ハルケギニアの商人聖女   作:孤藤海

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水の精霊

丘から見下ろすラグドリアン湖の青は眩しく、陽光を受けて、湖面がキラキラとガラスの粉をまいたように瞬いている。ラグドリアン湖が水の精霊の住む場所と聞いて、わたしが一番に思い浮かべたのはフォンテドルフ近くの女神の水浴場だ。さすがに、そこほど綺麗で神秘的な場所ではないけど、このラグドリアン湖も十分に美しい場所だ。

 

わたしたちがラグドリアン湖を訪れた目的は二つ。一つはタバサがガリア王家から命じられた任務である、周辺の水かさが増加した原因である水の精霊の退治。そして、もう一つがわたしがタバサの母親を助ける方法として示した、ユレーヴェを作るため『水の精霊の涙』という素材を得ることだ。

 

薬学に精通したフェルディナンドであれば、もっと効果的な解毒方法を知っているのかもしれないが、使われた毒が何なのか分からない状態では、手間はかかるけど、汎用的に使えるユレーヴェしか使えそうな物が思い浮かばなかったのだ。

 

水の精霊というものが、どういうものであるのか正確には分かっていない。この世界の人間であるキュルケとタバサもよく分かっていないようだ。けれど、わたしとしては、どうしても水の女神を連想してしまうので退治と言われると抵抗感がある。そのため、まずはわたしが水の精霊と交渉をしてみることにしたのだ。

 

「交渉と言っても、どのようになさるおつもりですか?」

 

そう言ってきたハルトムートにわたしが答えたのはフリュートレーネの夜と同じ行動。つまり女性だけで、おいしいお菓子をお供えし、音楽の奉納を行うということだ。それを聞いたときはキュルケとタバサだけでなく、側近たちまで微妙な顔をしていた。

 

今のわたしの側近たちの中にフリュートレーネの夜を経験した者はいない。あのときはフェルディナンドも非常識と言っていたのだから、今の側近の反応も理解はできる。けれど、どう言って止めようかと考えていることが、はっきりと伝わるのは少し悲しい。

 

討伐を依頼されるような存在に接近することに、最初は側近たちも難色を示した。けれど、実の親子のあのような悲しい接し方を、わたしは見ていることができなかったのだ。

 

そんな中でハルトムートだけは何が起こるのか楽しみにする気持ちと、女性のみという条件により自分は見られないことを残念に思う気持ちで葛藤していた。相変わらずといえば相変わらずだけど、ハルトムートのわたしへの信頼が強すぎて怖い。

 

ともかく、危険を訴えるマティアスとラウレンツを、何かがあればすぐにロートの魔術で救援を求めるからと説得して、わたしは湖畔に立った。立ち会うのを女性に限定したため、この場にいるのはわたしとキュルケ、タバサ、クラリッサ、リーゼレータとグレーティアの五人だけだ。まずはお菓子を湖畔に置き、わたしはいつの間にか馬車の中に積み込まれていたフェシュピールに似た楽器を構える。

 

「我は世界を創り給いし神々に祈りと感謝を捧げる者なり」

 

お決まりの祈りの言葉と共に、楽器を弾き鳴らしながら歌う。そもそもはハルトムートがフェシュピールに似た楽器があったと持ってきて、なんだかんだと言いくるめられて練習されられたものだが、こんなところで役立つとは思わなかった。

 

水の女神フリュートレーネに捧げる歌を奏でながら緑色の祝福の光を湖の中心に向けて広げていく。すると、わたしたちが立つ岸辺から三十メートルほど離れた水面の下が、眩いばかりに輝き始めた。

 

まるでそれ自体が意思を持つかのように、水面がうねうねとうごめいた。それからお餅が膨らむようにして、水面が盛り上がる。

 

どうでもいいけど、ユルゲンシュミットにはお米がなかったのでお餅もなかった。久しぶりに食べたいなと思ったのは内緒だ。

 

盛り上がった水は様々なかたちに変わっていたけれど、最終的に少し大きなわたしの姿になった。それはいいのだが、服を身につけていない。要するに裸だ。本当に男性の側近を連れてこなくてよかったと、心から思う。

 

「精霊様。どうしてわたくしの裸の姿で現れるのでしょうか?」

 

「些末なことに拘るな、単なる者は。我を呼んだのは貴様であろう」

 

「そうですが……それならば今のわたくしと同じ格好でよいではありませんか。そのお姿ですと、その……わたくしがたいへんに恥ずかしい思いをしてしまうのです」

 

「そのような複雑な造形を取るのは面倒だ」

 

確かにわたしの衣装は複雑な刺繍や細かな造形が多くて再現するのは大変かもしれないけど、それなら簡略化してでもいいので服は着てほしい。ユルゲンシュミットの神像はどれもきちんと服を着ているのだけど、ハルケギニアは違うのだろうか。それとも精霊は神様ともまた別物なのか。どちらにせよ、わたしにはいい迷惑だ。

 

「精霊様、御身がお手を広げておられることで、近隣の村の者は憂い、御身に捧げし供物が返らぬものかと願いを胸に抱いております。精霊様には、どうかフォルスエルンテの加護を村にもたらすためのお力添えをお願いしたいのです」

 

「何を言っているのか分からぬ」

 

そりゃそうか。ユルゲンシュミットの神様を出しても分かるわけないよね。じゃあ、どのように説明すればいいのだろうか。

 

「増水により周囲の村は家や畑を失い、困っているのです。どうか彼らが収穫の女神の祝福を感じられるよう、水を引いてほしいのです」

 

結局、わたしは率直に要求を伝えることにした。考えてみれば、ハルケギニアの住人たちはユルゲンシュミットのような回りくどい婉曲表現をあまり使っていない。精霊も人とは違うといえハルケギニアの住人だ。同じ文化なのかもしれない。

 

「数えるほどもおろかしいほど月が交差する時の間、我が守りし秘宝を、お前たちの同胞が盗んだのだ。我が水を増やすのは、水がすべてを覆い尽くすその暁には、我が体が秘宝のありかを知ることになるためだ」

 

増水が始まったのは二年くらい前からと聞いている。それでようやく近隣に被害が出始めた程度だ。ハルケギニア全土を水で覆うとなると、どのくらいかかるものかわからない。随分と気の長い話だけど、さすがは精霊。時間の感覚がわたしたちと違うのだろう。

 

「それならば、わたくしたちがその秘宝を取り戻せば、水を元の位置まで引いてくださいますか?」

 

「秘宝が戻るのならば、水を増やす必要もない」

 

わたしがタバサに視線を向けると、頷いた。水の精霊の討伐より、盗まれた秘宝の奪還を目的としてくれるという意思と解釈する。

 

「その秘宝とはどのようなものですか?」

 

「秘宝の名は『アンドバリ』の指輪。我が時を過ごした指輪。偽りの生命を死者に与える。死は我にはない概念ゆえ理解できぬが、死を免れぬお前たちにはなるほど『命』を与える力は魅力と思えるのかもしれぬ。しかしながら、『アンドバリ』の指輪がもたらすものは偽りの命。旧き水の力に過ぎぬ。所詮益にはならぬ」

 

「偽りの命とはいえ、死者が蘇るということですね。偽りの命を与えられた者は生前と同様に行動ができるのですか?」

 

「同様ではない。指輪を使った者に従うようになる」

 

「とんでもない指輪ね。死者を動かすなんて、趣味が悪いわね」

 

趣味が悪いでは済まされない。それは、殺した後に死者を動かせば、簡単に他人の地位を奪えるということだ。少しずつ上位の者を暗殺していくだけでも、あっという間に国王を傀儡にできてしまうだろう。指輪が奪われて、早二年が経過している。実はこの世界は、すでに何者かに操られているのではないだろうか。

 

「秘宝を盗み出したのは、どのような者たちですか?」

 

「我の住処にやってきたのは数個体。個体の一人が、『クロムウェル』と呼ばれていた」

 

「かしこまりました。アンドバリの指輪を取り戻すことができた暁には、かならずや御身にお返しします。御身がお手を広げ続けて喜ぶのは御身に仇なす者たちにございます。どうか御身のお手を元の位置まで戻していただけないでしょうか」

 

「分かった。水を引かせよう」

 

「ありがとう存じます」

 

正直に言って、手がかりが名前だけでは捜索は難しい。それにわたしが依頼に割ける時間も多くない。これは長期戦になると思っておいた方がいい。

 

「精霊様、もしよろしければ、御身の一部を賜ることはできないでしょうか? この者の母が毒に倒れています。もしもお力をお貸しいただけるなら、今後、御身の要求には最大限のお力添えをすることでしょう」

 

水の精霊が細かく震えた。ぴっ、と水滴のように、その体の一部がはじけ、わたしたちの元へと飛んでくる。魔力が混ざらないよう、魔力を通さない皮の手袋を着けたクラリッサが素早く飛んできた水滴を採取する。

 

「貴様の音楽はなかなかに興味深かった。これは礼だ」

 

「ありがとう存じます、精霊様」

 

「ありがとう、精霊様」

 

私に続いてタバサがこれまでに見たことのないほど柔らかな笑顔でお礼を言う。とりあえず、ここに来た目的は全て果たすことができた。けれど、それ以上に悩ましき問題を知ることになってしまった。

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