ハルケギニアの商人聖女   作:孤藤海

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世界扉
教皇の要請


ガリアと対決することを決めたタバサを援助すると決めたものの、今のわたしたちに具体的にできることはない。そのためマチルダが出立した後の隠れ家で穏やかながら少し退屈な生活を過ごすことになった。

 

さすがに本は持ち込めていないので、最近のわたしは時間潰しも兼ねて、リーゼレータから普段なかなかできていない刺繍の練習をさせられている。ティファニアは上手いと褒めてくれたけど、複雑な魔法陣も刺繍できるユルゲンシュミットの貴族の平均はかなり高いのだ。刺繍が好きでないことも加わり、わたしはリーゼレータに追いつける気がしない。

 

そんな平穏な日々は、マチルダがガリアに出立してから二週間ほど経過したある日、唐突に破られることになった。わたしたちの元にアンリエッタから火急のオルドナンツが届いたのだ。

 

そのオルドナンツによると、ロマリアの教皇ヴィットーリオ・セレヴァレこと聖エイジス三十二世が現在、トリステインを訪れており、そこでわたしとティファニアへの面会を求めてきたということだった。教皇ヴィットーリオは聖地の奪還をエルフと交渉するための手札として始祖の虚無を求めている。そうアンリエッタは伝えてきた。

 

それだけならば、突っぱねるところだっただろう。けれど、それと同時にヴィットーリオはガリアに始祖の虚無を与えるわけにはいかないと言ったということだ。それは、ロマリアがガリアを敵と考えていることに他ならない。

 

ロマリアとはガリアの王権を認めてもらえれば御の字と考えていた。けれど、上手くいけば支援まで取り付けることができるかもしれないのだ。ガリアでも力を持つブリミル教を取り仕切るロマリアの支援は、タバサとしては何としても欲しいものだ。

 

同時に、このオルドナンツはこの上ない面倒ごととも言えた。エルフとの交渉と言えば聞こえはいいけど、要は虚無の使い手という武力を揃えての脅しをかけると言っているのだ。その一端を人間とエルフのハーフであるティファニアに担えと言っているのだ。

 

要請を受け入れた場合、ティファニアはエルフと決別するしかないだろう。では、要請を断ったらどうなるか。まず間違いなく、エルフに与する行為と判断される。そうなると人間と決別することになってしまう。どちらにしてもティファニアには茨の道だ。

 

「教皇からの面会に応じるか、応じないかはティファニアにお任せします」

 

人間かエルフか、選ばなければならなくなる可能性が高いことを伝えた上でのわたしの言葉に、ティファニアは端正な顔を曇らせた。

 

「エルフはハルケギニアの人たちと対立してきたわ。でも、わたしの父と母は違った。父は母をとても愛していたし、母も父を愛していた。けれど、そのような話は、他の人には通用しないのでしょうね」

 

夢と希望を胸にトリステインに赴いたティファニアだけど、短い間で良く言えば現実的、悪く言えば世間の悪意を知って純真ではなくなっている。ジョゼフは薬でタバサの母の心を壊し、タバサの命も狙おうとした。タバサもまた伯父のジョゼフの首を取ることを決意し、ティファニアにミョズニトニルンの人格を忘却させた。

 

「仕方がありません。わたしは人間の世界しか知りませんし、皆さんと敵対することも考えられない以上、わたしは人間側に立つしかないのでしょう?」

 

ティファニアの母は、エルフというだけで殺されたと聞いている。しばらく忘れていただけで、元からティファニアは人の悪意を知っていた。理想とは異なる現実を受け入れてしまう下地はあったのだ。

 

「でも、わたしなんかを呼んで、教皇聖下は何を考えているのかしら?」

 

「おそらく教皇はティファニアの魔法のことは知らないのでしょう。ティファニアが使えるのは簡単な忘却魔法だけということにしておけたらよいのですけど、ミョズニトニルンのことをどこまで知っているのかが気になりますね」

 

ティファニアの魔法は、直接に相手を害さないだけに使い方によっては非常に強力な魔法となる。例えば、獅子身中の虫に敵意を忘却させる、わたしたちがしたように敵対する相手の部下に忠誠心を忘却させる、といった使い方ができることは為政者にとっては、とても魅力的だろう。

 

「もう一つ、わからないのは、なぜわたくしも指名したかということです。単純に考えるなら、ティファニア単独の指名では、わたくしたちが身の安全を心配して断ると考えた。悪く考えるなら、わたくしにも技術供与などの何らかの要求を行おうとしている、というところでしょうか?」

 

「ロマリア教皇個人の情報は、ほとんど集めていませんでした。残念ながら、狙いが読み切れません」

 

ハルトムートが口惜しそうに言うが、ロマリアはわたしたちにとって危険な国ではあるけど、他国に口を出してくるようなことまではしてこないと考えていた。だから、ロマリアに近づきさえしなければ、わたしたちには影響はないと思っていたのだ。情報を集めていなかったとしても仕方がない。

 

「ティファニアが理不尽な目に合わないように、わたくしも一緒にトリステインに向かいます。そしてティファニアのことを守ります。それが、平穏に暮らしていたティファニアを連れ出してしまった、わたくしの責任です」

 

ティファニアだけをトリステインに送り出すようなことはしない。万が一、呼び出しが謀略であった場合には全力でティファニアを守らなくては。

 

「ローゼマイン様がトリステインに向かうならば、無論、私もご一緒します」

 

「私もです。マティアスやラウレンツのようには戦えませんが、いざというときに盾になるくらいはできます」

 

「わたくしも同じ思いです」

 

ハルトムートに続いて、ローデリヒとリーゼレータもトリステインへの同行を希望してくる。それだけでなく、グレーティアも同じ思いだというように頷いていた。

 

「皆の気持ちはわかりました。もしもトリステインかロマリアが謀略を巡らせていた場合に備えてトリステインには皆で向かうことにします」

 

「それなら、わたしも行く。行かないといけない」

 

そこで、それまで推移を見守っていたタバサも同行を希望してきた。ガリアとの戦争を決意しているタバサこそが、ロマリアの支援を欲している。つまりは、この中で一番の利害を持っているともいえる。だからわたしたちが結論を出すまで口を出すことを控えていたのだろう。

 

「わかりました。皆でトリステインに参りましょう」

 

「皆というのなら、キュルケにも声をかけておく。仲間はずれにすると後が面倒」

 

そう言ってタバサはオルドナンツに、アンリエッタから受け取ったオルドナンツの内容とその後の話し合いの経緯を吹き込んでキュルケへと飛ばした。さすがに付き合いが長いだけあって、タバサはキュルケの性格を熟知しているようだ。

 

「もちろん、あたしも行くわ。せっかくだから、あたしとジャンのオストラント号で王宮に乗りつけてやりましょ」

 

少ししてキュルケから戻ってきたオルドナンツはそんな物騒なことを言ってきた。

 

「思った以上に、キュルケが乗り気で驚きましたね」

 

キュルケとはゲルマニアとトリステインの国境付近で合流することになった。わたしたちはアンリエッタに向けて了承のオルドナンツを送り、合流の日までを隠れ家で過ごした。ちなみにマチルダはロマリアの教皇に呼ばれたことを伝えると、またティファニアを危険な目に合わせるのかと憤慨していた。けれど、すでに選択肢は残されていないことを理解したのか、最後はティファニアのことを頼むと言ってくれた。

 

そうして当日、わたしたちは早朝から騎獣でアルビオンを飛び立ち、タルブの村近くの草原でキュルケのオストラント号と合流した。わたしたちを出迎えてくれたのはキュルケだけではなかった。驚くべきことにコルベールが一緒にいたのだ。

 

「コルベール先生、なぜオストラント号に乗っていらっしゃるのですか?」

 

「教皇聖下がトリステインにいらしているのなら、わたしはお会いせねばならないのだ」

 

「キュルケはそれでよろしいのですか?」

 

「ジャンってば、ロマリアから戻ったキュントの絵師が書いた聖下の姿絵を見たときから、いつかはお会いしなければならないって、ずっと言っていたのよ」

 

その言葉の端から何度も止めたのだということは伝わってくる。キュルケに止められないのなら、わたしが止めることもできないだろう。コルベールの説得を諦め、わたしたちはオストラント号でトリスタニアの王宮を目指した。

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