ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは大型の馬車の中で不平を隠せずにいた。
ルイズはサイトとギーシュと一緒にアンリエッタから密命を受けた翌日には、馬で学園を出立する予定だった。そこにアンリエッタから同行を命じられたという婚約者のワルドが合流し、今度こそ出発という段になって、なぜかローゼマインがやってきたのだ。
そこでローゼマインは命令が変更になったことを伝えると、あろうことかアンリエッタから渡された密書を燃やしてしまったのだ。ルイズの抗議も機密保持という理由であっさりと流された。それで、ローゼマインにはアンリエッタに対する敬意など全くないことがわかった。ローゼマインはトリステインの貴族どころかハルケギニアの貴族ですらない。だから仕方がないとワルドは言ったが、ルイズとしては納得できることではない。
あの密書にアンリエッタは最後に、祈るように何かを書き加えていた。知らないとはいえ、その思いを灰にする行為はアンリエッタへの冒涜に思えてならなかった。
そうして出発を一日、遅れさせたローゼマインは、今度は魔法学院の制服を着ていては、自分はトリステインのメイジだと喧伝するものだと主張したのだ。結果、ルイズは平民が着るような衣服でもう三日以上も馬車の中に押し込められている。
ローゼマインは内戦中の国なら他国からの介入を警戒して絶対に港町を見張っているはずだと言った。そうして、ルイズはグリフォンから下ろされたワルド、サイト、ギーシュの三人の他、なぜかローゼマインが連れてきたキュルケとタバサと一緒に馬車の中に押し込められている。
馬車の偽りの目的はアンリエッタの歓待で使用した酒と食材の補充。普段から仕入れを担当させている者を馬車に乗せ、護衛として衛兵まで駆り出して港町ラ・ロシェールへと出発したため、おかげで馬で二日のはずの道程は四日に伸びている。
「ラ・ロシェールの港町まで止まらずに行くつもりだったのだが……」
ワルドはそう言って抵抗したが、ワルド様は数十人もの騎士を相手にして、ルイズを守りながら勝利を収められる自信がおありですか、と笑顔で言われて黙らされた。
「貴族が事をなすのに性急さは不要。できるだけ時間を取って、自分に有利なように水面下で準備しておくものと、わたくしは教えられてきました。敵に警戒され、守りを固められてしまえば、わたくしたちには強行突破を成功させる戦力も、潜入を果たすための技能もございませんもの。慎重すぎるほどに慎重であるべきと存じます」
ローゼマインにしてもハルトムートにしてもリーゼレータにしてもユルゲンシュミットの貴族たちは下準備にものすごく時間をかける。面倒過ぎてやってられないと思う気持ちもあるが、では代案はあるのかと言われれば、そんなものはない。
頼みの綱である姫殿下からの命令という大義名分も、当の姫殿下から無謀をして命を失うことは避けてほしいと言われ、父と母を姫殿下の敵にしたいのですかとローゼマインに言われれば、何の役にも立たなかった。そもそも経験豊富なワルドがローゼマインに言い負かされるのだ。ルイズで勝てる道理はなかった。
そんな反発は別として、今更ながらハルトムートがローゼマインを絶賛する気持ちがわかった気がする。あれは断じて十三歳の少女の思考能力ではない。
そして、この三日の馬車の旅が不快だったかというと、そんなことは全くなかった。というのも、今回はローゼマインが側近を全員を連れていたためだ。さすがに戦闘が得意でない側近たちはラ・ロシェールで返すらしいが、側仕えがルイズの世話もしてくれたのだ。
なんで貴族に使用人のような真似をさせるのか、とそれまで思っていたが、実際に世話をされてみると、その違いに唸らされた。とにかく痒い所に手が届くような状態で、しかも全ての動きが洗練されていて、仕事中の姿が視界に入っても不快感が全くない。また、貴族の考えを実体験として知っていることもあるのだろう。とにかく快適だった。
「僕はずっときみのことを忘れずにいたんだよ。覚えているかい? 僕の父がランスの戦で戦死して母もとうに死んでいたから、爵位と領地を相続してすぐ、僕は街に出た。立派な貴族になりたくてね。陛下は戦死した父のことをよく覚えていてくれた。だからすぐに魔法衛士隊に入隊できた。最初は見習いでね、苦労したよ」
そうして移動中の暇な時間に、今は想い出話に花を咲かせていた。こうしていると、任務での外出だということを忘れてしまいそうになる。
「軍務が忙しくてね、未だに屋敷と領地は執事のジャン爺に任せっぱなしさ。僕は一生懸命、奉公したよ。おかげで出世した。なにせ、家を出る時に立派な貴族になって、きみを迎えにいくって決めたからね」
「冗談でしょ。ワルド、あなた、モテるでしょう? なにも、わたしみたいなちっぽけな婚約者なんか相手にしなくても……」
ワルドとの婚約は、とうに反故になったと思っていた。戯れに、二人の父が交わしたあてのない約束……そのぐらいにしか思っていなかった。
十年前に別れて以来、ワルドにはほとんど会うこともなかったし、その記憶は遠く離れていた。だから、先日ワルドを見かけたとき、ルイズは激しく動揺したのだ。
ワルドのことは嫌いじゃない。確かに憧れていた。それは間違いない。でも、それは思い出の中の出来事だった。
いきなり婚約者だ、結婚だ、なんて言われても、どうすればいいのかわからない。
のんびりとした旅程だけに、考える時間は大量にあるが、いくら考えたところで答えは出てくれない。そうして答えが出せないままラ・ロシェールの入口についた。
「なんで港町なのに山なんだよ」
険しい岩山の中を縫うようにして進んだ先、夕闇の中に浮かび上がる峡谷の中の町を見てサイトが言った。
「きみは、アルビオンを知らないのか?」
ギーシュがサイトの無知を笑うように言う。
「ここの常識を、俺の常識と思ってもらっちゃ困る」
この四日あまりで仲良くなったのか、気安い二人の遣り取りを聞いていたときだった。
不意にルイズの乗った馬車を引く馬の嘶きが聞こえた。続いて、御者が悲鳴のような声をあげる。慌てて前を見てみると、前を行くローゼマインたちの馬車に向けて、崖の上から松明が何本も投げ込まれている。
松明は赤々と燃え、ルイズたちが進む峡谷を照らす。
馬車に当たりそうな松明と、続けて飛んできた矢は全てマティアスとラウレンツが盾を構えて叩き落していたが、いきなり飛んできた松明の炎に、戦の訓練を受けていない馬が驚いて暴走を始めようとしている。
そのときルイズの耳に波の音が聞こえてきた。
「海の女神フェアフューレメーアよ、我等に祝福をくださった神々へ、感謝の祈りと共に魔力を奉納いたします」
馬車から身を乗り出して、ワルドが使おうとしていた魔法が杖から吸い取られていった。同時にルイズの体からも少し精神力が持っていかれた感覚があった。だが、一体どういった魔法を使ったのか、暴れそうになっていた馬が落ち着きを取り戻していた。
「守りを司る風の女神シュツェーリアよ。側に仕える眷属たる十二の女神よ。我の祈りを聞き届け、聖なる力を与え給え。害意持つものを近付けぬ風の盾を、我が手に」
続けて、風の盾を作る魔法のための呪文詠唱の声が聞こえてきた。作られた半透明の黄色の幕は飛んでくる矢を全く寄せ付けない。
「衛兵の皆さまはわたくしの盾の中に入ってくださいませ」
ローゼマインの声に防戦に当たっていた衛兵たちが中へと逃げ込んでいく。対照的に護衛対象の安全が確保されたマティアスとラウレンツは全身鎧を纏い、騎獣に乗ると敵に突入していく。
「殺さないようにしてくださいませ」
「心得ています」
ローゼマインの要請に軽く答えたマティアスの言葉から、二人が余裕を持って対処しているのが分かる。ワルドが盗賊か野盗だろうと呟いた。けれど、ルイズはそれとは異なる感想を持っていた。
「もしかしたら、アルビオンの貴族の仕業かも……」
ローゼマインはしきりにアルビオンの貴族を警戒していた。その懸念は当たっていたということだろうか。
「貴族なら、弓は使わんだろう」
ワルドに言われてみると、そうかもしれないとも思う。ルイズたちがそんな風に話している間にもマティアスとラウレンツにより男たちは次々と倒されていく。
「ねえ、わたしたちも加勢しなくていいの?」
「必要ないだろうね。賊の攻撃はローゼマインにも、その騎士たちにも全く通じていない。放っておいても直に勝負はつく」
「でも、何もしないのも……」
「こちらの馬車にはローゼマインの守りの魔法は届いていない。馬がやられると面倒なことになるから、僕はここを動けない」
確かに馬車の中にいるルイズたちはともかく馬と御者は無防備に近い。ローゼマインたちに攻撃が通用しないとみた賊がこちらに向かってくると、馬が危ない。
代わりにキュルケとタバサが馬車から少し離れたところまで進み、魔法で賊の迎撃をしていた。そしてギーシュはというと、馬車の中にワルキューレたちを出現させて、無駄に馬車の重さを増している。
「よし、俺も……」
「あんたはわたしの護衛でしょ。わたしの側を離れてどうするのよ」
調子に乗って敵の方へと向かおうとしていたサイトの首根っこを掴んで前に立たせる。ワルドもいるとはいえ、主人を守るのは第一には使い魔であるサイトであるべきだ。
「いや、俺も少しくらい……」
「だからって、わたしの側を離れてどうするのよ!」
「心配しなくても、もう終わりみたいよ」
そうして言い争っていると、いつの間にかキュルケが戻ってきていた。その指さす先には、マティアスとラウレンツによって倒れた男たちがいる。怪我をして動けない男たちは、騎獣に乗って攻め込んできた二人に向け、一瞬だけ罵声を浴びせてきた。罵声が一瞬だったのは、口にした者からラウレンツに容赦なく顔を蹴り上げられて意識を失わされたからだ。
決闘中のサイトを容赦なく気絶させたところから考えても、ラウレンツは平民に対して厳しい。男たちもそれを感じ取ったのか、それからは青い顔をして黙りこんで、さっきまで馬車の中で震えていたのが嘘のように強気になったギーシュの尋問を、おとなしく受けている。微かに聞こえてくる声によると、男たちはただの物取りだと主張しているようだ。
「ふむ……ただの物取りなら捨て置けばよかろう」
「一応、記憶を覗いておかなくてよろしいのですか?」
「そんなことまでできるの?」
ワルドが言った瞬間、ローゼマインが物騒なことを言った。それを聞いて、キュルケが目を剥いて叫ぶ。
「いいえ、そのようなことができないか、という念のための確認でしてよ。おほほほ」
ローゼマインは絶対、その方法を持っている。そう確信できる誤魔化し方だった。
「とりあえず、今日はラ・ロシェールに一泊して、朝一番の便でアルビオンに渡ろう」
一行に告げるワルドの顔も心なしか引きつっている。改めてローゼマインの非常識ぶりに触れ、ルイズは小さくため息をついて、馬車に乗り込んでラ・ロシェールに向かう。
ローゼマイン他をラ・ロシェールにで一番上等な宿、『女神の杵』亭に入れて、ルイズはワルドと二人で『桟橋』へ乗船の交渉に行く。ワルドと二人だけになったのは、他は全て他国の人間だからだ。特にローゼマインたちは衣服を平民の物に変えたところで所作だけで目立ってしまうので、連れてはいけなかった。
しかし、交渉の結果は芳しいものではなかった。アルビオンに渡る船は明後日にならないと出ないということだった。明日の夜は月が重なる『スヴェル』の月夜。アルビオンが最も、ラ・ロシェールに近づくのは、その翌日の朝だからだ。
「大丈夫だよ。きっとうまくいく。なにせ、僕がついているんだから」
その帰り道、不安そうなルイズの顔を見て取ったのかワルドが励ましてくれた。
「覚えているかい? あの日の約束……。ほら。きみはいっつもお姉さんと魔法の才能を比べられて、デキが悪いなんて言われて、お屋敷の中庭でいじけていたな。でも僕は、それはずっと間違いだと思ってた。確かに、きみは不器用で、失敗ばかりしていたけれど、誰にもないオーラを放っていた。魅力といってもいい。それは、きみが、他人にはない特別な力を持っているからさ。僕だって並みのメイジじゃない。だから、それがわかる」
「まさか」
「まさかじゃない。例えば、そう、きみの使い魔の少年が武器をつかんだときに浮かび上がるルーン、あれは、ただのルーンじゃない。伝説の使い魔、『ガンダールヴ』の印だ。始祖ブリミルが用いたという、伝説の使い魔の印だ。きみは偉大なメイジになるだろう。そう、始祖ブリミルのように、歴史に名を残すような、素晴らしいメイジになるに違いない。僕はそう予感している」
ワルドは熱っぽい口調でルイズを見つめた。
「この任務が終わったら、僕と結婚しようルイズ。僕は魔法衛士隊の隊長で終わるつもりはない。いずれは、このハルケギニアを動かすような貴族になりたいと思っている。きみはもう十六だ。子供じゃない。自分のことは自分で決められる年齢だし、父上だって許してくださってる。確かに、ずっとほったらかしだったことは謝るよ。婚約者だなんて、言えた義理じゃないこともわかってる。でもルイズ、僕にはきみが必要なんだ」
ルイズの頭には、なぜかサイトのことが浮かんできた。ワルドと結婚しても、自分は彼を使い魔としてそばに置いておくのだろうか?
なぜか、それはできないような気がした。これがカラスや、フクロウだったら、こんなに悩まなくてもすんだに違いない。
「あの、その、わたしまだ、あなたに釣り合うような立派なメイジじゃないし……、もっともっと修行して……」
ルイズは俯いた。しかし、言葉は続けた。
「あのねワルド。小さい頃、わたし思ったの。いつか、皆に認めてもらいたいって。立派な魔法使いになって、父上と母上に誉めてもらうんだって。まだ、それができてない」
「きみの心の中には、誰かが住み始めたみたいだね。わかった。取り消そう。今、返事をくれとは言わないよ。でも、この旅が終わったら、きみの気持ちは僕にかたむくはずさ。急がないよ。僕は」
どうしてワルドはこんなに優しくて、凛々しいのに……。ずっと憧れていたのに、結婚してくれと言われて、嬉しくないわけじゃないのに、何かがひっかかるのだろう。
自分の心なのに、自分でも全くわからない。もやもやした気持ちを抱えたまま、ルイズは皆が待つ宿へと足を進めた。