ロマリア行きの準備を万全に整え、後はトリステインとゲルマニアの連合軍とアルビオン軍との戦いの第一報を待つばかりとなったある日の深夜、あたしはタバサに起こされた。
「変」
短く、それだけ告げられた声に、あたしは耳をすませるために軽く目をつむった。微かにだが、外から音が聞こえてくる。
あたしは手早く服を身につけ、杖やローゼマインから譲られたマジックアイテムなどを腰につけた革のベルトに収納した。これはローゼマインたちが多くのマジックアイテムを、そのようにして所持しているのを見て、作らせたものだ。
そうして準備を整えた瞬間、下の方から扉が破られる音が響いてきた。
「一旦退く」
「賛成」
敵の数や得物がわからぬうちは、一旦引いて態勢を立て直す。戦の基本だ。タバサの意見に異存などない。
あたしはタバサと一緒に窓から飛び降りて茂みに姿を隠し、辺りの様子を窺う。
女子寮はなんなく制圧されてしまったようだ。ろくに戦闘音が聞こえなかったことから、九十人ほどいたはずの女子生徒たちは抵抗せずに投降をしたようだ。それだけでなく教師たちも、ろくな抵抗をせずに捕らえられたようだ。
下手に抵抗して殺されていないことを喜ぶべきか、それだけの数がいながら戦うことをしなかったことを嘆くべきか難しいところだ。生徒たちは食堂に集められていく。敵の人数は多く、それ以上に人質の数が多い。これはタバサと二人だけでは救出は難しそうだ。
手をこまねいているうちに、食堂の外に動きがあった。火の塔から出てきて食堂を取り囲んだのはアンリエッタが魔法学院の生徒たちに軍事訓練を課すために派遣した銃士隊だ。塔内に侵入した賊を排除してこちらに向かってきたのだろうから、平民で構成されているからといって馬鹿にはできない戦闘力なのだろう。銃士隊の存在は頼もしくはあるが、だからといって協力して事に当たれるかというと話は別だ。
授業中に乗り込んできた銃士隊の隊長は、メイジが嫌いだと言っていた。どこまで協力体制を築けるのかは不明だ。
とはいえ、あたしたちの手に余るのは確かだ。ひとまず話だけはしてみるため、食堂を包囲する銃士隊に向かって、あたしたちは闇の中を移動する。
そうして、あたしたちが銃士隊の傍まで近づいたとき、食堂の入口に、がっしりした体躯のメイジが姿を見せた。そのメイジに向けて銃士隊は投降を勧告したが、一笑に付されて、逆にアンリエッタを呼ぶこと、その返答を五分以内にすることの要求がされ、要求が飲まれない場合は、五分後より一分おきに人質を殺すとまで言われていた。
厳しい要求に銃士隊の隊長が唇を噛みしめる。その銃士隊に声をかけていたのは、驚くべきことにコルベールだった。どうやら本塔から離れた研究棟にいたことで難を逃れることができたようだ。
「ねえ、銃士さん」
ともかく銃士隊の隊長に声をかけ、あたしとタバサで立てた、あたしたちの魔法を軸とした人質救出の作戦を話す。作戦の内容は、まず事前準備として紙風船と黄燐を用意。紙風船には黄燐を詰め、それをタバサの風の魔法で食堂内に飛ばす。そうして、皆の注目を集めるタイミングで、あたしの着火の魔法で爆発させる。そうすると、激しい光と音を放つので、敵が視界と音を奪われている隙に全員で突入して敵を制圧する、というものだ。
コルベールは危険すぎると反対したが、銃士隊の隊長はあたしの案を面白いと評価してくれた。何より敵側からは返答までに時間制限が告げられている。コルベールのことは放置して、突入作戦を詰める。
事前準備としての黄燐を詰めた紙風船は用意できた。銃士隊も配置についた。銃士隊の隊長と名乗ったアニエスを見ると、軽く頷いた。
「恨むなよ」
食堂の中で男が人質に向けて杖を掲げた。今しかない。あたしはタバサに風船を飛ばすよう指で指示を出す。
少しすると、中にいる男たちが紙風船に驚く声が聞こえてきた。今だ。
あたしが着火の魔法を使うと、中から爆音が聞こえてきた。すかさず、あたしとタバサ、そしてマスケット銃を構えた銃士が飛び込む。
その瞬間、あたしたちをめがけて、炎の弾が何発も飛んでくる。咄嗟に身を屈めて炎の弾をかわそうとしたが、あたしたちにぶつかる前に炎の弾は爆発した。
激しい炎で、銃士たちの抱えていたマスケット銃の火薬が暴発した。真っ先に突入した銃士が指が飛んだ手を押さえ地面をのたうち回る。
あたしは何とか立ち上がろうとするも、体が思うように動かない。
炎で包むのは威力は高いものの、有効な殺傷範囲は狭い。敵はそれよりも広範囲に打撃を与える方を選んだ。それは奇襲に対する対応としては正しい。
魔法の威力も申し分なかった。加えて戦略眼もある。
侮ったつもりはなかった。けれど、あたしたちは甘かったのだ。
視界の中に、タバサがよろめきながら立ち上がるのが見えた。けれど、タバサは倒れた衝撃で頭をうっていたらしく、再び地面に転がった。
爆発の衝撃で手放した杖が、意外にも目の前に落ちているのに気づき、あたしは拾おうと手を伸ばす。けれども、あたしの手が掴むより早く、杖は踏まれてしまった。
「おしかったな……。光の球を爆発させて視力を奪うまではよかったが……そもそもオレはまぶただけでなく目を焼かれていてな。光がわからんのだよ」
でも、この敵の動きは、目の見えるもののそれだ。
「蛇は、温度で獲物を見つけるそうだ。オレは炎を使ううち、随分と温度に敏感になってね。距離、位置、どんな高い温度でも、低い温度でも数値を正確に当てられる。温度で人の見分けさえつくのさ」
その言葉で、あたしは自分の負けを悟った。杖は予備を腰のベルトに挟んでいる。先程までは、何とか油断を誘って、それで反撃することを考えていた。けれど、この相手が温度を感知できるなら、こっそりと腰に手を伸ばしたところで無意味だ。
男の杖の先から、炎が巻き起こり、あたしを包もうとする。けれど、その炎は別の炎に押し戻された。
「わたしの教え子から、離れろ」
そう言いながら、あたしの傍まで歩み寄ってきたのはコルベールだった。
「おお、お前は……。お前は! お前は! お前は! 捜し求めた温度ではないか! お前はコルベール! 懐かしい! コルベールの声ではないか! 何年ぶりだ? 隊長殿! 二十年だ! そうだ!」
隊長と呼ばれたことに生徒たちの間に動揺が走る。その様子を見て男は笑う。
「きみたちに説明してやろう。この男はな、かつて“炎蛇”と呼ばれた炎の使い手だ。特殊な任務を行う隊の隊長を務めていてな……、女だろうが、子供だろうがかまわずに燃やし尽くした男だ」
今まで感じたことのない類の、恐い何かを、コルベールは発散している。
あたしは味方を燃やし尽くす、と言われたツェルプストーの生まれだ。けれど、実際にそのような戦に従事したことはない。所詮、貴族の遊びのような決闘がせきの山だ。
しかし、今のコルベールが発する空気は違う。
触れれば火傷ではすまない。燃え尽きて死す。
コルベールが漂わせているのは、あたしが知る中で最も強力なメイジであったワルドにも匹敵するような、濃厚な死の香りだった。
タバサを抱えて塔の陰に逃げるよう言うと、コルベールは敵のメイジたちとの戦闘を開始した。タバサの元に駆け寄るあたしに向かって放たれた氷の矢を溶かし、敵の隊長と思われる盲目のメイジの強力な炎を自分の炎で相殺する。コルベールは敵の隊長を引き連れて広場の方に駆けていった。
「タバサ、これを飲んで」
あたしはその間に塔の陰にタバサを連れていき、腰のベルトに装着された薬入れから水の秘薬を取り出して飲ませた。本当は水魔法と一緒の方が効果が高いが、今は一刻も早く戦える状態にもっていくことが何よりの先決事項だ。
薬を飲んだタバサの瞳が強い力を取り戻した頃、コルベールが戦っていた広場の上空に巨大な火球が出現した。火球の明かりに照らされるのは、学院を襲った男が焼かれる様だ。コルベールは見事に強敵に打ち勝ったらしい。
「行きましょう」
強力なメイジであるがゆえ、その隊長を魔法戦で失った敵兵は動揺している。人質を救出するなら今しかない。あたしはタバサやアニエス、負傷を免れた銃士隊とともに再び食堂に突入した。
マスケット銃は、乱戦では使いづらい。人質に当たる可能性があるからだ。
あたしは人質の近くにいる敵を選んで魔法を使って倒していく。あたしの魔法なら、仮に躱されても軌道を変えて敵を追うことができる。後ろにいる生徒に流れ弾を当てるような下手は打たない。
タバサは風の魔法を上手く制御して主に先生の手に巻かれている縄を斬っている。魔法学院の教師陣は、実戦経験の差はあれど、それなりに強力なメイジばかり。倒された敵の手から奪った杖で、敵の制圧に加わるなり、水の魔法で負傷者を癒すなり、土塁を作って立てこもるなり、各々、得意なことで助けてくれればありがたい。
そして、銃士隊は生徒たちから離れた敵を一斉射撃で討ち取っていく。そんな中、銃士隊の隊長であるアニエスは剣で果敢に接近戦を挑んでいた。けれど、一人の敵に剣をつきたてたところで、その背に別の敵から魔法を飛ばされてしまう。
何本ものマジックアローに、あたしも、タバサも、他の銃士たちも対応ができなかった。けれど、そこに飛び込んでいく黒い影があった。
アニエスの前に立ちふさがり、体で魔法の矢を受けたのはコルベールだった。攻撃を受けながらもコルベールは呪文を唱え、作り出した炎の蛇でマジックアローを飛ばしたメイジの杖を焼き尽くした。
「……大丈夫か?」
問いかけに頷いたアニエスを確認した瞬間、コルベールはごぽっと血を吐いて地面に倒れ込んだ。
生徒たちが慌てて駆け寄って、コルベールに治癒の呪文を唱え始める。
コルベールは深手だった。必死に治療をする生徒の中にいるコルベールに、アニエスが歩み寄る。そして、おもむろに剣を突き立てた。アニエスの行動はあまりに予想外すぎて誰も止めることができなかった。
「ちょっと! なにしてるのよ!」
あたしの声など聞こえていないかのように、アニエスはコルベールに語りかける。
「貴様が、魔法研究所実験小隊の隊長か? 王軍資料庫の名簿を破ったのも、貴様だな? わたしはダングテールの生き残りだ。なぜ我が故郷を滅ぼした? 答えろ」
「……疫病が発生したと告げられた。焼かねば被害が広がると、そのように告げられ仕方なく焼いた。だが、後になって偽りだったと知った。要は“新教徒狩り”だったのだ。わたしは毎日罪の意識にさいなまれた。あいつの言ったとおりのことを、わたしはしたのだ。女も、子供も、見境なく焼いた。許されることではない。忘れたことは、ただの一時とてなかった。わたしはそれで軍をやめた。二度と炎を、破壊のためには使うまいと誓った」
「……それで貴様が手にかけた人が帰ってくると思うか?」
コルベールは首を振ると、ゆっくりと目を閉じた。必死になってモンモランシーは呪文を唱えつづけていたが、そのうちに精神力がきれたのか、気絶して地面に倒れた。深手を癒す『治癒』の呪文は、専用の秘薬が必要なのだが、今、この場にはない。
あたしの持っていた治癒薬は、あたしとタバサに使ってしまった。そのため、精神力を酷使して秘薬の分をカバーしていたのだが……、限界がある。
他の『水』の使い手も、次々に精神力をきらして気絶していく。
倒れた水の使い手たちに囲まれるようにして横たわるコルベールめがけて、アニエスは剣を振り上げた。あたしは咄嗟にコルベールをかばうように、覆い被さる。
「どけ! わたしはこの日のために生きてきた! 二十年もこの日を待っていた!」
「お願い、やめて」
精神力が残っていたなら、魔法を使って止めている。けれど、あたしもタバサも戦いの中で出し惜しみなく使ったせいで精神力は尽きている。学院長のオスマンも、他の教師も生徒たちも、おろおろとするばかりで当てにできない。コルベールを助けるには、あたしが手を考えるしかない。
「どけと言っている!」
「お願い、剣をおさめて。彼はもう死んだわ」
コルベールの手首を握りながら言うと、アニエスの手から力が抜けた。
「恨むな、とは言わないわ。でも、せめて祈ってあげて。確かにコルベール先生はあなたの仇かもしれないけど、今は恩人でしょう。彼は体を張ってあなたを救ってくれたのよ」
アニエスは二言三言、言葉にならない何かをつぶやく。そして剣を振り下ろした。その場にいた生徒たちが目をつむる中、あたしは目を閉じずに見守る。
剣はコルベールの横の地面に、深々と刺さっていた。きびすを返し、アニエスはゆっくりと歩きだした。
アニエスの姿が見えなくなったあと……、あたしはコルベールの体を運ぼうとして、その指に光るルビーの指輪を見つけた。
燃え盛る炎のような、深紅のルビーだ。
そのルビーを見つめていると、あたしの目から涙がこぼれた。
コルベールはあんなに小ばかにしていた、あたしのことを守ってくれた。強敵にも怯むことなく、『わたしの生徒に手を出すな』と言ってくれたのだ。素直な気持ちで、あたしはしばらく泣いた。
けれど、いつまでも泣いているわけにはいかない。
「オールド・オスマン。コルベール先生のため、精神力を貸してくださいませ」
学院内の統制にまるで役にたっていないのだ。せめて魔法で役にたってほしい。あたしの勢いに若干、気圧されながらだが、オスマンが頷いた。
コルベールが重傷を負っていたあのシーン、オスマンはその場にいた、で間違いないのですよね。
人質が集められたときにはいたはずですが、その後、存在が消えたのは……。
とりあえず、その場にいたけど気配を消していたという解釈で。
ついでに苦慮したのがキュルケと一緒に突入したタバサの扱い。
キュルケを見捨てるとは思えないですが、コルベールには興味なし?
話は変わってこの後は三章計二十五話で一端の区切りとします。
(8話、10話、6+1話)