あたしはジャンやローゼマインたちと一緒にトリステイン王宮前に止めたオストラント号から降りた。迎えてくれたのは馴染みとなっているグリフォン隊のフルーランスだ。
そのフルーランスに案内され、あたしたちは王宮の応接室へと入る。まず目に入ったのは、濃い紫色の神官服に、高い円筒状の帽子だ。ハルケギニアの各王よりも形式上の地位が高いために、上座に座る若い男が、聖エイジス三十二世。
聖エイジス三十二世には纏った神官服のカケラほども偉ぶったところがない。目元は優しく、鼻筋は彫刻のように整っている。形のいい小さな口には常に微笑がたたえられていた。そして……、誰もが振り返るほどに美しい。姿絵でも思ったことだけど、ハルケギニア中の劇場を覗いてみても、彼ほどに美しい役者を見つけるのは難しいだろう。
その微笑みはまるで、慈愛に満ちた神のよう。けれど、その見た目に騙されてはいけない。ローゼマインから聞いた聖エイジス三十二世の提案から推測できる性格は、むしろ冷酷な策略家だ。聖女のような微笑みを浮かべているが、実態としては利に聡い商人にして悪辣な手段を好む美幼女と美少女の中間のような存在を、あたしは実際に知っている。
そして下座にはアンリエッタとアニエスがいた。そのアニエスは入ってきたジャンの姿を見て驚きに目を見張っていた。さすがに聖エイジス三十二世とアンリエッタのいる前で凶行に及ぶことはないと思うが、油断はできない。あたしがアニエスを警戒している間に、ローゼマインがティファニアを伴って応接室の中央付近まで歩み出て、跪いた。
「お初にお目にかかります、教皇聖下。ユルゲンシュミットのエーレンフェストより参上いたしましたローゼマイン、そしてティファニアでございます。以後、お見知りおきを」
「ローゼマイン殿は異国の王族とお聞きしていたのですが、こうして見ると、ハルケギニアの人々とあまり変わらないのですね」
「ありがとう存じます。ですが、こちらに来た当初は、わたくしの国とハルケギニアの風習の違いで苦労もしたのですよ」
微笑を浮かべたまま、にこやかに二人は初対面の挨拶をしているように見える。けれど、あたしの目には狐と狸の化かしあいに見えるのは、なぜだろう。
「お初にお目にかかります、教皇聖下。ゲルマニアのキュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーと申します。こちらはトリステイン魔法学院の教員を務めておりましたジャン・コルベールと魔法学院の生徒であるタバサです」
二人の会話が途切れたところで、あたしは自分たちの紹介をした。ジャンがあたしの前に進み出て跪いたのは、あたしの言葉が終わった直後のことだった。
「聖下、失礼の段、お赦しください。聖下はこちらの指輪に見覚えはございませんか?」
ジャンが見せた指輪を見た聖エイジス三十二世の目が大きく見開かれた。
「これはわたくしの母の指輪ですね」
「……聖下。どうかこのわたくしにお裁きをくださいませ。ダングルテールという村で聖下の御母君を殺めたのは、このわたくしでございます。ここにございます御母君の指輪をお受け取りになり、わたくしを罰するよう、お願い申し上げます」
聖エイジス三十二世がジャンの前までやってきて、ルビーの指輪にゆっくりと手を伸ばして受け取った。そして、それをそのまま指にはめる。
指輪は聖エイジス三十二世の指には少し大きいように見えた。けれど、指輪はするするとすぼまり、聖エイジス三十二世の指にぴったりとはまった。
「お礼を申し上げなければなりますまい。わたくしの指に、この“炎のルビー”が戻るのは二十一年ぶりです。あなたがたはご存じないかもしれませんが、我々はこのルビーを捜しておりました。それがこのように指に戻った。今日はよき日です。まこと、よき日ではありませんか」
「では、聖下……お裁きを」
頭を垂れるジャンに、聖エイジス三十二世は手を差し伸べる。
「なぜ、あなたに裁きを与えねばならないのですか? 祝福を授けこそすれ、裁きなど与えようはずもありません。あの人は弱い方でした。自分の息子に神より与えられた“力”を恐れるあまり、この指輪を持って逃げだしたのです。彼女は異端の教えにかぶれ、信仰を誤りました。その上、“運命”からも逃げたのです。あなたの手にかかったのは、神の裁きといえましょう」
聖エイジス三十二世は本気でそう言っている。自らの母親は死んで当然だったと。それはジャンも感じ取っているらしく、絶句していた。
「残されたわたくしは、人一倍努力しました。信仰を誤った母を持つ者と後ろ指をさされぬよう、朝も昼も夜も神学に打ち込みました。その甲斐あって、わたくしは今の地位を許されるほどになったのです。ですから、祝福を授けこそすれ、裁きを与えようはずもないのです。ミスタ・コルベール、あなたに神と始祖の祝福があらんことを」
理知的でありながら、常識が普通の人とずれている。けれど、自分の考えに疑いなど少しも抱かない。これはローゼマインの予想通り一筋縄ではいかない相手だ。
「さて、図らずもわたくしの手元に炎のルビーが戻りましたが、アンリエッタ殿、念のため確認いたしますが、ここにいる者たちは全員がルイズ殿の魔法をご存知ということでよろしいですか?」
聞かれたアンリエッタは、あたしたちの方を見た。アンリエッタはあたしたちはルイズの魔法のことを知っているか確信が持てなかったのだろう。
「何回も目の前で見せられたのですもの、嫌でも気づきますわ」
そう言うと、そのうちの一回の原因でもあるアンリエッタが目を逸らした。
「でしたら、このまま話しても問題ありませんね」
アンリエッタの微妙な様子の変化には気付かなかったのか、聖エイジス三十二世は語り続ける。
「ルイズ殿、“始祖の祈祷書”を拝見させていただけますか? 始祖の秘宝は新たな呪文を目覚めさせることができる。わたくしはかつて、このロマリアに伝わる“火のルビー”と秘宝を用いて、呪文に目覚めたのです」
「どのような呪文ですか?」
ルイズが使える魔法の種類は、おそらく多くない。だからか聖エイジス三十二世が使える魔法に興味があるようだ。
「わたくしの使える呪文は、“遠見”と似た呪文です。ただ、映しだす光景がハルケギニアの光景ではないのです」
「それは……」
「ええ、その光景がユルゲンシュミットである可能性もあります。ですので、ローゼマイン殿にもご足労いただいたのです」
「まずは、見せていただくことは可能ですか?」
「ええ、初めからそのつもりでしたから」
そう言って聖エイジス三十二世は部屋の隅に置かれていた高さ二メイル、幅が一メイルほどの大きな鏡の前に向かった。
「ユル・イル・クォーケン・シル・マリ……」
聖エイジス三十二世が美しい、賛美歌のような透き通った調べで呪文を紡ぐ。五分ほどの長い詠唱で呪文を完成させると、聖エイジス三十二世は緩やかに、杖を鏡に向けて振り下ろした。その瞬間、鏡が強い光を放った。
光が掻き消えると、今度は鏡になにやら映りはじめた。それは高い、塔のような建物がいくつも立ち並ぶ、異国の情景だった。
「これはユルゲンシュミットではございませんね」
そう言ったローゼマインは、自分の故郷でなかったというのに笑顔だ。それが、あたしにはローゼマインが感情を隠すときの笑顔に見えた。
「やはり、そうでしたか。アンリエッタ殿から聞いた限り、わたくしの魔法を通じて見える世界とは少し違うとは思っていました。では、サイトくんはいかがですか?」
「これは……地球です」
そう呟いたサイトの目からは、懐かしさからか涙がこぼれていた。
「どうやら、わたくしの魔法で繋がった世界はサイトくんの故郷で間違いないようですね。サイトくんの故郷にも興味はありますが、話を“虚無”のことに戻しましょう。“虚無”の中にもそれぞれ系統があるのです。四系統のようにはっきりとしていませんが……。おおまかな系統というものが存在するようです。わたくしはどうやら“移動”系のようです。使い魔にしてもヴィンダールヴですし、呪文もそうです。ルイズ殿が司るのは“攻撃”でしょうか」
「では、ティファニアは? ガリアの担い手は?」
「ガリアの担い手の使い魔がミョズニトニルンである以上、智に関係していると考えるのが自然でしょうが、そのような魔法は想像もつきませんね。ましてや、ティファニア殿の使い魔は記すことさえはばかられる、とされるリーヴスラシルですからね。それに、残念ながら風のルビーはアルビオン戦役の折に失われております。ティファニア殿の魔法を知るのは難しいでしょう」
蘇ったウェールズの指には風のルビーはなかった。おそらくクロムウェル、そしてそれを討ったガリアによって奪われたのだろう。
「“始祖の秘宝”は宝の詰まった小箱のようなものです。それぞれに詰められた“宝”は違う。そして、指輪はその小箱を開く鍵のようなもの。ルイズ殿、わたくしに“始祖の祈祷書”を見せていただけますか?」
頷いたルイズが聖エイジス三十二世に始祖の祈祷書を渡す。聖エイジス三十二世は受け取った始祖の祈祷書を、なんのためらいも見せずに開く。
すると、始祖の祈祷書のページが光り輝きだした。それは、あたしが初めて見る“虚無”を会得する瞬間だった。
「中級の中の上。“世界扉”」
聖エイジス三十二世が会得した魔法を静かに読み上げた。