この不審な青年に疾走を!   作:トキワ

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この素晴らしい世界に狂人を!
青年は希望を得る


 

 

 人間の体感時間というものは、日常の充実度合によって変わる。歳を取れば取るほど年月は早く過ぎ去っていく───

 そんな知識を思い出しつつコントロールスティックを弄ぶ。画面の中では青いハリネズミが元気に走り回っている。

 

 リングを潜り抜け、敵をスタイリッシュに倒し、ジャンプ台で大ジャンプ。縦横無尽に駆け回るその姿がただひたすらに羨ましかった。

 

 

「…はあ」

 

 

 コントローラーを置き、そっと自分の脚を撫でた。真っ白な包帯に包まれたそれは、本来の役割を果たそうとしない。

 諦めて床に倒れた杖を掴む。脇に挟まれる一対の棒きれが、現在の自分の脚だった。

 

 

 

 

 

 部活を辞めて以来、あっという間に月日は過ぎていった。

 することと言えばゲームくらいで、それもいつも一人だった。

 人間というのは薄情なもので、かつて全国大会に出た時はあれほど持て囃したというのに、今は誰も構ってはくれない。

 

  走る事しか考えていなかった。

 

 昔はそれでよかった。走れば走る程速くなった。周りは皆褒めてくれた。教えてほしいと同級生や後輩、果ては先輩までもが詰め寄ってきた。県で一番の自覚があった。全国でも上位の自信があった。自分より速い奴もいつかは追い越す自信があった。有名大学からも声をかけられていた。あと数カ月もすればもっといい環境に身が置けた。そこでもっと速くなるつもりだった。

 

 

  燃えた。

 

 

 呆気のないものだった。人望も進路も何もかもあっさりと燃え尽きた。

 いやそんなものはどうでもよかった。熱は俺から脚を奪った。脚は速さだった。速さは俺の全てだった。

 

 

 

 時間をかけてリビングに移動した後、冷蔵庫の前で腰を下ろした。

 よく冷えた麦茶をピッチャーからコップに淹れる。そっと唇に淵を当て、静かに口に流し込んでいった。

 

 

「…痛い」

 

 

 いくら庇っても顔の火傷は強く意識を苛んだ。

 脚と違って中途半端に神経の残った右頬は、水を含むと暴れ始める。話すだけならば痛くない。触っても撫でても痛くない。では何故水を飲む時だけ痛むのか。

 理不尽に対する怒りは水分補給の度についてまわり、不快は積りに積もっていた。

 

 

 腹の虫が治まらない時は夜の散歩に出かけることにしていた。

 顔を他人に見せたくなくとも、趣味がインドアに変わっても、結局の所自分はアウトドア派なのだ。

 杖の先端にカバーを被せ、醜い顔を仮面で隠し、動きやすいジャージに着替えて外へ繰り出した。

 

 季節は冬。

 空は雲一つなく、放射冷却の影響で気温は低い。空気はとても澄んでいると言えた。

 刺すような寒さに身を震わせながら道を歩む。

 

 

「また走りたいな…」

 

 

 今着ているジャージも、通っている道路も、夜の帳の降りた時間帯も、全ては陸上部時代と同じものだった。やっているゲームもスピードラン系のゲームばかり。誰から見ても、自分は未練を断ち切れていない。

 

 

 走って走って走った先に辿り着く境地が好きだった。風を切るとでも表現すればいいのだろうか。スポーツ選手に訪れるというゾーンともランナーズ・ハイとも違う更にその先。

 

 あの火事からもう一ヶ月が経とうとしている。放火の犯人も捕まった。脚はもう動かないと宣告された。

 時間はとうに事実を通り過ぎたのに、自分だけがまだ取り残されている。

 もう決してやってこないあの感覚は、麻薬の様に心を蝕んでいた。

 

 

 一人鬱々と歩を進めていると、見慣れないおもちゃ屋を見かけた。

 ちょうどいいから普段買わないゲームを買おう──少しでも現状を変えたい一心で扉を開いた。

 

 一週間前までは空きテナントだったはずのこの店は、開店してすぐだろうに埃の匂いが鼻を衝いた。

 妙に美形な店員さんを横目に見つつ奥へと入れば、そこには聞いたことのないようなマイナーなソフトが並んでいた。

 イマイチ琴線に触れないそれらを避けつつ目を動かすと、一本のパッケージが目に入った。

 

「『この素晴らしい世界に祝福を!』…?」

 

 なんとも不思議なタイトルだった。なぜ名詞ではなく一文になっているのだろうか。気になったので手に取って裏面を覗いてみる。

 

「自由度が極めて高いRPG…」

 

 自由度が高い。よくある売り文句だ。どこまで本当なのか調べる為に、ポケットに手を突っ込みスマホを取り出す。

 

「あー…」

 

 ポケットから取り出されたのはスマホではなく学生証だった。どうやら間違えて持ってきたらしい。

 仕方ないので学生証をしまい、代わりに財布を取り出す。きっとこのゲームを買う運命にあったのだ。そう考える事にした。

 

 

 

 

 帰った後、トイレや水分補給を済ませてゲームをする準備を終えた。気軽に移動できないので先にやっておかないと後々面倒なのだ。

 

 ゲーム機本体のボタンを押し、青いハリネズミの描かれたディスクを排出する。横着をして新作のパッケージにはめ替え、読み込みを待つ。

 暫く機械の稼働音が戦慄いた後、接続したテレビにアイコンが現れる。競うように素早くコントローラーの丸をボタン押してやった。

 

 

 

 

 

 

 

「─────────────っ」

 

 

 

 瞬きを終えるとそこは自分の部屋ではなかった。

 薄暗い闇の中に幽かな輝きが瞬く謎の空間。辺りを見回してもその景色に途切れはない。その様は銀河という単語を脳裏に焼き付けた。

 混乱が頂点に達し、大きな叫びが喉を裂こうとした時、ふわりと何かが頭にかけられた。

 

 反射的に空を見上げるとそこにはまるで女神の様に美しい女性が星海を揺蕩っていた。

 見惚れるままに天を仰いでいると、彼女がくすりと微笑んだ。

 

 その瞬間の事だった。床が抜け、身体が重力に絡めとられていく。

 凄まじい加速に恐怖を感じつつも、あることに気がついた。

 

 

 

「脚が、動くっ」

 

 

 何故かはわからない。だがそんなことはどうでもよかった。また走れる!大地を脚で踏みしめられる!大きく蹴り飛ばして前に進める!

 

 そう考えると全てが快感だった。脚を大きく動かし、落下すらも加速に変換し、速さの境地へと至る。

 

 大きな光に呑まれながら確信を得た。

 

 

「俺はもっと速くなる!俺を超えていった全てを抜き去る!!」

 

 

 身を切る風が、賛同の歓声をあげた。

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