トリステインの王女、アンリエッタの出迎えを行った夜、俺はルイズの部屋の藁束の上に座り込んでルイズを見つめていた。今日のルイズは激しく落ち着きがない。立ち上がったと思ったら、再びベッドに腰かけ、枕を抱いてぼんやりとしている。
このような状態になったのは、昼間、アンリエッタの傍にいた見事な羽根帽子が目立つ、凛々しい貴族を見てからだ。ルイズは鷲の頭と獅子の胴体を持った、見事な幻獣に跨ったその貴族をぼんやりと見つめていた。それからルイズは何もしゃべらずに、ふらふらと幽霊のように歩き出し、部屋にこもるなり、ベッドにこうやって腰かけている。
あまりにも俺のことを見ないルイズに一瞬、いたずらをしてやろうかという気が沸き起こる。しかし、そのいたずらで危うく部屋を分けることになりかけたばかりなのだ。ぐっと抑え込む。
と、そこで部屋のドアがノックされた。ノックは規則正しく叩かれた。初めに長く二回、それから短く三回……。
ルイズの顔がはっとした顔になった。急いで立ち上がり、ドアを開いた。
そこに立っていたのは、真黒な頭巾をずっぽりとかぶった、少女だった。少女は辺りをうかがうように首を回すと、そそくさと部屋に入ってきて、後ろ手に扉を閉めた。
「……あなたは?」
ルイズが驚いたような声をあげた。
頭巾をかぶった少女は、しっと言わんばかりに口元に指を立てた。それから、頭巾と同じ漆黒のマントの隙間から、魔法の杖を取り出すと軽く振り、同時に短くルーンを呟く。光の粉が、部屋に舞う。
「……ディティクトマジック?」
「どこに耳が、目が光っているかわかりませんからね」
少女が使ったのは、どうやら魔法を探る魔法のようだ。それを使って安心したのか、少女が頭巾を取る。
現れたのは、なんとアンリエッタ王女だった。ルイズも稀に見るほどに可愛いが、王女はそれに加え、高貴さを放っていた。俺が平常心で見られたのは、ローゼマインを間近に見たことで、多少なりとも高貴さに慣れていたためだろう。
「姫殿下!」
ルイズが慌てて片膝をつく。俺もルイズを習ってとりあえず片膝をついた。上位の相手の前に出たときは、ともかく他の人に倣っておくのが安全だ、というのはローゼマインからのアドバイスだ。
「ああ、ルイズ、ルイズ、懐かしいルイズ!」
アンリエッタが感極まった表情を浮かべて、膝をついたルイズを抱きしめた。
「姫殿下、いけません。こんな下賤な場所へ、お越しになられるなんて……」
「ああ! ルイズ! ルイズ・フランソワーズ! そんな堅苦しい行儀はやめてちょうだい! あなたとわたくしはおともだち! おともだちじゃないの!」
「もったいないお言葉でございます。姫殿下」
「やめて! ここには枢機卿も、母上も、あの友達面をしてよってくる欲の皮の突っ張った宮廷貴族たちもいないのですよ! 昔馴染みの懐かしいルイズ・フランソワーズ、あなたにまで、そんなよそよそしい態度を取られたら、わたくし死んでしまうわ!」
前言撤回。この王女の高貴さは表面だけだ。
キュルケもこれに通じた言い方をしていた気がするから、あるいはこれがハルケギニア式なのかもしれないが、どうにも芝居に見えてしまう。表情が変わらず、何を考えているのかわからないユルゲンシュミットの貴族たちも困るが、ハルケギニアの感情を盛った表現についても嘘くさく感じてしまう。
二人はというと、俺のことなど眼中にないようで、幼い頃に髪の毛をつかまれて泣かされた話や、取っ組み合いの最中におなかに入れた一撃で気絶させたことなど、ケンカで片付けるには随分と物騒な内容の話で盛り上がっている。ルイズが暴力的なのは、その頃の経験が悪影響を与えているのではないだろうか。
「どんな知り合いなの?」
「姫様がご幼少のみぎり、恐れ多くも遊び相手を務めさせていただいたのよ」
聞いた俺に答えたルイズがアンリエッタに向き直った。
「でも、感激です。姫様が、そんなに昔のことを覚えてくださっているなんて……。わたしのことなど、とっくにお忘れになったかと思いました」
「忘れるわけないじゃない。あの頃は、毎日が楽しかったわ。でも今のわたくしは籠に飼われた鳥も同然。飼い主の機嫌一つで、あっちに行ったり、こっちに行ったり……」
窓の外を見つめたアンリエッタは、寂しそうに結婚をすると呟いた。けれど、俺はたいして驚かなかった。ローゼマインは十歳で婚約したことをラウレンツから聞いていたからだ。だから、王族はやっぱり結婚が早いのだなとしか思わなかった。ふと二人の話が途切れて、そこでアンリエッタが藁束の上に座った俺に、ようやく気付いた。
「あら、ごめんなさい。もしかして、お邪魔だったかしら?」
「姫さま! あれはただの使い魔です! 恋人などではございません!」
ルイズは思い切り首をぶんぶんと振って、アンリエッタの言葉を否定する。
「あなたって昔からどこか変わっていたけれど、相変わらずね」
「好きであれを使い魔にしたわけじゃありません」
今日、若い貴族をじっと見つめていたルイズは俺のことなんて、ただの使い魔としか見てくれないらしい。どうせ俺は貴族じゃないよ。いじける気持ちとともに家に帰りたいという思いが湧き上がってくる。
その間にもアンリエッタは再び溜息をつき、心配したルイズが理由を尋ねていた。
「姫様のお悩みをおっしゃってください。あんなに明るかった姫さまが、そんな風に溜息をつくってことは、なにかとんでもないお悩みがおありなのでしょう? 昔はなんでも話し合ったじゃございませんか!」
ルイズはすっかり盛り上がっていて何とも思っていないようだが、俺としては二人のやり取りは不安しか湧いてこない。話せないことなら、そんなふうに思わせぶりな態度を取るべきではないし。実は聞いてほしいのなら、やはり思わせぶりな態度で尋ねさせるべきではないのではないだろうか。
俺が考えている間にもアンリエッタはアルビオンという国の貴族たちが反乱を起こし、今にも王室が倒れそうなこと。反乱軍が勝利を収めたら、次にトリステインに侵攻してくるであろうこと。それに対抗するために、トリステインはゲルマニアと同盟を結ぶことになり、そのためにアンリエッタがゲルマニア皇帝に嫁ぐことになったことを説明した。
続けてアルビオンの貴族が、トリステインとゲルマニアの同盟をさまたげるための材料を血眼になって探していることをルイズに伝えた。
「言って! 姫さま! 姫さまのご婚姻をさまたげる材料ってなんなのですか?」
「……わたくしが以前したためた一通の手紙なのです。それがアルビオンの貴族たちの手に渡ったら……、彼らはすぐにゲルマニアの皇帝にそれを届けるでしょう。そして、それを読んだら、ゲルマニアの皇帝は、このわたくしを赦さないでしょう。ああ、婚姻はつぶれ、トリステインとの同盟は反故。トリステインは一国にてあの強力なアルビオンに立ち向かわねばならないでしょう」
いよいよ大事なことになってきたようだ。しかし、アンリエッタは何を考えてこのようなことをルイズに相談するのだろうか。ルイズとアンリエッタは久しぶりの再会だと言っていたはずだ。そのような相手に、国の重大な事柄を相談していいのだろうか。
そんな俺の心配をよそにアンリエッタは手紙の持ち主がアルビオン王家のウェールズ皇太子だということを告げている。
「破滅です! ウェールズ皇太子は、遅かれ早かれ、反乱勢に囚われてしまうわ! そうしたら、あの手紙も明るみに出てしまう! そうなったら破滅です! トリステインは一国でアルビオンと対峙せねばならなくなります!」
この話は俺に聞かせてはいけない話のはずだが、この二人は何とも思っていないのだろうか。大方、使い魔だから大丈夫と思っているのだろうが、俺には立派に口があり、誰かに話すことができる。そのことを危険とは思わないのだろうか。俺の心配をよそに、二人の盛り上がりは最高潮を迎えていた。
「無理よ! 無理よルイズ! わたくしったら、なんてことでしょう! 混乱しているんだわ! 考えてみれば、貴族と王党派が争いを繰り広げているアルビオンに赴くなんて危険なこと、頼めるわけがありませんわ!」
「何をおっしゃいます! たとえ地獄の釜の中だろうが、竜のアギトの中だろうが、姫さまの御為とあらば、何処なりと向かいますわ! このわたくしめに、その一件、是非ともお任せくださいますよう」
ルイズの言葉を聞いたアンリエッタが、ぼろぼろと泣き始めた。あの二人は自分の言葉に酔っている。これはローゼマインが見ていたら、二人ともお説教だろう。
呆れる俺に気付かない様子で、ルイズは明日にでも、アルビオンに赴きウェールズ皇太子を捜して、手紙を取り戻してくることを約束している。
と、そこでドアが開き、誰かが飛び込んできた。
「姫殿下、その困難な任務、是非ともこのギーシュ・ド・グラモンに仰せつけますよう」
「グラモン? あの、グラモン元帥のご子息ですか。ありがとう。お父様も立派で勇敢な貴族ですが、あなたもその血を受け継いでいるようね。ではお願いしますわ。この不幸な姫をお助けください、ギーシュさん」
「姫殿下がぼくの名前を呼んでくださった! トリステインの可憐な花、薔薇の微笑みの君がこのぼくに微笑んでくださった!」
ギーシュは感動のあまりか、後ろにのけぞって失神した。確かローゼマインは貴族は感情を隠すものだと言っていた気がするのだが、それはユルゲンシュミットの貴族に限った話らしい。俺は、それを今日これまでの流れで確信した。
そして、ルイズとアンリエッタは気絶したギーシュを無視することにしたようだ。二人で明日からの旅路の相談を始めていた。
「始祖ブリミルよ……。この自分勝手な姫をお許しください。でも、国を憂いても、わたくしはやはり、この一文を書かざるをえないのです……。自分の気持ちに、嘘をつくことはできないのです……」
そして最後にアンリエッタは恋文でもしたためるように密書をしたためた。
「ウェールズ皇太子にお会いしたら、この手紙を渡してください、すぐに件の手紙を返してくれるでしょう」
それからアンリエッタは、右手の薬指から母から貰ったという水のルビーという宝石をルイズに手渡した。
「この任務にはトリステインの未来がかかっています。この指輪が、アルビオンに吹く猛き風から、あなたがたを守りますように」
こうして、不安しかないアルビオンへの密使の任務が決まってしまったのだった。