────白河の家に生まれた娘として、恥ずかしくない振る舞いを心掛けなさい。
物心ついた時から。
いや、それ以前からそう言われて育ってきた。
最初はパーティーで小さく笑みを浮かべて大人達に挨拶するだけで褒められた。
それから楚々とした振る舞いを覚え、生まれ持った整った容姿も相まって、常に周囲から少女は称賛された。
パーティーや学校。自宅。
それこそ自室ですら誰かの目を常に気にして過ごすよう教えられた少女。
幸いして、幼少よりそう教え習ってきた少女にはそれが当たり前で、少なくとも表面上では苦痛を感じなかった。
勉強も礼儀作法も家事も教養も。
叩き込まれた全てを乾いた綿に水を与えるように吸収した少女は、大きな失敗を何1つ知らずに育った。
しかし、それも終わりが訪れる。
「この売女が。とんだ恥を晒しおって」
長期出張から帰って来た父から投げ掛けられたのは、汚物を見る視線と言葉。
慰めでも、労りでも、こうなった嘆きでも怒りでもなく、堕胎することが不可能な程に大きくなったお腹を気にかける事もなかった。
それから興味を失ったように部屋から離れる父と、その後ろに続く母。
たった一度の大きな失敗。
それだけで、少女は両親から切られたのだ。
「ねぇ、カズマ~。オムツどこー。ヒナがお漏らししちゃって泣き止まないの」
「スズハの部屋にあんだろ? つーか俺に訊くな」
ヒナを置いて出ていったスズハ。
当然、誰かがヒナの面倒を見ないといけないわけで。
「有りましたよ! 戸棚の上に!」
スズハの部屋を漁っていためぐみんが買い置きのオムツを発見して持ってきた。
「めぐみーん! オムツの取り替え、私にやらせてほしいの! 最近、ヒナも私に懐いてきたし、良いでしょ?」
「かまわないと思いますが……気を付けてくださいね?」
「大丈夫よ、まっかせて!」
そう言うと、素人とは思えない手際でヒナのオムツを替えるアクア。
子守りスキルとかあんの? と訊こうとしたが、思えばアクアは普段から手先が器用なので、そのお陰かもしれないと考える。
「しかし、スズハはどうしたのだ? 確かに最近は様子がおかしいとは思っていたが……」
「わっかんねぇよ、くそ!」
たんこぶになっていた頭を撫でるカズマ。
階段から落とされた打ち身やこぶは、既にアクアに治されている。
「カズマが何かしたんじゃないの? ほら、カズマが触ろうとして怯えてたし」
「今朝は全然普通だっただろ! それからクエストで帰って来るまでずっとお前らと一緒だったろうが! どこにそんな間があるんだよ!」
別段カズマは突き落とされた事を怒っている訳ではない。いや、まったく怒ってないと言うと嘘になるが、あそこまで取り乱したスズハが気がかりだった。
「とにかく、スズハを捜しに行ってください。ヒナに何を食べさせたら良いのかも分からないんですから」
ヒナの食事はスズハが全てやっていた。以前なら赤ちゃん用のミルクをあげたが、今は流動食も混ぜているため、どちらを何時与えれば良いのか判断できない。
「分かってるよ……行くぞ、アクア」
「えー! 私もめぐみんと一緒にヒナの面倒をみたいんですけど。クエストで帰って来たばかりで街を歩き回るとか疲れるんですけど」
「後者が理由だろ! いいから来いっ!」
「いやよ! スズハが居ない今、将来
「なるか、ボケェ! 尚更お前をここに置いてけるか!」
無理矢理連れて行こうとするが、手摺に掴まって動こうとしないアクアにめぐみんが言う。
「もうアクアは放って捜しに行ったらどうですか? どうせアクアが行っても、大して役に立たないでしょうし」
「待ってめぐみん! その言い方はあんまりだと思うの!」
「そうだな。ヒナの事はめぐみんに任せて、私とカズマは、スズハを捜しに行こう。時間が惜しいからな!」
「ダクネスまで!」
「しようがねぇなぁ! おい、めぐみん! ヒナを頼んだぞ!」
「任せてください!」
「ねぇ!? なんで私の名前を挙げてくれないの! 私だってやれば出来るんですけど! 無視しないで!」
半泣きのアクアを無視して屋敷を出ていくカズマとダクネス。
「しかし、何処を捜す? スズハは目立つから、目撃証言はたくさん得られると思うが……」
不安そうにしているダクネスに、カズマが返す。
「いや、アテはある。思うと、アクアを置いて行って正解だったな」
「?」
「決まってんだろ! こういう時に真っ先にアテになりそうな奴だよ!」
行って、カズマはウィズ魔道具店へと足を進めた。
近くに在った安宿を取ってクリスは背負っていたスズハをベッドに座らせた。
ここに来るまでに泣き顔のスズハを背負っていたクリスは自分に刺さる白い視線がキツかった。
「先ずは足の裏を治療しようか」
「あ、自分でできます。この腕輪、治癒の魔法が使えて……」
「いいからいいから」
簡単な治療用のキットを荷物から取り出し、スズハの靴下を脱がせると、消毒液を吸わせた綿で足の裏に塗る。
「つっ!?」
「我慢してね。すぐ済むから」
やはり冒険者だからだろうか、慣れた手つきで包帯を巻くまで終えるクリス。
「それで、どうしたのさ。靴も履かずに砂利道を歩いて。それも、あんな表情で」
隣に座って訊いてくるクリス。
言って良いのか躊躇ったが、誰かに聞いて欲しいという欲求に抗えず、ポツリポツリと話し始めた。
「……最近、嫌な夢を見るんです」
「夢?」
「私が、マコトさんに、襲われた時の、夢を……」
スズハの言葉にクリスの表情が険しくなる。
「その夢を見ると、自分が、とても穢らわしい存在に思えて……それから、不意にあの時の事が頭を過る事があって……近くにいる男の人が全員、あの人に見えるようになって……」
震えている自分を抱き締めるスズハ。
「それでも、大丈夫だって自分に言い聞かせて……大丈夫だったのに……どうして今さら……」
最後の方はクリスに、というよりは、自分に問い質しているようだった。
そして、ここからが本題。
「わたし、カズマさんを、傷つけてしまったんです……階段から突き落として……近づいてきたカズマさんが、あの人に見えて……」
「……カズマの怪我は?」
アクアが傍に居るなら、そう大事にはならないだろうと確信しながらも一応訊いてみる。
「……すぐに起き上がったので、大きな怪我は無い筈です。でも、そういう事じゃなくて」
自分がカズマを傷付けた事そのものが、駄目なのだ。
そしてようやく自覚する。いや、この場合、認めると言うべきか。
「恐いんです。男の人が……カズマさんも……異性の方が、近くに居ることが、恐ろしくて堪らない……」
震える体を抱き締めるスズハ。
スズハ自身はその事に負い目があるようだが、彼女のこれまでを思えば、仕方のない事だった。
むしろ、男性が近付くだけで発狂してもおかしくなかったのだ。
それでもシラカワスズハはその全てを自分が悪いのだと抱え込んでいる。
「カズマ達に正直に話してみたらどうかな? カズマや皆なら、きっと力になってくれるよ?」
クリスの提案は真っ当な物だった。
カズマ達なら早々追い出したりはしないだろうと践む。
しかし、スズハは首を横に振った。
「言え、ません……カズマさんには、この街にきて、とてもお世話になったんです。楽しくて……優しくしてくれて……ヒナにも……そんな人に、こ、恐いだなんて、言えません……!」
それは、血を吐くような声だった。
そう言った時にカズマにどんな顔をされるのか、想像して身を小さくする。
クリスの案が正しいのは分かっている。しかし────。
「また、父様や母様のように見られたら、わたし……!」
大きくなったお腹を見て見限った両親。
今なら、自分が両親に何を求めていたのか分かる。
「本当は、心配してほしかった……慰めてほしかった……どうすればいいのか、一緒に、考えてほしかったのに……」
長期出張から帰って来た時、もうスズハのお腹は堕胎出来る時期を過ぎていた。
完璧ではなくなった"白河涼葉"は、もう両親には必要なくて。
後は他人に世話をさせ、世間の目から娘を隠し、どれだけ社会的ダメージを軽減するかだけを気にかけた。
また、あんな風に切られるかもと思うと、涙がでて、体が震える。
なんて、醜い。
相手に怪我をさせておいて、結局考えるのは自分の事ばかり。
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」
何に謝っているのか、自分でも分からないまま、スズハはうわ言を繰り返した。
随りついて泣くスズハに、クリスは憐れむような視線でスズハが落ち着くのを待った。
「へいらっしゃい! 狡い頭だけが取り柄の小僧に、最近その無駄な防御力がパーティーにまったく役立ってない娘よ! 今日はどのような用件で?」
相変わらず欠片も似合わないピンクのエプロンで出迎えたのはウィズ魔道具店の店員であるバニルだった。
少しして店の奥からウィズが現れていつも通りに挨拶する。
「あー、スズハの奴、この店に来てないか?」
「スズハさんですか? 今日はお見えになってませんが……」
まぁ、そうだろうな、と思う。
もしもスズハがここに居るなら、ウィズがこんなにも普通に挨拶出来る訳がない。
となると、当初の予定通りバニルに訊く事にする。
しかし、質問する前にバニルがにやにやとした顔でこちらを察してきた。
「ふむふむ。いつも馬車馬の如くこき使っている小娘に休暇を与えようとしたら、いきなり階段から落とされた、と。いやー難儀難儀」
「おい。まるで俺達がスズハを奴隷扱いしてる言い方はやめろ」
「ハッハッハッ! あの屋敷を幼い少女1人に管理させて何を言うか! しかも、子育てまで有るのだぞ? 普通ならとっくに出て行っておるわ!」
「くっ!」
なまじ言い返す材料が少ないため、カズマは悔しそうに黙る。
「それにしても、仮面が剥がれるのは思った以上に遅かったな。吾輩の見通しを狂わせるとは、とことん我慢が好きな娘よ」
「……まるで今回の事が分かってたみたいな言い方だな?」
「以前、貴様には忠告してやった筈だが?」
「…………あっ!?」
すっかり忘れていたカズマは、声を漏らす。
その様子にバニルはやれやれと拭いていたポーションの瓶を置く。
「あの娘の居場所を知りたいのであれば、教えてやらんでもない。しかし、会ってどうするつもりだ?」
「どうするって、そりゃあ……」
話をして連れ戻す。
それ以外にあるのだろうか?
「今不用意にあの娘に近づいても、余計に怯えさせるだけだろう。そもそも何故、あの娘の様子がおかしかったのか。それを理解しなければ、心の傷を深めさせる結果になりかねん」
「原因……って言われてもなぁ……」
ボリボリと困った様子で頭を掻くカズマ。
スズハの様子がおかしい事すら気付かなかったのに、その原因を察しろと言われても困る。
ダクネスも、押し黙って考えている。
そこでバニルが拭いていたポーションを見せてきた。
「ちなみに、このポーションは先日紅魔の里に訪れた際に、そこの貧乏店主が仕入れた、モンスターを寄せ付けなくなる代わりに、体臭が公害レベルに変化する魔法具だ。1箱くらいどうだ! 今なら、特別に我輩のアドバイスも付けてやろう」
「バニルさん!」
ニッと意地悪く口元を歪めるバニルにウィズが咎めるように名前を呼ぶ。
「……箱なら後で屋敷に送ってくれ。送料もこっち持ちでいい」
ポーションなら後でアクアに水に変えさせようと心に決めるカズマ。
「毎度あり! 貧乏店主よ、久々に肉を食わせてやろう!」
「こ、こんな形でお売りするのは……でもお肉……たんぱく質……うぅ……」
結局、肉の誘惑に勝てずに押し黙るウィズ。
さて、と作業しながらバニルが話し始める。
「そもそも、あの娘はな、お前達とは別の方向に頭のおかしい娘だぞ。十そこそこの娘が子を抱え、文句も言わずにお前達の世話をする。そんな都合の良い娘が居ると思うか?」
「それは……」
言われて見れば、そうかもしれない。
いや、気になっていたが、まぁ、スズハだし、といつの間にかその違和感が消えていた。
「あの娘はな、生まれた時から"完璧"を求められていたのだ。そして本来ならどこかで躓くところをあの娘は難なくこなし、親の期待に応えてきた。運の悪いことにな」
「運の悪い?」
ダクネスが首を傾げる。
それは純粋にスゴいと思うし、親の期待に期待に応え続けてきたのなら、それは褒められる事ではないのか?
「度を越しているのだ。どこかで失敗すれば、親も1人の人間だと気付き、対応も変わったのだろうが、あまりにも理想的に自分達の教育を守り、育っていく娘に、親は更なる期待と重圧をかけてくる。そして、いつか、失敗や過ちは許されなくなる」
期待に応えすぎたが故に失敗する事の方がおかしいと思われるようになり、子供には重すぎる期待に応え続けなければならなくなった。質の悪いことに、本人もそれを普通と捉えたまま。
「そして、あの娘は────あぁ、お前達も知っているだろう? あの下半身に脳が詰まった男に襲われて子を宿した事だ。それが原因で、あの娘は両親から見限られた」
以前、スズハは父の事を軽い調子で話していた。だから、カズマ達も必要以上に重くは捉えなかった。
バニルの話を聞きながらダクネスは眉間に皺を寄せる。
「だから、あの娘はこう思ったのだ。完璧でない自分は、誰からも受け入れてもらえない。そうでなくなれば、自分は捨てられてしまうと思っている。お前達とて、出会った当初にあの娘がわがままばかり言う迷惑な性格なら、同居など出来なかったであろう?」
「そりゃあ、まぁ……」
あの時は多額の借金もあった事から、屋敷の管理をしてくれるスズハには大分助けられた。
元々パーティーメンバー自体が、我を通すというか、問題児だらけな事もあり、スズハまでそうなら一度くらい追い出そうとしたかもしれない。
「あの赤子に関しても、慈しむ、と言うには些か語弊がある。あれはただ、自分が思い描く理想の母親を演じているだけだ。親としての愛情と言うよりは、産んだ責任として面倒を見ている節がある。それで、あそこまで尽くせるのは称賛に値するがな」
バニルの言葉にダクネスが不快そうに質問する。
「……スズハがヒナを愛してないと?」
「まさか。愛情は有るだろうよ。しかし、責任感の方が勝っている、というだけだ。それが悪い事でもあるまい? 少なくとも、面倒を見れないからと身勝手に我が子を捨てる大人とて居る。例え愛情ではなく責任感から来る感情で、理想の母親という演技だったとしても、あれはそれに命を懸けるだろう。それがあの娘の信じる”母親”だからな」
それは既に証明されており、スズハは紅魔の里で自分の命よりもヒナの命を優先した。
「だが、それは同時にあの娘の子供の部分を圧迫する行為だ。母親であればあるほど。お前たちに都合の良い人間で在り続ける程に、あの娘の子供の部分を圧し殺さなければならない。子供としてのワガママややりたいことを削って周りに尽くし続けるのはさぞやストレスだっただろうよ。本人は認めないだろうがな」
やれやれと言った表情で首を小さく左右に振るバニル。
「そんな生活を続けていれば、あの娘に余裕が失くなっていくのは当たり前だ。それが今回、奴の仮面が剥がれ欠けている原因だろう。今まで耐えられていたことが取り繕えず、犯さない筈の失敗をする」
「仮面……」
「そうだ。簡単に言って、男性が恐い、と嫌われて捨てられるのが嫌だ、だ」
バニルの言葉にダクネスが疑問に思う。
「前者は分かるが、後者は?」
「さっきも言っただろう? 完璧でない自分は受け入れてもらえないと。今回、そこの小賢しい小僧に怪我をさせたことは、あの娘からすれば絶対に許されない失敗だろう。それで嫌われ、捨てられることを恐れている。謝罪の1つでもすれば事が収まるのに、失敗を知らんあの小娘は自分の許容を越えた事態に、混乱して逃げ回っておるのだ」
そういうところは子供だな、と嘲笑する。
話を聞いて、カズマは段々と苛立ってきた。
バニルの言う事が本当なら、何故スズハはそんなにも────。
「我輩が言えるのはここまでだ。娘の居場所を知りたいなら、この店を出れば、道案内が現れるだろう。精々、小綺麗な嘘など吐かずに、本音を言ってやれ。そうすればそう悪いことにはなるまい。むしろ傷つけないように嘘など言おう物なら、察しの良いあの娘だ。本当に貴様らの下を去るだろう。幸いにもそれなりの貯金もあるだろうしな」
それだけ言うと、もう買うものがないなら出ていけと追い出される。
店の扉を閉められると、カズマとダクネスは顔を見合わせた。
「それで、これからどうする」
「案内って言われてもなぁ……」
途方に暮れそうになると、見覚えのあるオレンジ色のトカゲがこっちを見ていた。
「ヒト◯ゲ!」
「
この街であの精霊を所有している者は1人しか居ない。
心なしか、火の点いた尻尾が付いてこい誘っている気がした。
「あいつ、スズハのところに案内してくれるのか?」
「そう、なんじゃねぇのか!?」
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