「ユル・イル・ナウシズ・ゲーボ・シル・マリ……」
早速、世界扉の魔法を試してみようとする教皇をわたしは微かな焦りとともに見つめていた。世界扉という名前からすると、他の世界への扉を開く魔法なのだろう。けれど、このままでは地球への扉が開かれるだけだ。
もちろん、地球にも行ってみたい気持ちはある。麗乃時代の母親にも会ってみたい。けれども、それよりも今のわたしにとってはユルゲンシュミットが故郷なのだ。それに、わたしが帰らないとフェルディナンドが危ない。
このままではいけない。なんとか、ユルゲンシュミットへの扉を開けないものか。
「火の神ライデンシャフトの眷属たる導きの神エアヴァクレーレンよ、見失いし故郷へと続く道を我に示し給え。御身に捧ぐは我が魔力。彼方へと続く扉をこの地に」
わたしが祝詞を唱えた瞬間、大量の魔力が引き出されたのがわかった。教皇の持つ杖の先に眩いばかりの光が広がり、次の瞬間には巨大な鏡が出現していた。
「この鏡が繋がる先はユルゲンシュミットですね」
確信をもってわたしは言う。なぜなら、わたしは……。
「どうやらわたくしも虚無が使えるようです」
その言葉に皆が驚きの表情を見せている。
「なぜ……虚無の担い手と使い魔は四の四であるはず……」
もっとも呆然としているのはブリミルの教えを信じている教皇だ。
「始祖ブリミルの虚無を受け継ぐ者が四人というのはブリミルの子孫の中から現れるものなのでしょう? わたくしたちはブリミルの子孫ではありませんからその定義には該当しません。そもそもブリミルの祖国なら他にも虚無の使い手がいても不思議ではないですし、他の国にもいないとは言い切れないのではありませんか?」
「それは……その可能性は捨てきれませんが……」
「そこにいるサイトと同じように召喚がなされたことから考えて、サイトの国とわたくしたちの国は非常に近い関係にあるのかもしれません。そうなると、わたくしが虚無を扱えても不思議でないのではありませんか?」
わたしが言ったことは、口からでまかせだ。日本とユルゲンシュミットは、似ても似つかない。むしろハルケギニアとユルゲンシュミットの方が、魔法や魔獣が存在することをはじめとして類似点が多い。わたしが虚無を使える理由は、むしろ麗乃として地球で生きていた記憶があることの方にあるのだろう。
「我々の前に幾度となく現れた“場違いな工芸品”により聖地が優れた技術を持つことはわかっていましたが、虚無の使い手が他にもいるという可能性は考えていませんでした」
「いや、そもそも俺の故郷にはメイジ自体がいなかったと思うんだけど」
「それはサイトさんが知らなかったというだけではありませんか?」
サイトの言っていることは正しい。けれど、今はわたしがあまり特異であると思われたくないのだ。
「ますます聖地に興味がでてきましたが、その前にこれはどうしたらいいのでしょう?」
「一度、消していただいてもよろしいですよ。おそらく次は、わたくしだけでも使えると思いますので」
これは推測でなく確信だ。なぜなら、わたしはすでに世界扉の魔法を使ったことがある。初めて使ったのは、エーレンフェストの貴族院に転移する直前だ。
あのとき、わたしは無意識に逃げ場を捜していた。ディートリンデとの連座を回避できたとしても、フェルディナンドが犯罪者の婚約者であったことまでは変えられない。若く執務経験のないアウブを補佐するという役目をこなせなかったと評価されることも避けられないだろう。エーレンフェストに戻ってもフェルディナンドがこれまでのように辣腕を振るうことはできないだろう。
それでも神殿という最後の砦はあるけども、それではヴェローニカが権勢を振るっていたときと変わらない。それは、わたしの望むフェルディナンドが心穏やかに暮らせる環境ではない。
わたしの中に眠っていた虚無は、貴族院に移動をするわたしの心に隠されていた、ここではないどこかに行けたら、という思いに反応した。そうして、わたしたちをハルケギニアに転移させた。キュルケの召喚は、ハルケギニアに転移した後のわたしたちを、ハルケギニアの中で移動させたにすぎない。
そして、二度目に世界扉を使用したのが、側近たちを召喚したときだ。あのとき、わたしは虚無の力を使って自分の側近たちをユルゲンシュミットの各地から呼び寄せた。
今、わたしは正しい世界扉の使い方を知った。次からは大丈夫だ。
「ねえ、サイト。それじゃあ、あなたも故郷に帰れるってことじゃないの」
「それは、どうだろうね」
そう言ったのは、それまで教皇の側に控えていた少年だった。
「申し遅れました、ミス・ローゼマイン。ヴィンダールヴのジュリオ・チェザーレです」
「ジュリオ、今のはどういうことなの?」
「ミス・ローゼマインはサイトの故郷をご存知ないのでしょう? 子孫である我々ならばサイトの故郷への扉も開けましょう。けれど、ミス・ローゼマインには不可能なのではありませんか?」
「そうかもしれませんね」
ジュリオの前提と異なり、わたしは地球のことを知っている。けれど、今のわたしはすでにユルゲンシュミットの人間だ。繋がりの薄い地球への扉を開けるとは限らない。
「それに、まずはミス・ローゼマインにユルゲンシュミットという場所に実際に帰れるのか試してもらうのが先ではないでしょうか?」
まず自分が帰れるのか試してみてから、他人を帰すべきというのは正論だ。わたしも他人で人体実験をすべきではないと思う。けれど、それだけだろうか。ジュリオはどうも、わたしたちを帰したがっているようにも見える。
だけど、それも無理のないことかもしれない。虚無を神聖視するブリミル教徒にとっては、ブリミルと無関係に虚無を使える人間は邪魔なだけだろう。
「そうですね。ですが、わたくしのユルゲンシュミットへの帰還の前に、何か話し合うことがあったのではございませんか?」
教皇の魔法を試すだけならばティファニアをこの場に呼ぶ必要はなかった。
「わたくしは、人同士がこれ以上争うことに我慢ができないのです」
教皇はそう言って話を切り出した。
「貴賤や教義の違いによって相争うこと……これ以上に愚かしいことがあるでしょうか? 信仰が地に落ちたこの世界では、誰もが目先の利益に汲々としている。人は皆、神の御子だというのに。なぜ、このように信仰が地に落ちたのか? 神官たちが、神を現世の利益をむさぼるための口実にするようになったのはなぜなのか? それは、力がないからです」
悔し気な声で教皇は言った。
「わたくしたちは、我らの信仰の強さを、驕った指導者たちに見せつけねばならないのです。つまらぬ政争や戦にあけくれる貴族や神官たちに、真の神の力を見せねばなりません。そのためには、“神の奇跡”によって、エルフたちから聖地を取り返すのです。真の信仰への目覚ましとして、これ以上のものはありません」
「それは戦う相手が人からエルフに変わるだけではありませんか? 共通の敵を作ることは団結の手段として有効ではありますが、だからといって外と本格的な戦となってしまえば内で争わぬようにした意味がないと存じます?」
「いいえ、聖地は我々の“心の拠り所”です。なぜ戦いが起こるのか? 我々は万物の霊長でありながら、どうして愚かにも同族で戦いを繰り広げるのか? 簡単に言えば“心の拠り所”を失った状態であるからです」
どこまでも穏やかな、優しい声で教皇は机上論を滔々と語る。
「異人たちに“心の拠り所”を占領されている。その状態が民族にとって健康であるはずはありません。自信を失った心は安易な代替品を求めます。結果として、くだらない見栄や多少の土地の取り合いで流さなくてもよい血を流したのです。伝説の力で聖地を取り戻す。そのときこそ、我々は真の自信に目覚めることでしょう。そして、我々は栄光の時代を築くことでしょう。ハルケギニアはそのとき初めて“統一”され、争いをなくすことができます」
「わたくしたちの国、ユルゲンシュミットには取り戻さねばならぬ聖地などございません。ですけど、わたくしたちの国でも争いは起こっていますが?」
ユルゲンシュミットだけではない。地球でも争いは起こってきた。心の拠り所と言われている聖地を手に入れたとしても、きっと争いはなくならない。それはおそらく、こちらの人間以外にしかわからないことだろう。
「わたくしはユルゲンシュミットのことは、よくわかりません。けれど、わたくしの思いはハルケギニアの人間ならば共有していただけると思います」
教皇の言葉の後を受けたのはアンリエッタだった。
「わたくしもよくよく考えてみたのです。そして……、教皇聖下のお考えに賛同することにいたしました。わたくしはかつて、愚かな戦を続けました……。もう二度と、繰り返したくない。そう考えています。力によって、戦を防ぐことができるなら……、それも一つの正義だとわたくしは思うのです」
戦を防ぐために力を手に入れる。そこまでは理解できなくもない。けれど、戦を防ぐために必要のない戦をするというのは、わたしには全く理解できない。けれど、これ以上、わたしが反論をするというのは、この後のタバサの協力要請に差し障る。そう考えて口を閉ざそうとしたところで、平賀が困ったような声で発言した。
「俺、その、あんまり頭よくないんで、聖下のおっしゃることがよくわからないんですけど、それってつまり、剣で脅して土地を巻き上げる、ってことじゃないんですか?」
「はい。そうです。あまり変わりはありませんね」
「そんな……、エルフが相手だからって、そんなことをしていいんですか?」
「わたくしは、すべての者の幸せを祈ることは傲慢だと考えています。わたくしの手のひらは小さい。神がわたくしに下さったこの手は、すべてのものに慈愛を与えるには小さすぎるのです。わたくしはブリミル教徒だ。だからまず、ブリミル教徒の幸せを願う。わたくしは間違っているでしょうか?」
「間違ってはいないと思います。でも、反対です」
わたしが空気を読んで飲み込んだ言葉を、平賀はきっぱりと言い切った。
「やっぱり、卑怯ですよそれ。ここにいるティファニアは……、エルフの血が混じってる。ティファニアの母さんたちを脅すような真似はしたくない」
「そうではございません。きちんとお話して、返していただくのです。だって、あの土地は本来、我々のものなのですから。その際の交渉に、ティファニアに流れる血が、またとない架け橋になってくれることを祈ります」
「アンリエッタ様、それは理想論です。アンリエッタ様が行おうとしていることは、いかに取り繕ったとしても、単なる侵略です。そこにティファニアを担ぎ出したとして、和平など望むべくもありません」
六千年前も前となると、もはや伝承の域だ。事実は歪曲されて後世に伝わる。伝承を根拠に土地を寄越せと迫るなど常軌を逸している。そんな交渉が纏まるはずがない。纏まるはずがない交渉で矢面に立つほど危険なことはない。わたしはティファニアに関しては巻き込んだ責任があるのだ。絶対に、そんな場に送り出すようなことはさせない。
「サイト殿、あなたも、ルイズのためなら命をかけて戦うでしょう? 大事な人間を救うためなら、手段を選ばずに行動に出るでしょう。わたくしもそうです。人同士が争うことに、我慢がならないのです。そのためならば、手段を選ぶつもりはありません」
「アンリエッタ様、人同士が争わぬように、というお考えは立派です。けれど、エルフと戦えば、それ以上の犠牲が出ることも考えられます。アンリエッタ様はエルフとの戦いならば、どれだけの犠牲が出ても構わないとお考えなのでしょうか?」
「そうではありません。だからこそ、虚無の力が必要なのです」
「大きな力はときとして人を狂わせる。アンリエッタ様は、それをよくご存知のはず。それなのに、更なる大きな力を得た人たちが狂わぬと、どうして断言できるのでしょう?」
「そこまでにしましょう」
わたしとアンリエッタを止めたのは教皇だった。
「確かに大きな力を得れば人は狂います。けれど、それも自信のなさからきているものだとわたくしは思うのです。そして、もう一つ。わたくしはロマリア教皇に就任して三年になります。その間、学んだことがたった一つだけあるのです。博愛は誰も救えません」
「あの……質問いいですか? “虚無”を集めるのはいいんですけど……、ガリアのはどうするんですか?」
平賀が聞いたのは、当然の質問だった。はっきり言ってガリア王ジョゼフがわたしたちに協力してくれるのは思えない。
「もちろん、手を打ちます。そのために、皆さんにお集まりいただいたのです。わたくしの即位三周年記念式典をガリアとの国境の街、アクレイアで執り行う予定があります。そこに、ガリア王にもご出席いただく。そして、ミス・ヴァリエールたちにもご出席を願います」
「まさか! わたしたちを囮に?」
「これはわたくしの式典……、事前にわたくしが“虚無の担い手”ということはガリアに流します。あなたがただけではありません。もちろん、わたくしも囮になるのです。わたくしは、何事も自分で行わないと気がすまない性質ですから」
「その必要はありません」
はっきりと、そう言い切ったのは、これまで黙って話を聞いていたタバサだった。