わたしが案内されたのは、学園の敷地内で一番高い塔の最上階だった。わたしを案内してきたコルベールがドアをノックする。
「コルベールです。オールド・オスマン、春の使い魔召喚の儀式のことで、至急、ご相談させていただきたいことがあります」
わたしの後をついてきている側仕えのリーゼレータが、僅かに眉をひそめたような気配がした。ユルゲンシュミットでは、貴族の元を訪れるには予め先触れをしておくのが普通だ。ドアをノックしながら用件を告げるというのは不作法にあたる。
日本で生活した記憶があるわたしは、校長室を訪ねていると考えれば何とも思わないけど、ユルゲンシュミットの貴族院しか知らないリーゼレータにしては衝撃的な光景だろう。
入室を促す声を聞いて扉を開けたコルベールの後に続いたリーゼレータが大きく開いてくれた扉をゆっくりと潜った。
学院長は白い髪と豊かな口髭を蓄えたおじいさんだった。重厚なつくりのテーブルに肘をついてわたしたちを迎えてくれた。部屋の中には他に、いかにも秘書という感じの女性が一人いる。
最後尾のキュルケが部屋に入ると、リーゼレータが扉を閉める。わたしは学院長の前に進み出ると、片膝をついて両手を胸の前で交差させた。
「ユルゲンシュミット式の挨拶で失礼します。オールド・オスマン、命の神エーヴィリーベの厳しき選別を受けた類稀なる出会いに、祝福を祈ることをお許しください」
「ん? おお……」
本当に何の先触れもされてなかったのだろう。祝福を送りながら観察すると、初めて見る相手と初めて見る挨拶に混乱しているのが見て取れた。
「お初にお目にかかります。わたくしはユルゲンシュミットのローゼマイン・トータ・リンクベルク・アドティ・エーレンフェスト。こちらはわたくしの側仕えのリーゼレータです。以後、お見知り置きを」
「初めまして。ミス・エーレンフェスト、この学院の学院長のオスマンじゃ」
学院長にとっては謎の言葉の数々だろう。学院長はわたしに言いながら助けを求めるようにコルベールを見ていた。
「オールド・オスマン、彼女のいた国、ユルゲンシュミットでは名を呼ぶのが一般的ということなので、私はミス・ローゼマインとお呼びします。それで、ミス・ローゼマインなのですが、彼女はこちらにいるミス・ツェルプストーの春の使い魔召喚の儀式で誤って遠い国から召喚されてしまったようなのです」
「……詳しく教えてくれ」
「はい、彼女は自分がユルゲンシュミットという国から来たと言っております。彼女は国では上級貴族と呼ばれる上位の貴族ということです。ユルゲンシュミットという国は聞いたことがありませんが、彼女の使った魔法は我々の使用するものと大きな差異があり、私は彼女の発言が真実であると感じました」
「ミス・ローゼマイン、申し訳ないが、ミスタ・コルベールの言った、我々の使用するものと異なる魔法というのを見せてくれぬか?」
学院長がわたしたちを見ながら言ってくる。
「その前に、何度か話に出てきた『春の使い召喚の儀式』というものについて、説明をいただいてもよろしいでしょうか? わたくしたちの国では、そのような儀式は存在していないので、わたくし、未だに状況を理解できておりませんの」
言うと、コルベールが目を見開き、慌てて説明を始めた。
「春の使い魔召喚の儀式とは、魔法学院の生徒が二年生に進級するときに『使い魔』を召喚するという儀式です。それによって現れた『使い魔』で今後の属性を固定して専門課程へと進むことになります」
「申し訳ございません、ミスタ・コルベール。まず『使い魔』について説明をいただいてもよろしいでしょうか?」
「『使い魔』とは主人の目となり、耳となり、あるいは主人を敵から守る存在です」
使い魔という表現から、わたしはユルゲンシュミットの従属契約を思い起こしたが、大きな誤りではないようだ。コルベールはわたしを使い魔にできないと判断していたようだが、一度、釘を刺しておいた方がよさそうだ。
「ミス・ツェルプストーはわたくしを、その使い魔とやらにするために呼び出したということでしょうか?」
「いいえ、そもそも春の使い魔召喚の儀式で呼び出すのは普通は動物や幻獣で、人を使い魔にした例は、古今東西ありません」
「では、わたくしたちをユルゲンシュミットに帰してはいただけませんか。わたくしたちは一刻も早くユルゲンシュミットに戻らねばならないのです」
今年のわたしは中央に移動するための準備で忙しいのだ。フェルディナンドを助けるためにも、無駄にできる時間などない。
「我々としても帰したいのはやまやまなのですが、その方法がないのです」
「どういうことですか?」
「召喚の魔法『サモン・サーヴァント』は呼び出すだけで、使い魔を元に戻す呪文は存在しないのです」
コルベールの説明に目の前が暗くなる。つまりユルゲンシュミットには帰れないということだろうか。足に力を入れて辛うじて姿勢を保つ。
「それは新しい呪文を開発しなければならないということですか?」
わたしの発言は衝撃的だったようで、学院長もコルベールもぽかんと口を開けたまま呆然としていた。まあ、普通はそういう反応なのかもしれない。けれど、わたしはユルゲンシュミットで何度も、ないなら作ればいい、をやってのけた。
原理としては、行けるのなら帰ることも可能なはずなのだ。やる前から諦めるなんてことはできない。
「新しい呪文を開発するという発想は私らにはない発想じゃな。分かった、私たちも古文書の解読など、できるだけのことをしよう」
「ありがとう存じます。オールド・オスマン」
ひとまず学院長から協力の約束を取り付けることができた。それに古文書という心惹かれる言葉に出会えて、少し勇気が出てきた。
「ところで、最初の質問に戻るのじゃが、ミスタ・コルベールの言った、我々の使用するものと異なる魔法というのを見せてくれぬか?」
「分かりました」
わたしは腰のベルトに付けた魔石に魔力を注いで騎獣を出現させる。
「わたくしたちは、このように魔石から変化させた騎獣に乗って空を飛びます。他の魔術にも違いがあるのかもしれませんが、今はハルケギニアの魔術を存じませんので披露することは難しいです」
「その前に、ミス・ローゼマインは杖を使わずに魔法を使ったのか?」
「杖……ですか? ただ魔力を注ぐだけならシュタープは必要ないと思いますけど?」
シュタープを使えば魔力の扱いは格段に楽になるが、騎獣を使うだけなら必要ない。
「ミス・ローゼマイン、念のための確認なのじゃが、シュタープとは杖のことで間違いないかの?」
「そうです。こちらの学院の生徒もお使いになっていませんでしたか?」
そう言いながらわたしはシュタープを出現させる。
「ミス・ローゼマイン、その杖はどこから取り出したのだ!?」
「どこからも何も、シュタープですから、自分の中からではありませんか?」
理解できないという表情の二人を見て、ようやくわたしは大きな誤解があること気が付いた。貴族の持っている杖状のものなのでシュタープなのだと思ったが、どうやら全くの別物だったようだ。
「わたくしたちの使うシュタープとは『神の意志』と呼ばれる魔石を完全に自分の魔力で染め上げて己の身体の内に取り込んだものです」
そう説明はしてみたが、二人とも相変わらず理解できない様子だ。まあ、わたしも説明を受けた内容をそのまま伝えるだけで、不思議な魔石の仕組みについて、論理的に説明しろと言われてもできない。二人が理解できないのも仕方がないことだろう。
「わたくしも、これ以上の説明はできません。わたくしたちのユルゲンシュミットの貴族なら誰でも持っているものなので、貴族ならシュタープを持っているのが当然だと思っていたのです」
「当たり前のことの方が説明が難しいということじゃな。ともかく、ミス・ローゼマインが私たちの知らない国から来たというのは分かった。古文書の解読などをするにしても時間がかかるし、初めての場所でミス・ローゼマインもお疲れじゃろう。部屋を用意するので今日の所は休まれてはいかがかな?」
「お言葉に甘えさせていただきます。ありがとう存じます、オールド・オスマン」
わたしが立ち上がろうとしたところで、それまで黙っていたキュルケが口を開いた。
「あの、あたしの使い魔召喚はどうなるのでしょうか?」
「ミス・ツェルプストーも知っての通り『サモン・サーヴァント』は呼び出した使い魔が死なない限り二度目の使用はできない。ミス・ローゼマインに『コントラクト・サーヴァント』を使用させることはできないが、特例として成功をしたものとして認めよう」
「ありがとうございます」
話を聞く限り、キュルケにそれほど不都合は生じないようにしてくれたようだ。それなら、わたしが口を出す問題ではない。
「ミス・ロングビル、ミス・ローゼマインを空き部屋へと案内してあげなさい」
「かしこまりました」
部屋までの案内は、学院長の秘書であるロングビルという名の女性がしてくれるようだ。ただし、気になるのは空き部屋という表現だ。あまり整えられていない部屋を想像したようで背後のリーゼレータが反応した気配がした。
「オールド・オスマン、わたくしたちは荷物が少ないのです。生活に必要なものについてはミス・ロングビルにお伝えすればよろしいですか?」
「おお、不自由があれば何でもロングビルに伝えてくれ」
「ありがとう存じます。時の女神、ドレッファングーアの本日の糸紡ぎはとても円滑に行われたようですね」
わたしは別れの挨拶をすると、なるべく優雅に見えるように気を付けながら学院長室から退室した。
面会予約も取らずに訪問したことに若干の軽蔑の気持ちを抱きながら、顔には出さないリーゼレータ。