あの夏の続きへ   作:テービット

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後編(9)~小さな愛に出来ること~

 叔父さんと二人で歩く帰り道。

 一歩踏み出す度に、周辺が暗くなっていく。満たされていた温かい水が少しずつ

底の穴から漏れて減っていくような、寂しい気分だ。

 それに、隣から聴こえる叔父さんの鼻歌がマジでウザい。酷く音の外れてる上に、

同じ所でつかえる度に延々同じフレーズを繰り返してる。このおっさん、古過ぎて音

のぼけた、壊れかけのレコードプレーヤーかよ。

 まあ、確かに良い店だったから、叔父さんがこうなるのも理解は出来るけど。

 

 ……それにしても、この叔父さんには悪いけど、正直、本当に残念な大人だと思う。

 会計の時にしてもそうだ。「ウエサマ」とか言ってたから、多分領収書って奴を貰っ

てたんだろう。

 休日に、子連れで、ビジネス街でもないこの辺りの店で、電子決済が主流の時代に、

わざわざ領収書を貰うおっさん。

 どう考えても怪しいだろう。覆面調査のバイトがあるとか漫画で見たけど、多分叔

父さんもそういうのをやってるんじゃないか?店の人にもバレバレだろう。もっとも、

人が好さそうなあの店の人達は、そんなこといちいち気にしないだろうけど。

 

 そんな叔父さんは、この間、二人でピザを食べてる時にもこんなことを言っていた。

 

『所詮、どいつもこいつも最終学歴しか見ねえから。超難関高校に行こうが、大学が

しょぼけりゃ台無しだ。逆に言えば、大学さえ良いとこ行けば、努力したってギャッ

プで女受けも良くなる。学部さえ選ばなきゃ、大学院受験は大学受験よか楽なのにな。

最悪、そこそこの大学院進んどきゃ箔がつくってもんよ。キャバ嬢とかキャーキャー

持て囃すぜ。だからまあ、中学高校まではどこ通ってようが、大して意味はねえよ。

当人が独学でどこまでやれっか次第だけどな』

 

 こんな話を、食べてるピザのチーズみたいに間延びした顔で、中学受験を見据える

小学生相手に語るおっさんだ。モテ方談義みたいな話をしてたけど、絶対女の人にも

モテない。キャバ嬢って確か、褒めるのが仕事だし。

 とはいえ、認めたくないものの、一緒に居て親より気が楽な人ではある。

 それに、正直言うと、こんなアドバイスでも、今の俺にとってはちょっと役に立つ。

 

 

 ――――陽向さん。

 

 

 彼女と初めて出会った時から、いつまでも見つめていたいのに、恥ずかしくて目を

逸らしてしまう。ずっとそんな感覚だった。

 自分でも、ずっと空回りし続けて、馬鹿丸出しだったのは分かっている。

 でも、何か動かなくちゃって焦って、止まれなかった。こっちを見てて欲しかった。

 そして、無様な俺を、彼女は変な顔一つせずに笑顔で見守っていた。あの大人びた

表情を見る度、心臓が口から飛び出しそうな気がした。

 けれど、俺のことを嫌っていないって分かって安心する反面、あの人にとっては、

俺はどうしようもなくガキなんだって思い知らされるようで、悔しかった。

 

 まだ空は晴れたままだ。どうせなら土砂降りだったら良かったのに。そうすれば、

必死に泣くのを堪えなくても、多分叔父さんにばれずに済んだ。今は、その辺の電柱

に頭をぶつけたり、とにかく頭を殴りたくて堪らない。

 後悔と悔しさが胸から溢れる。喉の奥がヒリついて、気持ち悪くもないのに、乗り

物酔いで吐きそうな時みたく、お腹の奥から苦々しいむかつきが口の中でいっぱいだ。

 

 どうして、ちゃんとスポーツとかやって、もっと鍛えて来なかった?

 こんな生っ白いぷにぷにの脹脛をあの人に晒してしまった。しかも、この短パンは

最悪だ。遠い昔の虫取り少年か?ダサ過ぎる。せめて、ジーンズとか履いてくるべき

だった。このTシャツもそうだ。無地の黒Tシャツ一枚って適当過ぎるだろ。

 食べるのは多分ピザだって思ってから、油断した。

 

 でもそんなことはまだ良い。

 どうして、二年も遅く産まれた?

 年上の中学生相手に、小学校のお勉強が出来ますアピールして何になる?必死に背

伸びするガキそのものじゃないか。

 何より、俺が同じ中学に入ったところで、その時あの人は中三だ。

 あの人を追いかけて進学したそのすぐ後に、当人は高校で他の男子と仲良くしてる

のを想像しながら、中学で残り二年を過ごすのか?高校に進学したって同じことだ。

 俺は前世で何かやらかしたのか?

 

 恥ずかしくて、悔しい。

 もっとマシな姿で、もっと大人な俺で、あの人と出会いたかった。

 さっき、夕日を見ながらあの人とした会話を、否が応でも思い出してしまう。俺が

もっとちゃんとしてれば、もう少しまともな対応が出来てたかも知れない。

 

 

**********

 

 

 叔父さんが会計しながらカウンターで店主さんと喋っている最中、俺達は先に外に

出て、夕日を観に行った。

 

 大人達は「晴れが見られなくって可哀想だ」なんて良く言うけれど、俺はそうは

思わない。

 正直、快晴ってのは苦手だ。

 もやしっ子って馬鹿にされるとは思うけれど、この東京で育った俺にとって朝から

晴れると暑い。確かに、親に連れて行って貰う観光地で偶に味わうくらいなら楽しい。

けど、毎日アレが――特に夏場――続くとなると話は別だ。夏は平均気温が今より十

度以上も上なんて、大人はよくまあ、何年もそんなサウナ地獄に耐えられたなと感心

する。

 

 それに何より、俺はこの昼や夕方の時間に、雲が去って晴れる瞬間が大好きだ。

 多分、日が高くなった状態で雲が無くなる影響で、一気に気温が上がるからだろう。

気温が少しずつ上がるのが肌ではっきり感じられて、まだまだこれから何かあるって

感覚が、俺のテンションを一気に上げる。

 陽向さんと俺が外に居た時間は日暮れ間近だったから、そんな気温の変化は流石に

感じられなかったけれど、もう一つ、俺が大好きなものはちゃんと在った。

 直前まで降ってた雨露が強い夕日の光を浴びて、あちこちでキラキラ宝石みたいに

輝いてた。その辺の草木が風に揺られて、ピンッと雨露を弾いただけで、光の粒が宙

を跳ぶ。

 晴れが来る度にあの光景を見るのは、俺の趣味の一つみたいなもんだ。

 

 それに、さっきは陽向さんが隣に居た。この光景を見る時の彼女は、どんなに綺麗

な顔をしてるのか。

 

 そう胸を躍らせながら興奮を抑え切れずに横を振り見た俺は、彼女の表情を見た

途端に、足元から凍り付いていく気がした。

陽向さんから笑顔が消えて、泣くのを我慢してるみたいな、切ない顔をしていた。

 俺が怒鳴って怖がらせてしまったあの時より、ずっと辛そうだ。

 

「どうしたのっ!?大丈夫?」

 俺は、思わず叫んでいた。

 

 女は驚きで目を見張って、俺の方を向いた。

 

「あの、俺……また、何かした?だったら、言って……下さい」

 俺は無意識のうちに、しどろもどろになりにながら彼女に聞いてた。緊張だろうか、

声の震えを抑え切れず、視界はブレ見えた。

 

 何秒経ったのだろう、視界が定まった頃には、陽向さんは小さい子を慰めるような

微笑みを浮かべて、俺を見つめていた。

 彼女が俺を気遣って、安心させているのは分かる。でも、前屈みになって俺を見つ

める姿は、俺が彼女から見て精々弟分でしかないという現実を俺に突き付けた。 

 

「ううん、君は何も悪いないよ。ごめんね。……何て言うのかな。私も前は晴れが大

好きだった。でもね、ある日、気付いたの」

 彼女は夕日を片方の掌で隠すポーズをとっている。

 手の指をぴったり閉じていて、指の隙間から陽の光を楽しむとかじゃなく、敢えて

夕日を隠してるみたいだった。

 

「お父さんとお母さんはいつも笑顔で優しいんだけど、晴れの空を見る時だけ、喜び

ながらすっごく悲しそうな顔をするの。私達にはすぐに隠して、また笑顔に戻るんだ」

 明るく振る舞っていた彼女の声と仕草が、少しずつだけど、確実に翳り続けた。

 冷たい風が吹き付けて、俺達の体温を奪っていった。

 

「私のお婆ちゃんの形見のチョーカーをお母さんと探したことがあったんだけどね、

その時と同じような顔するんだ。なかなか見つからない大切な宝物がやっと見つかっ

たのに、壊れてた――って感じかな。

 晴れる度にお父さんとお母さんがあんな悲しい顔をするくらいなら、私はもう、晴

れなんて欲しくない」

 彼女の声は、溶けていく蝋燭にしがみつく火みたいに、震えて小さくなっていた。

 

「でも、陽向……”陽が当たる場所”って私の名前、二人はどうしてつけたんだろっ

て、晴れになるといつも考えるの。お父さんとお母さんに聞けば良いのに、何となく

ね、怖くなっちゃってさ。……私、本当はどう思われてるんだろうって。

 ごめんね、こんな話しちゃって。誰にも話したことないのに、私、どうしたんだろ」

 

 夕日がしんみりした心境にするからだろうか、初対面の俺に想いの丈を打ち明けて

くれたことは、誇らしくすらあった。

 でも、陽向さんの少し潤んだ目を見ていると、心臓はギチギチ音を立てて締め上げ

られる気がした。

 もっとガキだった時に、満員電車で鮨詰の人の波に押し潰されながら攫われて、親

と引き離されて、初めて見る駅に独り放り出された時よりもっとキツい。そのまま息

が詰まりそうな無力感で、俺はへたり込みそうになる。

 

 それでも、奥底から沸き立つ怒りに近い熱気に煽られて、息苦しさに抗うように、

俺は思わず声を張り上げた。

 

「んな訳無いだろっ!」

彼女がビクッとたじろいだように見えたけれど、俺にはその様子を気にする余裕さ

え無くなっていた。

 

「お母さんの名前はヒナタって、一字違いじゃん!あんな優しそうな人達が、自分と

同じ名前をつけてんだぞ!」

 俺はほとんど熱にうなされていたと思う。

 踊ってんだか暴れてんだか、多分、身振り手振りも無茶苦茶だった。

 

「もしかしたら、あの人達も晴れの辛い想い出があるのかも知んないよ?

 でも、その辛い想い出があっても、それでも自分と同じ名前を娘につけてんだ。

幸せで素敵な想い出だって、君の名前にいっぱい詰め込んだに決まってる!」

 

 自分でも何を言っているか、もう意識出来ていなかった。

 彼女に悲しい顔なんてして欲しくない。元気付けるような何かを言わなきゃ。そう

思っても、それすらちゃんと出来ていたか分からない。

 

 ただ、ちゃんと覚えているのは、二つだけ。

 あの人に対して頭に浮かんだことを、碌に精査もせずに、ひたすら喋ってたこと。

 そして、あの時の辺り一帯の景色だ。

 俺達の周りは、散りばめられた水滴が紅く照らされて、日暮れ間近なのに、眩しい

くらいに輝いてた。生い茂る緑と紅のコントラストが全てを煌々と照らし出してて、

俺達二人だけで宝石の畑に飛び込んだみたいに幻想的な光景だった。

 

「そんな顔しないでよ。……頼むから、もっとちゃんと周りを見てよ。

 ヒナタってこんなに綺麗じゃんか!好きじゃない奴なんて居る訳ないだろ!!」

 俺は荒げた息を整えようともせず、みっともなく食い下がるように、彼女の瞳を見

上げながら、茹った頭で叫んでた。

 

 俺が半分混乱したまま、訳の分からずに好き放題に言うだけ言った後、彼女は何が

起きたか分からないって感じで、目をパチパチさせていた。

遠くで、鳥の鳴き声が聞こえた気がする。

 

鳴き声が止むのと同時だったろうか、彼女はぷっと吹き出すように呟いた。

「何か……すごい大それたこと言うね」

 

 彼女は不意に足元を見ながらもじもじし始めて、

「えっとさ……何て言うか、その――」

 しばらく言い淀んだ。

 そして、彼女がぱっと顔を上げて、

「ありがとっ!」

 彼女が満面の笑みで、俺にはっきりとそう言った。

 

 この時、俺には、産まれて初めて見る大きくて綺麗な花が咲いたように見えていた。

 桜の桃色より濃くて、紅葉よりも優しい赤。俺が花に詳しければ、そっくりな花が

思い浮かんだだろうか。優しくて鮮やかな、燃え上がるような色の花だった。

 

 いや、実際、俺が魅入られて立ち尽くす間に、そんな色の炎が燃え移った気もする。

陽向さんの頬と同じ色で炎が燃え上がるように視界を埋め尽くして、頭から足先まで、

全身が熱くてあの場からどこへともなく走り出しそうだった。

 そして、そのまま俺の思考はブツリと焼き切られた。

 

「あっ!名前。ちゃんと教えて。じゃあ、改めまして、私は森嶋陽向。君は?」

「それと、えっと……年上には敬語、忘れてたでしょ?そうだ!罰ゲーム、次に来て

受けて貰わなきゃね?」

 だとか、そんなことを彼女が喋っていたのは、ほとんど幻聴みたいだけど、何とな

く覚えている。

 ただ、俺の受け答えは、

「オ、オ、オレのナナ、マエハ――

 アッ、ソウデスネ。ワカリマス、エエ、ハイ」

 なんて、うわ言以外の何でもない無様を絵に描いたような姿を晒してた気がする。

俺の名前を無事に名乗れたのは覚えているけど、あれは奇跡だ。

 

 しばらく宙を漂うように現実感が無かった。

 けれど、助走をつけて殴りたくなるほど気色悪い叔父さんのニヤケ面で、俺は無理

矢理現実に引き戻された。

 多分、広くて温かい温泉で思う存分泳ぎまくって気分爽快になった後で、納豆みた

くねとっと糸を引く粘液や苔や藻で濁った季節外れのプールの水で満ちた深くて狭い

浴槽の中に放り込まれると、あの時の気分を追体験出来る。二度と御免だ。

 

 とは言っても、あのショック療法のお陰で意識を取り戻して、陽向さんにちゃんと

別れの挨拶を出来たのも事実だ。屈辱だが、礼を言わないといけないだろうか。

 

 俺の無我夢中の戯言に対して陽向さんがどう思っていたか。あの人の瞳をもう

直視出来なくなってた俺にはもう分からなかった。

 けど、ちゃんと別れの挨拶を言えた俺に対して彼女は「また来てね。待ってる。」

と言ってくれた。

 嫌な想いはさせなかったのだろうと胸を撫で下ろしている。

 

 

**********

 

 

 けれど、まだ足りない。

 彼女はあの時には笑顔になってくれたけれど、それじゃ十分じゃない。あの時だけ

は彼女が「もう大丈夫」と気丈に言えたとしても、それはあくまで一時の気休めに過

ぎない気がする。

 

 俺は所詮、まだガキだ。

 でも、やれることはきっとある。

 スマホでざっと調べた限り、彼女の学校は、結構評判の良い学校みたいだ。俺の進

学予定先より偏差値は落ちるけれど、距離は今よりは近い。

 父さんは、進学予定先の私立中学は学費の負担が大きくて嫌がってるのは明らかだ

し、母さんも「子供を遠くの学校に通わせるのは不安がある」と言ってた。俺が、最

低限でも今の偏差値をキープすると宣言して、それをしっかり実行すれば、違う中学

に行くことも認めてくれるだろう。

 

 陽向さんは、正直後ずさりするくらいに素敵な人だ。格好良い彼氏とかがとっくに

居たっておかしくない。彼女にとって精々弟分に過ぎない俺が、出る幕なんて無いか

もしれない。俺が入学してもすぐに、彼女が高校に行ってしまうのも、どうにもなら

ない。

 それでも、何か行動に移したい。今諦めれば、この先一生後悔して、しこりになっ

て残り続ける。それだけは断言出来る。

 

 坂道を上り切った後、俺は振り向いて坂の上から辺りを一望して、もう一度あの店、

「Weathering with you」を探した。

店はすぐに見つかった。少しずつ増え始めている千切れ雲が夕日を丸く切り取って、

あの店だけを照らし出している。

 光の水溜みたいだ。

 まるで陽向さんそのもので、彼女が今あそこに居るって、はっきり分かる。

 彼女が、自分はもう大丈夫だって笑みを湛えて自信満々に言えるようにする。

 その為に出来ることが、まだガキの俺にだって、一つくらいはあるはずだ。

 

 

 あの光の中を目指そう。

 俺は、そう決めた。

 

 

 

 

 

                              ―――終―――

 

 

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