タバサの実家から学園に戻って少ししたある朝のことだった。
教室に現れたルイズはなにやらボロ切れのようなものを、鎖につないで引きずっていた。ルイズの顔は随分と険しい。
「ねえ、ルイズ。あなた、何を引きずっているの?」
香水のモンモランシーが、口をぽかんとあけた後、ルイズに尋ねた。
「使い魔よ」
見ると確かに、顔は大きく腫れ上がり、こびりついた血で原形を留めていないが、かつて平賀であった物体だ。首と両手首に鎖が巻き付き、まるでゴミ袋のようだ。
「何があったのです?」
「わたしのベッドに忍び込んだのよ」
聞いたわたしへの回答に頭痛がしてきた。それは、どう考えても平賀が悪い。
「はしたない! まあ、そんなベッドに忍び込むなんて! まあ、汚らわしい! 不潔! 不潔よ!」
モンモランシーが驚いた顔をすると、見事な巻き毛を振り乱し、大げさにのけぞった。
「あなたが誘ったんでしょ? ルイズ。エロのルイズ。娼婦のようにいやらしい流し目でも送ったんじゃないこと?」
そう言ってルイズの方を睨むのはキュルケだ。
「誰がエロのルイズよ! それはあんたでしょーが! わたしは誘ってないわよ!」
「もう、こんな風になっちゃって……、可哀想……、あたしが治してあげるわ」
そう言ってキュルケは自らの胸で平賀の頭を挟み込んだ。どう考えてもはしたない行為を平然と行うキュルケを見ていると、平賀が暴挙に出た原因は、キュルケにもあるのではないだろうかと思い始めてきた。これは、けして自分には縁遠い行為を見ての僻みではない。ないったら、ない。
「ねえダーリン。あなたは、こんなに胸の大きいわたしをどう思う?」
「……す、素晴らしいと思います」
それを聞いたルイズは手に持った鎖を引いて、平賀を床に転がすと、その上に足を乗せて、冷たく言い放つ。
「誰があんたに人間の言葉を許可したの? 『わん』でしょ。犬」
「わ、わんです。はい」
一体、わたしたちは何を見せられているのだろうか。わたしは本の中でだけど、このような触れ合いがあることを知っているから、渋面で済んでいるけれど、側近たちは完全に処理落ちしている。
「ねえ、ルイズ。なぜサイトに使用人向けの部屋を用意しないのです?」
「そ、それは……使い魔とは一緒に住むのが普通だから……」
「ですけど、サイトは人間で殿方でしょう? 他の生き物と同じとは考えられないのではなくて?」
「でも、使い魔は使い魔でしょ」
「ローゼマインは側近の男性と一緒に住んでいないようだけど?」
キュルケの言葉に、今度こそルイズは黙り込んだ。
「分かったわよ。サイトは使用人の部屋に住ませることにするわ」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ」
さすがにルイズも周囲の視線に耐え切れず、提案を受け入れた。しかし、それに待ったをかける声が他ならぬ平賀からかかる。
「確かに寝床は鳥の巣みたいなものだけど、それでも俺にはそんなに不満はない。だから、別に使用人の部屋なんて用意しなくても……」
「それならばわたくしからは何も言いませんけども……」
けれど、娘が部屋に人間の男を飼っているなんて事態をルイズの両親は知っているのだろうか。ユルゲンシュミットでは、貴族にとって婚姻は家と家の結びつきで、悪評がある相手を婚姻相手として受け入れるようなことはない。こちらでは違うのかもしれないし、当人同士が納得しているのなら、わたしが口を挿む必要はないみたいだけれど。
謎の飼い犬事件が一段落したところで教室の扉が開き、ギトーという名の教師が現れた。長い黒髪に漆黒のマントをまとった姿はなんだか不気味で、冷たい雰囲気なのもあって生徒たちに人気がないとキュルケは言っていた。
「では授業を始める。知ってのとおり、私の二つ名は『疾風』。疾風のギトーだ。ところで、最強の系統は知っているかね? ミス・ツェルプストー」
「『虚無』じゃないんですか?」
「伝説の話をしているわけではない。現実的な答えを聞いているんだ」
「ローゼマインなら、どんなふうに考える?」
なぜそこで、わたしに投げるのだろうか。
「わたくしはこちらの魔法には詳しくないのですけど、使用者による優劣はあれ、系統間それ自体には優越などないのではありませんか?」
「残念ながらそうではない」
「仮に属性間に優劣があるとして、属性の得手不得手は簡単に変えられるものではございませんでしょう? それならば、何が最強なのかを考えるより、どうすれば手持ちの材料で自分の望む結果を得られるのか、考えた方が建設的ではありませんか?」
わたしが言うと、ギトーの顔が僅かに歪んだ。そこには自らの得意属性である風を上位と考えて、誇示しようとしていた醜い意図が透けて見えた。どうやらギトーはどこまでも貴族であって、教師ではないのだろう。
「ミス・ローゼマインの考えも一理あるが、自らを客観的に見ることも大事であろう」
「そうですね。自らの得手不得手と相手の得手不得手を冷静に分析することは必須のことだと考えます。ところで、ミスタ・ギトーは土くれのフーケに対してはどのような方法で挑めば良かったとお考えですか?」
「む……それは……」
「わたくしたち、土くれのフーケのゴーレムには苦戦をいたしましたので、後学のために教えていただけたら、と思うのですけど?」
この発言の意図は、実戦となったら怖じ気づいた臆病者は黙っていろ、だ。何か良い手があると言えば、なぜ実行しなかったのかと返されるのは目に見えている。だから、ギトーは何も返せない。
一つ間違えば命を落とすような危険な任務に生徒を平気で送り出して、安全な教場では踏ん反り返るような貴族が強弱など語らないでほしい。ここまで言う必要はなかったかもしれないけど、その姿勢は身分に胡坐をかいてダームエルを見下していたトラウゴットのようで我慢がならなかったのだ。
「さすがはローゼマイン様です。フェルディナンド様を彷彿とさせる見事な嫌味ですね」
なぜか感心した様子のハルトムートがわたしにだけ聞こえるように言ってくるが、わたしの嫌味はフェルディナンドには、程遠いと思う。
さて、わたしの言葉にギトーがどう返してくるかと見ていると、急に教室の扉が開いた。扉を開いたのは頭に大きな金髪のロールしたカツラを乗せたコルベールだった。
「ミスタ?」
ギトーが眉をひそめたのも無理のないことだろう。
「おっほん。今日の授業はすべて中止であります!」
説明を求めるギトーに向けて、コルベールが重々しい調子で告げると、教室中から歓声があがった。一方のわたしは、急に全ての授業を中止すると言われて困惑しかない。何か問題が起きたとしか思えなかったのだ。
「えー、皆さんにお知らせですぞ」
言いながらコルベールがのけぞった拍子に、頭に乗せていたカツラが床に落ちた。
「滑りやすい」
そこに一番前に座ったタバサが、コルベールの禿げ上がった頭を指差して言い、教室中が爆笑に包まれた。
「黙りなさい! ええい! 黙りなさいこわっぱどもが! 大口を開けて下品に笑うとは全く貴族にあるまじき行い! 貴族はおかしいときには下を向いてこっそり笑う……みなさいミス・ローゼマインを、口元を手で隠して笑っていることが見えないようにしているでしょう。あのように振舞いなさい」
だから、いちいちわたしを引き合いに出さないでほしい。確かに今回は領主候補生として叩きこまれた上品な笑い方をしていたけれども。
「えー、おほん。皆さん、本日はトリステイン魔法学院にとって、よき日であります。始祖ブリミルの降誕祭に並ぶ、めでたい日であります。恐れ多くも、先の陛下の忘れ形見、我がトリステインがハルケギニアに誇る可憐な一輪の花、アンリエッタ姫殿下が、ゲルマニアご訪問からのお帰りに、この魔法学院に行幸されます」
その言葉に、教室がざわめいた。
「したがって、粗相があってはいけません。急なことですが、今から全力を挙げて、歓迎式典の準備を行います。本日の授業は中止、生徒諸君は正装し、門に整列すること」
「ミスタ・コルベール、質問がございます」
周囲のトリステイン貴族は盛り上がっているようだけど、わたしの気分は最低だ。拙い流れに、堪らずわたしは手を挙げた。
「なんでしょうか、ミス・ローゼマイン」
「わたくしたちは正式な生徒ではありませんので、欠席でよろしいですか?」
「仕方がないですね。許可しましょう」
「ありがとう存じます」
コルベールにお礼を言って、わたしは教室を出る。ユルゲンシュミットで散々、王族に振り回されたわたしは、もう王族には関わる気がないのだ。それは側近たちも同じなようで、どこか緊張した雰囲気を漂わせていた。
カットするか迷ったシーン。
教室の真ん中で人間にわん、と鳴かせるシーンにせよ、ギトーの風最強論にせよ、どう描いても好意的にはならなくて。