本当に彼についてはやりたい事が多くて困っちゃう。
ピチョン…ピチョン…
水滴が落ちる音で目を覚ます。怠く力のない体であたりを見回せば、其処は眠る前と変わらない薄暗い洞窟の中だった。
「ここは…ああ、そうか」
オルクス迷宮の戦いの中奈落へと落ちてしまい、魔物と遭遇し、逃げ隠れて青く光る水晶体の意思の前で意識を失ったのだ。体を見回しても左腕は無くなったままだ。
一向に悪夢は消えない辛い現実の真っただ中だった。
「夢…?」
現実から逃げる様に先ほどまで見ていた覚ろげな夢を思い出す。とても変な夢で、しかし比べもにならないほど温かい夢だった。
昼休みは友人たちと下らない雑談をしていた、そんな記憶は無いのにとても和やかだった。
異世界に召喚されてから無能扱いはされることは無かった。ステータスで価値を決めない騎士団だったからだ。
訓練所で檜山達にいじめを受ける事は無かった、そもそも檜山達との仲は自分と比べてとてもよかった。どうしてそうなっていたのかよくは分からないが。
だがそんな事より何よりの違いがあった。
「…アレは…誰だろう?」
淡く蒼く光る神結晶を見ながら脳裏に思い出すのは夢の中の自分の傍にいた明るく笑う少年だった。いつもそばにいて笑いかけてくる。それは自分が得られなかったもので…
(あぁ……また意識が…)
夢の中の自分に羨望を抱きながらもまた痛みと空腹によって意識が朦朧とする。
オルクス迷宮深層の小部屋で南雲ハジメは何もできない中助けを待ち続けていた。
「っ!?」
慌てて飛び起き掛け、自身の左腕を見る。そこにはちゃんと腕があり手もしっかりとくっついていた。冷たく流れ出た冷や汗を乱暴に拭い去り大きく息を吐いた。
「はぁ……何なんだよアレ」
オルクス迷宮から帰還してから南雲ハジメは日夜見る悪夢に魘されていたのだった。
(心労がたまっている?……じゃないよね)
朝の支度を整えながら考えるのは今朝見た悪夢だった。オルクス迷宮から帰ってきてから見てきた夢がだんだんと鮮明になりつつあるのだ。
内容としては、何故か親友である柏木がおらず、ひとりぼっちでクラスの皆から疎まれている自分がオルクス迷宮で奈落に落ちてしまい、魔物に襲われ左腕を失くしながらずっと隠れているというなんともリアリティのあるようでないような夢を見続けているのだ。
そんな悲惨なめに合っていないと鼻で笑いたいのにどうしてか妙に現実感のある夢だった。
「僕はちゃんと生きている。何もなくしてはいない…そうだよね」
確認する様に鏡に映る自身に問いかける。失くしたものは無く、親友が死にかけたりなど大変なことも有ったが無事に帰ってきた。それなのにどうしてだろうか、鏡に映る自分はとてもつらそうに顔をゆがめていた。
最近南雲の様子がおかしい。いつもと変わらない風に振舞っているが、ぶっちゃけ一目でわかるのだ。
「えっと…何でもないよ?」
「嘘だっ! ってのは置いといてお前滅茶苦茶目に隈が出来ているぞ」
理由は簡単、南雲の目に大きな隈が出来ているのだ。これは寝不足なのだろうか、確かにゲームのやり過ぎでこんな隈を作ってきた時もあったが…不健康そうなのが一目でわかる。
「最近眠れていないのか?お薬だす?一飲みするだけでスヤァ出来るやつ作ろうか?」
何せ俺の身体は製薬プラントだ。睡眠薬なんざ朝飯前である。無論飲みやすいように錠剤や粉末、飲み薬にだってできちまうのだ。だから不調があるのなら遠慮なく行ってほしい。俺とお前の仲だろ?余計な心配は不要ら!…ところで医者でもないのに睡眠薬を作るってマズくね?素人が作るおクスリの危険性はいかに。
「あはは…」
お薬を渡そうとしても苦笑いするばっかりである。…ふむ!これは迷惑を掛けるかもしれないという奴ですな。水くせぇ…俺とお前の仲では無いか。
「と言っても…分かった分かった。ちゃんと話すよ」
ハァと溜息をつきながらようやく重い口を開くことにした南雲。取りあえずお茶を用意しながら何が起きているのかを聞くことにするのだ。
そうして話を聞き終えて…
「…ふむ。俺が居なくて南雲があの橋から落ちてしまったIFの未来か…」
「理解力速いね!?」
だって実際そのIFの未来をアリスさんから教えられたから知っているもんね。しかしどうしたものか。何故その夢を見ているのかを突き詰めるのが先かそれともどうやったらその悪夢が消せるかが主題になりそうだな…
「んー一応聞くけどどうしてそんな夢を見ているのか心当たりある?」
「あったら自分でどうにかしているよ。…ホント分からないんだ」
心底困っている様子の南雲だ。ふぅむ…これは心当たりは本当に無さそう。SFもんでも見ればわかるだろうか。 今は取りあえず情報が少ない。なら取れる手段としては…
「よし、南雲今日は一緒に寝よう」
「えっ!?…マジで?」
「マジ。それでお前が悪夢を見たら俺が起こす。とりあえずはこれで様子を見よう」
困惑する南雲だがここは押し切らせてもらおう。どんな夢なのか、どういう状況なのか分からないけど。ひとまずは俺がそばに居よう。そう告げると気恥ずかしそうに南雲は照れていた。
「うん。じゃあ…お願いします」
という訳で深夜。自室に戻るのではなく今夜は南雲の部屋でお泊りだ。先ほどまではぺちゃくちゃお喋りをしていたがやはり疲れていたのか今はベットの中でお休みだ。
「……ぅん…」
変化が起きるまで調合の勉強をしていたところ、割とすぐに変化が起きた。眠っている南雲が唸り始めたのだ。眉間に皺をよせ何事かを呟いている。
「…どうして…」
「南雲?」
何やらうわごとを言っているようだ。胎児のように丸まり左腕を抑えていた。眉値がさらに寄せられ苦痛でも感じているのか左腕を強くつかんでいる。
「…死にたくない。…どうして僕が……こんな目に」
うわ言の内容は主に死にたくないと生き足掻こうとする声となぜ自分がこうなったのかと恨むような声だった。流石にこのまま起こさないわけにもいかない。体を揺すり南雲を覚醒させる。
「おい起きろ南雲。お前が何見てんだか知らねぇけど、俺はここにいるぞ!」
「うぅ……たすけ……ぁ」
目を開き焦点の合わない瞳で俺をぼんやりと見つめている。目を覚ましたがまだ意識はハッキリとはしていないようだ。
「平気か?大丈夫か?痛むところは無いか?」
「君は……ああ、僕の柏木君だ」
最初は不思議そうにしかし段々と思い出してきたのかようやく俺をしっかりと見つめてきた。取りあえずは一安心だろうか。
「思いっきり魘されていたぞ…本当に大丈夫か?」
「酷い夢だったよ…お腹が空くのに食べるものは何も無くて…腕を失くしているから幻肢痛も起き始めて…」
夢の内容を鮮明に覚えているのだろう、嫌に実感がこもっている顔で酷い寝汗だ。先ほどからしきりに左腕をさすっているのは幻肢痛を和らげようとする本能か。
「暗くて狭くて…助けを待つんだけどずっと来なくて…」
「平気だ。ここはオルクス迷宮じゃない。飯もあるし明かりもある。何なら少しお菓子でもつまむか?」
「ううん…少し話し相手になってくれないかな。少しだけでもいいから」
「お安い御用だ」
つくづく南雲が夢見る世界には俺が居ないことが悔やまれる。俺がいたら少しは…何とかなるのかなぁ?兎も角今は南雲の話し相手をしよう。それで失くしたSAN値は少しは回復するだろう。
「うぅ…まだ来ないの」
奈落の底に落ちてから早何日だろうか。ずっと同じ場所で蹲っているのだから時間の感覚はとうに失せてしまった。
(もしかしてこのまま…)
何度目を開けても変わらない光景に心が摩耗していくのが分かる。神水を飲んでも傷や体が治るだけで心が癒されることなどないのだ。
(夢…あの夢は何なんだろう)
幻肢痛と飢餓感をまぎ割らすために微睡みの中に垣間見る夢の事を思い出す。夢の中の自分には労わってくれる友人がいた。傍にいて気遣ってくれて…
(羨ましい…僕にはそんな人いないのに)
夢の中の自分へ嫉妬する。気遣う友人がいるそれが羨ましく、又悲しくもあるのだ。
(痛い…怖い……あと何日待てばいいんだ……あとどれだけ…)
時間の感覚が壊れいく、しかし恐怖は一向に消えない。寂しさと恐怖となぜこうなったのかと言う疑問を抱きながら意識を失うようにしてまた暗闇の中へ…
翌朝、日が昇ってきたところで南雲はまたウトウトし始めたので今度は俺の薬で眠ってもらう事にした。睡眠薬は手頃に作れるので今回は夢も見ないぐらいに深く眠ってもらう事にしたのだ。
「さて、それじゃちょいと一肌脱ぎましょうか」
親友の一大事、今回は俺がマジで動かないと取り返しのつかない事になりそうだ。
「ひとまず状況の整理をしよう。そして相談だな」
まず、南雲は悪夢に魘されて体調が悪化している。精神的に削られているとでもいうのか、顔色がとても悪い。原因は悪夢で内容で一人でオルクス迷宮内で居るという内容だった。腕が魔物に食われ、変な鉱石で回復はしたものの精神的に出られなくなっているというのだ。
「コレについては…アリスさんに聞こう」
なぜそうなったのかはアリスさんいでも聞けば早いだろう。俺の居ない世界、仮にIF世界ならアリスさんが知っているはずだ。知らなかったら折檻じゃ!
次に南雲のケアである。悪夢の内容は分かった所で取り除く方法があるとは言えない。俺は心療内科の先生ではないし、この世界の人間に果たしてメンタルケアができるかと言うと…正直不安がある。つまり南雲自身で克服してもらうしかないのだ。となると…これは俺の手には余る。誰かほかの奴に助力を頼むのが先決だろう。
…なんや俺誰かに頼んでばっかやな!?ま、別にいいんですけど。南雲が助かるのなら俺のプライドはポイだ!
「取り残された夢を見る…ですか」
解放者の住居にて俺はアリスさんに南雲の事で相談をしに来た。遊びに行きたいと言えばいつでも来られるのがここの良い所で秘密の話をするにもうってつけでもあるのだ。
「南雲が見る夢には俺が居なくてベヒモスと一緒に落ちてしまったというけど」
知っているよねと確信を持った言い方をすればやはり心当たりがあるのかむむむと唸りだす。うーんこのアリスさんに対しての絶対的な確信を持つのは何故だろうか?まぁ今はそれどころの話ではないか。
「…あの世界を何故夢として?…逆流?あり得るのかそんなアホな話が。しかし実際に起こっているとすると…あーもしかして?」
頭の中でいろいろと考えているだろう、疑問が口に出ているのはその為か。
「ふむ、取りあえず理由は分かりました。しかしどうしましょうか。いっそ私が無理矢理矯正しますか?」
「一応聞くけど、何するの?」
「魂魄魔法という神代魔法がありまして対象の魂を好き勝手弄れる魔法で「却下」でしょうね」
人の中身を弄繰り回す不穏な単語しか聞けない魔法は却下だ。しかし方法を考えると結構手詰まり感がある。ふむ、もうちょっと整理をしなければ。
「取りあえずだけど、その世界の事色々教えてくれる?何か解決の糸口がつかめるかも」
「うーん。あんまり語りたくはないので取りあえず南雲君が落ちる前後なら話すとしましょう」
渋々と言った様子でIFの世界の事を説明してくれるアリスさん。そこで何か解決の糸口がつかめればいいのだが…
「…あんまり変わんないな」
大まかな所は変わらないらしい。一応ホルアドの町に着いたところから説明を受けたが、落ちるまでは大まかな流れは変わらないようだ。
「深夜に白崎さんと出会って、檜山君に妬まれて、迷宮では錬成の力を使って訓練して、トラップに引っかかって、混乱して殿を務めて、魔法が当たって落下。落下した先で奇跡的に生還して脱出しようとするけど爪熊に遭遇して左腕を食われて、逃げ込んだ先に
「なんとまぁ…」
「悲惨ですよね。まるで物語の主人公みたいに」
肩をすくめお手上げのポーズ。どうやらそのIF世界についてはあんまりいい思いはなさそうだ。俺も聞いていて良い気分はしないのであんまり根掘り葉掘り聞くのは止めておこう。
「この中で、南雲を救う手立ては…」
例えば籠城することになった爪熊の除去。…駄目だな。元凶を倒したところで救われるとは思えない。寧ろ別の要因が立ちそうだ、例えるのなら悪堕ち。
お次は魔法を放った檜山を成敗! …これは悪手だな。寧ろ俺がそんな事はしたくないし檜山を追いつめる南雲なんて絶対に見たくもない。
他には、腹いっぱいにさせて広々としたところで寝させる?…意味ないな。そもそもの話コレは根本的な解決になって無さそうだ。
「夢の中の南雲君が現実の南雲君を侵食しているというんでしょうか。両方に重なる部分があればいいんですが…」
とは思案しているアリスさんだ。ふぅむとなると……………あ
「何かティンと来た」
「ふむ?一体何がですか」
夢も現実も同じ軌跡を描いたのならきっとアイツが南雲に会いに来ている筈!正直協力を要請するにはこれ以上なく適任で恐らく俺以上に南雲の事を想っている奴がいる!
「つーわけで「いいよ、南雲君のためならなんだってするよ」だろうと思ったよ…」
俺の前でやるぞと鼻息を荒くする10人中12人が美人だと称するこの女の名は白崎香織。俺にとっての面倒な相手であり南雲に絶賛色ボケ中の元ストーカーである。
夢と現実で同じことがあったとするなら白崎が南雲に会いに行ったのは変わらない筈だ。居なくなる南雲を心配して部屋に会いに来て…その恋心はここでは結構なアレだが夢の世界では普通の少女のはず。…多分。だよね?
「夢だろうが現実だろうがどんな世界であっても私は南雲君の事が好きだし誰よりも大切だと思っているよ」
「一々分かり切ったことを言うなこのヘタレ。そう言うのは面と向かって本人に言えや」
「だって、もし拒絶されたら襲っちゃいそうになるから…」
しょぼんと項垂れる正真正銘の肉食ヘタレ脳内淫乱ピンク女だが、まぁ南雲の事については誰よりも信頼しているのだ。そして…恐らくは
しかも嫌な話だが、俺の居ない世界ではクラスメイトの中でただ一人白崎だけが南雲について好意的だという事実があるのだ。…本当に考えたくないなぁ南雲が一人ぼっちで白崎しか話しかけないような状況。なんでそうなったんだろうね。
「取りあえず事情は分かったけど私はどうすればいいの?…流石に魔法を使ってと言うのは嫌だよ」
「俺かって魔法でなんでもかんでも解決なんてのはゴメンこうむる」
魔法を使えばすべてが解決なんてのは、頭にも心にも悪そうだ。視野を狭めて短絡的な行動にしかできない様になってしまう。分かりやすく言えば考える力が退化し、魔法を前提にして考え、全ての事柄を楽に見て軽んじるようになってしまう可能性があるのだ。
「へくしっ」
……あ、今特大ブーメランが何故か俺に刺さった気がする。うぅん?
「取りあえずは…南雲に内緒で部屋に忍び込んでもらおう。後はその時になって考えよう」
「!? ま、まさか恋敵から夜這いの許可が下るなんて…これが勝者の余裕?…はぅ!?」
「アホな事言ってんじゃねぇ 後誰が恋敵だ」
アホな事を言ってる脳内ピンクに凸ピンを一発。割とこっちはマジなのだがそこでふざけられると困るのだ。あの様子の南雲じゃこのまま魘され続けると何が起こるか分からないのだ。それこそ手遅れになるのではないかと思わせるほどに。
しかし白崎はそんな俺の焦りを見抜いていたのか、凸ピンされた額から手を離すと割とマジなトーンで声を出してきた。…たまに見るガチの顔だった
「知ってるよ、柏木君が本気で南雲君を心配をしている事ぐらい。でもだからこそ私達が焦らずに行かないと。気が付いていない?今の貴方緊張で顔がガチガチになってるよ」
言われて割と自分も余裕が無いように顔が強張っている事に気付く。頬をムニムニとこねくり回し緊張を和らげる。
「…サンキュー」
「どういたしまして」
小さく礼を言えば華やかに笑う白崎。こうやって話していれば只の美少女なのに…本当にもったいない。
という訳でやってきました。深夜のお時間です。白崎は隣の俺の部屋で待機してもらって南雲の部屋では俺と南雲がたわいもない雑談を興じている。
「それじゃ…今日も魘されていたらお願いね…」
「おう、任せておきな」
やはり上手く眠れていなかったのか欠伸を一つしいそいそとベットに入り込む南雲、これだけだったら問題ないのだが…数分もすると小さな寝息が聞こえてくる。
「南雲君、眠った?」
それからしばらくして音もなく部屋に入ってきたのは白崎だ。何時になく慎重に行動するその動き方はまるで暗殺者のそれだ。…どうでも良いけどこれ他の奴らに見られたら絶対誤解されるよな?あ、もしかしてそれも込みで受けたのか。やっぱコイツ油断ならねぇ。
「うぅ……」
そうこうして居る内に南雲がまた魘され始めた。今回はもっとひどいのだろうか、すぐに汗がで初めて来た。
「……死にたくない。…死にたい…死にたく」
死んでさっさと楽になりたい、けど死にたくない。矛盾した考えだがそんな事を考えてしまうほど苦痛な悪夢…夢の南雲が陥ってる世界なのか。…本当にどうして南雲がこんなひどい目に遭わなきゃいけないんだろうね?俺、馬鹿だから誰か教えてほしいよ。
「南雲君……」
白崎が心配そうに南雲に近づき持っていたハンカチで額の汗をぬぐう。…今更な話だが俺は白崎を呼んでどうするつもりだったんだろう。呼び出して置いて何も考えていなかったのである。
しかし、白崎なら何とかしてくれるという確信があるのも事実だ。…本当に人任せになってきたな俺。
「南雲君。…ごめんね。約束したのに守れなくて…」
魘されている南雲へ謝り、静かでしかし優しい手つきで頬に手を触れる白崎。
……駄目だな。何も出来ない俺はここから出よう。きっとここにいても俺の存在は意味が無い。
音を立てない様に部屋を出て扉を閉める。白崎がそばにいるのなら南雲は大丈夫だろう。自分の部屋に戻りベットに腰かけ、ふと考える
「…俺の居ない世界か」
俺の存在しない世界。似ていても何かが違ってずれた世界。…何だろう。本当に俺はイレギュラーのように感じてしまう。
小さい頃から誰もが考えるどうして自分はこの世界に生まれたのだろうかと言う哲学染みた考えがふと頭に浮かぶ。それと一緒になって思い出すのは召喚される直前に見たあの夢。
「…もしかして俺は、俺は本当はこの世界にいないのが正しかったりして」
ふと呟いた言葉、しかし妙なリアリティがあるように感じるのは…気のせいでもなさそうだ。南雲の事、これからの事、そして妙に気になるアリスさん事。色々考える事はあるけど、そのうち俺は睡魔に負けて眠ってしまった。
「どうして…助けてくれないの」
うわ言、しかしそう切り捨てるには余りにも芯の入った言葉だった。ハジメの傍に近寄り頬に触れる。誰よりも好いている少年の晴れない痛みと悪夢が手に取るように伝わり思わず顔が歪む。
(…どうして私は南雲君に甘えちゃったのかな)
交わした記憶のない守るという約束、しかし守れなかった。只の口約束、しかしてその約束は何よりも守るべきものだった。だから、ハジメの一言一言が胸にズキリと痛みを与えてくる。
「誰も……てくれないなら…おれ「南雲君。この音が伝わる?」
魘された南雲から何か黒いモノを感じ取った香織はハジメの左腕を掻き抱くようにして自身の胸、正確に言えば心臓に手の平が当たる様に重ね合わせた。
ドウンッドクンッと心臓の音は一定にその存在を主張している。その音が伝わったのかハジメの震えが止まった。
「私ね、生きているの。南雲君が助けてくれたからなんだよ」
子守唄を謳うように静かに語りかける。知らない誰かの記録を、誰よりも知っているはずの記憶を掘り返す様に。
「ずっと…ずっと言いそびれてごめんね。ありがとう南雲君。あの時南雲君が頑張ってくれたから私や皆が生き残ることが出来たの」
ハジメの呼吸が穏やかになりつつある。それを確認し、重ねる様に自分の思いを伝える。
「だから、ごめんなさい。誰よりも貴方が助けを求めているときに貴方の傍に居なくて」
不甲斐ない話だと内心毒づく。好いた男が必要としているときにそばにないとは余りにも情けなくまた自身が腹正しかった。
「しら…さき…」
「今、私は貴方の傍にいる事は出来ない。けど私は貴方の帰りを誰よりも待っています」
ハジメが流した涙を指先で掬い取る。焼けるような熱さがハジメが生きていることを実感させる。堪らずハジメの頭を胸に抱きしめた。
「生きて 生き抜いて。怖いよね苦しいよね。それでも負けずに生きて、貴方ならできるから。そして…私に会いに来て。私はずっと待っているから」
酷い女だと、いよいよ香織は自分本位な言葉に反吐が出そうになった。夢の中のハジメは心が折れているというのにそれでも立ち上がって生きろと自分勝手に騒ぎ立てているのだ。
「………うん」
永い沈黙の後にだされた小さな言葉は確かにハジメの声だった。眠っているハジメの眉は下げられ呼吸は穏やかになった。
その様子を見届けると、香織はホッと一呼吸をし、ハジメのベットに潜り込む。汗ばんでいたのかシーツなどが多少べたついたが一向に構わなかった。
(ハジメ君…もう大丈夫だよね)
ハジメの左腕を抱きしめ、その横顔を見つめる。安らいだかのように静かに呼吸するハジメは、もう悪夢に魘されることは無さそうだ。抱きしめた左腕の感触に温かさを感じながら香織もまた瞼が重くなっていく。何だかんだで多少の疲れはあったのだろう。
(今回は表舞台には立たないけど…私はハジメ君の傍にいるからね…)
うつらうつらと最愛の人が横にいる事に幸せを感じながら香織もまたハジメと同じように寝息を立てていくのだった
「う…うん?」
温かく優しい日差しを感じてハジメは目を覚ました。部屋の明るさからして朝だろうか。そんな事を考え乍ら天井を見てほっと息を吐いた。
連日見続けた悪夢を今日は見なかったのだ。それどころか非常に夢見が良かったのだ。脳裏に宿るのは暖かく気持ちいい物に抱きしめられる、と言う何か本能的に幸福な瞬間を感じ取っていたのだ。
少々にやけながらもあの感触を思い出すハジメ、それはとても柔らかくずっと握っていたいものだった。そう今まさに左腕に伝わる感触のような…?
「うん?……ぇ?っっ!?」
暖かな触感を確認しようとして大声を上げなかったのは幸いだった。可愛い女の子が居たのだ。それも自分の左腕を抱きしめて!
(え?なんで女の子が!?柏木君は一体どこに!?え、ええ!?もしかして柏木君女の子になっちゃったの!?女体化!女体化しちゃったの!?まさかTSが本当にあったなんて!?でも、あれこの人白崎さんっぽい?柏木君がTSしたらアリス…ってこの人白崎さんだ!!?!?)
現実逃避のような混乱しながら女の子を見るとなんと少女は白崎香織だった。何故か白崎香織が幸せそうな顔でスヤスヤと眠っていたのだ。まるで抱き枕のようにしてハジメの左腕をとても柔らかな胸に挟み込みむにゅむにゅと寝言を言っている。
「えへへ…ハジメ君」
「!?!??!」
いきなり女の子(美少女)から甘えるように名前で呼ばれ現実を把握し一気に心臓が飛び跳ねるハジメ。何故白崎が居るのか理解が追いつかない、どうにか抜け出そうと思う物の
「むぅ…」
力を入れた左腕はもう離さないぞと言わんばかりに白崎が抱きしめてしまうのだ。その度にハジメの脳へ香織の柔らかな胸の感触が逐次発信されさらに冷や汗が噴き出る。
(ど、どうしよう…落ち着け落ち着くんだ。こういう時は…二度寝をしよう!狸寝入りをしていればきっと白崎さんは起きて出ていくはず!)
妥協案を見つけ目をつぶろうとした時だった。
「…ぁ、ハジメ君おはよう~」
薄ぼんやりと目を開けた香織と目が合ってしまったのだ。寝ぼけ目ながらもふにゃりと嬉しそうに笑う香織はいままで見た中でひときわ可愛く一瞬見惚れてしまった。
「お、おおおおおはよう白崎さん」
「えへへ~おはようって言われた~」
ああ、そう言えば朝の挨拶をするのはとても稀な事だっけと思いながらこの後起こるであろう珍騒動に内心頭を悩ますハジメだった。
「…白崎さん?」
左腕を見てもそこには依然として腕は無かった。それなのに確かに感触がしたのだ。あの月下の誓いを約束した女の子の生きている鼓動が確かに失くした左腕に響いてきたのだ。
「夢?…それにしては、随分と」
おぼろげな夢を見ていた。内容はあんまり覚えていないが確かに香織の声が聞こえてきたのだ。取りあえずは朝ごはん代わりとして神結晶を一舐めする。
『生きて、会いに来て』
その言葉が確かに頭の芯にこびりついている。黒いコルタールのように広がっていたどす黒い感情はきれいさっぱり失くしてしまった。後に残ったのは誓いをした女の子の声とこの現状を突破しようとする確かな決意だ。
「…女の子にあそこまで言われたらね。そりゃ男としては廃るってもんだ」
爪熊に対する恐怖は確かに残ってはいる。しかしそんな事よりも可愛い女子に応援されたという事の方がはるかに大事だった。
「うん、早く帰らないとね、白崎さんなら余り余って追いかけてきそうだし…」
かなりの天然が入った女の子を思い出す。うかうかしているとボロボロになりながらこんな所までやってきそうだ。それではさすがに男としてのプライドが許さない。自分を心配してくれた女の子が傷つくなんて男として情けないにもほどがある。
「幻肢痛は無くなったし…当面の問題は食料か。あるとすれば魔物肉。…この液体にずっと漬けていたら食えるかな?」
現状を把握し帰る為の方法を模索する。もう恐怖で怯えている時間は終わった、残されたのはこの迷宮から生きて帰るという確かな意志のみ。
『貴方の帰りを待っています』
「ああ、必ず帰るよ。だから待っててね白崎さん」
たとえ夢だろうが妄想だろうが、香織なら待っているだろう。ならあの少女の元へ帰らないと。温かい物に包まれた失くした腕をさすりながら南雲ハジメは暗い迷宮の中で恐怖を克服したのだった。
一言メモ
変心 あの日あの時誰かがそばに居ればもっと変わった物語になったのかな?
白崎香織 南雲ハジメの元ストーカー、現クラスメイト。ハジメに対して完全にホの字ではあるが純情で割と計算高い。恋敵が1人と言う現状に嬉しいやら危機感を持っているやら。…体験したことのないはずの記憶を持っている。