光の中に立っているウェールズの姿を見て、俺はデルフリンガーを構え直した。俺の隣ではフルーランスたちも杖を抜いて呪文の詠唱を始めている。
「サイトくん」
ウェールズの声は、ニューカッスル城で俺のことを優しい少年だと言ってくれたときと同じ穏やかな響きを持っていた。
「サイトくん、ラ・ヴァリエール嬢、アンリエッタを止めてくれて、ありがとう」
今のウェールズからはアンドバリの指輪に操られていた頃のような危険な冷たさを感じない。俺と共にワルドと戦ってくれた勇敢で優しいアルビオンでのウェールズだ。
「……アンリエッタ」
弱々しく、消え入りそうな声だったけど、アンリエッタは肩を震わせていた。
奇跡がハルケギニアに存在するとしたら、まさにこのときがそうなのだろう。
ルイズの『ディスペル・マジック』で偽りの命を吹き飛ばしたところに、ローゼマインと一緒に行った皆の祈りがわずかに残っていたウェールズの生命の息吹に火をともしたのかもしれない。俺は、なんとなくそう思った。
「ウェールズさま……」
アンリエッタが思い人の名を呼んだ。けれど、駆け寄ることはしなかった。この場には、ウェールズたちによって同僚の大半を失ったヒポグリフ隊の生き残りもいる。彼らの前でウェールズの元に向かうことは、さすがにできないようだった。ただ、それでも目から流れる涙は止められずにいる。
「ウェールズさまは……」
どのくらい今の状態でいられるのか。それは重要なことだけど、アンリエッタには聞きにくいことだろう。だから、俺が代わりに聞こうとしたけど、その前にウェールズは首を横に振った。
「一度死んだ肉体は、二度と蘇えることはない。ぼくも本当は、そのまま消えてしまうはずだった。けれど、消えようとしていたぼくの意識に、アンリエッタやラ・ヴァリエール嬢、サイトくんたちの声が聞こえた。ぼくはローゼマイン様の魔力と皆の祈りによって、ほんのちょっと帰ってこられただけなんだろう」
「ウェールズさま、いや、いやですわ……、またわたくしを一人にするの?」
ついに耐え切れず、アンリエッタが涙ながらに自らの思いを発する。
「迷惑をかけたトリステインの皆さんに伝えておきたいことがあります」
けれど、ウェールズが語り始めたのはアンリエッタの思いに対する答えではなかった。
「アルビオンの神聖皇帝クロムウェルは虚無の使い手であると自称していますが、それは偽りです。クロムウェルの虚無は、水の精霊から奪ったアンドバリの指輪によるものです。けれど、アンドバリの指輪の脅威度は虚無にも劣らないものです。アンドバリの指輪により蘇った者はクロムウェルの命令に背くことはできません。そして、皆さんがその目で見られた通り、生半可な攻撃は通用しません」
「ウェールズ様は、アンドバリの指輪に操られていた間の記憶がおありなのですか?」
そう聞いたのはローゼマインだ。
「夢の中の光景のように朧気ではあるけれど、一応はすべて覚えています」
答えたウェールズが僅かに苦しげなのは、追ってきたヒポグリフ隊の隊員たちを襲ったことも記憶にあるためなのだろう。
「ウェールズ様の記憶で何かアルビオンの動向や、クロムウェルに対する重要な情報の記憶はございますか?」
「アルビオンについては、先の戦いでの損害を嘆く声を聴いたことがある気がする。そして、クロムウェルのことについては、おそらくになるけれど、背後に糸引く誰かがいる気がする。いかにアンドバリの指輪の力があったとしても、ぼくが見た限り、彼だけの力であれだけの革命が成し遂げられたとは思えない」
「そのクロムウェルの背後の誰かについて、心当たりはございますか?」
「怪しい者となると、クロムウェルの秘書シェフィールドだと思う」
クロムウェル。そして、シェフィールド。俺の敵の姿が見えてきた。
そいつらがウェールズを冒涜し、アンリエッタとルイズを傷つけたのだ。赦せない。
アルビオンではルイズを騙した。その後はトリステインに対して騙し討ちをしてタルブの村を焼き払った。そして今、アンリエッタを騙そうとした。どこまでアルビオンは卑怯な真似を続ける気だろうか。
「アンリエッタ。最後のお願いがあるんだ」
俺が強く拳を握りしめていると、ウェールズが一段と穏やかな笑みを浮かべて言った。
「最後だなんて、おっしゃらないで」
「誓ってくれ、アンリエッタ」
けれど、ウェールズはアンリエッタに答えず、言葉を続ける。
「なんなりと誓いますわ。なにを誓えばいいの? おっしゃってくださいな」
「ぼくを忘れると。忘れて、他の男を愛すると誓ってくれ。その言葉が聞きたい」
「無理を言わないで。そんなこと誓えないわ。嘘を誓えるわけがないじゃない」
「それでも誓ってあげてくださいませ」
そう言ったのはローゼマインだった。
「どう考えても嘘だってわかるのに、どうして誓わないといけないんだ?」
俺の呟きを拾ったのはハルトムートだった。
「アンリエッタ様はトリステイン王家の一人娘なのでしょう。婿を取らなければ、次代が産まれることはありません。そうなれば、アンリエッタ様の次代を巡って必ず国が乱れます。ウェールズ様とて王族です。それをわかっていないはずがありません。それなのに自分への思いを持ち続けろなどと、言えるはずがないでしょう」
王族というのは思ったより不自由なものだったらしい。先には望まぬ婚姻でゲルマニアに嫁ぐことになり、今また大切な思いすら捨てるよう迫られている。
「お願いだアンリエッタ。じゃないと、ぼくの魂は永劫にさまようだろう。きみはぼくを不幸にしたいのかい?」
「……誓います。ウェールズさまを忘れることを。そして、他の誰かを愛することを」
アンリエッタは悲しげな顔で、誓いの言葉を口にした。
「ありがとう」
そう言ったウェールズの体から白と黒の光の粒子が立ち上がり始める。
「時間のようだ。さようなら、アンリエッタ」
それだけ言ってウェールズは全ての力を使い果たしたかのように、その場に崩れ落ちる。まずはアンリエッタが、少し遅れてルイズがウェールズに駆け寄る。けれど、いくら声をかけようとも、今度こそウェールズは目を開けることがなかった。
「意地悪な人」
呟いたアンリエッタがゆっくりと目を閉じた。
閉じたまぶたから、涙が一筋たれて頬をつたった。
ルイズはじっとアンリエッタの様子を見つめて、声を殺すようにして泣いている。俺はそんなルイズの肩を抱いた。
ルイズの肩を抱きながら、俺は自分が正しかったのか迷い始めていた。
あのとき、アンリエッタを行かせてやったほうが、彼女が言ったように……、幸せだったんじゃないだろうか。偽りの生命でも、偽りの愛でも……、本人が真実と信じられるのら、それでよかったんじゃないだろうか。子供のように泣きじゃくるルイズの肩を抱きながら、俺はずっとそんなことを考え続けていた。
「平賀さんは正しかったのだと思いますよ。ウェールズ様を操っていたクロムウェルの狙いがトリステインにあるのは明らかです。夢見心地でウェールズ様とトリステインを滅ぼした後で、ふと正気に戻ったときにアンリエッタ様が負った傷は、今の比ではなかったはずですから」
俺の悩みに気付いていたのだろう。ローゼマインは俺の隣でそう呟く。
何が正しくて、何が正しくないのか……、これからも俺を悩ませることがあるのだろう。これからもこのような決断を迫られるときがくるだろう。
せめてそのとき、己が迷わぬようにと、祈りを込めて俺は強くルイズを抱きしめる。
長い夜が終わり、新しい朝が始まろうとしている。俺たちはもう一度、全員で今回の戦いで亡くなった人たちに祈りを捧げて、トリステインへの帰路についた。
次の原作5巻相当、夏季休暇編は6話。