新たな虚無の担い手
タバサの実家からトリステイン魔法学院に戻った翌日、わたしは魔法学院に建てた離れの窓から、こちらに近づいてくる竜籠を見つめていた。竜籠とは、その名の通り竜によって運ばれる籠であり、ハルケギニアでは貴人がよく利用すると聞いている。
竜籠の中にはアルビオンから帰国した平賀がいるという。わざわざ竜籠を遣わしてくれることからもわかるが、平賀はすでにただの平民ではない。アルビオンからの撤退戦の折に七万の大軍を足止めしたとしてシュヴァリエに任じられた。つまり貴族となったのだ。
平賀を乗せた竜籠はアウストリの広場に降りた。その平賀は何十人もの生徒から帰還を祝福されているようだ。平賀の奮戦により、無事にアルビオンから帰還できた生徒は多いと聞いている。その感謝を表しているのだろう。
けれど、わたしの心は晴れない。それは、事前にアンリエッタからもたらされた情報で新たな虚無の担い手が判明したからだ。
判明した担い手は二人。一人はアルビオンに住んでいた少女で、平賀を助けたのも、その少女だったということだ。そして、もう一人はルイズを襲ってきた何者か。こちらは詳しい素性は判明していないらしい。加えるなら虚無の担い手は、おそらくもう一人いるのではないかということだった。これまで一人だと思っていた虚無の担い手の大盤振る舞いに呆然としてしまったが、現実逃避している場合ではない。
拙いことに、敵方の虚無の担い手の使い魔はミョズニトニルンだったということだ。神の頭脳と伝えられたその使い魔は、わたしたちがユルゲンシュミットに帰還するための手段を探るため、最優先の捜索対象として考えていた。
それが敵に回れば、わたしたちの帰還は遠のくことになる。一応、トリステインと敵対しているだけなら、わたしたちは友好関係を築ける可能性があるが、話を聞いた限りでは話し合いに持ち込むのは難しそうだ。
敵対している方は素性が不明なので手出しができないとして、肝心なのはアルビオンで発見された担い手の方だ。ルイズとアンリエッタは本人の意向に添って、なるべく静かに暮らさせてあげたいようだ。
けれど、敵方の虚無の担い手はアルビオンの少女を放っておくだろうか。敵に知られていなければ、それほど危険はないかもしれないが、ルイズたちが襲われた場所は、新たな虚無の担い手が住む村の、すぐ傍であったということだ。
トリステインとて必ずしも安全ではない。それは確かだ。
けれども、現状の何の守りもない状態よりは、トリステインの方が遥かにましなはずだ。敵に虚無を渡さないためにも、トリステインで保護すべきではないだろうか。
「ハルトムートは、アルビオンの虚無の担い手をどうするのが最善と考えますか?」
「もちろん我々で保護すべきでございます。ローゼマイン様が建てられた、この建物ならば守りの魔法陣がございますので、保護するには最適ではないでしょうか」
確かに、この離れには悪意ある者を弾くための守りの魔石を置いてある。ここなら、簡単に手出しはできないはずだ。
「けれど、それはわたくしたちだけで決められることではございません。まずは相手の方とお話をしてからになりますね」
新たな虚無の担い手がどうしても今の場所を離れたくないと主張した場合、無理やり拉致はできない。特に現状では、アルビオンの少女自体は誰からも襲われていないようだから、いきなり危険だと言われても実感が持てないかもしれない。
「わたくしたちが独断で虚無を手の内に迎え入れるとなると、いらぬ誤解を招く可能性がありますから、その方をお招きするためには、まずはアンリエッタ様の許可を得る必要がありますね。リーゼレータ、アンリエッタ様への面会予約をお願いします」
わたしたちはユルゲンシュミットの帰還以上は求めていないが、そんなことは他人にはわからない。わたしたちが野心を持っていると疑われることだけは避けなければならないのだ。わたしが命じるとリーゼレータがすぐに部屋を出て行った。
「ルイズとサイトにもお話をしておいた方がよいですね」
アンリエッタから急に、やはりアルビオンの虚無の担い手を保護することに決めたと言われたら、二人は困惑するだろう。先に二人に話を通しておくために、わたしは離れを出て魔法学園に向かう。
平賀は火の塔のそばにあるコルベール研究室の中に、ルイズはその入口にいた。遠巻きにしている生徒に何をしているのか聞いてみると、平賀がコルベールの死の報を聞いて悲しんでいて、ルイズはそれを心配しているようだと教えてくれた。それで、わたしはルイズにコルベールが生きていることを伝えていないことを思い出した。
けれども、コルベールが生きていることを知られると、またアニエスに命を狙われてしまう可能性がある。少なくとも多くの人に知らせることではない。
では、ルイズと平賀に教えてしまっても大丈夫だろうか。二人ともお世辞にも嘘が上手いとはいえない。けれど、少し中を覗いただけでも悲嘆に暮れているとわかる平賀に黙っているのは、わたしとしても辛い。やはり、二人にだけは話しておいた方がよいだろう。
「ルイズに大事なお話があるのです。今夜、お部屋を訪ねてもよろしいでしょうか?」
「ごめんなさい、もう少し後でもいいかしら?」
「サイトにとっても大事なお話ですので、なるべく早い方が良いと思うのですけど……」
「じゃあ、明日なら……」
落ち込んでいる平賀を思ってかルイズは乗り気でないようだ。早く知らせた方が平賀のためにもよいと思うが、今は他の生徒の目もある。無理に予約を取り付けることはできない。まあ、明日なら許容範囲だろう。そう考えて、わたしはルイズの申し出を了承した。
そうして翌日、わたしは約束の時間にルイズの部屋を訪ねた。一日を空けた効果か、平賀は昨日よりは少し落ち着いた様子で部屋の中にいる。ルイズの部屋の中に入って挨拶を交わすと、わたしはすぐに範囲指定の盗聴防止の魔術具を使用した。
「まず、ルイズとサイトに謝罪させてくださいませ。アルビオンの襲撃で亡くなったとされているコルベール先生ですが、一命を取り留め、今はゲルマニアにいます」
「ちょっと待ってくれ、どういうことなんだ!?」
わたしの言葉に最初に反応したのは平賀だった。驚きのあまりか、わたしに掴みかからんばかりの勢いで立ち上がってしまい、クラリッサに前に立ち塞がられていた。
「わたくしもキュルケとタバサに聞いただけで、他の生徒に確認もできてはいません。その前提で話を聞いてくださいませ」
そう前置きをして、コルベールがかつて軍の特殊部隊に所属して、ある村の虐殺事件に関与したこと、魔法学院の学生に軍事教練を課すために駐屯していたアンリエッタの銃士隊の隊長であるアニエスがその村の生き残りであることを語った。
「アルビオンとの戦いの中、コルベール先生の素性を知ったアニエスは、先生を剣で貫いたということです。キュルケが咄嗟に先生が死んだと偽り、急ぎ学院へと戻ったわたくしが傷の治療を行い、密かにゲルマニアに逃れさせたのです。トリステインにとって、村民の虐殺は汚点でなるでしょう。先生が生きていると知ったとき、トリステインが先生とアニエスのどちらに罰を下すのかが読めませんでしたので」
「アニエスはアルビオンで俺に剣を教えてくれたんだ。剣を教えるときは厳しいけど、それ以外のときは優しい人だと思っていた。それなのに……」
恩義を感じている二人が殺し、殺されそうになったことを知って平賀はショックを受けているようだった。平賀とアニエスの間にそのような交流があるとは知らなかった。もしも知っていたら、もう少し言葉を選んだけど、知らなかったのだから仕方がない。
「そういうわけで、ルイズもサイトもコルベール先生が生きているということは、しばらくの間は秘密にしていてくださいませ」
「わかったわ」
ひとまずルイズが了承してくれたところで、わたしはアルビオンで見つかった虚無の担い手のことについて話を移した。
「アンリエッタ様から概要は伺いました。アルビオンに住んでいるという虚無の担い手は今の生活を続けることを望んでいることも伺っています。今のところ、その方が虚無の担い手であることを、敵方には知られていない可能性が高いことも。けれど、もしも敵方に知られてしまうと、今のままでは守れません。わたくしたちは、やはり守るべき対象はなるべく同じ場所にいていただく方がよいと思うのです」
「でも、ティファニアは子供たちを置いては行けないって……」
「サイトさん、もしも、そのティファニアという方に危険が迫ったときに、一番に犠牲になるのは誰だと思いますか?」
拉致するつもりなら、ティファニアは生かされるだろうけど、子供たちは殺されるだろう。逆にティファニアを殺すつもりなら、子供たちも生かしておく必要はない。どちらにせよ、子供たちが助かる見込みは薄い。
「それに、守りたい存在というものは、逆に弱点にもなりうるのです。子供たちを人質にされたときに、そのティファニアという方は抵抗ができますか?」
平民の父さんや母さん、トゥーリやカミルの存在はわたしの弱点だった。同時に、父さんたちにとってもわたしを狙う相手は一番の脅威となった。
だからわたしは、契約魔術で父さんたちとの親子として接することを完全に断つことに同意した。灰色神官が誘拐された事件などもあり、今ではそれが仕方のないことだったことがよく理解できる。
「ルイズを狙ってきたことから考えても、敵は虚無の担い手が複数いることを把握しています。ティファニアのところに行きつくのは時間の問題でしょう。子供たちを危険から守るためにも、ティファニアはわたくしたちが保護した方がよいと存じます」
少し考えた後、ルイズと平賀はわたしの考えを受け入れてくれた。そして、その翌日にはアンリエッタと会談し、ティファニアの受け入れの許可を得ることができたのだった。