この不審な青年に疾走を! 作:トキワ
目が醒めればそこは平原だった。見渡す限りになだらかな斜面が続いている。
「夢じゃない」
杖なしで身体をしっかりと支えてくれる自分の脚。立っているのに脇が痛くないのは久しぶりだ。軽く腿上げをして、動かしてみる。こちらも痛くない。これなら走れるに違いない。
そして自分がジャージの上に何か黒いものを羽織っている事に気がついた。
あの美しい女性に掛けられたであろうその黒い布は、よく漫画で怪しい人物が着用しているローブに見えた。重さはまったくなく、自分の腕を見るまで着ている事に気づかなかった程だ。ダボダボだというのに、腕を振っても全く空気抵抗を感じない。
高級品…なのだろうか?動きを阻害することもないようなので、そのまま着ておく事にした。
しっかりと準備運動をした後、状況把握がてら走る事にした。こんなに大きな平原は今時見かけない。恐らく自然公園だろうから少し歩けば管理所があるだろう。こういう時にスマホがあれば便利なのだが、あいにくと忘れてしまった。
「位置について」
落ちていた大きな石に右足をかけ、クラウチングの態勢を取る。身体の事を考えるなら流しで走ったほうがよいのだろうが、逸る気持ちを抑えられなかった。
「よーい…」
ポーズを取れば自然と心が引き締まった。雑念や不安は消えてなくなり、残るのはただ速さへの追求のみ。
「───ドンッ!」
石を強く踏み込む。投げ出された身体を左足で受け止め、全力で右足を振り抜いた。あとは反復だ。交互に脚を繰り出し、全力で距離を稼いでいく。
やがてあの感覚がやってくる。風を切り、自分以外の全てが消えるあの感覚だ。
酷く懐かしい。たった一ヶ月だというのに、この世界に強く焦がれていた。
切り伏せた風を侍らせて進む快感。今この瞬間、間違いなく俺は世界の王だ。
「っハア…ハア…」
自分で合図をして息を整えなかったからか、それとも仮面を着けているからか。恐らく両方の要因から息はすぐに切れてしまった。久しぶりに走れて満足したので、諦めて歩く事にする。
やがて見えてきた小高い丘を登っていく。今の所人っ子一人見かけていないので人気の観光地ではないのだろうが、さすがに丘から見下ろせば何か見えるだろう。
「どっこいせっと…」
脚を失ってからの口癖を呟き、頂上まで登りきった。すると辺りを見回すまでもなく、大きな街が見えた。
すぐに違和感が頭を過ぎった。
建物は中世ヨーロッパ風であり、何よりアスファルトで舗装された道路が見当たらない。車でアクセスできないのは大きなマイナスなので、観光地にしてもやり過ぎな気もする。
街から延びる道路もあるが、あくまで整地されただけに見える。更にそこを本物の馬車が走っていた。
そして極めつけに、緑の肌をした小人が歩いていた。
「これは…いや…でも…」
なろう系異世界。頭にはそんな単語が浮かんでいた。
◇
考えていても仕方がないので街に向けて進む事にした。目測では恐らく5km弱。杖のいらない今の自分なら余裕だろう。
歩いている内に不安が際限なく膨らんでいく。言語、価値観、貨幣、見た目。少し考えるだけでこれだけの致命的な問題が出てくる。事前情報がない以上は取れる対策もない。
唯一の救いは自分がまだ死んでいない事だ。空気中の酸素量が違うだけで死ねるのが生き物である。もし本当に異世界ならば細菌や重力なども違うだろうし、転移して即死亡、となってもおかしくないはずだ。
そうならない理由を考えると、やはりあの美しい女性が思い浮かぶ。彼女からは悪意や殺意といったものは感じられなかった。競技のライバル達からそういった視線は何度も受けたので、瞳に篭った感情を見分けるのには自信がある。
あの笑みは邪悪なものではなかった。相手の事情は分からないが、脚も治してもらえた訳だし、少なくとも短期的には味方だと捉えていいだろう。
そう考えると、これらの自分にとって都合のいい事実は彼女によってもたらされたものだと結論付けるのが自然だろう。
「ついでに情報ももらえればよかったんだけどね…」
愚痴を溢しても仕方がないが、呟かずにはいられなかった。
そもそも何故彼女は事情も説明せず飛ばしたのだろうか。何かやって欲しいことがあったのかそれとも暇潰しか…どちらにせよ何も伝えないというのは妙な気がする。口がきけないのか何かに禁止されているのか。
まあこれも考えるだけ無駄な気がするので一旦置いておくべきだろう。今考えるべきなのは自らの偽りの出自だ。
言語が通じる、通じないに関わらずカバーストーリーは考えておくべきだ。気づいたら平原に立っていました、などと正直に話したらどう思われるか分からない。それに顔の火傷と仮面の事もある。触った感触を信じる限り治して貰えなかったらしいその痕は、どう見てもカタギではない。それを隠す仮面はもっと怪しいが、人種問題があるかもしれない以上着けておくべきだろう。
これらを上手く理由付けられるバックボーンとして、「村の忌み子」として自己紹介する事にした。
幼くして大きな火傷を負って以来、迫害を避ける為に家から出して貰えなかった。その為に世俗を全く知らないが、境遇に耐えられず家出してきた。
こう説明すれば、何も知らない事も怪しい風貌も説明できるのではないだろうか。
…勿論差別のない世界だったりそもそも村がないとかで設定が崩壊する可能性もあるが。
◇
そんな事を考えている内に残り2km位までやってきた。
目を凝らせば関所が見える。
そこに立っている人はフルプレートの鎧を纏っていた。きっと門番さんだろう。
…困ったな。普段から通る人が少ないのかそれともたまたま空いているのか分からないが、人通りはまったくない。そのまま通ろうとすれば間違いなく呼び止められるだろう。
それにこちらがあちらを見えている以上、当然あちらもこちらを見えている。先程から大きく手を振ってくれているが、こっちに来いと言うことだろうか?
了解した事を伝える為に大きく手を振る。
…あの門番さん、慌てている…のか?
何か伝えたい様だが一体なにを…
「いっったあああああああ!!!!」
恐らく背後から殴られた。
距離を取りつつ振り返ればそこには緑肌の小人が立っていた。
醜い笑顔を浮かべたそいつは、手に赤錆びた短剣を握っている。
本物の刃物を握り、本気の殺意をぶつけてくる存在に、体が強ばって動かない。
こちらは丸腰。遮蔽物もなければ助けもない。
全力で走れば振り切れる気もするがそもそもこいつはなんなんだ。何か飛び道具でも持っていたら逃げる背中が無防備になる。
やばい考えがまとまらない。これどうすればいいんだよ!
「───どけっ!」
後ろから怒声が飛び、横を人影が通り過ぎていった。
そのままの勢いで人影は剣を振り降りし、袈裟懸けに小人を叩き斬った。
男は相手が赤黒い噴水を上げ、崩れ落ちても獲物を収めない。
残心というやつだろうか。
「…よし。大丈夫か、怪我はないか?」
血の勢いが治まってから、やっと男は長剣を鞘に収めた。
「ああ…ええと…お陰様で。助けて頂いてありがとうございます」
「お前も運がないな。こんな街の近くでゴブリンに襲われるとは…しかも一匹か。ギルドに報告だな」
男は何やら考え込んでいる様だ。どうもこのゴブリンとやらに襲われるのは珍しい事態だったらしい。
「しかしなんだその格好は。怪しいなんてもんじゃないぞ。というか武器もなしに一人旅なんて正気か?」
矢継ぎ早に浴びせられる質問。全て当然のものだ。
「家出なんです。今まで家の外に出たことなくて…」
「家出ぇ?冒険者志望か。悪いことは言わん。路銀を稼いだら帰ったほうがいいぞ」
言葉が通じたのは本当にほんっっっっとうにありがたいが出てくる単語がいくつか理解できない。ギルド?冒険者?これはいわゆるなろうテンプレとして解釈していいのだろうか。
「村では忌み子として扱われてて…帰ったらもう…何をされるか…」
仮面を外し、焼け爛れた顔を見せつつ
「…訳ありか。仕方ない、まずは街門に向かおう。ここから先は門番の仕事だ」
どうやら信じてくれたようで、そう言うと男は街に向かって歩き始める。心臓が跳ね周り、生きた心地がしないがどうにか修羅場を二つ潜り抜けたようだ。
また襲われてはたまらない。急いで着いていきつつ質問をした。
「あの…貴方は街から走って助けてくださったんですよね?」
「ん?ああそうなるな。どうかしたか?」
なんでもないように返されたがそれはおかしい。街からここまで2km弱。門番さんが手を振っていたときは見えなかったので、俺が振り返ってから走り出したはずだ。いくら睨み合っていたとはいえ、そこまで長い時間があった訳ではない。
──俺より速い
嫉妬が鎌首をもたげる。この人は服装こそラフだが、剣を持ってあの距離を短時間で駆け抜けたのだ。
短距離も長距離も、ハードル走も自信があった。だが…この人には勝てない…
「とっても脚が早いんですね。ビックリしました」
白々しい声が出た。助けてもらった相手に嫉妬して、あまつさえ速さの秘密を聞き出そうとしている。…俺は、こんなクズだったのか。
「まあな、俺は戦士だがレベルも30を超えてるし、緊急時だから速度の強化魔法もかけてもらった。あとでそいつにもお礼言っとけよ?」
レベルとかそういう単語を聞くに、恐らくゲームの様にクラスがあって、レベル制で強くなるのだろう。どこかで聞いたような話だ。
だがもっと興味の惹かれる事実があった。
『戦士だが』
この人は世界で一番速い訳ではない。きっともっと速い人はいくらでもいるのだ。
「それは勿論です。…それとあの、私でも、冒険者になれるでしょうか?」
露骨に渋い顔をする男。なにかマズイことを言っただろうか。
「さっきも言っただろ。冒険者はやめたほうがいい。給料は薄いし、危険しかないしでろくなことがないぞ。大人しく土方とかになったほうがいい」
きっと事実なのだろう。俺の未来を案じて親切で言ってくれているのだろう。
だが、俺はもう決めた。
「私は…それでも冒険者になりたいです」
「お前…いや、いい。俺にもそういう時期があった。それより着いたぞ」
目前には大きく立派な門が口を開けていた。
「ようこそ。駆け出しの街アクセルへ」
TIPS
1:アクセル周辺はモンスターが狩り尽くされており、ましてや群生を常とするゴブリンが一匹でいることなどありえない。
2:主人公の幸運は2(このすばTRPG準拠)