エルフの男を退けたタバサは、母の部屋の奥にあるローゼマインの作った建物へと入り、隠し部屋の扉を開けた。
「おお、お嬢様、よくぞご無事で!」
その瞬間、中からオルレアン家の老執事、ペルスランの声が聞こえてきた。
「ペルスラン、怪我はない?」
「私は大丈夫です。奥さまも、あれから変わりありません」
視線を奥にやると、白い大きな箱の中で母が眠るようにしてユレーヴェに沈んでいるのが見えた。見た目は完全に水死体だが、近づいてみれば微かに胸が上下していることで生きていることがわかる。タバサに続いて中に入ってきたローゼマインが母の様子を見て、軽く頷いた。
「ペルスラン、これからここを脱出するから、急いで準備をして」
そう言ってペルスランに自分の荷物を取りに行かせている間に、タバサは皆を隠し部屋の中へと招き入れた。
「え? 土左衛門!?」
液体の中に女性が沈んでいるという状況に、入ってきたサイトは驚きの声を上げていた。言葉の意味はよくわからないけど、表情と声から考えて、たぶん間違ってはいないだろう。それはギーシュやマリコルヌも同じだった。タバサは簡単に、これはユレーヴェというもので治療薬の一種であることを説明する。
「皆様に中に入っていただいたのは、タバサのお母さまをこのまま、こちらから運び出すためです。お手を煩わせてしまいますが、殿方は力を貸していただけますか?」
タバサの母を運び出す方法というのは、ユレーヴェが入れられた白い箱を持ちあげ、そのままローゼマインの騎獣に乗せてしまうというものだ。成人女性がすっぽり浸かれるほど液体が満たされた箱は当然ながら非常に重い。タバサが風の魔法で補助したとして、それでも男手がなくては難しい。
マティアス、ラウレンツ、ハルトムート、サイト、ギーシュ、マリコルヌの六人がかりでタバサの母が入った箱を持ち上げ、ローゼマインの騎獣に押し込む。この際には、騎士であるマティアスとラウレンツが活躍した半面、サイトは少し期待外れだった。ギーシュたちに比べれば力を発揮してくれたものの、戦闘時の活躍に比べれば物足りなかったのだ。
「ガンダールヴのルーンって、武器を握ったとき以外、力を発揮してくれないんだよな」
運び込んだ直後に、そうぼやいていたから、サイトにとっても自分の働きは不満の残るものだったらしい。母が荷物のような扱いなのは少し思うところがないわけではないが、今はそのようなことを議論しているときではない。
「国境を超えるのは時間との戦いです。ハルケギニアの皆様はわたくしの騎獣に乗ってくださいませ」
ペルスランが戻ってくるなり、ローゼマインはそう言って皆を騎獣に乗せた。その周囲をマティアスとラウレンツ、ハルトムートの三人の騎獣が囲む。
オルレアン家からトリステインの国境までは、ローゼマインの騎獣であれば、すぐに到着する。ガリアから正式に追討が発出されると、トリステインにしてもゲルマニアにしても、タバサを匿うことは難しい。理はガリア側にあるからだ。
ガリアからトリステインへタバサの引き渡しが要求される前に、アルビオンに身を隠す。普段は慎重すぎるほどのローゼマインが、今回は悠長に国境で手続きに時間を要してはいられないと言い切ったのだ。それだけでローゼマインがどれだけ現状に危機感を抱いているかがわかる。
一気に国境を突破してローゼマインの騎獣はトリステイン魔法学院に駆ける。そこで留守役の側近たちとティファニアを回収し、逆にルイズやサイト、ギーシュ、マリコルヌを降ろして今度はゲルマニアに向かう。そこでキュルケと一緒に連れ回すには向かないタバサの母とペルスランを降ろしてもらうのだ。
「クラリッサです。トリステインの領内に入りました」
クラリッサが留守番役のローゼマインの側近に向けてオルドナンツを飛ばす。ちなみに国境付近の街まで同行していたリーゼレータも魔法学院に戻っている。その留守役の側近たちは、先に出立の準備は整えているはずなので、ルイズたちを降ろしたら、本当にすぐの出発となるのだ。
タバサは隣に置かれた、母の入った白い箱に被せられた布を少しめくった。タバサの母は変わらずユレーヴェの中で穏やかな顔で眠っている。この状態の母と離れるのはタバサにとっても辛いが、万が一、ガリア王の手の者に襲われたとき、箱に入った母が一緒だと脱出するのも難しくなる。ここで我儘は言えない。
ほどなくローゼマインの騎獣はトリステイン魔法学院に併設されたローゼマインの離れへと降り立った。待っていたかのようにリーゼレータたちがティファニアを連れて建物の中から出てくる。その中にはギーシュを心配していたらしいモンモランシーの姿もある。
ギーシュの無事を喜ぶモンモランシーを横目に、ルイズたちがローゼマインの騎獣を降りる。そして、入れ替わるようにティファニアがローゼマインの騎獣へと乗り込んだ。
「ねえ、ローゼマイン。また会えるわよね」
「ええ、わたくしたちも、そう望んでいます」
「そう……、じゃあ、タバサも元気でね」
ルイズともしばらくは会えなくなる。ルイズと出会ったは一昨年のことだが、交流を多く持つようになったのは、昨年からだ。といっても、夏季休暇の間やアルビオン戦役の間など別行動を取っていたことも多く、ともに過ごした時間は思いのほか少ない。それでも、今やルイズはタバサにとってもかけがえのない友人の一人だ。
「今回は本当にありがとう。ルイズがいなかったら、エルフに勝つことも母を救出することもできなかった」
だから、タバサは心の底からの感謝の気持ちを込め、精一杯の笑顔で短い言葉を発する。それをルイズも笑って受け取ってくれた。
「サイトと、ギーシュとマリコルヌもありがとう」
「このくらい、どうってことねえよ」
「レディが困っていたら、助けるのは当然のことさ」
「感謝の言葉もいいけども、たいして役に立たなかったことをもっと罵ってくれて
も……。いや、なんでもないよ」
照れ隠しのように言ったサイト、いつも通りのギーシュ、何かおかしなマリコルヌとも短い言葉を交わす。
「それでは皆様もお元気で。皆様に幸運の女神、グライフェシャーンのご加護がございますように」
ローゼマインがトリステインの皆に餞別の祝福を送り、タバサたちはゲルマニアへと出発する。タバサはシルフィードを、そしてローゼマインの側近たちは自分の騎獣を使う予定なので、ローゼマインの騎獣の中にいるのは護衛役も務めるクラリッサの他はキュルケとティファニアとペルスラン、そして箱の中で眠るタバサの母だけだ。それでも随分と多いが、三人が減ると、少しがらんとしたように感じる。
「心配しなくてもタバサのお母さんとペルスランは、あたしが責任を持って預かるわ」
タバサの表情が曇ったのを心配と感じ取ったのか、キュルケがそう語りかけてくる。
「ありがとう。二人のこと、お願い」
タバサの考えていたこととは異なるが、そちらも心配事のひとつではあったので、素直にお礼を言っておく。とはいえ、先に分かれたトリステイン組と違い、キュルケとはすぐの別れではない。さすがに今日中にアルビオンに到着するのは厳しいので、今日はゲルマニアのフォン・ツェルプストー家で一泊することになっている。別れは明日の早朝だ。
「ローゼマイン、マチルダさんとは、もう連絡は取れているのよね?」
「ええ、明日の夕刻には到着するとリーゼレータがオルドナンツを送ったようですよ」
リーゼレータはクラリッサから国境を越えたという連絡を受け取ると、すぐにフーケと連絡を取って、明日の到着予定時刻と、安全に問題はないのかの最終確認を行ったようだ。ちなみにオルドナンツに声を吹き込んだのはティファニアで、フーケから帰ってきた返事の声はこれまでに聞いたことのないくらい優しい声だったという。
「タバサとも、今夜でしばしの別れね。どう、あたしと一緒に寝てみる」
「……それも、いいかも……」
「そうね、そうしましょうか」
悪戯っぽく言っていたので、そこまで本気ではなかったのだろう。けれど、少しだけ考えてみたら、その提案は悪くないように思えたのだ。
道中に目立ったトラブルはなく、トリステインとゲルマニアの国境に着いた。タバサたちはキュルケの手引きでゲルマニア国内に入り、無事にフォン・ツェルプストー家の城に入ることができたのだった。
ガリアとの暗闘は本話までの予定でしたが、区切りが悪いと思うように。
章の区切りはもう二話後にします。