ハルケギニアにおいての虚無の曜日は日本の日曜日、ユルゲンシュミットの土の日に該当する。つまりは休日だ。
わたしは護衛騎士と文官全員、加えてリーゼレータを連れてトリステインの城下町に赴いている。ちなみにグレーティアだけ留守番となったのは、今のわたしに不足している下着やらを作るためということだった。リーゼレータが同行しているのはトリステインで昼食を取る予定だからだ。
わたしたちの騎獣はハルケギニアでは目立つようなので、側近たちは町の手前で騎獣を降り、徒歩でトリステインへと向かう。わたしだけは体力に不安があるので地上を一人用の騎獣で移動だ。
「今日は町の中を見て回るだけということでよろしいのですか?」
「ええ、基本的にはそのつもりです。まずはハルケギニアで何が価値が高いのかを把握しなければ、お金を稼ぐにも適切な方法が分かりませんから」
聞いてきたハルトムートに答えながら、わたしはクラリッサに預けている財布の中身を思い浮かべた。財布の中にはひとまずということでオスマンから渡された新金貨二百枚が入っている。けれど、今のわたしには、それがどのくらいの価値かすら分からないのだ。
「それにしても、カードが使えないというのは不便ですね」
クラリッサが言ったカードとは持ち主の魔力が登録された魔術具だ。決済機能もあるためにユルゲンシュミットでは基本的に現金を大量に持ち歩くということがないし、魔力登録がされているため他人が使うこともできない。ハルケギニアには小切手があるようだが、今のわたしたちには危険すぎる代物だ。
ともかく、そういうわけで財布を持って歩いているわけだが、元より財布に気を付けるという経験がないため、意識はどうしても薄くなってしまう。もっともクラリッサは護衛についての知識があり、自分に向かってくる敵への警戒心は高い。そのため、財布に対するという意味での意識はなくとも強盗やスリの類に対する備えは万全だ。警戒心が薄いと言われているわたしが持つより安心だろう。
トリステインの町はエーレンフェストにも似た白い石造りの町並みだった。違いとしてはエーレンフェストのように石造りの建物の上に木造の建て増しがされておらず、全体的にすっきりしているところだろうか。そんな街中の幅が五メートルほどの道端では、果物や肉を売る商人たちの姿があり、声を張り上げて町を歩く色々な人に声をかけている。
「狭いですね」
エーレンフェストの貴族街はそもそも人が歩いているということがない。貴族街で暮らしていたローデリヒには初めて味わう光景だろう。
「人は多いですが、思ったより綺麗に整えられていますね」
一方、土地持ちであるギーベの子であるマティアスとラウレンツは道幅や状況に関しては耐性があるようだが、警護の面でも大勢の平民の中を歩くというのは抵抗があるようだ。ぴりぴりした雰囲気の二人を見て町を歩く人たちの方が道を空けてくれている。
わたしは心の中で通行人に謝罪しながら、優雅に歩を進める。場所が場所だけに、完全に周囲から浮いているが、側近たちの手前、やめるわけにはいかないのだ。
「道の端で売られているものの値段も重要な材料です。記録をしておいてくださいませ」
「平民が使う物の値段を記録して、何か参考になるのですか?」
「ローデリヒ、わたくしたちが使う物は平民が使う物と品質は違いますが、物自体は同じという物もたくさんあるのですよ。今のわたくしたちはハルケギニアの上級貴族の使う物の値段は調べられませんが、下町の中で貧民が使う物、普通の平民が使う物、富豪が使う物、それらの値段から推測することは可能です」
わたしが説明すると、ローデリヒは納得したようで、主要な商品の値段の記録を始める。それにしても店の品揃え自体はエーレンフェストより格段に上のように見える。領主の養女となってからはギルベルタ商会の方が商品を持ち込んでくるため、わたしの記憶は神殿時代で止まっている。けれど、交易が活発になった分の増加を見越しても商業力では負けていると見た方がいいだろう。
めぼしい商品と値段について文官たちに記録をさせながら大通りを歩く。すると、不意に懐かしいものが目に入った。
それは、ユルゲンシュミットにはないが、日本では普通だったドロワーズではない下着、いわゆるパンツだ。さすがに領主候補生となって長いのでドロワーズにも慣れたけど、慣れで言えば日本で二十年以上に渡って身に着けたものだし、何より見た目がかわいい。
けれど、わたしの下着は学院に残ったグレーティアが、まさに作っている最中だ。ここで別の下着を買って帰っては、いかに形状が大きく違うとは言ってもグレーティアの腕に不安を持っていて、任せられないと思ったからであると誤認させてしまうだろう。
ただでさえ慣れぬ異世界で側仕えもいない不自由を強いている側近たちに、余計な心労まで負わせることはできない。わたしが泣く泣く下着の購入を見送り歩いていると、今度は見知った顔を見つけた。
「キュルケもトリステインに来ていたのですね」
「え、ローゼマイン? タバサ!」
「サイレント」
キュルケの隣にいた青みがかった髪と、ブルーの瞳の小柄な少女が自分よりも大きな杖を振ると、キュルケの声が聞こえなくなる。最初は盗聴防止の魔術具かと思ったが、範囲内では誰も声が聞こえなくなるようだ。これでは密談には使えない。キュルケに手を引かれて少し離れたところで青髪の少女は魔法を解いた。
「どうして声を発せなくしたのですか?」
「今、ルイズとサイトの後をつけているのよ」
「どうしてお二人の後をつけているのです?」
「あたしね、恋したの!」
堂々と言い切ったキュルケに、わたしは呆然とするしかない。
「サイトがギーシュを倒したときの姿、かっこよかったわ。まるで伝説のイーヴァルティの勇者みたいだったわ! あたしね、それを見て痺れたのよ。信じられる! 痺れたのよ! 情熱! あああ、情熱だわ!」
「え……サイトでそれでしたら、ラウレンツはどうなるのです?」
「もちろん、ラウレンツには最初に声をかけたわ。けれど、ラウレンツはあたしにまるで興味を示さない様子だったから諦めたの」
興味を示さないどころか、物語中にキスが出ただけで官能小説扱いされるほど慎み深いユルゲンシュミットの貴族にキュルケのアプローチの仕方では、さぞかしドン引きされたことだろう。現に今現在、わたし以外の全員がキュルケを蔑んだ目で見ている。
神様表現満載で何が言いたいのか分からないユルゲンシュミット式も困るけど、情熱的すぎるキュルケにも困る。日本にいた頃のわたしは浮いた話なんてまったくなかったのだ。キュルケに対してどういう言葉を返せばいいのかなんて分かるはずがない。
「そちらの女性は教室で見たことがございますけど、キュルケのお友達なのですか?」
これ以上、キュルケに喋らせるのは拙いと考えたわたしは話題を変えることにした。
「ええ、彼女はタバサ。若く見えるけど十五歳なの」
「まあ、そうなのですか。わたくしも、年齢より幼く見られてしまうので、ミス・タバサには親近感が湧きますね」
タバサの身長は百四十センチほどだ。わたしほどではないが、だいたい二歳くらいは幼く見られそうだ。
「ところで、ルイズから目を離してしまっているようですけど、大丈夫なのですか?」
「心配ないわ。タバサの使い魔が見張ってるから」
「もしかして、上空で旋回を続けている生き物がそうなのですか?」
聞いたのはマティアスだ。野生の生き物にしては同じところをぐるぐると飛んでいて不審に思っていたらしい。
「そう、名前はシルフィード」
タバサの使い魔のシルフィードはウィンドドラゴンという種族の幼生らしい。ドラゴンまで出てくるなんて、ユルゲンシュミットとは種類が違うけど、やっぱりファンタジー世界だとつくづく思う。
「そういえばタバサ、今はサイトたちはどこにいるの?」
「少し前に武器屋に入った」
「ゼロのルイズったら……、剣なんか買って気を引こうとしちゃって……。あたしが狙ってるってわかったら、早速プレゼント攻撃? なんなのよ!」
キュルケが地団太を踏んでいる。一方のタバサはそんなキュルケを無視して本を開いた。大事なことなので、もう一度、確認する。タバサは本を開いて読み始めている。
「ミス・タバサ。それは本で間違いありませんよね!」
「そう」
「素晴らしいです。神に祈りを!」
本を持ち歩いて暇があれば読み始めるというのは、まごうことなき本好きだ。わたしが思わず両手を大きく広げ、左ひざを上げ、天を仰ぎ見る祈りの姿勢を取ってしまう。その瞬間、どばっと祝福の光が溢れた。
周辺がざわざわとし始めるのが分かる。一方のわたしはだらだらと背中に冷や汗をかく。わたしの歓喜と共に溢れ出る祝福の光はユルゲンシュミットにおいても異質だった。いわんやハルケギニアでは。
「ちょ、ちょっと、行くわよ。ローゼマイン」
「はい」
キュルケに導かれ、とりあえずルイズたちが入ったという武器屋に逃げ込むことにした。別にわたしは武器屋に興味はないのだけど、初めての場所でどこに行けばよいか思い浮かばなかったのだ。
とにかく身を隠せるところに向かって、始めの少しだけは自力で、少し後にはクラリッサに抱えられて走る。とりあえず祝福の光を溢れさせないように抑える方法と共に体力の向上もしないと駄目っぽいというのは分かった。
「おや! 今日はどうかしてる! また貴族だ……ってどうかしましたか?」
ハアハアと肩で息をしている貴族の大集団を見た店主が目を白黒させている。ちなみにルイズたちはすでに退店していたようで姿はない。
「ねえご主人、先程の貴族が何を買っていったかご存知?」
気を取り直してキュルケが尋ねる。
「へ、へえ。剣でさ。ボロボロの大剣を一振りです。へえ」
「ボロボロ? どうして?」
「あいにく、持ち合わせが足りなかったようで。へえ」
その説明にキュルケは大声で笑うと、今度は自分に剣を見繕うよう店主に依頼する。その光景は完全に購入を決めている者の仕草で、キュルケの駆け引きの下手さにわたしは少しだけ眉をひそめてしまう。
もみ手をしながら奥に消えた主人が持ってきたのは、ところどころに宝石が散りばめられた、鏡のように刀身が光る両刃の大剣だった。
「あら。綺麗な剣じゃない」
キュルケはまず煌びやかな見た目が気に入ったようだ。
「さすがお目が高くていらっしゃる。この剣は、先ほどの貴族のお連れ様が欲しがっていたものでさ。しかし、お値段の加減が釣り合いませんで。へえ」
「ほんと?」
「さようで。何せこいつを鍛えたのは、かの高名なゲルマニアの錬金魔術師シュペー卿で。魔法がかかってるから鉄だって一刀両断でさ。ごらんなさい、ここにその名が刻まれているでしょう?」
その話を聞いて、わたしは密かに疑問に思う。名が刻まれていたとしても、実際に名を刻まれた者が鍛えたとは限らない。高名であれば高名であるほど贋作というものは出回るものだからだ。
「おいくら?」
キュルケはすっかり買うつもりになっているようだ。これは良くない。
「へえ。エキュー金貨で三千。新金貨で四千五百」
「ちょっと高くない?」
「へえ、名剣は、釣り合う黄金を要求するもんでさ」
しかも、かなりの高値を吹っかけられているものとみた。
「その剣、わたくしにも見せてくださいませ」
「……お嬢様が持つのは難しいと思いますぜ」
「わたくしではなく、わたくしの護衛騎士が持つので問題ございません。ラウレンツ」
「はっ!」
ラウレンツが捧げるように持った剣に向けてわたしは薄く魔力を流し込んでみる。染めるためでなく、剣に込められた魔力を測るためなので、加減を間違えないように。そうして得られた結果はというと、あまり良いものではなかった。
「こちらは、本当に魔剣なのですか?」
「な……何をおっしゃられますので!?」
「わたくし、この剣からは魔力を感じることができないのですけど?」
「私にも試させてください」
そう言ったのはハルトムートだ。優秀な文官であるハルトムートは素材の魔力を感じ取ることも得意なのだ。
「確かに、この剣からは魔力を感じません」
ハルトムートが断言したことでマティアスとラウレンツの表情が厳しくなった。
「其方、これはどういうことだ?」
シュタープを剣に変形させ、喉元に突き付けながらのマティアスの問いに店主は震えあがっている。貴族を騙したとなれば、ただでは済まないだろう。わたしは慌てて取り成すために前に出る。
「マティアス、この店主は平民です。おそらく魔力を感知できなかったのでしょう。それよりも先程の平民が扱いやすい手ごろな剣を見繕ってくださいませ」
「へ、へえ。こちらなどいかがでしょう」
そう言って店主が持ってきたのは、かなり細身の剣だった。
「もういいです。ラウレンツ、見繕ってくださいませ」
ラウレンツは平賀がもっと丈夫な剣を振っていたのを見ている。ラウレンツは平賀が素人であることを知っているので、ギーシュが渡した剣に似た形状だが、まずは訓練用の剣を見繕ってくれた。
「キュルケ、今のサイトに必要なのはまずは基礎用の道具です。良い剣は筋力を付け、自分に最適な剣が分かった時点で買い求めれば良いのです。まずは見習いに必要な道具を買い与えることが大切だと思いますよ」
「分かったわ、ローゼマイン。貴女が言うのなら、そうなのでしょうね。こちらをいただくことにするわ」
「へ、へえ。ご迷惑をお掛けしたお詫びです。そちらはお持ちください」
「あら、じゃあ、いただいていくことにするわ」
タダで、ということには抵抗を感じたが、一方で側近たちは貴族相手に贋作を高値で売ろうとしたことに怒り心頭の様子だ。これぐらいが落としどころかもしれない。
こうしてわたしの初トリステイン訪問は武器屋から剣一振りを奪うことを最大の成果として終わりを迎えた。
トリステインで本屋は見つけていません。
初のトリステインということでただでさえ長いのに、この上に本屋でのあれこれを書き始めると前後半に分けなければいけなくなりますから。