ハルケギニアの商人聖女   作:孤藤海

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白の国

予想外の形で夜空に飛び出してしまったわたしは今、必死に戦いながら騎獣を前へと飛ばしていた。

 

「ローゼマイン様、アルビオンに着いたら、現地の料理を見て回るのもよいかもしれません。ひょっとすると、ユルゲンシュミットの新しい流行にできる調理方法が見つかるかもしれませんよ」

 

「グレーティア、それは良い案ですね。ローゼマイン様もそう思われませんか?」

 

「そうですね。平和な町を見つけることができたら、試してみましょうか」

 

わたしの戦いをグレーティアとクラリッサも必死に支援してくれている。今のわたしが戦っている相手、それは睡魔なのだ。少しは丈夫になったといっても、体力のないわたしの体は、徹夜なんて荒行を容易には許してくれないのだ。

 

「そろそろ夜明けです。そうすれば、少しはマシになるのでは?」

 

ワルドにも、しっかりわたしと睡魔との戦いは気付かれているようで、そう言ってわたしを励ましてくれる。幸いにも騎獣を保つ魔術具をマティアスが持っていたため、わたしが意識を失っても騎獣が消えてしまうことはない。

 

けれど、それで安心なのは陸の上でのことだ。空の上で意識を失えば、騎獣は飛行を続けることはできない。そのことは明言していないが、わたしが意識を失ったままでも騎獣が飛び続けられるはずがないと気づいているようで、ワルドの声は若干、引きつっている。

 

「ええ、絶対に眠りませんとも」

 

自分を鼓舞しながら飛ぶこと少し、徐々に空の彼方が明るくなってきた。日の出だ。

 

月明かりでは黒い帯のようにしか見えなかった雲が徐々に白く輝きだす。空が徐々に青さを増していく。

 

「わあ……」

 

思わず感嘆の声が漏れた。雲の上を飛んでいることは分かっていたが、はっきりと空と雲の間を飛行していると認識すると、また気持ちも変わる。雲の下は海なのか、こちらも青い色をしている。ユルゲンシュミットでは海を見たことがないため、わたしにとっては十年ぶりくらいに見た海だ。

 

「ワルド様、こちらの海にはどのようなお魚がいるのでしょう?」

 

「は? 魚……ですか?」

 

「貴族でなければ処理ができない危険なお魚もいるのでしょうか?」

 

そう聞くと、ワルドは思い切り怪訝そうな顔をしていた。ハルケギニアではそのような危険な魚はいないか、もはや魔獣に分類されているのだろう。

 

「ローゼマイン様はアーレンスバッハの魚料理をお気に召した様子だったと、お姉様から伺っています」

 

いつの間にか起き出していたリーゼレータが、アンゲリカから聞いたわたしの貴族としての兄であるランプレヒトの妻、アウレーリアから譲られた魚を解体したときの話を他の側近たちに聞かせている。そういえば、神殿でお魚解体をした皆はここにいない。

 

フェルディナンドとエックハルトとユストクスはアーレンスバッハに行き、当時からわたしの護衛騎士を務めてくれていたコルネリウス、レオノーレ、アンゲリカ、ユーディット、ダームエルはここにはいない。

 

家族に会えないのも寂しいけど、わたしに長く仕えてくれた側近たちに会えていないのも少し寂しく感じる。アーレンスバッハでの生活が心配な三人については特にだ。

 

「アルビオンが見えてきました」

 

わたしが会えない人たちを思い出していると、不意にワルドが声を発した。

 

「どこですか?」

 

「前方の……もう少し上ですね」

 

わたしがワルドの指差す方を見ると、雲の切れ間から黒々と大陸が覗いていた。はるか視界の続く限り延びている。地表には山がそびえ、川が流れている。

 

「浮遊大陸アルビオン。ああして、空中を浮遊して、主に大洋の上をさ迷っています。でも、月に何度か、ハルケギニアの上にやってきます。大きさはトリステインの国土ほどもございます。通称は『白の国』」

 

大陸上の大河から溢れた水は、空に落ち込んでいる。その際、白い霧となって大陸の下半分を包んでいる。なるほど、確かに白の国だ。

 

「ワルド様、アルビオンのどのあたりが見えているか分かりますか?」

 

「さすがに、ここからでは無理です」

 

無理もない。マティアスと交替したラウレンツの先導に従い、わたしは雲に隠れるようにアルビオンに接近する。ひとまずアルビオン側に見つからないことを最優先に、なるべく山や森が多い方角に向かって飛ぶ。

 

「おや……あの町は……」

 

見ると、アルビオンの一角にそれなりの大きさの町が見えた。

 

「どこの町か分かるのですか?」

 

「あれは港町ダータルネスでしょうね。僕たちは、図らずもウェールズ皇太子の籠っているニューカッスルからは離れてしまっていたようです」

 

「ダータルネスという町は大きな町なのですか?」

 

「アルビオンでも有数の港町です」

 

「……町からは離れて飛んだ方がよさそうですね」

 

ワルドの情報は、わたしたちには望ましいものだった。ニューカッスルから離れているということは、そのまま戦場からは離れているということだ。周囲を警戒するアルビオンの貴族がいる可能性も低くなる。けれど、それは要衝でないという条件がついてこそだ。重要な港町ならば警備は厳しくなっているだろう。

 

かといって今から別の場所に向かうというのも難しい。今は朝日を浴びて少しは気分もよくなっているとはいえ、睡魔がいつ襲ってくるか分からない。そんな状態で遠くまで騎獣を飛ばす気にはなれない。

 

「町からなるべく離れた森にでも降り立ち、休息を取るようにしましょう」

 

ともかく今は眠い。わたしは騎獣を雲に隠しながら慎重に街から離れた。そうしていると、少し離れた雲の中を一隻の船が飛んでいるのが見えた。黒く塗られた船体には大砲の砲門が見て取れる。どうやら、この国の軍艦のようだ。

 

「本当に船が空を飛ぶのですね」

 

けれど、わたしの口から漏れた感想は暢気なものだった。これはユルゲンシュミットで不思議現象を見過ぎてしまった弊害だろうか。

 

「ローゼマイン様は初めてご覧になられましたか? あの船は『風石』という『風』の魔法力を蓄えた石を使って宙に浮かぶのです」

 

「魔力さえ高ければ騎獣でも同じことが可能なのかもしれませんが、輸送効率はこちらの方が優れているかもしれませんね」

 

あの船ならば色んな商品をもっと効率的に運べそうだ。それに空を飛ぶ船ならば冬の間は雪に閉ざされてしまうエーレンフェストにはうってつけだ。今よりもっと流通は活発になって、他領から特産品も入ってくるだろう。

 

そして、もう一つ気になったのが『風』の魔法力を蓄えた『風石』というものだ。それはタバサのユレーヴェの素材にできるのではないだろうか。そんなことを考えながら、わたしは騎獣を町が見えないところにある森へと降ろした。

 

その後はすぐにオルドナンツをオスマンに向けて送った。これでわたしがアンリエッタと交わした約束は完了だ。今はとにかく眠いので、返信の受け取りはリーゼレータに任せてしまってよいだろう。

 

「さ、ローゼマイン様はこれからお休みになられます。殿方は申し訳ございませんが、しばらく外で待っていてくださいませ」

 

マティアスとラウレンツが周囲の安全を確認し次第、リーゼレータが男性陣を騎獣の外へと追い出していく。わたしは騎獣の窓を閉じ、外から見えないようにする。

 

「ローゼマイン様、もう少しだけお待ちください」

 

ひとまず空から落ちる心配がなくなり、今にも眠りに落ちてしまいそうなわたしに声をかけながら、二人の側仕えが急いで就寝用の服に着替えさせてくれる。

 

「クラリッサとグレーティアもすぐに仮眠を取ってください。ここは敵地ですから、休めるうちに休んでおくことが大切ですよ」

 

わたしが気付いたのだ。タバサも当然『風石』がユレーヴェの素材になりうる可能性に気付いただろう。

 

「起きたら、作戦会議をしましょう。それまでは待機していてくださいませ」

 

それだけ何とか外に伝えさせて、わたしの意識は途切れたのだった。

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