……コイツの姿、マーライオンに似ている。
陽向ちゃんが次に自分に振り向くその時までに、コイツの中の生意気さやら皮肉屋
ぶりやら、己が負の要素を口から排出して、ピュアになろうと試みているのだろう。
一頻り写真の説明を終えた陽向ちゃんに食事の注文を尋ねられて、いい加減頼まな
いといけないと考えた俺達は、何を食うか決めた。
甥はハンバーグセットに唐揚げ。お子様らしいメニューだが、美味そうだから正直
迷った。年を喰って段々と肉や油物がキツくなってきた、という切実な理由もあるが、
それだけじゃない。
俺が選んだ炒飯セットの存在故だ。
基本的に洋風のメニューの中、何故か鎮座する炒飯。しかも店主一押しとのことで、
異様な存在感を放っている。気になる。避けて通る訳には行くまい。
俺達が注文を終えるや否や、他のテーブルの方をふと見た陽向ちゃんは、俺達に一
言断りを入れて離れて行った。
そして、甥は、避けて通れないといよいよ覚悟を決めて、アイスコーヒー討伐に着
手した。
案の定、顔の険しさとストローの吸引量は反比例している。
当人は漢を魅せようと必死だ。だが、一昔前の小学校では見られた光景――居残り
させられて給食を必死に片付ける子供以外の何でもない。
……これでは何だか、俺がこの子を虐めてるみたいで居た堪れない。俺のカクテル
はもう飲み干している。仕方ない、追加でジュースでも頼んでやるか。
そう思って手を挙げかけた時、真横から陽向ちゃんの声がした。
「あのね、少しずつ味変えて飲むのも美味しいんだよ。私のお勧め。色んな味、試し
てみて?」
そう言って、陽向ちゃんはすっとミルクと砂糖を差し出した。
「君にはブラックは無理だよ」とストレートに言って渡しても、施しは受けないと
突っ撥ねただろうが、こう言われては甥も無碍に断れまい。コイツも、助け船を出さ
れたことは理解しているからだろう。顔を少し赤くして、急に話題を変えてきた。
「ところで、あの絵。ほらあの動物の奴。なんていうか、落ち着くし、凄く良い絵で
すね!妹さんか弟さんが描いたんですか?」
いやもう、誰だお前は。
俺の知る甥は、親同伴の美術館鑑賞の遠足の最中にも、子供に如何に洗練された芸
術教育を施してるか、ママ友達と熾烈なマウント合戦を取る自分の母親の奮戦ぶりを
ガン無視して、美術館の真ん中で「何コレ。落書きと粗大ごみ置き場?」などと吐き
捨てたそうだ。そうして母親を平然とヒステリーに追いやる、空気を読まない小僧だ。
まさか、本当にピュアになったのか?
「へへっ、ありがとっ。あれ私が描いたんだ」
「で、ですよね!色使い綺麗だし、ピンクのカバとか、何か可愛いし」
「……あれ、カエルだよ?」
「ほらっ!俺言ったじゃん、カエルだって!!叔父さん、昔から見る目無いもんな!」
勝手に墓穴を掘り続けた挙句、慌てた様子で俺をキッと睨みつつ、俺に言い放った。
このガキ、さらりと俺に擦り付けてきやがった。
生意気さや皮肉屋ぶりの代わりに、忖度と掌返し、責任転嫁を詰め込んで、大人の
階段をまた一段上ったようだ。
……ただまぁ、落ち着くって意見には同意出来る。綺麗な風景画の複製やらを下手
に飾るより、あの絵の方がこの空間とは調和がとれているだろう。
更に聞くと、陽向ちゃんの家庭内でも、カエルとカバのどちらに見えるか男女で意
見が割れているらしい。彼女の家族と共通認識を持っていると知ったからか、甥は気
を良くして陽向ちゃんの施しを手に取った。
飲み物が空になって、止む無くお冷を舐めていると、そう間をおかず陽向ちゃんが
空いた食器を下げにきた。甥の方も施しのミルクと砂糖の助けを借りて、既に強敵に
勝利している。
その時、ようやくこの店でずっと感じていた居心地の良さの理由が分かった。
内装に限った話ではない。店員の応対だ。
グラスを運んできたホダカさんや、この陽向ちゃんでさえ、食器を置く時に音を立
てないようにしていた。それに、店主夫婦とこの子を見ていてると、客と雑談しなが
らも、ちゃんと店内に目を配ってるのが伺える。
丁度、目の前のテーブルもそうだ。子供をあやし終えたのか戻って着たヒナさんは、
常連らしき同世代の女二人と軽く談笑していたかと思えば、お冷のグラスを飲み干し
た客にそう間をおかずに水を勧めてから、もうカウンターに戻っている。
アットホームな店というのは、得てして顔馴染み以外には排他的で居心地が悪くな
るものだが、この店にはそれが無い。この一家の立ち振る舞いからは、客への気遣い
が伝わってくる。
それに、基本調理はヒナさんがやっているようだが、ホダカさんも出来るようだ。
この小規模な店だから可能なのだろうが、夫婦のうちどちらかが、状況に応じて臨機
応変に役割を交代しながら、客を待たせないように動いている。阿吽の呼吸と言って
良いだろう。
そうこうしているうちに、コンソメスープ付の炒飯が着た。何だかチップスみたい
なものが入っている。
食ってみると、ゴマ、鶏ガラ、生姜、他にも隠し味で何かあるか。優しい味だが上
手く馴染んでる。野菜を揚げたチップスか。芋以外もあるが、随分薄く揚げたもんだ。
適度な薄さのお陰でアクセントになって、ちゃんと粒が立った米や他の野菜を活かし
ている。
コンソメスープは中華風ではないから、恐らく他のメニューのものと共用だろう。
だが、炒飯の味とは違う。ちゃんと鶏ガラと分けて取っているようだ。
サラダの野菜にしても、結構甘みが強い。最近は植物工場の均質化した野菜の普及
率が増え続けているって話だが、ここは土で育てた自家栽培だかを売りにするだけの
ことはある。
なるほど、お勧めの店と太鼓判を押す訳だ。正直メニューを見た時は少々割高な気
がしたが、これなら値段より安い。
甥は俺の目の前で無我夢中で肉をかきこんでいる。リスみたいだ。俺の家ではピザ
を喜びながらも大概スマホを弄りながらだらだら食っているが、コイツもこんな風に
なるのか。
男二人、写真撮影してSNSに上げるだとか、談笑しつつ美味さを分かち合うだとか、
そんな和やかなやり取りは一切無く、早食い競争さながらに夢中で食いまくる。
やがて、俺が先に食い終えて甥が食べる様子を見守り始めると、陽向ちゃんがテー
ブル傍まで着ていることに気付いた。
彼女はくつくつと笑いながら、水差しを片手に甥に水を勧める。
「どう?美味しい?その唐揚げ、私が仕込み手伝ったんだ」
味わって食べてね、と言いつつ彼女はまたテーブルを離れた。
彼女の後姿を追う甥の目の色は明らかに変化している。
……あの子の作った唐揚げか。興味が湧いた。
「おい、一個くれ――痛って!」
唐揚げを貰おうと箸を差し出した俺の手を、甥はフォークで思い切り刺した。外敵
から巣の卵を守る親鳥のような顔で、唐揚げを腕で囲いながらこちらを威嚇している。
と思ったら、その大切な卵を俺に見せつけながらひょいっと口の中に放り込んだ。
ケダモノめ。やはりお前は姉貴の子だ。
そうこうしているうちに二人共食事を終えて、俺はホットコーヒーを啜り、甥は追
加で頼んだプリンを頬張っている。
総じて、良い店だった。食事も良かったが、何といっても居心地が良い。
改めて見渡すと、お茶やら食い物やらを頼みながらずるずると居続ける客も居る。
カウンターの二人ほどは夜の酒が飲める時間までこのまま粘る気だろう。俺もそうし
たいところだが、コブ付ではそうもいかない。
デザートは頼まずブラックコーヒーを啜る俺のことを、甥は見直したとでも言いた
げな敬意を込めた眼差しで見てくる。
正直……複雑だ。
甥のこんな表情は珍しいし、敬意の眼差しを浴びれば、何であれ心地良さは感じる。
とはいえ、こんなしょうもないことで敬意を向けられると、コイツの中での普段の
俺の評価の低さが透けて見えて、かなり虚しい。
かと言って「そんな目で俺を見るな!」などと理不尽に叱る訳にも行くまい。
最後の一皿も完食したところで、陽向ちゃんが片付けに着た。
「しかし、陽向ちゃんは偉いね。店の手伝いなんてして。友達と遊びに行ったり、し
たいんじゃない?」
俺がそう言うと、
「別に、偉くなんてないです。私がやりたいことだから。お父さんとお母さんは、む
しろ外で遊んできてとか、勉強を優先しろって言って、前までなかなか手伝わせてく
れなくて、不満でした」
彼女は穏やかな微笑を讃えてこう返してきた。
「面倒だとか、思わないの――ですか?」
不思議そうな顔で甥が尋ねる。
「全っ然。お父さんとお母さんの料理で皆が嬉しそうに笑うの間近で見られる。私も
最近はちょっと手伝えるようになって、一緒に加われる。凄く楽しいよ。
だから、私、ここが大好きっ」
彼女は俺達をぱっと照らす無垢な笑顔を向ける。
一瞬、俺は目が眩んだ気さえした。
甥は、彼女の言葉で魂を一本釣りされた。
そうして抜け殻を化した甥を、陽向ちゃんが不思議そうに見つめていた時だった。
天井のサンキャッチャーが、店内の一部を橙色に照らし始めた。
「あっ!見て見て!!晴れた!!」
他の客が椅子を跳ね除ける大きな音を立てて立ち上がり、窓の外を指差している。
店の外は、綺麗な夕日によって染め始めている。それが引き金になったか、甥も電
気ショックを受けたような反応の後、意識を取り戻した。
「陽向さん!観に行こうよ!」
甥はガタンと音を立てて椅子から立ち上がり、陽向ちゃんを外に誘う。
「……うん、良いよ」
陽向ちゃんは、どことなく複雑そうな表情を浮かべて、丁寧に畳んだエプロンを両
親に渡した。
この晴天は、ここ数年間の東京で生じた内で、最も大きな変化だろう。
十七年前から、雨がひたすら降り続けるようになった東京だが、近年になって、稀
にだが、局所的に晴れ間が顔を覗かせるようになった。具体的な原因は、相変わらず
解明されていない。
東京の人々はその度に湧き立って、写真を撮ってSNSに載せる。正直関西圏の晴れ
だろうが変わらんだろ、と俺は思うが、何故か東京の晴れとなるとウケが良い。
ウチの小生意気な坊主ですら、晴れ間を見ると、降り出した雪で遊ぼうとワクワク
待機する冬の子供みたいに素直な所を見せる。まあ、ああなると可愛いもんだ。
その分、陽向ちゃんのあの少し曇った表情が、やけに気になった。
そして、会計に向かおうと甥に釣られる形で立ち上がった時、違和感を覚えた。
他の客達が夕日に湧き、祝杯を上げる中、店内に入ってからずっと皆を歓待して、
活力と安らぎを与えていた店主夫婦だけ、違う表情をしていた気がする。
バイトの報酬を貰う為の領収書をお願いする合間に何事かと聞こうかと思ったが、
いざ会計に向かった時には、すぐに俺は気のせいだと結論付けた。
俺が瞬きをした直後には、二人共、何事も無かったとしか思えない笑顔に戻って
い
たからだ。
だが、傷つきやつれ切った待ち人が長旅から戻って着たのを迎え入れるような、
嬉しさと切なさがない交ぜになった表情――あの清々しい夫婦が見せた気がした
あの顔は、しばらく俺の頭の隅に残り続けた。
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「「ありがとうございました。またどうぞ」」
会計の後でトイレを借りた俺は、帰りも夫婦の気持ちの良い挨拶で見送られた。
ドアチャイムですら、俺を快く見送っている気さえしてくる。
接客態度の変化も終始無いまま、無事に領収書も貰えたし、店の人間にも俺が覆面
調査員だとはばれちゃいないだろう。俺の仕事ぶりも完璧だった。
そう自画自賛しながら外に出ると、夕日が映える良い景色だ。
傍にあるちょっとした農地のお陰で、ここが住宅街だってことも忘れさせてくれる。
五、六メートル向うでは、甥と陽向ちゃんがまだ話をしていた。
アイツ、またもや放心しているようだ。挙動が錆びたロボットみたいにぎこちない。
近寄りながら、聞き耳を立てて会話を聞いてみる。
「――君。じゃあ、罰ゲーム、今度までに決めとくからね!あっでも、ちゃんと出来
た時のご褒美も何か考えてあげるから。ちゃんと着てね」
「アッ、ハイ。ワカリ……マシタデスハイ」
子供でなかったら完全に不審者でしかない。
あいつ、自分の名前も伝えたようだが、よくあんな状態でちゃんと言えたもんだ。
そんな甥の方からこちらに向けて片足でくるりと綺麗にターンして、陽向ちゃんが
小走りに駆け寄ってきた。
「あのっ!今度も是非、二人で来て下さいね!……待ってますから」
陽向ちゃんは、何故か必死さを抑え込んでいる様子で俺にそう頼んできた。
何故だろうか。陽向ちゃんの瞳は微かに潤んで、頬も紅潮している。手を後ろに組
んで身体を揺する度、ご機嫌な子犬の尻尾のように、サイドアップの髪が揺れる。
少女は、興奮を堪え切れないかのようにきゅっと唇を結んで、俺に縋って懇願する
ような揺れる瞳で、上目遣いでこちらをじっと見つめてくる。
ああ、駄目だよ。陽向ちゃん。
そんな風に見つめられたら、おじさん、いけない気持ちに――。
突然、馬鹿でかい針で刺すような強烈な視線を感じて、俺は横を振り見た。
甥が意識を取り戻して、ある種の感情が振りきれたような眼でこっちを見ている。
あの眼には、見覚えがある。
――あれだ。甥が俺の家で勝手に冷蔵庫をまさぐり、その最奥で、腐り切って液状
化した野菜を発見した時の眼と同じだ。
……流石に、自重しよう。
叔父としての沽券を捨てたくはない。俺だって、生意気なガキの心の中だろうと、
まだ人間でありたいのだ。
陽向ちゃんに見送られ、俺らは帰路についた。
ゆったりとしたBGMの流れるあの店も静かな店だった。だが、今こうして道を歩
いていると、霧雨の真夜中に車一つ無い道を歩く時と同じ静寂に包まれている気する。
雨音がしないのがむしろ物足りないくらいだ。
この一帯はまだ晴れているのに、あの店から出てこうして歩いていると、何だか陽
だまりから寒い日陰に移ったようだ。夕日で染まった道に夜の帳が下りてきた所為だ
ろうか、眼前の道を見るだけで、寂寥感が込み上げて来る。
坂道を上り終えたところで、後ろを振り向く。この坂の上からなら、あの店を一望
出来るからだ。気付けば、甥は先に、俺と同じことをやっていた。
良い店だった。また来よう。次は夜に。
……いや、待てよ。二人、をやけに強調された気がする。
甥の方を見ると、おし黙って地面の見ながら何かを悩んでいる様子だ。どうせ陽向
ちゃんのことを考えているんだろう。
仕方ない。近いうちに連れて行ってやるか。
そんなことを考えるうちに、店名の意味が分かった。
「Weathering with you」直訳すると、「貴方と乗り越える」とかいった意味か。
確かに、あそこに通えば何でも乗り越えられる活力が貰える気がしてくる。
そんな場所だった。