俺は学院の中庭に置かれているゼロ戦の操縦席の中にいた。後部座席にはルイズが妙な本と一緒に乗り込んでいる。古びた皮の装丁がなされた表紙はボロボロで、触っただけでも破れてしまいそうな本だ。俺には汚いという印象が先に来るが、その本はトリステインの王室に伝わる『始祖の祈祷書』という秘宝らしい。ルイズはそれを、アンリエッタの結婚式まで肌身離さず持ち歩くように命じられたらしい。
そんな本を抱えたルイズがゼロ戦に同乗している理由は、ルイズがローゼマインたちとの連絡役を任されているためだ。トリステインは現在、空軍戦力が壊滅的で、俺のゼロ戦は単機でアルビオンの竜騎士隊と戦闘を行わなければならないらしい。そんな俺に指示を与えるために、ルイズはオルドナンツの受け役を任されたのだ。
最初、ルイズはゼロ戦への同乗どころか、俺がゼロ戦で戦場に向かうこと自体を渋った。その理由は、どうしてもこんな鉄の塊が空を飛ぶと信じられなかったかららしい。それに仮に飛べたとしても、たった一機で何ができるとも思えない。そう言った。
「確かに、どうにもならないかもしれない。あの戦艦をやっつけられるとは思えない。でも、俺はなんだかしらねえけど、伝説の使い魔なんていう、力をもらっちまった。俺がもし普通の人間だったら、助けに行こうなんて思わなかった。震えて見てただけさ。でも、今は違う。俺には『ガンダールヴ』の力がある。俺ならできるかもしれない。俺ならシエスタや、あの村の人たちを救うことができるかもしれない」
「バカじゃないの? そんな可能性、ほとんどないわよ。それに、あんたもとの世界に帰るんでしょう? こんなとこで死んだらどうするのよ!」
「俺はこの世界の人間じゃない。どうなろうと知ったこっちゃない。でも、せめて優しくしてくれた人は守りたい。だから、俺はやる」
そうは言っても、体の震えは止まらない。怖いものは怖いのだ。
「怖くないの? ばか。怖いくせに無理してかっこつけないで!」
「怖いよ。ああ、無理してる。でも、あの王子さまが言ってた。守るべきものの大きさが、死の恐怖を忘れさせてくれるって。ホントだと思った。あのとき、アルビオンでワルドに向かっていったとき……、俺は怖くなかった。嘘じゃねえ」
「あんたはただの平民じゃない。勇敢な王子さまでもなんでもないのよ」
「知っているよ。でも、王子さまも平民も、関係ねえ。生まれた国も時代も、“世界”だって関係ねえ。それはきっと……、男なら、誰だってそう思うに違いないんだ」
コルベールが精製したガソリンを注入してもらい、更に魔法で前から風を吹かせてもらうことで足りない助走距離を補って『アウストリ』の広場から飛び立った。こうして考えるとゼロ戦が飛び立てたのは、全てコルベールのおかげだ。感謝しなければいけない。
そこからタルブの村まで飛行し、俺はゼロ戦の風防から顔を出して、眼下の村を見つめた。この前見た、素朴で、美しい村は跡形もない。家々は黒く焼け焦げている。
美しかった村のはずれの森に向かって、一騎の竜騎士が、炎を吐きかけて、森が燃えた。その光景を見ていると、沸々と怒りが沸き上がってくる。
「叩き落としてやる」
俺は操縦桿を左斜め前に倒した。スロットルを絞る。
機体を捻らせ、タルブの村めがけてゼロ戦が急降下を開始した。
敵の竜騎士がゼロ戦の姿を認めて上昇してくる。だが、ゼロ戦の速度を完全に見誤っていたようだ。みるみる縮まる距離に慌ててブレスを吐こうと火竜の口を開けさせるが、そのときには、俺はすでに二十ミリ機関砲弾を発射していた。
火竜の喉にはブレスのための、燃焼性の高い油が入った袋があると聞いている。機関砲弾は喉の奥の袋に命中したらしく、火竜は空中爆発した。
タルブの村の上空には、さらに何匹もの竜騎士が舞っている。その中から三騎が俺を迎え撃つため上昇してくる。
「あいつらのブレスを浴びるなよ。一瞬で燃えちまうぜ」
デルフリンガーのいつもと変わらぬ調子の言葉に頷く。もう一人の同乗者であるルイズは必死に敵の数と位置の把握に努めている。把握でき次第、本陣にいるアンリエッタに向けてオルドナンツで知らせることになっているためだ。
竜騎士が跨る火竜の速度は、俺の世界の速度に換算して、およそ百五十キロ。ゼロ戦は時速四百キロ近い速度で機動を行っている。難なく竜騎士の背後を取ると、慌てて後ろを向こうとする火竜に向けて両翼の二十ミリ機関砲弾を撃ち込む。
「すすす、すごいじゃないの! 天下無双と謳われたアルビオンの竜騎士が、まるで虫みたいに落ちていくわ! ローゼマインは、このことを知っていたのね!」
三騎の竜騎士を撃墜したゼロ戦に、ルイズも興奮した声を上げている。けれど、そこは俺の腕を褒めてほしいと思うのは狭量だろうか。
最終的にゼロ戦に向かってきた竜騎士は二十騎に達した。俺がそれを十二分足らずで全滅させると、敵は竜騎士を向けてくるのをやめた。被害の大きさに怖気づいてくれたのだろうが、正直、残弾数が心許なくなっているので、正直なところ助かった。
敵の巨大艦『レキシントン』号が動き始めた。俺のゼロ戦は無視して、トリステインの本陣があるラ・ロシェールの町を砲撃するつもりのようだ。
「相棒、親玉だ。雑魚をいくらやっても、あいつをやっつけなきゃ……」
「わかってるけどよ」
「ま、無理だあな」
巨大な艦である『レキシントン』号はさすがに二十ミリ機関砲でも落とせない。あるいは全弾撃ち尽くす勢いでならば可能かもしれないが、他に戦列艦が十隻以上もある中で試せることではない。
巨大な艦を沈めることはできない。けれど、帆を倒して操艦を妨害することくらいなら、あるいは火砲を潰すだけでも砲撃はできなくなる。ゼロ戦でも、できることはある。意を決して、俺は敵艦に接近を試みるべく操縦桿に力を込めた。けれど、その前にデルフリンガーの声が響き渡った。
「相棒! 後ろだ!」
はっとして後ろを見ると、一騎の竜騎士が烈風のように向かってくる。
その背にいるのは、ワルドだ。
ワルドの風竜はゼロ戦の後ろにぴったりと張りついて、離れない。
「あいつ、またルイズを殺そうとするのか!」
ここで死んだら、ルイズも、シエスタも守ることができない。怒り以上に、負けられないと強く思った。その瞬間、俺の左手のルーンが、いちだんと強く輝いた。同時にこれまで以上に鮮明に操縦方法が頭の中に浮かんでくる。
これを使えば、俺は勝てる。
スロットル最小。フルフラップ。ゼロ戦は後ろから何かにつかまれたように減速した。
操縦桿を左下に倒す。同時にフットバーを蹴り込んだ。鮮やかに天地が逆転した。
ゼロ戦は滑らかに、壜の内側をなぞるような軌道を描いてワルドの風竜の背後を取った。その瞬間に機首の機銃弾を発射。火竜に比べて鱗の薄い風竜は悲鳴をあげると、ワルドを乗せたまま滑空するように墜落していった。
俺がワルドと戦っている間に、アルビオン艦隊はトリステイン軍の本陣に随分と接近していた。俺が急いでゼロ戦を接近させると、艦隊の右舷側がピカッと光った。一瞬後、俺のゼロ戦めがけて何かが飛んできた。それは、無数の小さな鉛の弾だった。機体のあちこちに小さな穴が穿たれる。風防が割れ、破片が俺の頬を掠めた。血が一筋、頬を伝う。後部座席からルイズの悲鳴が聞こえたが、振り返る暇はなかった。
「近づくな! 散弾だ!」
俺はゼロ戦を咄嗟に下降させ、二撃目を逃れた。安全が確保されたところで後部座席を見ると、幸いルイズに傷はなかった。
ローゼマインは敵艦に対処するための策は考えてあるから、無理はするなと言った。その真偽は分からない。今も巨大艦を中心とした艦隊は悠然と前に進んでいる。このまま見送るしかないのか。迷う俺のゼロ戦に白い鳥が近づいてくる。
「マティアスです。ミス・ヴァリエールはその飛行機というもので敵艦に水平方向から近づいてください。敵艦の射程に入る必要はありません」
ルイズの腕に止まった鳥が声を発する。ルイズが、分かりました、と声を吹き込むのを聞きながら、俺はマティアスの言ったことの意味を考えていた。射程に入る必要はないという言葉から察すると、俺の役割は囮だろうか。
ともかく、囮を必要とするということは何らかの攻撃を企図しているということだ。詳しい内容までは分からない。けれど、俺はマティアスたちを信じて囮役を務めるよりない。
マティアスに言われた通りゼロ戦を近づけると、敵艦隊が散弾を発射してくる。俺の左手の甲のガンダールヴの印が教えてくれる情報と、デルフリンガーの分析によりゼロ戦に傷はついていない。
早く次の手を。俺はじりじりとした焦りを感じながらゼロ戦を飛ばし続けた。
始祖の祈禱書編もあと二話。
その直前になって章追加。
すっかり忘れてた。