トリステイン魔法学院に勤めるシエスタには、気になる異性がいた。それはヴァリエール家の令嬢、ルイズが召喚した使い魔のサイトという少年だ。
そんなサイトの歓心を買うため、お盆の上にティーポットとカップを乗せて、シエスタはヴェストリの広場に向かった。そこの隅には、サイトがコック長のマルトーからもらった古い大釜を用いて作った風呂がある。サイトは今、そこで入浴しているはずなのだ。
トリステイン魔法学院に、風呂はある。大理石でできた、立派な風呂だ。泳げるほどに広くて、香水が混じった湯が張られた大きな風呂は貴族しか入れない場所だ。シエスタも最近まで足を踏み入れたことがなかった。
シエスタが貴族が使う風呂に足を踏み入れたのはローゼマインによって平民の側仕えとして任命されてからだ。ローゼマインの国では脱衣から洗髪までほとんどを側仕えの手を借りて行われるらしく、オスマンから立ち入りまでは許可を得たということだった。
ちなみにシエスタたち平民が使えるのは、粗末な小屋の風呂だ。その中で焼いた石が詰められた暖炉の隣に腰かけ、汗を流し、十分に身体が温まったら、外に出て水をあび、汗を流すのだ。
自分たちと違う貴族の風呂の話をサイトにしたところ、サイトはそれを羨ましがり、自ら風呂を作ることにした。そうして簡易ながら、見事に自作に成功したのだ。
お盆を片手にシエスタは慎重にヴェストリの広場に侵入する。しかし、その瞬間にサイトに声を掛けられ、驚いた拍子にカップを落としてしまった。学園で使うカップはそれなりに高価なものだ。これは間違いなく怒られる。
「な、なにやってるの?」
シエスタが割れたカップの破片を拾い集めていると、サイトが不審げに尋ねてくる。
「あ! あのっ! その! あれです! とても珍しい品が手に入ったので、サイトさんにご馳走しようと思って! 厨房で飲ませてあげようと思ったんですけどおいでにならないから!」
最近、サイトは食堂で食事を取っており、厨房には来なくなった。加えて、シエスタは食事の時間はローゼマインの側近たちの給仕に付きっ切りでサイトと話す時間はない。おかげで、めっきり接点が減ってしまった。こうして入浴の場に突撃するという思い切った方法を取ることにしたのも、このまま接点が減って疎遠となることを危惧したためだ。
「ご馳走?」
「東方、ロバ・アル・カリイエから運ばれた珍しい品とか。『お茶』っていうんです」
ご馳走という言葉に反応したサイトに対してシエスタはお茶の入ったティーポットを掲げながら言った。お茶自体はトリステインにも存在する。けれど、今回のお茶は緑色をしているのが大きな違いだ。そのお茶を風呂の中で飲んだサイトは目頭をぬぐい始めた。
「い、いや、ちょっと懐かしかっただけだから。平気だよ。うん」
口に合わなかったのかと心配したが、どうやらサイトに喜んでもらえた様子に、シエスタはほっと胸をなでおろした。
「でも、よく俺がここにいるのがわかったね」
「たまにここで、こうやってお湯につかっているのを見てたもんですから……」
「覗いてたの?」
サイトの言葉に慌てて首を振り、シエスタは弁明をしようとする。しかし、釜の周りの地面はこぼれたお湯でぬかるんでおり、慌てた拍子に足をすべらせて前のめりに釜の中に落ちてしまった。落ちた拍子に飲み込んでしまった水を吐き出すと、思いの他の気持ちのよさにシエスタは目を細める。
「気持ちいいですね。これがサイトさんの国のお風呂なんですか?」
「そうだよ。普通は服を着ながら入ったりはしないけど」
「あら? そうなんですか? でも、考えてみればそうですよね。じゃあ、脱ぎます。このまま帰ったら部屋長に怒られちゃいますし、火で乾かせばすぐに乾くと思うし」
シエスタにも羞恥心はある。けれど、ここで思いきらずに、いつするというのか。
一度、お湯から出ると、意を決して、ブラウスのボタンやスカートのホックを外していく。そのまま下着まで脱いで、薪を使って火のそばに干す。干している最中、サイトの方を確認してみると、意識的に視線を逸らしてくれていた。その間に再びお湯の中に入る。
「うわあ! 気持ちいい! あの共同のサウナ風呂もいいけど、こうやってお湯につかるのも気持ちいいですね! 貴族の人たちが入っているお風呂みたい。そうですね、羨ましいならこうやって自分で作ればいいんだわ。サイトさんは頭がいいですね」
そう言うとサイトは照れた様子を見せたが、シエスタは本気でそう思っている。サイトはいつも、シエスタが思ってもみない新しい道を示してくれる。
「そんなに照れないでください。わたしも照れるじゃないですか。こっち向いても大丈夫ですよ。ほら、ちゃんと胸は腕で隠してるから……、それに、水の中は暗くて見えないから、平気ですよ」
そう言うと、サイトは戸惑いながらもシエスタの方を向いてくれた。シエスタは自分の方を向いてくれたサイトに、故郷の国の様子を教えてくれるように頼む。
「月が一つで、魔法使いがいなくって、そんでもって、電気はスイッチで消して、空を飛ぶときは飛行機で飛んで……」
「いやだわ。魔法使いがいないなんて、わたしをからかってるんでしょう。村娘だと思って、バカにしてるんですね」
月が一つというのは、確かローゼマインたちも言っていた気がする。けれど、魔法使いがいない国なんて、想像もできない。シエスタがそう言うと、サイトは今度は食生活の違いを挙げていった。懐かしそうに、サイトはシエスタに故郷の話をしてくれる。
「わたしの故郷も素晴らしいんです。タルブの村っていうんです。ここから馬で三日くらいかな……。ラ・ロシェールの向こうです。何にもない、辺鄙な村ですけど、とっても広い、綺麗な草原があるんです。春になると、春の花が咲くの。夏には、夏のお花が咲くんです。ずっと遠くまで、地平線の向こうまでお花の海が続くの。今頃、とっても綺麗だろうな」
そこで、ふと思いついてシエスタは手を叩いた。
「サイトさん、わたしの村に来ませんか? あのね、今度お姫さまが結婚なさるでしょう? それで、特別にわたしたちにお休みが出ることになったんです。でもって、久しぶりに帰郷するんですけど……。よかったら、遊びに来てください。サイトさんにも見せたいんです。あの草原、とっても綺麗な草原」
「う、うん」
「あとね? わたしの村にはとってもおいしいシチュー料理があるの。ヨシェナヴェっていうんです! 普通の人が見向きもしない山菜で作るんだけど、とってもおいしいの! 是非、サイトさんにも食べて欲しいわ」
「ど、どうして俺に見せたいの? 食べさせたいの?」
その答えは、シエスタにとって意気地のない自分をさらけ出すようで躊躇われる。けれど、言わないといけない。紛れもなくそれは、シエスタがサイトに憧れを抱いて、目で追うようになった出来事なのだから。
「……サイトさん、わたしに『可能性』を見せてくれたから」
「可能性?」
「そうです。平民でも、貴族に勝てるんだって。わたしたち、なんのかんの言って、貴族の人たちに怯えてくらしてる。でも、そうじゃない人がいるってこと、なんだか自分のことみたいに嬉しくって。わたしだけじゃなくって、厨房のみんなもそう言ってて……」
平民と貴族は違う。それはローゼマインの近くにいる最近では、とみに強く感じることだ。それだけに、平民であっても堂々としているサイトは眩しく感じるのだ。
「もちろん、それだけじゃなくて。ただ、サイトさんに見せたくって……。でも、いきなり男の人なんか連れていったら、家族のみんなが驚いてしまうわ。どうしよう……」
この先を言おうか、言うまいか。少しの逡巡の後、思い切ってシエスタは続きを口にすることにした。
「そうだ。だ、旦那さまよって、言えばいいんだわ。け、結婚するからって言えば、喜ぶわ。みんな。母さまも、父さまも、妹や弟たちも……みんな、きっと喜ぶ……ご、ごめんなさい! そんなの迷惑ですよね! サイトさんが遊びに来るって決まったわけじゃないのに!」
サイトの反応を見て、シエスタは急いで自分の言葉を取り消した。やはり、まだ早すぎたのだ。それに、サイトには他にも……。
「そうよね、あなたのそばには、あんなに可愛らしい、ミス・ヴァリエールが……、貴族の女の子がいるんだもの。わたしなんか所詮、村娘だもの」
「そ、そんなことない! きみは十分、魅力的です。保証する。なぜって、脱いだらすごいから」
「なにしてんの、あんたたち」
そこで急に底冷えのする声がかかった。見ると、ルイズが大釜に入った二人を怒りに満ちた瞳で睨み付けている。
言われて急に恥ずかしくなったシエスタは、慌てて干していた衣服を身に着ける。そして、その後は振り向くことすらせず、一目散にルイズとサイトの前から逃げ出した。
少しは勇気を持てるようになったと思ったけど、まだまだ貴族は怖い。そして、それ以上に異性と入浴しているのを見られたことへの羞恥は凄まじかったのだ。
後で才人が緑茶を飲んだと知ったローゼマインが自分も飲みたかったと悔しがったとか。
シエスタはローゼマインと接点が少ない(ローゼマインの世話はリーゼレータとグレーティアのみ)ので忠誠心も薄く、ついでにお金も持っているので学園側で手に入れた珍しい品を献上する必要性もないと判断されました。
ところでシエスタ、カップもだけどお茶も相当高いんじゃ……。