突然の異世界
いつもと違う転移の感覚に目を開けたわたしの前に広がっていたのは、緑豊かな草原と遠くに見えるお城のような建物だった。
わたしたちの近くには黒いマントをつけた赤い髪の女性がいる。服装は白いブラウスにグレーのプリーツスカート。少し離れたところには同じような服装の少年少女が人垣をなしている。
わたしは貴族院で四年生として学ぶため、中央の貴族院に繋がる転移陣に乗ったはずだ。けれど、ここは貴族院ではない。
黒いマントは中央の証だけれど、女性の着ているスカートは膝丈からそれよりも短いもので、これはわたしのいたユルゲンシュミットでは有り得ない服装だ。
ユルゲンシュミットでスカート丈が膝までなのは、十歳までだ。その後は脛丈に代わり、十五歳になり成人式を迎えると足首も見えなくなる。人垣を作る男女は、すでに成人を迎えていそうに見える。成長が少し早いにしても十歳以下というのは有り得ない。成人女性が膝を出していれば、ユルゲンシュミットでは狂人か最貧民と思われても仕方がない。仮に成人前だとしても十分に破廉恥と言われる服装だ。
一方で男女は全員がシュタープを持っている。それは狂人や貧民ではなく、貴族階級であることを示している。
もう一つ、おかしな点として緑豊かな草原がある。冬の貴族院は一面が雪に覆われているはずだ。今の光景は春か夏にしか見えない。
「ローゼマイン様」
リーゼレータがシュタープを出しながら僅かにわたしの前に出る。リーゼレータは側仕えではあるが、同時にわたしが絡んだ貴族院のごたごたに多く同席しているため、今回のような事態では反射的にシュタープを出して備えられるように訓練されている。
状況から見れば、今は完全に誘拐。リーゼレータの反応は分かる。けれど、どうも誘拐犯疑惑の男女の方も困惑しているように見えるのだ。となると、転移陣の事故か。
わたしはリーゼレータを手で制して前に出ると、わたしたちの前にいた赤髪の女性の前で笑顔を浮かべた後、立ったまま両手を胸の前で交差させる。
「お初にお目にかかります。ローゼマインと申します。命の神、エーヴィリーベの厳しき選別を受けた類稀なる出会いに、祝福を祈ることをお許しください」
この挨拶は本来なら身分が下の者から行うものだ。領主候補生であるわたしより上の身分の相手はほとんどいない。けれど、服装と季節感から考えて、ここはユルゲンシュミットではない可能性が高い気がする。だから、上下関係を誤解させる跪きはしないで、お決まりの挨拶の言葉だけを並べる。
「えっ……あっ……はい」
「命の神、エーヴィリーベの祝福を」
一般的な挨拶に返答ができない様子に、やはりここはユルゲンシュミットではないという確信を持つ。指輪に魔力を込めて祝福を送ると、女性は驚いたような表情を見せる。
「こちらはわたくしの側仕えのリーゼレータ。以後、よろしくお願いいたします」
「私はキュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーです」
「キュルケ様……でよろしいのかしら? こちらはユルゲンシュミットではないようですけれど、どこなのでしょう?」
「ここはトリステイン王国のトリステイン魔法学院です」
聞いたことのない国だ。といっても、国境門の開閉ができない今のユルゲンシュミットが交流を持つ外国はランツェナーヴェだけで、他に私が知っているのは歴史書の中に出てきたボースガイツくらいなのだけど。
「わたくしが聞いたことのない国ですね。キュルケ様はユルゲンシュミットという国をご存知でしょうか?」
「いえ、私も知りません」
互いに聞いたことのない国なら、少なくとも誘拐ではないのだろう。
「では、キュルケ様はわたくしがどうしてここにいるのか、ご存知かしら?」
言うと、キュルケがびくりと身体を震わせた。どうやら、心当たりがあるらしい。
「ミス・ツェルプストー!」
相手に非があるのならと追求しようとしたところで、人垣の中から声が聞こえた。人垣が割れて、中年の男性が現れる。キュルケが魔法学院と言ったことを考えると、ここにも教師がいるはずだ。年齢から考えて、彼が教師だろう。
「ミスタ・コルベール!」
キュルケが呼んだことで教師の名がコルベールだと分かった。コルベールが近づいてきたところで、わたしは今度は跪いた状態で両手を胸の前で交差させて挨拶の口上を述べて、祝福を送る。
「ご丁寧にありがとうございます。この学院で教師を務めているジャン・コルベールです。ところでミス・ローゼマインは家名はお持ちですか?」
「家名ですか? 家名でしたらエーレンフェストとなります」
「では、ミス・エーレンフェストとお呼びしましょうか?」
「いいえ、ユルゲンシュミットでは家名で呼び合う習慣がないのです。正確には家名で呼んでよいのが明らかな目下のみですので、皆が避けているのです」
「では、ミス・ローゼマインと呼ばせていただきます」
トリステインという国に合わせることも考えたが、呼ばれ慣れた名前で呼んでもらうことにした。
「それで、ミス・ローゼマインはユルゲンシュミットという国の貴族なのでしょうか?」
「ええ、そうです。わたくしが上級貴族、こちらのリーゼレータが中級貴族です」
本当は領主候補生なのだが、わたしは嘘をついた。相手がわたしをどう扱うか分からないのに、ありのままを言うのは危険だと考えたのだ。身分が高すぎても危険だが、貴族の側仕えを連れていることからあまり低くはできない。そう考えた結果が上級貴族だった。
「やはりそちらの従者の女性も貴族なのですか?」
「上級貴族の側仕えが貴族以外なのですか?」
「あの、ミスタ・コルベール」
わたしたちが話に入ってきたのは、コルベールが出てきてからは一歩引いて待っていたキュルケだった。
「あたしの『使い魔』召喚はどうなるのでしょうか?」
「いくら神聖な儀式とはいえ、さすがに他国の高位の貴族を使い魔にするわけにはいかないでしょう。ミス・ツェルプストーの使い魔召喚についてはオールド・オスマンに相談することにしよう」
そう言ったコルベールが他の生徒たちを見回して声を張り上げた。
「今日の使い魔召喚の儀式は中止とする。まだ召喚を行っていない生徒は後日、儀式を行うことにするので今日は教室に戻りなさい」
コルベールが言うと、生徒たちが宙に浮き始めた。騎獣もなしに飛んでいるのを見てわたしは驚いて行方を見守ってしまう。
「ミス・ローゼマインは私と一緒に学院長室までお願い……どうなさいました?」
「こちらの魔術には、あのように空を飛ぶものがあるのですね」
「ミス・ローゼマインの国にはなかったのですか?」
「ありますが、方法が全く違うのです。見せた方が早いですね」
わたしが腰のベルトに付けた魔石に魔力を注ぎレッサーくんを出現させる。先ほどとは逆にコルベールが目を見開いていた。
「わたくしたちはこのように自分の魔力で染めた魔石を使った騎獣で空を飛びます」
「これは、何とも興味深いものですね」
しげしげと見つめるコルベールは、どこかドレヴァンヒェルのグンドルフ先生を彷彿とさせる。
「ミスタ・コルベールはもしかして研究がお好きなのですか?」
「え? はい、恥ずかしながら」
「恥ずかしがる必要などないと思いますよ。わたくしの師も研究が趣味でしたし、わたくしも研究は好んでおりますよ」
わたしの好む研究は図書館に関わるものに限定させるんだけどね。
「研究の話は後の楽しみとして、まずは学院長室に向かいませんこと?」
そんな心の声を隠して問いかけると、コルベールは慌てて案内を始める。わたしは騎獣にリーゼレータを同乗させて、コルベールの後を追う。
城のような学院に向かって飛ぶ途中、一人だけ徒歩で学院に向かっている桃色がかったブロンドの髪の生徒が見えた。
なんで一人だけ歩いているんだろう。そう思いながらもわたしは真っ直ぐにコルベールの後を追った。
家名で呼び合わないという部分は捏造です。
原作では聖女の儀式以外で呼ばれた記憶がなかったので。