ハルケギニアの商人聖女   作:孤藤海

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伝説

アルビオン艦隊が後退していくのをルイズはサイトのゼロ戦の後部座席で見つめていた。トリステインの陣地の方から歓声が上がっているのが分かった。けれど、ずっとゼロ戦の後部座席で戦場を見つめ続けていたからこそ、分かることがあった。それは、次の戦いでは、トリステインは負けるということだ。

 

アルビオン艦隊には、まだ戦列艦が六隻に加えて、それより小型の艦が多数残存している。それに対して、トリステインは残った船をすべて使い潰したはずだ。それに人的被害の大きさでアルビオンに勝っても、幻獣での奇襲を行ったトリステインは貴族の被害という意味では負けているように思えてならない。

 

このままアルビオン艦隊を逃がしてはならない。けれど、自分には何もできない。

 

ルイズは手に持っている『始祖の祈祷書』を握りしめた。アンリエッタの結婚式の折に式の詔を詠みあげるときまで肌身離さず持ち歩くように言い含められて、オスマンより渡されたトリステイン王室に伝わる宝。オスマンの言いつけを愚直に守り、ルイズはこんな場所にも変わらずに持ち続けている。

 

右手に持った始祖の祈祷書を左手でそっと撫でる。大いなる始祖ならば、この危機を乗り越えることができるのだろうか。もしも、良案があるのなら教えてほしい。

 

ルイズはいつも見ているだけだ。フーケのゴーレムと戦ったときも何ひとつ手助けらしきことはできなかった。

 

アルビオンでもローゼマインの盾の中でワルドと戦う皆を見ていただけだ。サイトの援護をすることも考えないではなかったけど、二人は剣を交えながら激しく動き回っていた。狙いの定まらないルイズの魔法では背中からサイトを撃ってしまう可能性があった。役立たずならまだしも、邪魔をしてサイトが死んでしまったら、ルイズはおそらく、二度と魔法が使えなくなっただろう。

 

始祖の祈禱書を持つ手に自然と力がこもる。この中身が白紙であることは何度も確認している。それでもルイズは藁にも縋る思いで始祖の祈祷書のページを開いた。

 

その瞬間、アンリエッタからもらった『水』のルビーと『始祖の祈祷書』が光りだした。驚くルイズの前で始祖の祈祷書の光の中に古代のルーン文字を見つけた。ルイズは授業は真面目に受けているので、古代語も読むことができる。

 

この世のすべての物質は、小さな粒より為る。四の系統はその小さな粒に干渉し、影響を与え、かつ変化せしめる呪文なり。その四つの系統は、『火』『水』『風』『土』と為す。

 

そんな序文から始まった始祖の祈祷書は、その後、神から四の何れにも属さない、さらに小さな粒に干渉し、影響を与え、変化せしめる呪文を授けられたと続いた。そして、四にあらざれば零。零すなわちこれ『虚無』。そう記してあった。

 

「虚無の系統……。伝説じゃないの。伝説の系統じゃないの!」

 

トリステインの危機への救済を願ったら、虚無の系統に関することが始祖の祈祷書に浮かんできたのだ。ならば、これこそが、危機を打開するものとなるに違いない。ルイズは急いで先を読み進める。

 

その先に書かれていたのは、『虚無』が強力であること。ただし、詠唱は永きにわたり、多大な精神力を消耗し、時として『虚無』は命を削るとあった。

 

始祖の祈祷書の序文の最後は、選ばれし読み手は『四の系統』の指輪を嵌めよ。されば、この書は開かれん。と絞めてあった。

 

「ねえ、始祖ブリミル。あんたヌケてんじゃないの。この指輪がなくっちゃ『始祖の祈祷書』は読めないんでしょ? その読み手とやらも……、注意書きの意味がないじゃないの」

 

思わず呟いたところで、はたと気づいた。始祖の祈祷書を読める、ということは、自分は読み手なのだろうか。

 

よくわからないけど……、文字は読める。読めるのなら、ここに書かれた呪文も効果を発するかもしれない。ルイズはいつも呪文を唱えると、爆発していた。あれは……、ある意味、ここに書かれた『虚無』ではないだろうか?

 

すると、自分はやはり、読み手なのかもしれない。

 

信じられないけど、そうなのかもしれない。

 

だったら試してみる価値は、あるのかもしれない。

 

だって……、今のところ、ほかに頼れるものはないのだから。

 

「いや……、信じられないんだけど……、うまく言えないけど、わたし、選ばれちゃったかもしれない。いや、なんかの間違いかもしれないけど」

 

サイトに言うと、随分と怪訝な顔をされた。

 

「いいから、このゼロ戦ってやらを、アルビオン艦隊に近づけて。ペテンかもしれないけど、何もしないよりは試した方がマシだし、ほかにあの艦隊をやっつける方法はなさそうだし、やるしかないのよね。わかった。とりあえずやってみるわ。やってみましょう」

 

「お前、大丈夫か? とうとう怖くておかしくなったか?」

 

ルイズが勇気を出して言ったというのに、サイトは随分と失礼な対応だ。

 

「近づけなさいって言ってるでしょうが! わたしはあんたのご主人さまよ! 使い魔は黙って主人の言うことに従うッ!」

 

「お前なあ、少しはローゼマインを見習えよ」

 

「ローゼマインの従者は貴族でしょう? 平民の使い魔とは違うの!」

 

「まったく、ここまで来ても貴族と平民か……」

 

文句を言いながらもサイトはアルビオン艦隊にゼロ戦を近づける。ルイズはサイトの肩に跨ると風防をあけた。猛烈な風が顔に当たる。

 

ルイズは息を吸い込み、目を閉じた。それからかっと見開く。『始祖の祈祷書』に書かれたルーン文字を詠み始める。

 

エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ。

 

ルイズの中をリズムがめぐっていた。一種の懐かしさを感じるリズムだ。呪文を詠唱するたび、古代のルーンをつぶやくたびに、リズムは強くうねっていく。神経は研ぎ澄まされ、辺りの雑音はすでに一切耳に入らない。

 

知らない言葉のはずが詠み始めると、するすると口から呪文が溢れてくる。体の中で何かが生まれ、行き先を求めてそれが回転していく感じ。得意系統を使ったときに感じると言われていた言葉がすとんと自分の中に落ちてきた。これが自分の魔法だと、今、ルイズは自信を持って言える。

 

長い詠唱ののち、呪文が完成した。

 

その瞬間、ルイズは己の呪文の威力を、理解した。

 

巻き込む。すべての人を。

 

自分の視界に映る、すべての人を、己の呪文は巻き込む。

 

選択は二つ。殺すか。殺さぬか。

 

今、この場での勝利だけを考えるのならば、敵をすべて殺してしまえばいい。アルビオンはルイズの大切な友人であるアンリエッタの思い人であるウェールズを殺し、望まぬ結婚を決意させた憎い敵だ。けれど、その憎しみに任せて、この場にいるすべての人を殺すのが正しいことだろうか。全ての人を殺し尽くすのが、ルイズの理想の貴族の姿か。

 

悩んだルイズが杖を振り下ろしたのは、宙の一点をめがけてだった。そこに現れたのは光の球だ。まるで小型の太陽のような光を放つ、その球が膨れ上がっていく。

 

そして……包んだ。

 

空を遊弋するアルビオンの残存艦隊を包んだ。

 

さらに光は膨れ上がり、視界すべてを覆い尽くした。

 

そして……、光が晴れたあと、艦隊は炎上していた。すべての戦列艦の帆が、甲板が燃えている。がくりと艦首を落とし、アルビオン艦隊が地面に向かって墜落していく。

 

地響きを立てて、艦隊は地面に滑り落ちた。

 

一拍の間を置いてトリステイン軍が本陣を置くラ・ロシェールから大勢の兵たちが飛び出していく。対するアルビオン軍は未だ数ではトリステイン軍を上回っているが、奇襲で予想外の打撃を受けたのに続いて、自慢の艦隊が全滅して完全に恐慌状態に見えた。

 

先のアルビオン王軍とのニューカッスル城での戦いで、レコン・キスタは三百の王軍の前に一万人もの死傷者を出している。新生アルビオン軍は純粋な地上戦にそもそも自信を持てなくなっていたのだろう。逆にトリステイン軍は虚無の魔法がなくともアルビオンが誇る艦隊を四隻も沈めている。この戦いは、トリステインが勝つ。

 

その直感は当たった。トリステイン軍は数で勝る敵軍を、逆に押しつぶしてしまいそうな勢いで攻め立てている。

 

もうトリステインは大丈夫だ。そう思ったところで身体から力が抜けた。そのままぐったりとサイトに寄りかかる。

 

「なあルイズ、さっきのなに?」

 

「伝説よ」

 

「伝説?」

 

「説明はあとでさせて。疲れたわ」

 

疲労は大きい。だけど、どこか心地よい疲労だった。

 

「ちょっと休むわ」

 

そう言っている間にも瞼が落ちてくる。それから間もなくルイズはサイトに身を預けてしばしの休息についた。

 

そして目覚めたときには、戦いは終わっていた。トリステインの大勝利だった。




少しの休息を経て、次章の投稿をさせていただきます。
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