トリステインには『土くれ』の二つ名で呼ばれ、国中の貴族を恐怖に陥れているメイジの盗賊がいた。土くれのフーケである。
フーケの盗み方は、繊細に屋敷に忍び込んだかと思えば、別荘を粉々に破壊して、大胆に盗み出したり、白昼堂々王立銀行を襲ったと思えば、夜陰に乗じて邸宅に侵入する。
神出鬼没の大怪盗。メイジの大怪盗。それが土くれのフーケだ。
フーケの行動パターンが読めず、トリステインの治安を預かる王室衛士隊の魔法衛士たちも、振り回されている。
しかし、盗みの方法には共通する点があった。フーケは狙った獲物が隠されているところに忍び込むときには、主に『錬金』の魔法を使う。『錬金』の呪文で扉や壁を粘土や砂に変えて、穴を空けて潜り込む。
貴族だってバカではないから当然対策は練っている。屋敷の壁やドアは、強力なメイジに頼んでかけられた『固定化』の魔法で『錬金』の魔法から守られている。しかし、フーケの『錬金』は強力で、大抵の場合、『固定化』の呪文などものともせず、ただの土くれに壁や扉を変えてしまうのだ。
『土くれ』は、そんな盗みの技からつけられた、二つ名なのだ。
忍び込むばかりでない。時には力任せに屋敷を破壊することもある。そんなときには巨大な土ゴーレムを使う。その身の丈はおよそ三十メイル。
そんな土くれのフーケの正体を見たものはいない。男か、女かもわかっていない。ただわかっていることは、おそらくトライアングルクラスの『土』系統のメイジであること。
そして、犯行現場の壁に『秘蔵の○○、確かに領収いたしました。土くれのフーケ』と、ふざけたサインを残していくこと。いわゆるマジックアイテム、強力な魔法が付与された数々の高名なお宝がフーケは何より好きなのだ。
そんなフーケは、巨大な二つの月に照らされた魔法学院の本塔の外壁にいた。フーケがいる壁の向こう、本塔の五階に魔法学院の宝物庫はある。
「さすがは魔法学院の本塔の壁ね……。物理攻撃が弱点? こんなに厚かったら、ちょとやそっとの魔法じゃどうしようもないじゃないの!」
『土』系統のエキスパートとして足の裏で測った壁の厚さはフーケの巨大ゴーレムの力でも壊せそうにないものだった。
「やっとここまで来たってのに『破壊の杖』を諦めるわけにゃあ、いかないね……」
珍しいマジックアイテムというだけなら、ローゼマインという異国の少女が持っていると思われる数々の品も魅力的ではある。特にオスマンが譲り受けたオルドナンツという品はフーケにとっても魅力的な品だ。
だがローゼマインが持つ品は、彼女の国では一般的なマジックアイテムの様子で、実際、彼女の側近たちは日常的にそれらの品を使っている。フーケは怪盗なのであり、貿易商ではないのだ。それがどんなに便利なものであっても、異国では価値は低いが、トリステインでは価値の高いものを集めて喜ぶような癖はない。
いかに品自体は魅力的でも、それではフーケの獲物としては不十分だ。やはり、初志貫徹で『破壊の杖』を狙うべきだろう。もっとも、ローゼマインの周辺は魔法学院の宝物庫よりも厳重な警戒がなされており、そもそも近づけないということもあるが。
そんなことを考えていると、誰かが近づく気配を感じた。壁を蹴り、すぐに地面に飛び降りる。地面にぶつかる瞬間、『レビテーション』を唱え、回転して勢いを殺し、羽毛のように着地する。それからすぐに中庭の植え込みに姿を隠した。
やってきたのは学院内でも有名人であるキュルケとルイズ。それにタバサとルイズの使い魔の少年。加えてローゼマイン一行だった。
植え込みの中から聞き耳を立てていると、どうやらキュルケとルイズが使い魔の少年に剣を贈り、そのどちらを使ってもらうのかで争っているようだった。実にくだらない。早く立ち去りたい気分になったが、ローゼマインの護衛騎士という少年二人は油断なく周囲を見張っており、迂闊に動くと見つかってしまいそうだ。
言い争いを続けたキュルケとルイズは、そのうちに何か解決策に至ったらしく使い魔の少年を本塔の上からロープで吊るし始めた。キュルケとルイズとローゼマインたちは地面に残り、タバサがウィンドドラゴンに跨り本塔の屋上に向かう。
「いいこと? ヴァリエール。あのロープを切って、サイトを地面に落としたほうが勝ちよ。勝った方の剣をサイトは使う。いいわね?」
どうやら二人は妙な競技の勝敗で、どちらの剣を使うかを決めることにしたようだ。先攻はルイズで、そのルイズは『ファイヤーボール』の呪文を唱えた。
その次の瞬間、宝物庫辺りの壁が爆発した。壁には大きなヒビが入っている。
あんな風にモノが爆発する呪文なんて見たことがない。けれど、今はそれどころではない。このチャンスを逃してはいけない。
気になるのは実力が未知数のローゼマインとその側近たちがいることだ。けれど、フーケは自分の土ゴーレムに自信を持っている。少しの逡巡の後、行動に移すことにした。
キュルケが『ファイヤーボール』を唱えてロープを燃やし尽くし、屋上にいたタバサが少年を『レビテーション』で受け止めていたが、そんなことは知ったことではない。長い詠唱を完成させて、地面に向けて杖を振る。
作り出したのは巨大な土ゴーレムだ。それを一直線に宝物庫に向けて進ませる。
「ローゼマイン様!」
ローゼマインの護衛騎士のマティアスが即座に警告の声を発し、それでゴーレムに気づいたキュルケが悲鳴を上げて逃げ出した。一方、ルイズは使い魔の少年の身体に巻き付いたままのロープを懸命に解こうとしている。
ここは強力なメイジが多数いるトリステイン魔法学院だ。時間をかけて教師たちに気づかれれば、いくらフーケでも危険だ。可哀想だが、構わずゴーレムを前進させる。そのときローゼマインが聞いたことのない呪文を詠唱しているのに気が付いた。気にはなるが、今のフーケには構わず前に進むくらいしかできない。
「守りを司る風の女神シュツェーリアよ。側に仕える眷属たる十二の女神よ。我の祈りを聞き届け、聖なる力を与え給え。害意持つものを近付けぬ風の盾を、我が手に」
フーケのゴーレムがルイズたちを踏み潰すより早く、ローゼマインの呪文の詠唱が完了した。ルイズとその使い魔の少年は黄色に透き通った半球状の幕の中にいる。その幕に触れた瞬間、フーケのゴーレムは強風に煽られて転倒した。
フーケのゴーレムは三十メイルを超える巨体だ。その足を受け止めるだけでも驚異的なのに、吹き飛ばして転倒させられるとは思ってもみなかった。驚愕しながらもゴーレムを再び立ち上がらせる。
あの黄色い幕は強力な防御魔法のようだ。それなら触れなければいいのだ。フーケの今回の狙いは宝物庫の破壊の杖だ。最短だから踏み潰そうとしただけで、絶対に踏み潰さなければならないわけではない。
頭からすっぽりと覆う黒いローブを頼みに、逃げ惑うキュルケや、ウィンドドラゴンで上空を舞うタバサ、ローゼマインの魔法の中で呆然としているルイズたちを無視して本塔に向かう。そうしてヒビが入った壁に土ゴーレムの拳を打ち下ろす。
インパクトの瞬間にゴーレムの拳を鉄に変えると、壁に拳がめり込んだ。バカッと鈍い音がして、壁が崩れる。黒いローブの下で、フーケは微笑んだ。
フーケは土ゴーレムの腕を伝い、壁にあいた穴から宝物庫の中に入り込んだ。
中には様々な宝物があった。しかし、フーケの狙いはただ一つ、『破壊の杖』である。
『破壊の杖。持ち出し不可』と書かれたプレートがかけられた品を手に取る。その軽さに驚いたが、今は考えている暇はない。
ローゼマインも、その護衛騎士も実力は未知数。他にどんな力を隠し持っているか分からない。
『破壊の杖、確かに領収しました。土くれのフーケ』
お決まりの文字を壁に刻んだフーケは急いでゴーレムの肩に乗ると、城壁をひとまたぎで乗り越えて草原を進む。そこで土ゴーレムを崩し、降り注ぐ土の中に紛れてフーケはその姿を隠した。