ローゼマインたちが騎獣の中で休息に入った後、ルイズはその周辺で落ち着かない時間を過ごしていた。今日、エイバルをダータルネスに送った後、ローゼマインが騎獣を降ろしたのは浮遊大陸アルビオンのジグザクした海岸線の端にある森の中だ。森から敵が迫れば雲に隠れて空に、空から敵が迫れば木々に隠れて森の中を移動するつもりらしい。
ルイズたちは孤立無援の状態なのに対して、アルビオン側はいくらでも増援を呼べる状態にある。だから、敵との接触はなるべく避けるというのがローゼマインたちの考えだ。
正統なる政府である王室に逆らう薄汚いアルビオンの貴族から、こそこそと逃げ回るような真似は本来ならルイズの望むところではない。けれど、アンリエッタの護衛も務める経験豊富なワルドもローゼマインたちに賛同するのでは、さすがにルイズも何も言えない。
ローゼマインは、明日にはトリステインに帰ると行っていた。けれど、アンリエッタの望みはウェールズ皇太子から手紙を返してもらうことだったはずだ。ローゼマインの説得で渋々、諦めただけで本心ではルイズに打ち明けた望みをいまだ持ち続けているはずだ。
このままローゼマインの言う通りにしていてよいのだろうか。ルイズが忠誠を尽くすべきなのはアンリエッタだ。ならば、ローゼマインの意向よりアンリエッタの意向に従うべきなのは明らかだ。
「ワルド、相談があるのだけど」
だから、ルイズは思い切ってワルドに声を掛けた。
「何だい、ルイズ」
「何とかしてニューカッスルに行けないかしら」
言うと、ワルドは息を飲んだ。
「行けなくはないだろうけど、ミス・ローゼマインは反対するだろうね」
「わたしの主は姫殿下よ。ローゼマインが何と言おうと、姫殿下の臣下なら姫殿下の意向を優先すべきだわ」
「……分かった。ローゼマインには黙って抜け出すということでいいかい? でなければ、彼女の護衛騎士たちに止められてしまうかもしれないからね」
「ええ、それでいいわ」
「ならば、ローゼマインが休んでいる今のうちに行くべきだろうね。今なら彼女の護衛騎士が主の傍から離れられないからね」
もはやルイズに迷いはなかった。ワルドの提案に黙って頷く。
「では、行こう。おいで、ルイズ」
ルイズはワルドの手を取り、一緒にグリフォンに跨る。
「ワルド、ニューカッスルの場所は分かる?」
「大丈夫だ」
力強く言ったワルドがグリフォンの手綱を引く。低空で飛び立ったグリフォンが森を出てアルビオンの海岸線を超え、一度、眼下に広がる雲の中に飛び込んだ。そのまましばらく進んだところで、ワルドはグリフォンを森に降ろした。
「日が暮れてきた。グリフォンは夜目が効かない。続きは明日にしよう」
そう言ってワルドは野営の準備に入る。今日はローゼマインの騎獣がないので、本当に森の中で過ごすしかない。
「ミス・ローゼマインが言っていたことも一理あるのだよ。敵に囲まれれば僕も精神力が尽きてしまうし、グリフォンも休ませなければ飛べなくなるからね。戦闘はできる限り避けた方がいいという意見には納得させられたよ。明日も、速度を落としてでも慎重に進むことにするよ」
そう言っていたワルドは、実際に翌日も雲の中をゆっくりと幻獣を進めていく。
「ローゼマインは優秀だと側近の誰もが言っていたわね。ワルドもそう思う?」
「ああ、彼女ほど優秀な人は見たことがない。こう言っては不敬になるかもしれないけど、トリステインの王女が彼女なら、アルビオンに対抗するためにゲルマニアと同盟を結ぶということ自体が必要なかっただろう。姫殿下は国民からの支持は篤いけど、貴族たちからの支持は薄い。何より肝心の姫殿下が貴族たちを信用していない。もっとも、それは僕たちの責任もあるのだけどね」
アンリエッタは頼れる人がルイズしかいないと言っていた。友達面をしてよってくる欲の皮の突っ張った宮廷貴族たち、というのはアンリエッタが部下を評した言葉だ。
一方、ローゼマインの側近たちは彼女が命じれば迷うことなく従うと傍から見てもわかるくらい主を敬っていた。しかも、ここにいるのは彼女の側近全員ではないらしい。正式に側近としている護衛騎士は全部で七名もいると言っていた。加えて言うなら、側近以外は力を貸してくれないということもないだろう。そして、ローゼマイン自身も部下たちを信頼していた。
当初はトリステインの貴族の質の悪さを憤った。けれど、ローゼマインは貴族たちの質が悪いのは領主の責任だと言っていた。貴族の質が悪いと思えば、教育をしていかなければならないのだそうだ。けれど、今のトリステインでは、貴族の教育など不可能だ。
「ニューカッスル城が見えてきたが……拙いな、貴族派の艦だ」
ワルドの声に前を見ると、本当に巨大としか形容できない禍々しい巨艦が帆を何枚もはためかせ、ニューカッスルの城めがけて砲撃していた。砲弾は城に着弾し、城壁を砕いて小さな火災を発生させたようだった。
巨大戦艦の舷側からは無数の大砲が突き出ている。艦の上空にはドラゴンも舞っているようだった。
「どうするの?」
「しばらく砲撃したら一度、離れると思う。そのときに突入するよりないな。ぎりぎりまで雲の中に隠れていれば、なんとか城に駆け込めると思うが、問題はそれだと城内から攻撃を受けてしまう可能性があることだな」
ウェールズはルイズたちが来ることなど知らない。グリフォンで突入などしようものならば、敵の急襲と判断されて全力で迎撃をされてしまうだろう。
「何か手はないのかしら」
「一番簡単なのは、ミス・ローゼマインが持っていたオルドナンツというものを借りることだろうね。もっとも、それでウェールズ皇太子に信じてもらえなければ、かえって万全の反撃を受けるだけになる可能性もあるし、そもそも今から戻ってもオルドナンツを貸してもらえない可能性が高いだろうね」
「姫殿下からのオルドナンツを信じてもらえなかったとしたら、手紙も破棄してもらえてないってことじゃないの? それなら、なおさら行かなきゃダメじゃない。トリステインが大変なことになってしまうわ」
「いや、そうとは限らないと思う」
ワルドは続けて、本当によく考えられている、と呟いていた。けれど、ルイズにはそのような結論に至った理由が分からない。
「どういうことなの?」
「仮に姫殿下の送られた言葉が偽物であるかもしれないと疑ったとしても、はっきりと話題に挙がればウェールズ皇太子殿下の意識にはのぼる。そうなれば、いよいよ命が危ないというときには処分を考えるはずだ。内容は分からないが、姫殿下の手紙を敵の手に渡すことが損か得かは考えるまでもないだろう」
敵に渡したい情報など、あるはずがない。ルイズでもたとえ雑談のような手紙でも敵の手に渡すくらいなら自分で焼いてしまうだろう。そう考えると、本当にニューカッスルに行くことは意味がないということだろうか。いや、そうではないはずだ。手紙がウェールズ皇太子に焼かれる前に取り戻す。それが姫殿下の本当の望みなのだから。
「わたしの指にはまだ水のルビーがあるわ。それがあれば手紙がなくてもわたしの言葉を信じてくれるかもしれない。行きましょう、ワルド」
「分かった。僕も覚悟を決めよう」
「ありがとう、ワルド」
方針は決まった。しばらく待って砲撃を行っていた艦が離れると、ワルドは自ら風を起こして雲の一欠片を城の上空へと動かし、その中に隠れるようにして城に迫る。そうして一気に雲から飛び出して城の中庭に急降下する。上空を警戒していたメイジが慌てて外に飛び出し、杖をグリフォンに向ける。
「待ってください! わたしたちはトリステインのアンリエッタ姫殿下より使わされた大使です! ウェールズ皇太子殿下にお願いがあって参りました」
ルイズは敵意がないことを示すため、杖を持たずに両手を大きく広げながら叫んだ。その効果があったのか、警戒は解かれていないようだが、ひとまず魔法は飛んでこなかった。
「貴女たちがトリステインからの大使というのは本当ですか?」
「本当です。敵に捕らわれたときのことを考えて書状は持参できませんでしたが、姫殿下から身分を証明するものとして、この水のルビーをお預かりしています。ウェールズ皇太子殿下に確認していただければ、お分かりになっていただけると思います」
「その必要はございません」
声の方を見ると、一人の老メイジが城の中から出てきていた。
「先日、殿下からアンリエッタ姫殿下からマジックアイテムによる伝言が届いたと聞いております。大使殿は、その件でいらっしゃったということでよろしいですか?」
「はい、その通りです」
「分かりました。殿下の元にご案内いたします」
老メイジがまさにそう言ったとき、またしても上空を見張っていた者たちが騒然とし始めた。見ると、ここ数日で見慣れたローゼマインの騎獣の姿があった。なぜかいつもは周囲を警戒しているマティアスたちの騎獣は姿が見えない。
「あれは、わたしたちの味方です。攻撃しないでください」
ひとまず城の者にそう言いながら、怒っているローゼマインの姿を思い浮かべ、ルイズは大きなため息をついた。